2013年08月

 都内を走っっていると、時々「靖国神社へ」というお客にぶつかる。
 国会・自民党前はもちろん、ホテルや駅からも少なくない。
 
 農協などの陳情のついでや、「せっかく東京まで来たんだから」と「親の勧め」も理由に、若い人が行く場合もある。
 
 最初は、「この野郎」と思って、はらわたが煮えくりかえる気持ちでお送りする。
 
 そのうち、気持ちが変わってきた。
 「運転手さん、靖国って何ですか?」という問いにどう答えようか?
 「日本って、ほんとに戦争をしたんだね…」という素直な感想にどう対応したらいいか?
 おっさんたちの「平和が一番だよな」の一言を、どう受け止めるか?
 
 「3分間で勝負する地域・職場のオルグ」はどう対応しているのだろうか?
 こちらから一方的に話しかけるのでなく、ふとしたことから話しかけてくるこんな会話に…。
 
 ‥‥‥‥‥‥
 神社仏閣めぐりで苦手なのは、どこの神社にも、「殉国の碑」が麗々しくあることだ。
 3・11以来、都内でも、碑が傾いたり、一部破損しているものが目立つような気がする。
 「このまま崩れて瓦礫になってしまえ」とも思うが、「いや待て、本来なら、『こんな形で戦争があった』という記念碑として残すべきなのかも」とも思う。
 忘れ去られること、記憶の底から存在しなくなることこそ、一番恐ろしい。
 
 ここには、一人ひとりの死者の名が刻まれていることもあるが、よそ者の私には見ず知らずの他人に過ぎない。
 何代にもわたって地元で育ち、地元で生きる人には、この一人ひとりが「床屋の若い者」だったり、「隣の家でおむつを替えてくれた兄貴分」だったりするはずなのに、とふと思う。
 
 「死んで『護国の鬼となる』」。その鬼たちの荒々しい「荒ぶる魂・霊」を神に棚上げして鎮める役割が、ここにはある。「万歳」の3唱をして死地に追いやったものの罪や穢れを払い、「千人針」の悔恨を慰める、「生者のための儀式」でもある。とはいえ、やはり、固有名詞をもった人々を(年に一度にせよ)忘れない場でもある。
 
‥‥‥‥‥‥‥‥
 私の大好きな、小学校の恩師は、毎年8月15日に靖国に行く。
 生徒たちが集って、「なぜ先生は靖国にいくんですか?」と聞いたことがある。
 「死者の霊は靖国にいるんですか?」とも。
 
 苦渋に歪んだ先生の顔。
 やがてぽつりと漏らしたのは、「あの日から時計が止まっちゃったんだよね」だった。
 
 「ともに死のう。靖国で会おう」と(たとえ嘘でも)誓い合い、生き残ってしまった若者にとって、友人が死に、自分だけが生き残ってしまったことをどう「総括」できるだろう?
 戦後民主主義に行き、私たちに生き生きとした生き方を導いてくれた恩師だからこその言葉と、腹の底に置くしかない。
 
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 私たちも「あの戦争が遠くなった」。
 若い人たちには、「アメリカと戦争なんて‥‥ウソでしょ」だろう。
 学校が教えないから、だけではない。
 口を閉ざす親たち・祖父母たち。そして「時間の重み」
 
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 落ち着いて、一つ一つ答えたい。
 靖国は、「国家の戦争」の死者を祀るところだ。
 戊辰戦争の死者から太平洋戦争の死者まで。
 そして、大陸の死者、島々での死者、A級からBC級の戦犯まで。
 軍人だけで、民間人はいない。
 千鳥が淵や広島・長崎そして沖縄の慰霊碑とは趣が違う。もちろん、両国の震災・戦災死者の霊とも違う。
 そして、村々・町々の神社の殉国の碑もある。最後にお墓‥‥。
 
 靖国のもう一つの特徴は、「天皇のために死ぬ」ことだ。
 「天皇に見守られ、天皇に癒される」ための場所でもある。
 けれどいま、天皇は来られない。
 「A級戦犯」問題とはそんなことでもある。
 
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 
 靖国に来たなら、裏手の戦争記念館をも見た方がいい。
 「武人の土偶から始まって、『日本は武の国』と強調されている」
 「そして『一度も負けたことがない』」
 「奈良の一隅から(あるいは北九州の一角から)、今の日本のすべてを征服したという。
 (実際には、それぞれの地域の有力国家が生まれ、侵されたり服属したりの様々だ)
 
