結論として、O’Hanlonさんとの「対話」はそろそろ打ち切ろうと思います。

 私たちも悩みながら、彼の提起に応えるために新しくいろいろと議論を重ねてきましたが、この辺が潮時と思います。

 ただ、その前に、 O’Hanlonさんに問いかけたいことがいくつあります。

 「対話の前提」

  白土さんとしては、当初の「問題提起」に充分応えてきたと思えるが、 O'Hanlonさんは「対話」に応じていない。より「研ぎ澄ました」議論に突き進むだけだ。
 当初の「オール沖縄」への断罪は中核派(中央派)に拠っていた。そして辺野古現地の声と那覇市職労の問題を代表的に挙げていた。しかし当ブログが後の二つの当事者の声を改めて挙げたところで、反論も事実や意見の訂正も補充もなかった。
 また、中央派の主張と行動を時系列で整理して、度し難いほどの敵対と動揺と彷徨ぶりが露わになると、中核派は「奪還論」であり、「左翼帝国主義」だとか「体制内勢力だ」とかの議論にすり替えた。ならば中央派によりかかって議論を始めたことを取り消してほしい。

  「体制内」だとかの言葉も、ここでは意味不明だね。私たちは「体制の中」で生きている。闘いもまた「まずは体制内での格闘・葛藤」だ。「体制内勢力」だからいっさい評価や提携の対象外だというような議論の立て方は、あらかじめ現実の生活や運動からの逃避でしかないと感じる。
 「無垢で無謬」を求めて、「選ばれた民や全てを睥睨(へいげい)する神」になろうとしているように思える。「スターリン主義批判」とは、ここから始めることじゃないかと改めて思う。「失敗したっていいじゃないか」「失敗を肥やしにして成長すればいい」…しかないね。

  「失敗」は何であれ、自他それぞれに「一生もん」だけどね。

  「奪還論」否定もここでは唐突だ。いまの中央派はもはやそんな言葉も忘れたように見える。「解放革命」や「革命軍」議論も話を深めるものではない。もちろんそれらも大事な議論になるけれど、いまは「構造的差別」論を深めることのほうが大事に思う。「ていねいな対話」が欲しい。
 
   「プロファイリング」を前提に応えようとした。「あなたの立脚点はどこですか?」とも。
 けれどむしろ、 O'Hanlonさんを「追い詰めてしまっている」という感もある。

 白土 「思い」や「揺れ」を伝えて欲しい、と繰り返したはずだけど、伝わらない。数年前の前回の時にも言ったのだけれど、「思う存分表現し語りつくすために自分のブログを作って。そして時々当ブログに『読んでね』と伝えて来て欲しい。
 
最後にいくつかの要請

 白土  O'Hanlonさん、さしあたって、二つに応えてください。
 ①桜さんのいう「訂正・取消」について。「コメント」をください。
 ②最初は「荒川スパイ事件」から始まったのだけれど、私が荒川さんに「会った」と答えた時点で、話が飛んでしまった。この件の「まとめ」を本人の「肉声」でまとめて欲しい。で、それからしばらくは「お休み」に…

O'Hanlonさんとの応答でお願いします。

 ブログとしてはこの際、『狂おしく悩ましく』での記事をまとめ、「中核派と沖縄」の略史を簡単にまとめたいとお思います。


 

【ブログ注】
 O'Hanlonさんとの「コメント」でのやり取りをまとめました。
青の文字(ハイパーリンク付きのタイトル)はここでの応答です。
  O'Hanlonさん、ここにコメントをお願いします。
'――――  ――――  ――――  ――――  ――――

水谷声明③の④いくつかの疑問

清水丈夫【ブログ注】
 写真は『前進』から。

上記の表題で『試練』にアップされた。
https://blog.goo.ne.jp/shiren-shinsayoku/e/f0758c1ab99c73c1f40d7b937c5f6ab3

