【ブログ注】

コロナ下で昨年も終えました。「地方の疲弊と地方の時代」は進行中。各地の話も伝わってきます。今年は「選挙の歳」でもありそうです。だいぶ時間が経ちましたが、斎藤政明さんの壱岐の島での選挙を載せてみました。

年始あけ、ゆったりした中でお読みください。この時点で斎藤さんは壱岐に移って10年とか。古くからの地元の住民と、島の外からやってきた「若い候補者」という組み合わせも意表を衝いて面白い。「ムラの選挙」ですがそんなところでこそ「何が常識か」じっくりと考えてもみたいところです。「コロナ下で浮き彫りになったこと」「コロナ下で緊急に求められているもの」「コロナ後の暫定的な社会像」もしっかり考えたいときですね。
 『ピスカトール』にも載りましたがもっと詳しい… 。昨年の作です。
 アップまでにだいぶ遅れまして申し訳ありません。

【以下転載】……… ……… ………

 

壱岐の市長選に挑む

67日に森俊介さんを応援した老若男女の手で「壱岐市長選慰労会」が催されます。島民にとってはこの上なく喜ばしいことに、森さんはこれからも壱岐に住み、事業を立ち上げ生活基盤を整え、4年後の市長選に挑む気持ちを固めました。この日の会で、森さんはその意思表明をします。今回の市長選の感想と4年後に向けた取り組みへの私見(メモ)です。老若男女との話し合いのたたき台になればと、彼ら彼女らに配布しているものです。ご紹介致します。斎藤政明拝

2020年4月12日 壱岐市市長選(投票率、約67%)

私たちが推した 森   俊介  7042

4選を目指した  白川 博一  7371

現職・白川(無所属、自公推薦)が森俊介さんに329票差で4

市長選を終えての感想とこれからの行動への私見(メモ)

白川市政がこれからさらに4年も続くことになりました。何とも無念で、やるせない気持ちです。が、ここで立ち止まっているわけにはいきません。この場に集う私たちの手で4年後には必ず森市長、森市政を実現しましょう。その話し合いの糸口になればと、本メモを作成しました。 先ずは、今回の森さん、それに4年前の武原さんの選挙戦で露わになったことをそれぞれ一つ取り上げる。

(A)(1)は、森VS白川の白川の陣形について

(A)(2)は、4年前の武原VS白川の市長選で露わになった壱岐に宿る心情について

 

(A)(1)VS白川の白川の陣形について

白川後援会(白友会)が新聞折り込みと各戸ポステイングしたチラシ「白友会だより」(A3表裏)は、これまでの、これからの、白川の、市政への立ち位置と取り組みのありよう、白川陣営の構造、それらの全てをあからさまにしていた。チラシの裏面には37日の白川の事務所開きでの発言者の氏名(写真入り)、肩書、各発言の要旨が紹介されている。発言者は、自民党壱岐支部長、公明党壱岐支部長、自民党県議、壱岐市議会議長、壱岐医師会会長、壱岐市老人クラブ連合会会長、国境離島民間会議会長、壱岐市漁業協同組合組合長会会長、長崎県建設業協会壱岐支部長の9名。白川の陣形を形作る政党と団体の長がこぞって登場する異様な有様に、今の壱岐の閉塞の状況の構造を、そしてこれからもこの息苦しい状況が続くと見た島民は多い。ちなみに、農協壱岐の会長は国境離島民間会議会長として発言しているので、ここに登場しない壱岐の主要な団体の長は商工会の会長のみといったところである。

壱岐に新しい風をと市長選に挑んだ森俊介さんは否姶なく、3期に渡って続くこの白川陣形に挑み、立ち向かうこととなった。

<余談>このチラシの表の面には、白川がこれから取り組む、論じるほどのこともない諸政策に、「青い海!澄んだ空!未来に残そう 子や孫に」のキャッチコピーが添えられている。社会的地位にある者を並べれば住民は平伏すとの思惑が溢れる紙面に、小学生が作るような(といえば小学生に失礼か)決まり文句を羅列したスローガン。チラシを見るたびに、寒々とした気持ちになる。

 

(A)(2)4年前の武原VS白川の市長選で露わになった壱岐に宿る心情について

4年前の市長選へ挑戦した武原ゆり子さんは、白川陣営の壁に加えて、さらに壱岐に宿る根深い心情とも闘わねばならなかった。 「壱岐日々新聞」に載った(武原さんの立候補を快く思わない同新聞社が作文したとも考えられる)「郷の浦在住の女性の投書」がそれである。大要は「壱岐の女性は日々、農業をし、子を育て、老親の世話をし、また地域の婦人部会員として敬老会の出し物の踊りの練習や地域の祭りの準備をしてきた。この苦労やそこにある楽しみを知らない島外からやって来た女性に壱岐の市政は任せられない」というものである。壱岐への移住は大歓迎するが、市政に口をはさむような活躍までは望まないという心狭い心情に依拠し、(投書の形で)島内の女性を島外出身の女性と闘わせる最悪の手法を用いて、「壱岐日日新聞」は武原さんの挑戦をおとしめる論を展開した。武原ゆり子さんの市政への挑戦は、白川との闘いのみならず、壱岐に横たわるこの根深い心情との闘いでもあった。 次に、(B)(1)~(5)で、上記(A)の状況に森俊介さんが挑戦した、今次市長選の渦中で見えたこと、感じたことをあげておく。

