リトル・パレスティナ 
を観た。まだロシアの侵攻が始まってすぐの頃だ。
 ウクライナの現状とパレスチナの現実。
 状況は似ているのに、「国際世論」も「世論」も雲泥の差だ。
 ここに「国際社会」というものの真の姿が見えてくる。
 
 とはいっても、ウクライナの問題にパレスチナ問題を「ぶつける」のは望ましくない。
 日常の会話で3分、5分「の会話」が限界ならば、世間話や相手の抱えている緊急の用件もある。職場では日常業務の用件や軽口の会話が優先だ。労働現場の要請を知らぬふりして『前進』業務に明け暮れた昔を苦々しく思い出す。
 映画·映像の力は素晴らしい。そこから生まれた想い・想像力こそが「有効性」を発揮できるのだと思う。
 その圧倒的な力も実はちょっとしたヒトコマひとこまの挿入や音とのコラボなどによって心に残る色合いが変わるのだという。
 お茶菓子の有無やその味わいいかんで勉強が進むか否かが決まるとは誰の話だったっけ。

 字幕に追われて画面に追いつけない。少なくとも2回、繰り返しみたい、とおもう。