 『試練』氏には失礼だが、このあと冒頭部分の【管理者コメント】は「演説」の後に回した。
 ただ、「 清水氏登壇にたいしては、埼玉県委員会が抗議し総退場したそうである。また、演説中に数回にわたって女性の声、男性の声で野次が飛んだとのことである。仮にも議長の発言にたいする党員の反応としては、異例のこと、驚くべきことが起こったのである。」
そうだ。

【以下引用】……… ……… ………


2020-09-10 06:21:23 | 日本の新左翼運動と共産主義運動をめぐって 

清水丈夫氏が51年ぶりに浮上
開き直りと恫喝と哀願~~最悪の自己保身演説(全文掲載)

 


………………………………………………………………………………………………………
2020年夏 革共同政治集会特別報告
現実から遊離し革命的情勢に対応できなかった党と私
――今後、自ら大衆運動の現場に立ってたたかう
清水丈夫革命的共産主義者同盟議長



(満場の大きな拍手に迎えられて清水氏が舞台左袖から登場、演壇に立つ。)
 このような革共同集会で発言するのは51年ぶりです(照れ笑い)。(拍手) 長期にわたって権力の弾圧を粉砕して非公然活動を貫くことができたのは、やっぱり党と階級の力だと思います。(大きな拍手)
 今日あえてこういう場で発言を求めたことはなぜかと申しますと、やはり、今、前の人の基調報告でも出ましたけれど、旧政治局のもとで旧政治局の誤りが深刻な党的な危機と混乱をもたらしたという問題があります。それで三里塚の人も「危機」ということをいいましたけれど、党的な危機をもたらしたということがあると思うんですね。で、それはその過ちは、基本的に、その責任はわたくしにあります。それを認めたいと思うんです。(野次「そうだ!」「徹底的に認めてくれ!」)わたくし自身が直接にどうしたかというと、党の自己批判をして、何が問題なのかを明らかにして、(野次「徹底的に自己批判してくれ!」)というのが必要だと思います。で、そういうことをちゃんとやらなければ絶対、共産主義者とはいえないと、こう思ったんです。(野次)

 次にちょっとその内容的な面に入りますけれど、わたくしは26全総(各報告)の旧ライター批判の、旧政治局批判というのを真正面から受け止めたいと思います。わたくし自身がやっぱり7回大会路線を誤りを支えて推進する役割を果たしたということをはっきりさせて、その点を自己批判していかなければいけないと思います。

 その上で、その内容についてまた入りますけれど、やはり非常に重要なのは7回大会の路線の誤りというのはどういう誤りだったのかということをはっきりさせる必要があると思うんです。その点で、今、基調報告でも縷々述べられましたけれども、現在の情勢が世界大恐慌の情勢、あるいは3・11によって暴露された新自由主義の危機、そういったものによって現わされている、(いいよどむ)何というか、ちょっと待って……(野次)(しばし立ち往生)(野次「コロナを理由にしてマスクをしているんじゃあないよ!」、清水氏マスクを取る)(野次)旧政治局の誤りという問題を考える場合に、7回大会というのはどんな状況のもとで開かれたかと、どういうことと対峙すべきだったかということを考えて、ということから、始めていく必要があると思うんです。そういう点で明らかに7回大会当時は、今いった大恐慌とか、3・11とか、そういったことによって表されているように新自由主義の破綻がはっきりと現れていた。今日のコロナ×大恐慌情勢で現れているようなものすごい革命的な情勢というか、新自由主義の総破産ということがあの時点から始まっているというふうにとらえるべきだと思うんです。
 そしてその7回大会は、その始まりはじめた大恐慌、革命的情勢にたいして党がどのように対応すべきかということについて、やっぱり間違ったというところで押えるべきだというふうに思います。
 その場合に、……(いいよどむ)重要なことは革命情勢というふうにいいますけれども、革命的情勢というのは何か革命がやりやすくなったというように簡単に考えるような問題ではない。革命情勢が始まったということは、階級闘争の質がそこで大きく変わって、非常に厳しい対応に迫られているということが、あの時点で、7回大会で問題にすべきことだったと思うんです。
ところが、あの当時、4・9政治和解、4・9反革命といっていますけれど、それが国鉄労働運動をつぶすということのために出てきた、行われた。このことにたいして、真っ向からどうやって対決するのか。4・9政治和解というのは階級的労働運動の根をそのものを絶つ。具体的にいえば、始まった、前進を始めている動労千葉のたたかいを完全に圧殺する、そういうことをあの時点で革共同に迫ったというものとしてあったと思うんです。
 そのことを、革命的情勢を革命に転化するといいますけれど、革命的情勢を革命に転化するというのは大変な問題なわけです。そして、大体、革命的情勢というのはそれまでの党のあり方そのものでは対応できない、そういう情勢をもたらす、階級情勢が次元を異にして厳しくなると、そういう意味ではものすごい質的な転換があるという、そこのところをちゃんととらえるべきだったということが、まず(いいよどむ)……あります。

