あまり多くを書けそうにない。
で、最小限のことにとどめることにしたい。
私は、清水氏の巻頭論文だけで食傷した。
①過去の隠ぺい
関係する多くの人は、とりあえず、私たちの関わった歴史と実践が彷彿とよみがえることを期待したはずだ。
けれどもここには、当時の思いや葛藤の片りんも無い。
まったく他人の、他人事。
過去の隠ぺい、忘却というべきか?
良きにつけ悪しきにつけ、生き生きした過去の描写がないのだ。
②清算
「血債主義」に屈服し、妥協した40年。
これがすべての眼目にある。
「40年の屈服」に今、歴史的な断を下す。
つまり、清水さんと天田さんたちは、いわば「他党派」にもぐりこんで40年の隠忍自重を重ねてきたことになる。
いったいあなたたちは何者なのか?
③変質
まったく違った「綱領的見解」に立って、今後の「中核派」を始めるという意志表示。
これはもう、簒奪・のっとり・衣替え‥‥。
人によっては、「中核派の解散宣言」と読めるかもしれない。
④放心と非焦点化
とりあえずいえることは、内外の多くの人にとって、「中核派」「中央派」へのこだわりと関心を一気に失う歴史的な節目になったということ。
反中核派にとっても、半中核派のひとも、、「革命」「前衛」の旗を掲げ、「血債」を語る中核派をひとつの指標としてきた。
けれども実際の中核派の姿がこうもあけすけに語られた時、「なーんだ、社民以下の単なるお友達集団だったのか」と確信をもたれてしまった。
もはや「なんの義理もない」。
多くの除名や追放を重ねてきた清水=天田体制も、いよいよ正真正銘の解散宣言と遺産争奪に走っているといって良いのかもしれない。
⑤「元中核派の連絡会?」それとも?
中核派の歴史が消滅する。
歴史から中核派が消滅する。
もはやその流れは誰にも明らかになった。
とはいえ、「正統中核派」なるものがあるわけでもない。
そんなものは、とっくの昔になくなっていたのだ。
とはいえ、戦場に取り残された多くの「同志」たちがいる。
前線で戦うさなかに「本体」に逃亡された人々がいる。
誰一人も見向きのしなくなったところにぽつねんと。
「8・15」ののちも海外・大陸に残された兵士や人々の「回収・収容」の義務は、「元」の人々にものしかかる。
ささやかな集いやネットワークの動きが期待される。
「傷病兵」の看護や生活、優れた現場の旗を掲げる一部の人々への正当な評価も。
敗走し瓦解する運動に、ひと時の落ち着きの場を‥‥