 

(B)()見えたこと、感じたことの全般的感想

今次市長選の感想を一言で言えば、森俊介さんは島の人々の心をしっかりとらえた。これに尽きる。35歳の森俊介さんはあるがままの自分を、それが今の壱岐市政に求められる核心であることを、キッパリと前面に打ち出した。森さんは、よそ者、若さ、会社の起業経験と経営の実績の三点を臆せずに大胆に掲げた。島民はその姿に、国からの種々の補助金を含めた市の年間予算(併せて約250億円を超える)を繰る市長・白川と彼の背後に控える陣形をベースにしたこれまでの市政とは全く異なる、しがらみにない新しい市政を感じ取った。森さんはさらに、白川の壱岐の市政は否定するも、壱岐の良さについては大いに評価し、その資源を生かす構想を高く掲げた。白川の壱岐市政はNOだが、壱岐はYES、これを鮮明に打ち出した。そこに彼の人間的魅力と発信力が加わり、これらの総和が、停滞から後退へとあえぐ壱岐の島民の心を短期間で捉えた。森さんはさらに、森市長、森市政が実現されればこうなるという姿を、島民との「意見交換会」という形で具体的に先取りして示した。2月の後半から島内各所で開いたこの島民の意見を聞く試みは、白川市政にはそもそもないものであった。森さんは、市政のよって立つ基盤は、白川が依拠するような陣形にあるのではなく、住民一人一人にあることを目に見える形で島民に示した。10人から40人の小さな規模で開催した島内4町各所での「意見交換会」を経るに応じて、「森って誰、何者?」から「森、いいじゃやないか」という声が上がり、やがてこの会の出席者を中心に、森さんを応援する行動が生れていった。以下で、その広がりを見ていく。

(B)世代による多様で活発な動き

(1)40代の「若者」が動いた

今次市長選の住民の動きの中で際立つものは、40代の40人ほどの(壱岐では)「若者」が誘い合って森支援に馳せ参じたことである。彼らは「ここで自分たちが森と動かなかったら壱岐に未来はない」とこもごも語り、集まってきた。彼等と打ち解けた間柄になって聞き知ったことであるが、昨年の12月半ばに森さんに市長選出馬を打診、口説いたのは、何と彼等だった。1月半ばに森さんから「出る」と聞いた一人は「10年に一度あるかないかの感動で体が震えた」と、その時の心情を語った。

話はそれるが、4年前の市長選の際、40代の面識のある「若者」から「自分には希望なんていうものはない。市長が変わっても壱岐は何も変わらない。投票してもしなくても同じ」と

いう言葉を聞いた。彼は農家を継ぎ、さらには現金収入を得るために、時には工事現場に出て働く、壱岐の根っこを支えている典型的な「若者」である。そんな彼の言葉に、これまでの市政は、彼に何の光も感じさせるものがなかったのだと、寂しい思いを抱いたものである。恐らくこの「若者」の気持ちは彼の世代に共通したものであったのであろう。4年前の市長選では彼の世代が選挙の前線に絡む姿を目にすることはなかった。もっと言えば、壱岐が2004年に市になってからの市長選挙で、今回のような「若者」の動きは皆無であったのではなかろうか。

話を戻すと、それが今次市長選では、件の彼の世代が「森と共にここで自分たちが動かねば壱岐の将来はない」と誘い合って立ち上がった。彼らの登場は、何よりも壱岐に宿る未来を感じさせてくれた。 彼らは皆、仕事をもっている。自営者もいれば勤務している者もいるので、事務所に勢ぞろいできるのは平日では夜の9時。その場で彼らは、森後援会のポスター張りから同チラシの全島各戸のポステイングに取り組む、相方、地域分担、それぞれに実施可能の日時を決め、ポスター、チラシを持ち帰り、行動に入った。

公示日の公設掲示板160余ケ所に森のポスターを張る作業は彼らが一手に引き受けた。

40代の活動に加え、20代、30代の男女数人も仕事の合間をぬって駆けつけ、後援会の宣伝カーの運転や事務所内での作業に加わっていたことも印象に残る一事であった。 

土日の事務所には終日、彼ら「若者」の楽しげな笑い声が満ち溢れていた。

 