 7回大会とはそういう情勢のなかで、しかし、革命的情勢はあるけれど、革命に転化すべき階級の主体的情勢はまだ成熟していないという、このときに革命党はいかにたたかうべきか、問われていました。7回大会はしかし、これにたいして安易な方向で、先ほど(基調報告で)いわれたように、安易な方向で空論主義的に流れた。4・9との対決から逃亡するということになったと思うんです。ここんところが、自己批判するという場合の、しっかり押さえていくことだし、なぜ、そういうことが起こったのか、なぜ、そこまで頑張ってきた人間がどうしてそういう空論主義の方向に流れたかということを自分自身の反省も含めて考えなければならないということを、革命情勢の到来というのは続いていると思うんです。それは現在の革命情勢そのものという、ものすごい、かつてない、資本主義の終わりがどんどん見えているというような時期に、今、革命情勢をほんとうに革命に転化するというのは大変な問題で、それを飛躍になるようなことが、党の変革が絶対に必要になっている、そのことの出発点を7回大会は、築くべきだったと。それを安きに流れて、空論主義に走ってしまったというところが、非常に痛恨の極みだと思います。

 問題は、わたくし自身の問題と関係しますけれども、わたくしは7回大会に関して第1報告という形でかかわってきました。第1報告のところでは、リーマンショックと世界大恐慌という問題を押さえて、今起こっていることがほんとうに世界大恐慌なんだということを明らかにして、ほんとうに世界大恐慌というのは資本主義にとってものすごく深刻な問題をもたらしますから、大変な階級闘争の激化というか、深刻な事態が現われてくるということであるんですけれども、この革命的情勢を革命に転化するためには、……。4・9という形で、革命的階級的労働運動が始まって、その先頭に動労千葉が立っていると、これを根絶しようという形で、支配階級が真っ向から反革命的に暴力的にやってきたものが4・9政治和解だったというふうに思います。そういう意味では、ほんとうに到来しつつあった、始まった革命情勢を革命に転化するというのを本当にやろうとしたら、この4・9の挑戦に党は自己の変革をかけて真っ向からたたかわなければならなかった。そういう意味では、動労千葉を先頭にして、国鉄闘争破壊、労働運動破壊という攻撃にたいして血みどろの階級闘争を展開する、そういう労働運動の現実と格闘するというなかで、革命に転化する道を開いていくということを、やっぱり求めるべきであったというふうに思います。

