この間の OHanloさんのコメント関連をこの記事に集約しました。いくつか(特に私=白土のコメントが)抜けたりしているようですが「技術上」のこととしてご容赦を。

 O’Hanlon  2022/06/05

ウクライナ事態について深く検討すべき問題があると思います。
一部の左翼は、プーチン政権を批判しながらも、ウクライナの政権が西側帝国主義の傀儡政権であるとしてロシア側の勝利を支持しています。
彼らの中には、プーチンの歴史認識への批判はあります。
プーチンが昨年公表した論文(http://www.a-saida.jp/putin/putin.htm)の中で、プーチンはレーニンやボリシェヴィキを反ロシア的だと非難しています。このことからプーチンはロシア大国主義者であるとみなす一定の根拠があります。しかしマルクス主義陣営においても「民族自決権」や「ウクライナ民族」に対する批判があったことは忘れてはなりません。

元記事: ウクライナ軍隊は民衆を守らない
 

O'Hanlon 2022/06/08

ウクライナやベラルーシは本来ロシアの一部だというのは、ロシア民族主義者の主張ではありますが、ロシア共産党の左派やローザ・ルクセンブルクの主張でもあります。
1917
年の10月革命から1922年のソ同盟成立に至る論争史をきちんと研究しておりませんが、ロシア共産党左派も民族自決権に反対であり、またウクライナ民族主義などたわごとに過ぎないと考えていました。
ローザ・ルクセンブルクの有名な『ロシア革命のために』でも、ウクライナが民族であることを明確に否定しています。

元記事: ウクライナ軍隊は民衆を守らない
 

O'Hanlon 2022/07/24

私が「中核派に結集したか強いシンパシーを持」たなかったのは、その東京教育大卒の先生に、「中核派も革マル派もうそつきなんだよ」と教わっていたことも原因です。
1972
年に、早稲田大学で川口大三郎が革マル派にリンチ殺害された事件がありました。革マル派は「中核派の川口大三郎がスパイ活動を行っていた」と主張しました。中核派は「全学連戦士・川口大三郎君の虐殺を弾劾し、反革命カクマルに血の復讐を誓う」という声明を出しました。どちらもうそをついていたことになります。

元記事: O’Hanlonさんとの応答 ② 

【補】上記について 白土

私自身は、「全学連戦士」説を永く信じていました。中核派としての早稲田への登場⇒革マル派との激突も、そんな中での行動でした。(当時は私は神奈川県反戦に所属していました)。しかし、ダイブしてからでしょうね。相次いで公開された親友たちの記録では、全学連戦士説は明らかに否定されています。

それが事実なのだと思います。

ちなみに、前表記は一般的に使用する言葉ではありません。「中核派に大いに共鳴してはいるが、中核派としての選択をしてはいない人。マル学同の同盟員ではない人」というような意味合いなのだと言えるのでしょう。

ただ、どうでしょう?分からないのは、この説はあの早稲田の日々に、どういう意味をもたらしたのか、もたらさなかったのか?

川口大三郎さんは実際に中核派メンバーとの接点を何時から何時まで持ったのか?持たなかったのか?いつ遮断したのか?

当時の中核派早稲田支部や中核派書記局の限られた人しか分からない問題ですね。

といううえで、なおかつ一般論として流してはいけない問題でもあると感じるのです。

誰かこの問いに断片的でも応えてくれる人がいればありがたいです。

 


白土 2022/07/24

今となると当時の諸事情は深掘りできません。それよりは、上記の叙述は革マル派の公式の場での言動をそのまま凝縮したものだということに意味が有ります。
わかってくれるでしょうか?

元記事革マル竹田の回想に基づく78年以降の横国大情勢

 
白土 2022/07/24
O’Hanlonさん 1,2ともにあまりにも立場の違いがはっきりしました。

沖縄独立武装闘争を主張したひととも思えません。
前にも触れましたが、自分のブログで考えをまとめてから、当ブログに投稿し直してください。

元記事: ウクライナ「防衛戦争」と色んな視点 



O'Hanlon 2022/07/30

>沖縄独立武装闘争を主張した
誤解があるようですのでこれだけ。
私は「琉球解放」を主張しています。「独立」ではありません。
「琉球解放」は、琉球独立を論理的に排除していませんが、同じではありません。
たとえば琉球反米反日革命が日本革命の導火線となり、日本琉球社会主義連邦ができるということも想定されます。

元記事: ウクライナ「防衛戦争」と色んな視点