 私の遠い祖先は、もしかしたら征服され、近親を殺され侵された人々なのかもしれない」。
 振り返れば、日本人の99%は、侵略された側に違いない。日本人はいろんな過去としがらみを負った人々の混成体なのだ。
 
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 反戦平和にとって、(過去を語ることは)、一人ひとりの生と死を語ることでもある。
 小さな子どもには「可哀そうな象さん」の話がぴったりくる。
 同じように、年代・世代・性差ほか、身近に感じる他人の生と死をどう語るかでもある。
 己の過去と結びつかない過去の空しさをどう超えたらいいのか?
 どう伝えることができるか?
 「あの戦争が遠くなった」今‥‥。
 
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 「二つの戦争を体験した私たち」にとって、「戦争とは何か」を落ち着いて語ること、「語り部」になることが求められているのではないか?
 「内ゲバ」であれ、「内戦」であれ、「戦争は戦争」でもある。
 美化するのも卑下するのも止めて、(その後の思いを丹念に拓いて)心から披歴する。
 
 それができるか?
 
 
 

 荒川スパイ問題でも、半年後・数年後に振り返ってみれば、(どちらにせよ)大変な事件だったことが分かるだろう。
 
① 確かに今この時点で判断し、行動しなければならないのは事実だ。
 そこでは、「有罪論」にしろ、「無罪」・「推定無罪」にせよ、さまざまな判断と行動規範が入り乱れる。
 判断基準には、「荒川氏と中央と、どちらが信に値するか?」「どちらが(自分にとって)信じられるか?」という問題は大きい。
 荒川氏への信頼を通して中核派に近づき、離れずにいた人々は、どちらにせよ総崩れになるのは必然の流れだ。とはいえ、事態の進み方により、その中身は全く別なものにもなる。
 
 ②それはそうなのだけれど、時とともに「事実」が変わることも、私たちは繰り返し経験してきた。
 乏しい資料や判断基準、そして何よりも貧しい経験値が、時間とともにさらけ出される。
 そうして「成長」するのだと…。
 
 そんな時に、私たちはどういう判断をするべきだろうか?
 「決めたこと」「終わったこと」として蓋をするのか?
 「間違っていた」と土下座し、長々と自己批判文を書き、読むことを強制するべきなのか?
 それとも、もう一度素朴な事実を洗いなおすことをすべきなのだろうか?
 
 日々の問題でも、「内戦」でも、私たちに「総括する」という土壌があまりに欠けているという思いが強い。
 
 神ならぬ身の過ちは不可避だ。
 そんな当たり前の人間の「総括」とは何だろう?
 誤りも重ねるし、総括もまた新たな誤りの基だったりする。
 
 ③中身のある総括とは何だろう?
 
 一般論にとどめよう。
 大事な問題は、半年後、数年後に少なくとも数度、もう一度反すうすることを習慣にすることではないか?
 「あの時は押し切ったけれど、やっぱりあんたが正しかった」ということの繰り返しができるという習慣・体質を、個人レベルでも組織レベルでも身に付けることではないのだろうか?
 
  事件(や決戦の規模が)が大きければ大きいほど、それに比して「中央集権」が知りうる量は少ないのが当たり前の前提だ。
 
 膨大な資料と(水溶紙の)報告の山に囲まれて、中央・上級指導部のもつ情報量は、現場の数百倍にも上るかもしれない。けれど、「すべてを知り、何も識らない」のが「中央の定め」だということも(不条理ではあるが)識るべきだ。
 何層もの(イデオロギーと政治判断と官僚機構の)フィルターを通して得られた情報の空虚さを思う時、さらにそう思う。
 
 ④居酒屋での議論(会話)やポツンと漏れた一言をもっと大事にする(しっかり位置づける)風土なしに「近代の超克」はおぼつかない。(明治以来の)正規の「会議」と雑談(談合)の2元化を、私たちなりに組み立てなおすことなしに、「総括(まとめて振り返り、捉える)」ことはできそうにない。
 
 ⑤結論
 荒川スパイ問題も、その大きさ、深刻さを考えれば、一度きりの「軍事裁判」で終わりにするのは余りに空しい。
 ㋑ただちに資料を公表しろ。
 ㋺ということと並んで、「より公正、より開かれた場で」すぐに、
 ㋩そしてまた半年後・数年後に「再審」する。もちろん、「検察側」も審問の対象だ。
 