 その点、わたくしの第1報告というのは、今読み返してみても、革命情勢が到来しているということを強調していますけれども、革命情勢がどんな問題を党につきつけるのかということについて、はっきり提起することができなかった、ということがあります。そこのところが根底的な誤りだった。だから結局、空論主義的なものにたいして、それを支えて推進するということに、結局なってしまったということが、自分の非常に、革命情勢はそういう形で論ずるだけでは何にもならない、やっぱりそれを革命に転化するためには、現実の労働運動と格闘して、革共同がほんとうに労働運動の中で大きな力をもつということがなかったら、できないということをはっきりさせていくことをすべきであった。それが第1報告ではできてないという点で、わたくし自身の誤りの基礎というか根本にそれがあったということを今、非常に痛切に思っています。
 要するに、それはなぜ、そういう事になったのかというと、やっぱり現実に行われていた国鉄決戦とか、具体体な労働運動の現実と具体的に結びついて、階級とどう結合していくかという道を自分自身がほんとうにちゃんとやってなかった、そこから遊離していたというような、階級からの遊離というような、そういうことが自分の中で起こっていたということが、革命情勢を語っても、ほんとうにそれを革命に転化するための党のほんとうのたたかいの方向を出すことができなかったということが私の誤りというふうに思っています。

 そういう意味で、わたくしは階級闘争の現場に飛び込み、一緒になってたたかうなかで自己批判を深めていかなければならないと思っています。だから、今いったような自己批判をするということでは終わらない、むしろ始まりであって、何というか、現実に階級闘争の現場に飛び込んで一緒にたたかうなかで、そして討論し、自己批判を深めていくということのなかで、……(聴き取れず)にしていかなければならない。それは決して無駄なことではなくて必ずこれから今日の階級闘争にとって意味のあることにもなる、そういう討論のなかから生み出されてくると信じております。
 今、そういう意味ではほんとうに皆さんのたたかいのなかに自分も飛びこんで、何というか、たたかうという決意をしてるんですけれども、そのことをほんとうにやりきれるかどうかというところに、わたくし自身共産主義者であるかどうかということが問われているというふうに思っています。やっぱり一人の共産主義者として生き抜きたい、たたかい抜きたいと思っています。今、その自己批判をほんとうにやっていくということは、必ずエネルギーを生み出すと思っています。

 今、コロナ×大恐慌情勢というか、猛烈な危機、新自由主義の根底的破壊を引き起こしつつあると思います。現在のコロナ情勢のもとでの大恐慌情勢の進展というのは、わたくしも50年見てて、こんなことはない。全然、ものすごい危機が始まっている。それはその他にも3・11に関連しますけれども、福島原子力発電所が爆発したというような問題なんかも、新自由主義の危機としては、今日に至るまでものすごく大きな問題を投げかけていると思います。さらに、地球温暖化ということが問題になっていますけども、それも新自由主義がもたらしたものとして、非常に、今の新自由主義の崩壊の仕方というのは尋常一様ではない、もうぐちゃぐちゃであるということだと思うんです。
 そういう非常に、どうやって苦境を突破していいかわからないという状況で、新自由主義というのは凶暴化している。凶暴化する資本主義という新自由主義は打倒しなければならない。新自由主義を打倒する階級的な労働運動を今ほんとうにつくり出すために革共同はどのようなことをしてでも頑張んなきゃいけない、ということじゃないかと思うんです。
 そういう意味で、最後に、現在進行している大量解雇、組合つぶしを絶対に許さない、それから労働運動を甦らせる、新自由主義を覆すたたかいをつくるということを、やっぱり決意したいと思います。11月の労働者集会に結集したいと思います。私もともにたたかうつもりです。どうもありがとうございました……(いいよどんで声が出なくなった)。(中程度の拍手。登場時の拍手より少ない。)
(おわり)
2020年9月6日/サンパール荒川・大ホール

