2010年12月
(注)の一覧 1
脚注のまとめ
(10年前半以前の版には無いもの、短いものがあります。改めて比較しやすくしてみました。)
2断定。(同)共産党は、マルクス・レーニン・スターリンを教祖とし、トロツキーの暗殺を当然としていた。トロツキー系の思想や運動を権力の別働隊として、あらゆる手段で排除・抹殺することを当然とした。「日本共産党は世界の共産党の中でもっともトロツキストに対して厳格」と自負していた。
3 全学連。(同)全日本学生自治会総連合。68年3月当時、自治会総数750のうち、3つの自称全学連があった。民青系205、3派76、革マル22。他にフロント系17、民学同系14など。いずれにも非加盟は299。
4 反戦。(同 革共同への加盟書)反戦青年委員会。もとは1965年に結成された日韓条約反対の青年組織。社会党青年部・社青同・総評青年部や他の青年組織などの共闘組織。次第に新左翼系の主導する運動になり、3派全学連の崩壊後もしばらく続いた。この頃は党派的に細分化され、「中核派系の労働者」やその運動体という意味で使っている。
5 芝工大事件。(同)私の埼大中核派の滝沢紀明さんが芝工大で死んだ事件。「内ゲバによる最初の死」。詳細は第2章の「滝沢『虐殺』事件をめぐって」参照
7 「党」。(同 またも解雇)この時期も以降も中核派は自身を「党」とは規定していない。「党たらんとする」だ。けれどもまた「革命党にとって‥」という論理は常にキーワードでもあった。ここでは便宜的に「」付きの「党」を使うことにする。
8 県評。(同 県評青婦協)県労働組合評議会。当時労働組合運動主流派だった総評(全国労働組合総評議会)の県別協議体。社・共とともに反戦・平和などの政治運動を担った。89年に解散。
9 対峙。(同 妻が教われた)毛沢東の持久戦論に学ぶもの。防御・対峙・総反攻の3段階からなる。71年の「12・4反革命」以降、相互絶滅戦争論へと転化する。72年11月以降の早稲田解放闘争で追い詰められた革マルは、集会への結集場所への、鉄パイプでの襲撃を開始。翌年春?には学生の下宿への襲撃を始めた。中核派は「権力・革マルとの『2重対峙』の下で、主として対革マル戦に力を投入する」ことになる。(2重対峙=対革マル戦)
11 アコーディオン。(同上)携帯用の楽器として50年代の運動に登場した。「大衆性」の象徴でもあった。文化・芸術と「党」や政治の関係は、共産党結成以来の重大な議論の的でもあった。
13 常任・専従。(同上)ともに専従活動家。常任が上位で県委員。それ以前は常任も非専従だった。
[1]5 スト権スト。(同 スト権ストと上尾暴動)スト権の合法化を求めて行ったスト。公社時代の国鉄ではスト権は与えられていなかった。国労・動労の最盛期であるとともに、退潮への契機となった。
18 謀略論。(同 人民の海)73年から始まった革マルの世界観の根幹。すべての事象を権力の、革マル排除の為の謀略と見なすこと。教祖・黒田の直感により、謀略の企画・実行者は特定される。
20 マスコミ。(4章 記者会見)70年闘争では、中核派は「マスコミ左翼」とヤユされた。白ヘルはテレビ映りが良い。マスコミをうまく使った
21 高石闘争。(同 動労千葉)72年の船橋事故で処分された高石運転士の処分撤回闘争。「事故の責任は当局にある!」。高石闘争は反合・運転保安闘争をレベルアップさせ、動労千葉は、「全国1」の労働条件を獲得した。
22 POSB。(同 改革と北風)諸機関・諸戦線・各地方委員会によって構成される。調整・執行と政策立案の両面の機能を持つ。
23 再共有化(同 3・8分裂の経緯)。反対した。その後98年、中核派は「脱落派の再共有化に応じた人びとを含む全国1200人の一坪共有者に訴える。その権利を絶対に守り抜くことは人民の正義であり、三里塚闘争勝利のために不可欠である」と、「一坪再共有化運動」に対する態度をそれまでの総括なく転換した。
24 寄せ場。(同 土木作業員の死)日雇い労働の求人業者と求職者が多数集まる場所のこと。大阪=釜ヶ崎、東京=山谷、横浜=寿などが有名。70年代、暴力手配師追放の運動が発展し、暴力団や警察との間で数千人規模の暴動(山谷騒動)が何度も闘われた。高齢化が進んでいる。関連記事、8章「寿越冬ルポ」
25 寸又峡事件。(同「報道」の腕章)68年、在日韓国人2世の金嬉老(キム・ヒロ)氏による殺人を発端とする監禁事件。寸又峡温泉の旅館に宿泊客を人質として篭城し、警察官による在日コリアンへの差別発言に謝罪を要求した。テレビ等で実況され、社会的に衝撃を与えた。最後は、記者団に紛れた警察に逮捕された。大規模な弁護団が結成され、日韓の政治問題にもなった。99年に韓国への出獄を条件に仮出所。事件時、共産党は3億円事件とともに「犯罪者に共感を示すマスコミ」をくり返し非難した。
26 「教育実践」。(同 浅草橋戦闘)彼は子どもたちに童話の読み聞かせなど、さまざまな工夫を試みていた。けれどもそんな教材の点検や同僚・保護者との大事な時間すら無くなっていると苦しんでいた。指名手配を受けて突然姿を消してから、残された子どもたちの「先生大好き。帰ってきて」という声が聞こえる。10章53「私の精神形成」ほか参照
減車の実態 (結論)
大藪さんの記事
●『革命的左翼 という擬制』(小野田譲二)
内ゲバ殺人の時代
コモンズ(革命21)
マル青同
紀元前の人口推計

人口統計(推計)