(2) 女性が動いた

森さんの市長選出馬の名乗りに敏感に反応したのが60歳~70歳世代の女性たちであった。彼女たちの数人は武原ゆり子さんの選挙時の集会で見かけてはいたが、今回のように、女性たちが選挙事務所に大挙して日参し、連日に渡って集団で作業する姿を目にするのは初めてのことであった。都合40人ほどであろうか。この女性たちからも「ここで壱岐を変えなければ壱岐はもう終わり」という言葉を何度となく聞いた。全戸にポステイングするチラシを折り、全戸に郵送する12000通のチラシを封書型にし、公選ハガキ8000枚の住所を書く、これらの作業の8割方は彼女たちの手になるものであった。彼女たちはまた、公示前から投票までの10数日間は、島内の固定電話宅に、森さんの立候補の紹介、森さんへの投票依頼の電話かけをもこなした。選挙にかかわるこの女性集団のパワーの源は、森市政実現を通して壱岐の未来を切り拓こうとする希望にあった。彼女たちの奮闘ぶりを見るにつけ、武原ゆり子さんが先んじてなした挑戦が今ここに確実に受け継がれている、まいた種は見事な花を咲かせたと、感慨ひとしおであった。

 

(3) 70代の男性の奮闘 

選挙の要をなしたのは、ほぼ70歳前後の男性たち。彼らは、初登場の40代の「若者」たちの島内を駆け巡る行動、初登場の女性たちの献身的な実務作業とは一味違った分野で大いに力を発揮した。 

彼らは森さんを同道して、自分が住む地域の全戸の家庭を訪問し、森さんを住民と引き合わせた。地域の人びとから信頼される彼らが森さんを紹介し推薦したことは、地域住民の間に森さん立候補の話題を生み、次には森支持の会話が住民間で交わされる突破口となった。 

森さんの応援に集まった「若者」たちと女性陣をまとめ、その力を解き放ち、また各地の住民を森支持に向けていったのは、吉野誠治さんを始めとした70歳前後の老世代の男性たちであった。彼らは最も奥深いところで森さんの挑戦を支えた。

 

(4) 𠮷野誠治さん、武原ゆり子さんが切り開いた道を今や「若者」が進む。 

以上のB(1)(2)(3)に見る森さんの応援に動いた老若男女は総じて、8年前の市長選では2期目を狙う白川に挑戦した𠮷野誠治さん、4年前の市長選では3期目を狙う白川に挑戦した武原ゆり子さんを支持した、とみて間違いない。 

2氏の挑戦時に比べ、壱岐の人口は年年に漸減を続けており、今日では前2氏を応援した人たちの世代交代が加速しながら進行している。 

森さんの白川への挑戦は、この2氏の挑戦の流れをくむと言えるが、最大の違いは進行する世代交代下の挑戦であったことである。4年後にはこの世代交代はより加速して進む。 

こうした動きの中で今回、前2氏の挑戦時にはなかった、「若者」層が雪崩を打って森支援の行動に出てきたことの意味は計り知れない。森さんは前2氏が切り開いた道を進みながらも、この「若者」たちとさらに新しい道を切り開き、前へ進み、過去を越えたもう一つの世界を作り出した。 

ここに、これからの壱岐の希望を見出したい。森さんにはこの「若者」たちがいる。前2氏を応援した老世代男女は、今はこの「若者」に連なる位置に来た。

 

(5) 補足 コロナ下の選挙

今回の市長選はコロナ情勢下で闘わざるを得なかった。島内では314に最初のコロナ陽性者、45日には6人目の陽性者が明らかとなった。 

これで予定されていた、森さんの「意見交換会」は全て中止せざるをえなくなり、さらに以後は同会の設定そのものが不可能となった。また、3月後半に集中する各地域の公民館で開催される公民館総会、また各地の老人会総会が軒並み中止となったことで、森さんの挨拶の場がなくなった。私の属する老人会、公民館の各総会でも森さんの挨拶を組んでいたが、総会中止となり、それができなかった森さんは、「意見交換会」や各種総会の出席にかける時間とエネルギーを、公示前の戸別訪問に回せたと言えなくもないが、「意見交換会」や各種総会出席での交流が生み出すグループダイナミズムは生み出せなくなった。これは新人候補には痛手であった。 

白川はこの事態を逆手に取った。公示前も後も、島内放送で毎日3回「コロナ対策本部長の市長・白川です」で始まるコロナ対策報告を流した。電波ジャックで白川はコロナと闘う姿を島内全域に流し売り込みを図った。 

彼我ともに制約された選挙活動を余儀なくされた点では同じであろうが、新人候補には特段に重い制約下の選挙であった。 

投票率は前2回の市長選約80%10%強下回った。事前であれ当日であれ、投票所に足を運ばなかった多くは高齢者なのであろうが、この10%強の差がどちらの候補を利したのか。これは読めない。