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【管理者コメント】

 2020年9月6日の革共同(中央派)政治集会で議長の清水丈夫氏が登壇した。振り返れば、1969年4月27日、本多延嘉書記長らが日帝国家権力による革共同への破防法の適用・発動によって不当逮捕されたとき、清水氏はただちに地下活動に入った。それから、実に51年ぶりの浮上である。しかも、革共同集会で多くの聴衆を前にしゃべったということは、度外れの演説嫌いで有名な清水氏がよほどの意を決してのことであったろう。
 清水氏登壇にたいしては、埼玉県委員会が抗議し総退場したそうである。また、演説中に数回にわたって女性の声、男性の声で野次が飛んだとのことである。仮にも議長の発言にたいする党員の反応としては、異例のこと、驚くべきことが起こったのである。
 ある参加者から、清水氏の演説全文(文字起こししたもの)がサイト管理者に送られてきた。そこには、「あまりにひどい。無責任極まる。聴くに堪えなかった。多くの人たちが拍手したが、その感性が信じられない。抗議の退場と思われる動きもあり、野次も飛んだが、当然のことです。公表は委ねます」というコメントが付されていた。
 演説全文を一読すると、内容はびっくりするほど最悪、最低のものである。何を自己批判するのかまったくいわないでおいて、自己批判になるわけがない。それこそ開き直りである。党員にたいして、オレはもう自己批判した、だから追及するな、前に向かって一緒にたたかうべきだという恫喝と哀願に終始するものであるといえる。清水氏の自己保身が最悪の形で表れている。
 しかし、内容の当否を問わず、やはり歴史的に記録されるべき貴重な演説なので、全文転載します(約18分間)。なお、タイトルと見出しは、公平であるべく、清水氏の意を汲んで、管理者がつけたことをお断りします。








【以上転載】……… ……… ………

写真は『前進』から。清水発言は遅れて「要旨」として紙上に掲載された。

革共同集会 特別報告(要旨) 革共同議長 清水丈夫


【ブログ注】闘うあるみさんから無断転載

 

革共同中央派の、辺野古闘争からの逃亡(富田晋の栄光と逃亡)

 2015.06.02

 さて、沖縄・辺野古現地で革共同はどう行動したか…って、そりゃ「やぐらの闘い」では、85年の10・20三里塚第一公園や、11・29浅草橋戦闘で活躍した、鎌田雅史元全学連委員長が、やぐらから落ちて怪我をするということまで起こっている。関西からも全国からも、それなりに「辺野古現地闘争」に参加していたわけだ。その代表格が、現在IJBS労組 の書記長の富田晋氏である。
 彼はやぐらの闘いから、その後の環境アセスメント阻止行動を、ウエットスーツに身をつつんで果敢に闘った。ウヨさんの世界でも有名だが、「A級戦犯が祭られている以上、自分は靖国には参拝しない」という意味の昭和天皇の話をメモしていた「富田侍従長」の孫であり、親は「元全共闘」である。東京で「ひきこもっていた」のを、中核派系(当時はそこまで党派色はなかったが)のリサイクルショップの沖縄・名護支店である「じゅごんの家」に行き、辺野古での闘いを真面目に取り組むことになる。「じゅごんの家」はHPを作って積極的に現地情報を発信し、私も良くチェックしていた。当時はそれ以外に、辺野古現地の運動情報を使えるHPやブログは、無かったのだ。もともと「いいヤツ」だったから、現地での人間関係も悪くなく、昨日書いた、あちこちで大阪行動などの、辺野古の情勢を本土に持ち帰って運動する団体にも、彼と親しい人間は多かった。「ウエットスーツで迎えた成人式」と報道され、あつこちから「講演」の依頼もあった。
 平夏芽氏が女性問題を起こして精神を病み、脱落・逃亡した後も、彼は現地を支え続けていた・・・ハズだが、なぜか08年の秋に「解雇撤回闘争」なるものを始め、大々的に自らのHPを使って「支援」を呼びかけ出す。その時の混乱は、私が当時書いた記事
富田晋君を支持したいがこれじゃ出来ん(前篇)  (後編) に書かれている。ここでも「ヘリ基地反対協」等からは何の説明もなく、いわば「わけがわからん状況」であった。

