都内を走っっていると、時々「靖国神社へ」というお客にぶつかる。
国会・自民党前はもちろん、ホテルや駅からも少なくない。
農協などの陳情のついでや、「せっかく東京まで来たんだから」と「親の勧め」も理由に、若い人が行く場合もある。
最初は、「この野郎」と思って、はらわたが煮えくりかえる気持ちでお送りする。
そのうち、気持ちが変わってきた。
「運転手さん、靖国って何ですか?」という問いにどう答えようか?
「日本って、ほんとに戦争をしたんだね…」という素直な感想にどう対応したらいいか?
おっさんたちの「平和が一番だよな」の一言を、どう受け止めるか?
「3分間で勝負する地域・職場のオルグ」はどう対応しているのだろうか?
こちらから一方的に話しかけるのでなく、ふとしたことから話しかけてくるこんな会話に…。
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神社仏閣めぐりで苦手なのは、どこの神社にも、「殉国の碑」が麗々しくあることだ。
3・11以来、都内でも、碑が傾いたり、一部破損しているものが目立つような気がする。
「このまま崩れて瓦礫になってしまえ」とも思うが、「いや待て、本来なら、『こんな形で戦争があった』という記念碑として残すべきなのかも」とも思う。
忘れ去られること、記憶の底から存在しなくなることこそ、一番恐ろしい。
ここには、一人ひとりの死者の名が刻まれていることもあるが、よそ者の私には見ず知らずの他人に過ぎない。
何代にもわたって地元で育ち、地元で生きる人には、この一人ひとりが「床屋の若い者」だったり、「隣の家でおむつを替えてくれた兄貴分」だったりするはずなのに、とふと思う。
「死んで『護国の鬼となる』」。その鬼たちの荒々しい「荒ぶる魂・霊」を神に棚上げして鎮める役割が、ここにはある。「万歳」の3唱をして死地に追いやったものの罪や穢れを払い、「千人針」の悔恨を慰める、「生者のための儀式」でもある。とはいえ、やはり、固有名詞をもった人々を(年に一度にせよ)忘れない場でもある。
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私の大好きな、小学校の恩師は、毎年8月15日に靖国に行く。
生徒たちが集って、「なぜ先生は靖国にいくんですか?」と聞いたことがある。
「死者の霊は靖国にいるんですか?」とも。
苦渋に歪んだ先生の顔。
やがてぽつりと漏らしたのは、「あの日から時計が止まっちゃったんだよね」だった。
「ともに死のう。靖国で会おう」と(たとえ嘘でも)誓い合い、生き残ってしまった若者にとって、友人が死に、自分だけが生き残ってしまったことをどう「総括」できるだろう?
戦後民主主義に行き、私たちに生き生きとした生き方を導いてくれた恩師だからこその言葉と、腹の底に置くしかない。
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私たちも「あの戦争が遠くなった」。
若い人たちには、「アメリカと戦争なんて‥‥ウソでしょ」だろう。
学校が教えないから、だけではない。
口を閉ざす親たち・祖父母たち。そして「時間の重み」
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落ち着いて、一つ一つ答えたい。
靖国は、「国家の戦争」の死者を祀るところだ。
戊辰戦争の死者から太平洋戦争の死者まで。
そして、大陸の死者、島々での死者、A級からBC級の戦犯まで。
軍人だけで、民間人はいない。
千鳥が淵や広島・長崎そして沖縄の慰霊碑とは趣が違う。もちろん、両国の震災・戦災死者の霊とも違う。
そして、村々・町々の神社の殉国の碑もある。最後にお墓‥‥。
靖国のもう一つの特徴は、「天皇のために死ぬ」ことだ。
「天皇に見守られ、天皇に癒される」ための場所でもある。
けれどいま、天皇は来られない。
「A級戦犯」問題とはそんなことでもある。
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靖国に来たなら、裏手の戦争記念館をも見た方がいい。
「武人の土偶から始まって、『日本は武の国』と強調されている」
「そして『一度も負けたことがない』」
「奈良の一隅から(あるいは北九州の一角から)、今の日本のすべてを征服したという。
(実際には、それぞれの地域の有力国家が生まれ、侵されたり服属したりの様々だ)
私の遠い祖先は、もしかしたら征服され、近親を殺され侵された人々なのかもしれない」。
振り返れば、日本人の99%は、侵略された側に違いない。日本人はいろんな過去としがらみを負った人々の混成体なのだ。
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反戦平和にとって、(過去を語ることは)、一人ひとりの生と死を語ることでもある。
小さな子どもには「可哀そうな象さん」の話がぴったりくる。
同じように、年代・世代・性差ほか、身近に感じる他人の生と死をどう語るかでもある。
己の過去と結びつかない過去の空しさをどう超えたらいいのか?
どう伝えることができるか?
「あの戦争が遠くなった」今‥‥。
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「二つの戦争を体験した私たち」にとって、「戦争とは何か」を落ち着いて語ること、「語り部」になることが求められているのではないか?
「内ゲバ」であれ、「内戦」であれ、「戦争は戦争」でもある。
美化するのも卑下するのも止めて、(その後の思いを丹念に拓いて)心から披歴する。
それができるか?