(C) 2024年には住民の手で森市長、森市政の誕生を

(1)「森俊介さんを壱岐市長に 市民1000人委員会」を立ちあげよう

会の目的と内実はこの名称通りだが、ネーミングは考慮。例えば「森俊介さんと歩む 市民1000人の会」のようなものがいいのか。もっと泥臭い方がいいのか。名称はどうあれ、要は4年がかりで1000人の森支援者を作り、森さんを市長に押し上げる、恒常的な運動を開始しようということである。

*会の立ちあげの準備事項

呼びかけ文()

会員の年会費の確定()

呼びかけ文に添える連絡先(および気付け者の氏名)の確定 

この夏から一斉に署名取りの行動が開始できるペースで。

会員名簿の日常的集約と作成、会費の出入り管理(新規通帳)、それらの各担当者をおって確定などなど

 

(2)老若男女による三層四層の日常的な運動へ、途中に市議選あり

会の基本活動は会員の署名取りであるが、()

*なお、1年余り後の2021年の夏には市議選がある。()

 どの道を通るにせよ、全てのカギは、1000人の署名による森応援団の形成、実現である。

 

(3) 4年間で1000万円の基金を()

(4) いくつもの多様な森さんを囲む会を作ろう()

なお、これらの活動は、コロナの収まり状況のいかんにかかわる。状況に応じた活動が必要になる。

 

(5) 白川による次期市長の座の禅譲との対決 

白川には5期目(72歳になる)はない、白川は指名で市長の座を禅譲する、と見て間違いなかろう。巷間では山本県議に市長の座を譲るとされ、山本の後釜にはX市議ないしはZ市議を充てると噂されている。 私たちにとっては誰が市長選の相手になるかが問題ではない。4年後には、日本全体の劣化、白川市政の下、壱岐の閉塞、劣化はさらに進む。 問われているのは、相手が誰かではなく、深まる閉塞、疲弊する壱岐を変えられるのは森さんであり、森さんしかいないという声を、住民の共通の声にすることである。 

白川から市長選への出馬を指名された者が「出馬しても森には勝てない」という気持ちになる情勢を生み出しておくことである。()

これは必ずできる。森さんには7042票=7042人の人びとから支持が寄せられている。

補足

(1)()

(2)この集まりでは、市長選に際し、森さん、白川がそれぞれ発表した、市政の課題と政策に関しては触れなかったので、両者の政策の違いの核心をここで挙げておく。森さんは、壱岐の厳しい現況、壱岐の有する資源(可能性)を見つめたところから壱岐市政に求められる政策を提起している。対する白川は、国(官僚)が作った一般的な地域振興策のいくつかを援用して壱岐市政の政策にしている。両者の視点は全く異なっている。

 

その他の補足

コロナ情勢他(メールからコピペなど)先日の本多集会は、「帰島したらPCR検査を受ける」ことを条件に、老人会から上京を許されました。さいわい、「陰性」。壱岐島内のコロナ感染者として公表された人数は昨春8名。これでストップしていたが、年明けから7日までに一挙に52名の感染を発表。、半数が市職員とその家族で、彼らの忘年会で広まったのだそうだ。

(市民からは,り患した市職員に対して「だらしない」「高給取り」とささやかれているが、そうではない。市長と市の幹部が1218日に忘年会を開催。これを見て市職員が忘年会を開催、感染につながっている。組織は頭から腐るものである。)

 参考壱岐の地図
https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&ccid=%2F83oIWgn&id=5DCFAB261C550253AD96D2BB522167527D8656AF&thid=OIP._83oIWgnzHx1BxqgrIaZ-gHaIL&mediaurl=http:%2F%2Fblog-001.west.edge.storage-yahoo.jp%2Fres%2Fblog-a4-e2%2Fgenkaiya%2Ffolder%2F1739162%2F40%2F16665440%2Fimg_0&exph=1500&expw=1357&q=%E5%A3%B1%E5%B2%90+%E5%9C%B0%E5%9B%B3&simid=608006153726984239&ck=082619FD67A9592F3AE109274FBB5BC6&selectedindex=0&form=EX0023&idpp=overlayview&ajaxhist=0&adlt=demote&shtp=GetUrl&shid=0161ddb0-0a5f-4ed4-bac1-74bebee237a3&shtk=5aOx5bKQ44Gn5pyA44KC5aSa44GP5L2%2F44KP44KM44Gm44GE44KL44Oe44OD44OXICgg6ZW35bSO55yMICkgLSDlo7HlspDjg5bjg63jgrAgLi4u&shdk=QmluZyDkuIrjga4gYmxvZ3MueWFob28uY28uanAg44Gr6KaL44Gk44GL44KK44G%2B44GX44Gf&shhk=TUftN0gN3VuaUX83QGhygm9gqGbZQVxOZyfeMQ2C%2BTw%3D&shth=OSH.hoNA1vaE%252FH8Z2ulSBpLvgQ





