2014年07月

80年代半ばだったろうか。
携帯が普及し始めたころのことだ。
工場の食堂の携帯が鳴る。
鳴っては消え鳴っては消える。
ワン切りを受けて急きょ出動態勢がきづかれた。
 
金さんを中心にドライバーと防衛隊の計6人が集められ、車で出発する。
 
30分ほどキリをやって入ったのは環七沿いのファミレスだ。
「何でも好きなものを頼んでいいよ」とのお達しで、久しぶりにちょっと贅沢な外食の気分を味わう。
そこで10分ほど?待つと、呼び出し電話がかかってきた。
 
金さんがなにやら話してあとは食事会だ。
梶さんの防衛にも何度か駆り出された。
やはり「食事付き」。みんな、うれしそうに食事にありつく。
 
当たり前のことだけれど釈然としない思いはある。
上級幹部たちの財政は、どんぶり?
 
 

 中核派にとって「スパイと反党の差異」はどれほどのものなのか?
 松竹梅海さんから。
 
松さん
  それは厳格な違いがある。あいまいなことは許されない。
  スパイ断定にはそれ相応の証拠と経緯を明らかにしなければ、信頼は得られない。間違えば「同志討ち」だ。下手をすれば{先に疑惑を告発したもの勝ち」だ。
   
竹さん
  最近の中核派は、若手の労働者を公開の集会で「○○労組の△△です」と次々に発言させる。
  ガラス張りどころじゃない。職場に基板の無い若手たちを潰してくれと言わんばかりだ。
  中枢の権力闘争や意思決定過程などはたしかに「機密」だとしても、それも交流センターなどではあけすけだ。
  尾行も気にせず、携帯も使い放題。ほとんどのことはこれでガラス張りだと思う。
  いまさら「影狩り」といわれても。
  たとえ「分派」でも、追放後に活発に動けばそれなりの「制裁」はあるはずだ。
  ただ、一見してやりたい放題に「反党活動」をしている元最高幹部など、どうなっているのかと考えてしまう。これがシミタケの「党内遊泳術」の一つなのか?
 
 将来を見据えたシミタケ政治…?
 結局は「スパイよりも反党」の方が重罪なのか?
竹さん
 うーん。
 結局は、スタの歴史を超えていないんだよな。
 分派⇒分裂⇒帝の手先・犬⇒スパイ
 俺たちが始めた時はそうではないはずだったのだけれど、あいまいにしたのが悪かった。
 対Y戦で変わっちゃったんだよな。
 「人の命」に踏み込んだ途端、振り返ることができなくなったのかもしれない。
 自他の双方の命、そんな時、先祖がえりの魅力は大きいね。
 
梅さん
 うーん。
 中核派にとって、いざという時は区別はないんだよな。
 反スタといっても、99%スタにがんじがらめのまま、突進してしまった。
 70年世代には「反スタ」とは「反ソ・反日共」の短ゲバ以外に何もなかったのかも?
 75年の3・14以降、シンさんは本多直系・子飼いをはずしてシミタケ直系の人事に替えた。
 自分の波長に合わない奴ははずされた。
 (とはいえ彼らにも一定の閑職を与えて将来の布石にしたのも事実だ。「いつかどこかで」というシミタケのささやきを聞かされた奴は少なくない)
 で、分派とか党内抗争は比較的小規模に抑えられた。
 
竹さん
 良くも悪くもシミタケなしには無かったということか…?
 「全責任を負う指導的同志」にぶら下がって、表のナンバーワンとかトゥーとか…。
 
 ま、そのへんは後日の課題に任せて…
 清水・中野体制の確立と06年の3・14で、規定も制裁も、また一回りも二周りも変わった気がするけれど。
 
 荒川事件の場合、「労働運動路線の情報を流す権力のスパイ」という最大級の犯罪規定を掲げて、攻撃の矛先は「工作に乗った血債主義の粉砕」だ。
 それも内部での吊るし上げ・粛清に終始している。
 疑ったり動揺する人々への「説明責任」や「立証責任」からは逃げ回っている。
 1年過ぎてこれなら、内に閉じこもって終わりにしたい、ということか。
 
 クロ説に立つ人も「証拠など無い。無くてもクロだ」と進んで孤立・疑心の袋小路に迷い込んでしまった。中央派を信ずる人たちにはとくにひどい結末になった。
 自縄自縛。革マル派の「謀略論」を彷彿とさせる。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 
○ ○ △ △ ○ ○ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 
 私の体から消し去ることができないのは次の二つの事件だ。
 参考までに私の本から。 
3 白井さんとの再会と2つのテロ 
 
 

選挙を知り尽くしている多くのひとがいる中で、ちょっとおこがましいが。
 
滋賀知事選挙の分析は面白かった。
事新しいデータはなかったが、反原発世論と支持・投票動向の関連、そこから出てくる争点づくりやタマ選びなどを述べている。焦点は女性たちの思いと選択のズレだ。
嘉田前知事の「卒原発」と原発問題でのブレ(の必然)も、改めて「そういう流れだったのか」と「理解」できる。
いわば選挙と統治のイロハを改めて議論している(ことになる)。
議論の基礎を共有することがもっと大事だと感じる。
 
「社会主義政権」の政策もまた、支持基盤や情勢でブレ続けるものだ。
「ぶれない党や政権」はすぐに過疎支配や強権政治に転ずる以外にない。
ぶれることを前提にした二枚腰、右往左往しての「一本道」、決戦と決戦後の「修復」の要請。
 だからこそ豊かな経験・実績と社会を立体的で動的に捉える綱領的世界観は「党」や運動の真価を見極めるカギになる。その世界観も、日々ぶれ続けてこそなのだけれど。
 
「元首相連合」が最高のタマだったのか、最低のタマだったのかは私には判断材料がない。
が、「フライング出馬」と「一本化の門前払い」の宇都宮陣営に未来がないのも確かだ。
宇都宮に投票し続けた人々は私の周辺にも多くいる。その覚悟や好し。彼ら彼女らも揺れている。
 
知りたいのは、細川を支持した「左翼」が、どれほどの票を掘り起こし、選挙結果に結び付けられたのかだ。その過程でどれだけの「保守」と「無党派や無投票層」を活性化させたのかだ。 
どこまで脱皮できたのかだ。
 
滋賀、福島、そして「オール沖縄」を、もっとよく学ぶこと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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