 そうでもしないと、中核派自体が、内外の「信」を失うだけだ。
 明日は無い…。
 
 
 (補)久しぶりに『パルタイ』(倉橋由美子)を読んだ。60年安保のさなかに24歳の女性によって書かれた短編は、今もその輝きを失ってはいない。
 
 
 
 

「荒川スパイ事件」に関して、私の周辺にもいくつかの小さな事件が重なりました。
 
①多少は付き合いのある「旧・元」中核派からの連絡。
群馬・高崎経大の友人などからの問い合わせ。
前橋出身の私は、高経にもその外にもクラスメイトが少なくない。
 
で、私なりに調べたり考えたりしての当面のポイント・結論をまとめました。
①問題は、「(中核派(中央派による))スパイとしての断定への判断」
②元や「友人」中核派にとって、どう考え、今後どう対処するか?
③とくに群馬の関係者にとってどうすべきか?
 
(当面の結論)としては、
①『前進』紙上での「声明」では判断すべき材料がない。
②何らかの進展を待つ。
③当面は、不信の数々を前提に、「推定無罪」とすること。
④仮に荒川氏からの連絡ほかがあれば、まず会って、ゆったりと話を聞く。
 荒川氏との関係は「従来通り」でいい。
 
●私関連(当ブログ)では、私と荒川氏の関係は
「9章野にありて」→「ゴヘーさんの死ほか」の「東京清掃」に書いた。
「盟友氏」が荒川氏のことだ。95年か96年の前半だったろう。
 
●仮に「スパイ」が事実なら、事態はそこでは収まらない。
上記は彼のスパイ活動の初期にあたる。
彼のスパイ活動の最初の実績が、「東京清掃の闘争の評価の転換と対自治労スタンスの再評価」だったことになる。これもまた「スパイによる誘導」なのだろうか?
中核派はスパイに手玉に取られて、なし崩し的「転向」に走ったということか?
 
●なぜ?
私の近くにも「有罪論」がわずかながら聞こえる。
「路線闘争のゆがみ」と見る人もいる。
それ以前はしっかりしていたという居直りも聞こえる。
けれどたぶん、「軽量内閣」の懲罰隊が行き着いた先、というのが当面の判断になる。
   
中核派はいまや「分派の禁止」を公然と歌い、「分裂回避」こそ党の生命線としているらしい。
ひとたび「反党」「スパイ」と認定されたら「悪法も法なり」と毒胚をあおるのが「革命家の務め」らしい。
 
「スパイ事件」など知らないという方は、嫌でなかったら以下を参照ください。
●『前進』2589号(6.24発行)
中央派による最初で唯一の声明
   ●マル共連
    ▲子ども福島 ふくしま診療所・NAZENとの断絶を宣言
2行目のRe:「子ども福島」役員一同 ふくしま診療所・NAZENとの断絶を宣言[戦争]…が第一報でした。
    ▲荒川スパイ事件
    ▲二重スパイなんでしょ?
 
   ●争論・荒川スパイ事件

イメージ 1 久しぶりにお邪魔しました。
この日はちょうど韓国のテレビ局の突然のインタビューとかで、中では2人が応対。
 
 外では数人が暑さに負けずに歓談中。
 
 最近百円ショップで見つけた掘り出し物を手土産に、歓談の輪に加わった。
 
 左の中央の黒いのが、太陽光発電のライト。
ガーデニング用の、夜だけ光る優れものです。
暗くなったら、光センサーで自動的に小さな光を灯します。
 
 ちょっとした代替電力の話がでkdd経産省前の交差点の信号も、今やとっくにこのソーラー発電タイプ。
 技術的には、小型の太陽光、小型の水力発電(百万円程度でできるとのこと)が開発されている。
 
 
イメージ 2 そして風車を応用した風車発電も、小型ならいくらでもできそう。
 
 携帯電話で話していた女性が、「水道橋も終わったみたいね」。
 反天連の集会が終わり、神保町から靖国に向けてのデモの実況中継が聞けました。
 
 今日は帰るという人が、「話のネタに」と一つお持ち帰り。
 まだまだたくさん残っています。

↑このページのトップヘ