1
10月25日 本多書記長追悼の集い 開かれる。

主催者発表では「参加者が46人、メッセージが4人」

詳細はhondanobuyoshi1975(livedoor.blog)

 

私も終わりの方で発言した。原稿を用意していなかったので、記憶によって採録したい。【補足】は今回付けたもので飛ばしても結構です。以下……… ……… ………

 

さっき水谷さんの発言中にヤジを飛ばした二人のうちの1人です。

「湯本」といいます。

〇滝沢さんの項目

まず主催者が用意した「追悼 非業の死をとげた仲間たち」のレジュメについて。

この中の「滝沢紀昭」さんの項目では「…転落死させられる」とありますが、ここから「させられる」の5文字を削ってほしい。

私は元中核派。埼玉大学出身で本社編集局の一員にもなりました。その後はいわゆる「白井朗系」「白井派」。ブログで『狂おしく悩ましく』というものを公開しています。

事件当時は埼大生でした。ま、69年4・28の件でこのころは東京拘置所に入っていました。当時の肩書では、滝沢さんがマル学同埼大支部のキャップで経済学部自治会委員長。私はサブキャップで理工学部委員長、でした。

事件についての中核派の公式的表現では、たしか「突き落とされて、虐殺」だったと思います。襲撃したのは「権力から金をもらって転向したスパイ」といいう感じだったと思います。

それに比べればここでの表現はやや和らいではいる。けれども「中核派の正史」を引きずっています。直前の望月さんの項では「墜落…逝去」です。事件としては望月さんの事件の方がはるかにひどい。けれどそれはおいて、ひとまずそれに近い表記にとどめたい。

事件としては前夜に中核派の首都圏部隊によるバリケードへの襲撃がありました。ま、それ以前には主として反戦連合側からのいざこざ・小競合いがありましたが詳細は省きましょう。とにかくこの「5文字」です。


  【補足】マイクの不調で最初から言い直しましたが、だいぶ省略しました。
    「湯本」ー「10・8世代」の皆さんには「湯本弟」としたほうが分かるかも。
        
「反戦連合」は「反戦連合ほか」に訂正します。発言そのものは変えられないので内容上の訂正です。

    以下の各項目の【補足】は末尾に書きました。

で、「本題」に入ります。

  組織内部からの変質と崩壊

2重対峙=対カクマル戦、そして革命軍戦略、言い換えれば内ゲバとロケット砲の時代です。私も十分な総括はできていません。ただはっきりしているのは、「組織の内部からの変質・崩壊」はずいぶん早くから進行していたという思いです。

そりゃそうです。襲撃され殺されるのも大変ですが、襲撃する、殺すというのはある意味でいっそう大きく跳ね返ってくる。「人の人生を抹殺すること、ひとの命を奪うこと、一つの命を抹殺すること」。今回はこの点を強調したい。現場逮捕・事後逮捕、長期投獄の恐れ。関係者への家宅捜索と「事情聴取」。跳ね返りも大きい。
 組織内での相互の機密保持が第一になる。個々の襲撃の是非もその実相も秘匿するしかない。議論もできない。何一つ「共有」できないままで鵜呑みするしかない。

軍事と軍令が日常活動の基本的な姿、それが日常の基本的な枠組みになる。だから人事と財政はキャップの専権事項になる。議論が起こっても、それが政策や理論の問題でも、この軍令体制に縛られる。複雑なあるいは難しい組織問題でも、抜擢されたキャップの思いつきや無限ともいえる裁量権が横行する。【補足①】

 

  三里塚・沖縄論の「定説」や「認識の深化」

この間三里塚や沖縄での中核派(中央派)の度し難い言動について考えています。…【三里塚については中略】…

沖縄県民がたたかう時、あるいは人として声を上げる時、「沖縄主義者」であるのは当たり前でしょう。常識。その「沖縄主義者」という言葉を、「追放・敵対」を正当化する「罵倒」として使うなどということを私には想像もつきませんでした。

言い訳のできない、どうしようもない裏切りとしか言いようのない数々です。けれどもこれは打倒された中央派旧執行部の腐敗や変質ということに止められない問題だと感じます。しかし60年代末に中核派が「三里塚・沖縄」に全力で取り組んで以来50年、残念ながら「農業・農民問題」も「沖縄・この構造的差別」の問題もなに一つ「論」として真正面から取り組み深めることをしてこなかった。中核派にはそもそも沖縄問題とは何か、ということでの「定説」いわば哲学的深化がなかった。初期の思いも「空洞化」「消失」していた、ということにありそうです。

その「付け」が回ってきたのだと感じます。【補足⓶】

 