 後で事情が分かったため、本来はこれをフォローすべく記事を書かねばならなかった(いや、書いたかも知れない)のだが…富田晋の「解雇」の真相とは・・・

 私が彼と初めて会った時、彼は「命を守る会 書記長」という肩書の名刺を持っていた「何じゃこりゃ」と思いながらも見ていたが、はっきりいって人口6万(中心街だけでは、もっと少なくなる)程度の名護市で小さな「リサイクルショップ」で食っていけるわけでもない…で、「専従の活動家」として「給料」をもらっていたわけだ。(その他、東京の「本家」からの援助もあったであろう)で、そのまま真面目に辺野古の運動に関わっていればよかったのだが、「本家」がだんだん中核色を強く出していく…富田晋も「11月集会」に呼ばれて発言するようになる。そのうち一緒に店を切り盛りしていた女性との間に、子どもが出来た…辺野古のオジー・オバーからの「信頼」も厚かった彼のところに「まるで自分の孫が出来たみたいだ。」と祝福された・・・そこらへんが彼の「絶頂」だったのだろう。

 やがて彼は「中核系」の独自路線を運動内で全面に出すようになる…ただその「理屈」はある意味、正しいところもあるので、前述の記事では私も「評価」はしている。しかしやがて彼は「独自の運動」で忙しくなったせいか、昼間他の人が海上阻止行動をやっている間、冷房の効く「拠点」で寝っ転がってTVばかり見ているという生活が続く。時には「自分の家」に帰って、子どもと過ごしていたということもあったそうな。これでは周りで真面目にやっている人から見れば面白くない・・・当然、「苦情」も出る・・・そこで安次富さんたち中心メンバーが「お前もっと真面目にやれ 」ときつく言った。当然である。
 彼の言っている「独自路線」≒「労働運動路線」も怪しいもので、「うるまユニオン」を立ち上げ、辺野古に来ている仲間を「オルグ」して「組合員」にしていったのであるが、「組合員」の誰もが「賃金労働者」ではなかった…それって「労働組合」か

 ぶっちゃけた話、みんなから「持ち上げられ」有頂天になった所に釘をさされたところ、逆ギレした…というのが本当の所である。
 これを「富田晋」一人の問題で止めておけば良かったところを、中核派は「全国問題」「労働運動路線に対する敵対」ととらえ、現地の運動と一線を画すようになる。かくして富田晋は辺野古から「逃亡」し、「党の助力」を得て「労働運動」を行いだす…辺野古をはじめ沖縄北部には、「振興策」+「安い人件費」をあてこんで、企業のコールセンターが多く立地した…ここの労働者をなんとかうまく組織できたのが「IJBS労組」である。(そのこと自体は、評価しよう…しかし彼はこれまで本当の「賃金労働」をしたことがあるのか…悪く言えば、70歳になるまで「労働者」経験がなかった「塩見隆也」元赤軍派議長と変わらないのではないか?)

 ということで、辺野古現地には中央派系の人間は来なくなってしまった。「じゅごんの家」も閉鎖…その後、中央派から完全に距離を置いた人が「じゅごんの海」として再建し、今日に至る。(「じゅごんの海」は、賛助会員方式で運営されている…私もその一人…といっても、要するに「カンパ」で食っているわけだが、その人は曲がりなりにも「賃金労働者」の経験があり、本当の「解雇撤回闘争」を闘ったこともある人だ)

 「中央派」の「辺野古現地に行かない」病は、すさまじい…mixiで友人になった「中央派」の人間は、わざわざ「富田晋」の演説画像をアップした。そこで彼は何と言ったか?「辺野古から来ている労働者が、(シュワブ前テント等の)現地に行って勝てるだろうか?と聞いてきた…違う、勝つためには『安倍を打倒』しなければならないんだ…」????あのぉ~「安倍を打倒」するために、多くの人が辺野古現地へ行き、陸や海で闘っているのに、地元の人間に「そこに行っても仕方がない」というようなことを平気で言ってのけたのだ (その演説画像、保存しておきゃよかったな…
マル共連 でも一時話題になったのだが)