  反スタということ

反スタとは何よりもまず、「活動家の主体性」だと思ってきました。「正否の基準」は一人一人にある。そして「指導部が誤ったり裏切ったりしたら、議論を起こし、党内闘争を展開し、時に分派を作り、時には分裂・自立する」というものだったはずです。

私は残念ながら、まともな議論すら起こせなかった。反スタの入り口で失格です。恥ずべき変質・転向=党内転向です。「自由のために闘う共産主義者」ではありえなかった。これが最大の問題です。無念です。

本多さんについては今回は略します。 


【ブログ注】

【補足⦿】〇滝沢さんの項目
 
滝沢さんの事件、言い換えると「芝工大事件」について、私自身は長く内に秘めて個人的な問題として処理してきました。けれど、事件の元被告の友人・知人との信頼と責任のためにも、今改めて積極的に語るべき第一級の課題だと感じています。今回改めてネットを検索すると、想像以上のブログで扱われています。

 
【補足①】   組織内部からの変質と崩壊
 「心のキズ、負担」は実行行為者と、「内部通報者」だけではない。あまりに多
くの人が苦しむことはさけられない。正しいか、必要かとも別の問題です。
 斎藤政明さんの本で、九州支社で革マルの逆襲を受けたときの「総括」をめぐる「中央」とのやりとりがでています。「中央」とはこの時福島平和さん【注 訂正済み】だったとのことですが、斎藤さんなりのリアルな現実認識・視点に対して中央はただ坊主懺悔だけをくり返し求める。「そうなんだろうな」とも思いつつ、中央のレベルですらこんなだったんだ、と思いを新たにしたものです。これが斎藤さんが壊れて離れていくひとつの要因だったようですね。
  https://www.amazon.co.jp/%E5%A5%A5%E6%B5%A9%E5%B9%B3%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%9F%E2%94%80%E7%A7%81%E7%9A%84%E8%A6%9A%E6%9B%B8-RED-ARCHIVES-03-%E9%BD%8A%E8%97%A4/dp/4784592229
 

ともかく「路線云々」前に、「中核派は当時の時点で、戦争できる組織・諸組織でも、諸個人でもなかった。多くの場合、あまりにも『無準備』だった。そして内部から変質した」というしかありません。もちろん、人により、所属により、地位により、その差や違いは大きかったはずです。
 そして「
対等なお互いの関係」の破壊的進行については特に、はっきり言って「上」で胡坐をかいた人には、その後も長いあいだ、自覚すらなかったのではないか?あるいは最後まで?とすら思えます。

【追加】私の発言では、以下の要旨もあったと指摘されました。
「早稲田の革マルによるテロ支配はもちろんですが、明治の解放派、法政の中核派によるそれも…」


 【補足②】   三里塚・沖縄論の「定説」や「認識の深化」
 
沖縄問題で思い出せるのは「同一民族」という言葉だけです。いつだったか今は思い出せません。覚えているのはある日突然『前進』重要論文にこの言葉が使われ、何度か繰り返されながら一度もその意味を語ることが無かったということだけです。「日本は単一民族」という中曽根発言のころでしょうか?

「同一民族」というゆえんは何か?「だからどうなのか?」何も語られなかったという記憶だけです。時に「重要路線」時には「戦術」として中核派としては「大動員」をかけながら、肝心な「論理」「思想」は空洞化していく一方だったな、と改めて振り返ります。「70年」から50年、この「無思想」「非論理」が続いてきた結果が今なのだ。そう思います。

【補足追加】集会ではすでに公表されている人々のほかに多くの人が発言した。「ゲスト」や自由発言などさまざまで、私としてはこのへんに啓発されるものがありました。

主催者のホームページで採録されることを期待しています。その時はまた、この続きを書きたいと思います。


  

 

5

【ブログ注】
 軽いノリで読める割にずしんと来るものもある。
 ともかくあれこれと偉そうなことを論じる前に、こんな本やテレビや映画をいくつか見てから感じたことを言葉にすることはすごく大事なことだと感じる。
'  ……… ……… ……… ……… ……… ……… 以下 

女に生まれてモヤってる!

女に生まれてモヤってる!
ためし読み
定価 本体1300円+税
発売日 2019/6/27
判型/頁 4-6/256頁
ISBN 9784093887076ePub

〈 書籍の内容 〉

女の損は見えづらい
 生き方が多様化し、女性としてのライフスタイルに「正解」や「ゴール」がない今、私たちはどのような道を選択すれば、心地よく生きられるのか。コラムニストのジェーン・スー氏と脳科学者の中野信子氏が、これからの女性の生き方を対談形式で語り合います。

【一章】「女らしさ」は誰のため?
  -「女らしさ」とは自己決定権を手放すこと 
  -メイクや服は女ウケを狙ったほうがコスパがいい 他
【二章】敵と味方とルールを再検証する
  -「女同士はわかり合える」という一枚岩幻想
  -新自由主義の流れでカオス社会が爆誕    他
【三章】恋愛と結婚、私たちの戦略
  -自分よりも能力が高い人を好きになるという通過儀礼 
  -パートナーはまっとうに生きるための漬物石 他
【四章】なぜ女は自信を持ちづらいのか? 
  -男は女よりも自信を持ちやすい 
  -依存相手は都合のいいスクリーン   他
【五章】いつか結婚も出産もレジャーになる
    -妊娠・出産をアウトソーシングする未来 
    -私たちが本当に後世に残したほうがいいもの 他
【六章】ジャストフィットな生き方は自分で決める
     -男社会で設定されたゴールがすべてじゃない
     -今の選択が正しかったと思えるように   他


思ったより科学的な内容で読みごたえがあった。納得出来た。2とか続編が出たら絶対買う。(30代 女性) 2020.5.10


TBSラジオ番組の「ジェーン・スー生活は踊る」を毎日楽しく拝聴しており、著者の本を知りました。(30代 女性) 2020.3.7


大変よかった。共感とモヤモヤがスッキリする感じもあり、元気ももらえた。(40代 女性) 2020.2.9


タイトルがなんだか気になって購入しました(30代 女性) 2020.1.28


女としてできなかったり頑張れなかったことがあり、それに対する後ろめたさが消えずにいたため、タイトルを見て購入してみました。(40代 女性) 2020.1.20


いつもスーさんのラジオ聞いています。スーさんの相談コーナーが私の心のよりどころです。 そんなスーさんの本なので、読みたいと思いました。(40代 女性) 2019.9.12


まさに私が感じていたモヤモヤを言語化してくれた!という感じでした。女性はもちろん、男性にもたくさん読んで欲しいと思いました。(30代 女性) 2019.8.7


広告で見て、気になったので購入しました (40代 女性) 2019.7.12


ジェーン・スーさんの大ファンで、自分も「女に生まれてモヤってる!」その通りだったので、読んで共感する部分が沢山ありました!!!いつも私の気持ちを代弁してくれているかのようなジェーン・スーさんの著書が大好きです。勇気をもらえます。(30代 女性) 2019.6.29

だいぶ遅れましたが『試練』から転載します。
 【管理者のコメント】があまりに「水谷節」でかつ長いので、「謝罪文」本体を前に出し、また、解説は取捨選択します。


【以下引用】

2019-10-31 09:29:30 | 日本の新左翼運動と共産主義運動をめぐって


資料:天田三紀夫革共同書記長の「謝罪」文

▲革共同政治集会で基調報告する天田三紀夫氏(2007年7月29日、関西)

……… ……… ………以下、「謝罪文」全文……… ……… ……… 
                       6月11日 熊沢

 KOW同志から報告を受けた時とびあがらなかった自分、さらにコピーの遅れに気がつかなかった自分に、ものすごい危機感をもっています。

 申しわけありませんでした。

 人間的尊厳をかけて決起した〇〇同志に対して心から謝罪します。

 塗炭の苦しみから決起した女性同志に心から謝ります。

 この壁をどう突破していくのか。

 〇〇同志の決起に連帯して闘います。

 労働者階級の現実とともに進むことであると考えます。

 新自由攻撃に対して決起した女性・わかもの共に進むことです。このことをはっきりさせます。

 マルクス主義の研鑽につとめます。

 政治局の組織問題の解決のために全力をあげます。

                      以上あらためて謝罪します。


………【ブログ注】 以上全文。以下は『試練』による註

熊沢=天田三紀夫氏の組織名。

註2:KOW=小岩の略で、鎌田雅志氏の組織名

註3:「報告を受けた時」=女性差別被害を受けて深く傷ついたPさんは、その直後、担当政治局員・鎌田氏に許しがたい差別犯罪を直訴・告発した。その訴えを聞いて、衝撃を受けた鎌田氏は、ただちに黒川(木崎)氏に報告し、「重大な問題である。組織問題にしなければならない」と強調した。Pさんの告発内容を詳しいレポートにして、天田氏と黒川氏に提出した。その鎌田氏にたいして、黒川氏は「山梨は責任をとらせるほどの重要な指導部ではない。処分する必要はない」「たいした問題ではない」と高飛車に逆オルグした。さらに「Pさんが何か変な動きをしないか、監視せよ。逐一報告せよ」と命じたのだった。鎌田氏はすぐさま黒川氏の指示に従った。以後、彼はPさんに監視のプレッシャーを加え続け、告発封殺の直接の先兵となった。

註4「コピーの遅れ」=鎌田レポートを受け取った天田氏は、それをコピーせず、どこにも回さず、隠匿した。それから5年後の今回の追及にたいしても、鎌田レポートを明らかにしていない。つまり、「コピーの遅れに気がつかなかった」というのはまったくの嘘であって、意識的・組織的にPさんへの女性差別犯罪を隠蔽、山梨を擁護、Pさんを弾圧してきたのだった。