 沖縄大学に「中核派全学連」が再建されたそうな…ではそこで人を集めて、辺野古現地に行く体制なぞ、なんぼでも取れるのに、全く来ない。別のマイミクさん、辺野古で「沖縄大学の方から、カヌーを教わった」と書いていたので「おお、なんやかんやで中央派も『復活』したか」と思ったら、実は中核派とは全く関係の無い人物であったそうな。来るのは「県民大会」などの大きな集会がある時のみ、自派の方針を訴えるビラを撒くだけ・・・これではカクマルと同じである。(5月9日の「中谷防衛大臣訪沖弾劾闘争」では、カクマルは「真面目」に来ていたのに、沖縄大「中核派」は姿を見せず…この辺はカクマルにすら劣る)

 ネトウヨさんにも教えておこう…「辺野古現地には『革マル派』や『中核派』は来ている」…これは正確ではない。革共同中央派・・・「中核派」から確実に距離をおいた人々が、来ているのだ。

投稿者 あるみさん 時刻 21時28分 かくめいのための理論 | 固定リンク



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革共同中央派の、辺野古闘争からの逃亡(大阪・本土編)

2015.06.01 

  さて私は関西に居たころ、「何か反戦運動やりてぇなぁ~」という気持ちで「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」 に参加、ビラまきや署名活動なりを行っていた。この団体は毎週土曜日、大阪駅御堂筋口の市営バスのターミナル付近で行動している。
 もともと2004年に辺野古でボーリング調査を阻止するための「やぐら攻防戦」に参加してきた人達が、地元に「辺野古基地建設問題」を持ち帰って、「本土」で訴えるために作った団体である。団体を立ち上げたのが8月の始め・・・そのすぐ後に「沖縄国際大学」にヘリが墜落…こんな大変な「事故」が起こったにも関わらず、「本土」の新聞や報道は、オリンピック一色だった…ヘリ墜落事故はだいたい3番目ぐらいの扱いである。
 私はこの団体に、だいたい結成の翌年6月ぐらいから参加しだしたわけであるが、そこにはいろんな人が居た…やぐらの攻防に参加した人だけでなく、ただ反戦の気持ちが強い個人、沖縄が大好きという人から、「法政大学」で黒ヘルをやってて中核派とドンパチやってた人、大井川から西の青ヘルを組織した経歴を持つツワモノ…もちろんここには「前進社関西支社」関連のグループや中核派全学連、「AU(アクト アンド ユナイト)」という、中核派系といわれた若い反戦運動集団もやって来た。なんでも運動を立ち上げた際には、カクマルも来ていたそうな。ま、「辺野古基地建設反対」の気持ちがあれば、誰もが参加できる場であったわけである。
 そういった団体…
京都行動 や名古屋行動、東京行動といったものや、個人、少人数グループで「辺野古基地建設反対」を、辺野古現地にも参加しながら訴え続ける人たちが出てきたのが、このころである

 大阪行動や京都行動では、集めた署名は当時の防衛施設庁(現在は近畿中部防衛局)などに「提出行動」を行い、「基地建設の問題は、沖縄だけの問題ではない!日本の問題である。おなじ役所としてあなた達はどう考えるのか?」などゴリゴリやっていたし、今もやっている。(ただ、役所が開いている平日しか出来ないので、私がそれに参加したのは1回こっきり)・・・そのうち、「渡した署名がどうなっているのか分からない…追跡できる『国会請願署名』をやろう!」と京都の連中が言い出した。いわゆる「請願法」に基づく署名である。当時は小泉の「郵政選挙」で自公が圧倒的多数を誇っていた時代…「請願法」には紹介議員が必要なのだが、どれだけ「紹介議員」になってくれるかも分からない…そんな楽な運動ではなかったが、とにかく現地で繋がった仲間達にも呼びかけ、大々的に全国から署名を集めた。最終的に何筆集まったのかは忘れたが、北海道から九州・沖縄まで、全国規模で署名が郵送されてきた。
 だが、一番の「票田」となる「東京行動」からは、ほとんど音沙汰がない 「東京行動」は、当時現地で闘う「富田晋」氏の本家でもあるが、中核派の影響のみが大きくなっていったようだ…そこから「はじかれた」おっさんが一人で「国会署名運動」をがんばっていたような状況だった。
 10月の国会請願の日、私も年休をとって東京に行った。議員会館をお借りして「総括集会」みたいなことをやったのだが、東京からの参加者は、「労働運動で革命を・・・」という、いわゆる「11月集会」のことばかりしゃべっていた。当時は私も「11月集会」には参加していたので(というか中核派分裂前だから、大阪行動内の中核系は参加していた)が、まわりからは「なんだかなぁ~」という空気がありありであった。