註5:「謝罪」=熊沢文書は無題である。なぜなのか。題目に「謝罪」「自己批判」という文言を記すことを意図的に拒否しているとみてよい。実際、本文に「謝罪」ということばはあるが、「とびあがらなかった」「コピーしなかった」ということを謝っているわけで、それしか書いていない。なぜとびあがらなかったのか、なぜコピーしなかったのか、その理由、その思想的根拠を真摯に自己切開するのでなければ、謝罪になるわけがない。「とびあがらなかった」とは何という言い草であるのか。そもそも政治家あるいは組織人が書くような文章ではない。これでは謝罪にはならない。それ以下の文章も、すべて責任逃れに終始している。「マルクス主義の研鑽につとめます」とは、けだし名文句である。マルクス主義の学習が何一つ身につかなかったダラ幹、権力欲のみで生きてきた天田氏の正直な心情吐露であろう。それにしても、あまりにも低水準な、あまりにも軽く、あまりにも拙劣な、およそ一政治組織の書記長たる者が書いた文章とは思えないものである。いや、むしろ、このような書記長を戴いてきた革共同中央派の、これがありのままの思想状況なのである。なお、天田氏はその後、心身ともに組織関係、人間関係に対応しえなくなり、人間崩壊的状態であるとされている。真偽のほどは検証されなければならない。なぜなら、それを理由に、党員の追及から逃れるという、‘天田隠し’がされているからである。

註6:「7月テーゼ」=07年7月、非公然政治局会議に清水議案が提出され、それを天田氏が「これで整理がついた」とした。天田氏に認められることではじめて清水議案が7月テーゼ原文とされた。その清水議案を『前進』用に編集・執筆した中心が坂本千秋氏(当時、副編集長、26全総で政治局員に再任、編集長)である。清水氏はもとより、坂本氏も革共同における7・7自己批判の思想、路線を「7月テーゼ」をもって否定・追放し、自ら排外主義・差別主義集団と化した直接の責任を負っている。


【ブログ注】色んな問題の理解の差はそれとして、事実関係もいくつか具体的なところで違うという話も多い。

……… ……… ……………… ……… ………
【管理者のコメント】 (【ブログ注】…『試練』。冒頭の部分に当たる)


 2019年3月から8月にかけて、革共同(中央派)政治局にたいする党内の批判・追及が燃えあがりました。その動力となったのは、2014年に中央WOBの一員である山梨(神奈川県委員会湘南支部)によって許しがたい暴力的な女性差別を加えられ、しかもその告発を政治局に握りつぶされ、言語に絶する苦しみを強制されてきた前進社本部α部局のPさんの党員としての命がけの決断による渾身の告発でした(2019年3月)。Pさんと連帯する同部局の女性同志たちは、ともに、真正面から政治局と対決したのです。

 それが党本部の全部局に伝わり、強い共感と連帯が生み出されました。政治局とりわけ3人組と呼ばれる書記長の天田三紀夫氏、天田(黒川)純子(=木崎)氏、河村剛(=坂木)氏という政治局員、そしてα部局担当の鎌田雅志氏ら4人の政治局員が一斉に批判され、追及を受けるところとなったのでした。そしてついに、彼らは党本部の党員たちによって政治局員を解任され、自らも辞任を表明しました。

 そのなかで、Pさんへの女性差別犯罪のすべてを承知し、それに加担した天田書記長が、当然にももっとも重大な組織責任を問われました。しかし、天田氏は右往左往するばかりで、問題を見すえることもできず、何をどう謝罪し、何をどう自己切開し、どう自己批判すべきなのかも、わからないありさまだったそうです。

 詳しいことはわかりませんが、天田氏が提出した文章は、現在までただ一つだといわれています。

 その後、革共同第26回全国委員会総会が開かれましたが、そこでは前記4人の政治局員の解任、処分の決定はされていません。指導部の交代といった形がとられています。

 その26全総の後も、天田氏の謝罪・自己批判文は出されていないようです。むしろ、新政治局は天田氏らへの追及を強制終了させているようです。

 26全総決定では、「政治局の中枢指導部がかかわった重大な女性差別事件」「その開き直り、隠蔽」「党中央における思想的腐敗」と記しながら、その問題について何の政治的・思想的切開もしていません。何の責任追及も、一人の処分もしていません。驚くべきことです。

 革共同の歴史上もかつてありえなかった、‘政治局炎上’となった事態であるにもかかわらず、それがなかったかのように党史の偽造が始まっているのではないでしょうか。………以下略

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遙かなる一九七〇年代-京都 学生運動解体期の物語の記憶 2017/11/4 300頁 2800円 鹿砦社


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