 その後、中核系で後に「中央派」に行く若い連中…全学連からAUまで・・・が、「大阪行動」の中で沖縄のこと、基地のことは何もふれず、ただだた「労働者は・・・団結して・・・資本主義を倒さなければならないっ 」てなことばかり言い出すようになった。おなじ中核系の「大衆運動大好き」人間からも「あれはマイクジャックだ!」と批判されるぐらい、酷くなった。

 そこに辺野古現地で、「平良夏芽脱落」事件が起こる…「違法」環境アセス阻止行動において、海上阻止行動を牽引してきた「平良夏芽」氏が、女性問題を起こした上で精神を病み、「本土」に帰ってしまうというものであった。ただこの時、当事者である「ヘリ基地反対協」からもロクな説明がなかったこともあり、全国の運動は「動揺」した・・・夏目氏は「牧師」でもあって「信望者」も多く、衝撃を受けた人が多いのは良く分かる。ただ後に訊いた話では、「海上阻止行動」が激しさを増す中で、海上阻止行動がまるで「軍隊」のようになったという・・・もちろんその「責任」は夏芽氏にある。

 当然、「大阪行動」の内部からも「平良夏芽」氏の責任を追及すべきである・・・という声が、後に中央派に行く人間(かつ平良夏芽の信望者」から出てきた・・・そのくせ「うつ病」を口実に「会議」には出席せず、裏からメールや電話で人を動かそうという形でやってきた。実際、私のところにも件の人からメールが来たりしている。そして会議では、「夏目氏が精神を病んでいる以上、彼の『責任追及』に力を入れることより、これまで通り運動を続ける」という結論となった。別に「平良夏芽」氏のために運動をしているわけではない・・・辺野古基地建設反対のために運動をしているのだから・・・そうゆうわけだ。
 この「会議」に出ていた「中央派」の人間は、「AU」の若い女性が一人…で、その「結論」を聴いた後、そっと会場から出ていって、後に残った議題については知らんふり・・・でその日から「中央派」系の連中は「大阪行動」に来なくなった。「全学連」はいざしらず、「AU」内部でも路線闘争があったらしく、今大阪行動に来ている人間は、「AU」袂を分けた。現在、「大阪行動」の一部を支えているのは、「再建協」に行った人間ばかりである。

 「中央派」は「大阪行動」に来なくなったばかりではない…関西では「第四インター」系など「反中核」の組合や団体もあって、長いこと非日共系左翼の統一行動とかがとれなかったのであるが、第一次安倍内閣の「教育基本法改悪」阻止運動あたりから、徐々に「1日共闘」をしたりする関係が出来てきた…そのような中で、「中核も反中核も、ノンポリに近いのもOK」という「大阪行動」の果たしてきた役割は大きい…「再建協」側が不十分ではあるものの「第四インターへのゲバルトへの自己批判」を出したこともあり、反戦・反在特そして反橋下の運動では、ゆるやかな統一戦線が組まれたりもしている・・・しかし「中央派」は一切、そのような場に現れない。「自分たち」だけの内輪の集会をこっそり組むだけである。少なくとも関西では、彼らの運動に対する影響力は、ほとんど無いと言ってよい。

これが「中央派」辺野古闘争からの逃亡の「あらすじ」である。次は沖縄における「富田晋」グループの「逃亡」について書く。

 

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