2014年12月

問い 解体的出直しってどういうこと?
A 「本社の解体的出直し」だ。
B パンフにいろいろ出ているけれど、他にもいろいろあったらしい。
C 水谷さんが千葉に呼ばれて一時期、動労千葉の書記かオルグみたいなことをさせられていたこともあったと聞く。本社・表のPBに手が付いたのは確かだ。
 
 それはいつのこと?「栗山スパイ」事件との時期的な関係は?
C 前後の関係が分からなくなっている。けれども、「こいつは使えねえって帰されたとも」
A ただそれは、水谷さんらの問題にとどまらない。天田さんらをも含めた「解体的出直し」だったのだと思う。若手を使った紅衛兵運動みたいなものとマル青労同問題なども複雑に絡み合う。
B 中野=天田体制そのものが揺らいでいたということかな。
A 動労千葉 VS 本社総体という大きな構図があったということか?
 
 功罪や善し悪しをおいて、中野さんの「最後の闘い」があり、志半ばで倒れた、ということか?
A 今の動労千葉路線とは、「主(ぬし)無き遺言路線」というべきか「迷路にはまりこんだ無気力・虚脱」というべきか?何とも言えない。

問い 国労高崎問題って何?
A 一時期『前進』紙上に国労高崎の記事が嫌というほど出た。
B 高崎の集会に何度も動員が出て、多くのメンバーが参加した。動労千葉と国労高崎の連帯が大きく叫ばれた。
C 動労千葉路線の頂点的な運動だったといえる。
 
 荒川パンフによれば、この運動の失敗で中野さんの「解体的出直し」が急加速する。
 まず、成果のほどは?
A もともと高崎の中に呼応する人が生まれたことが大きい。メンバーになったのかそうでないのかは秘匿事項でもある。
B  天田さんらは中野さんの支援要求にこたえる形で(必要以上に)その成果を誇示したわけだ。国労が動労千葉の影響を受けて大きく動く、国労が中核派の傘下に入ってきた、と。
 基礎がしっかりしない段階で『前進』で大騒ぎすれば、権力や革マルの餌食になるのは目に見えていたはずだけれど。少し「成果」が見えてきた段階で木崎さんに功績を上げさせようと騒いだフシもないわけではない。
C 動員指令は受けたけれど、その内容や意義をまともに聞いた覚えがない。共闘に参加するに当たっての注意点も大したものは無かった。「利用主義」の延長にしか無かったのかも。
 
 高崎と言えばもともとは解放派の影響が強かったところで、その辺の問題もあったのかな?
A 結局は崩壊した。高崎問題は突然に沈黙に替る。
B  で、中野さんも大きく舵を切った。中央への絶望も大きかったのだろうね。

荒川さんの弾劾パンフは多くのことを語っていて、ここで整理や要約するには荷が重すぎる。
詳しくは(正確には)パンフやブログを見て欲しい。
ここでは思いついたことをおいおい整理してみたい
 
〈総合的に〉
 荒川氏のパンフとブログ(以下、荒川パンフまたはパンフ)は、査問の経緯や貸金庫事件を詳細に語るとともに、事件の背景の全体像をも描いている。とくに中野氏の〈党中央の解体的出直し〉への流れが印象的だ。思いを胸に整然と語る文体にはそれ自体に共感を感じる。
 
〈中野改革?について〉
 事件から少し離れて、荒川さんの「名刺問題」と中野改革?、このあたりに詳しい人に聞いてみた。
 
 問い 荒川さんは「笹森や山崎など連合や全労協の会長にも、村山富市や福島瑞穂など元首相や前党首にも会っている。」と明らかにしてこれらを〈スパイの証拠〉とすることに異議を唱えている。
 私の中核派観では出て来ない姿なのだけれど、どういうこと?
 
 A いや、90年代の半ばから後半にかけては、どこでもやっていたことでもある。
 労組関連にせよ市民運動的なものにせよ、じっさいに何かをなそうとすれば、統一戦線が問題になるし、議員や「体制内」の幹部や最高幹部たちと直にあって議論したり情報を交換することはすごく大事な領域だ。
 
 B 5月テーゼ以降、離れたり休眠していた労働者メンバーもずいぶん復帰したり、交流センターに協力してくれた人が増えた。力も影響力もある人たちがずいぶんと加わって、それなりの陣形ができたんだ。
 C そういう人たちやその外側の人たちの好意や助言で、いわば「大舞台」が見えてきた。中野=六本木会談も大きくはそんな流れでできたことでもある。
 
 A 中野=六本木会談では面白い逸話もある。
 事前の打ち合わせで「委員長は少し遅れて行くのが良い」とか言われて、中野さんはあえて少し遅刻したとかという話。それで最初から気まずい雰囲気になったとか。
 
 B そう。「委員長」とは国労からすれば六本木さんを指すのが常識だと。
 C 社民政治や「政治の常識」からすればそういう「格」の問題もあったし、「伝令」があまりにお粗末だったということでもある。
 A ともかくそんな問題を含めて、成長し変わることが「飛躍」に求められていた時期だということか。
 B 動労千葉と国労(高崎)の連合構想も、そんな初歩的な限界を超えて生まれて、そして消えた。
 
 問い とはいえ本社時代の私にはそんな話は届かなかった。
 ま、水谷さんや藤掛さんと折り入って個別に話すと似たようなことはずいぶんと知ってはいたけれど。
 
 B 地区や戦線でそういう大きな政治を打った場合、報告にはバイアスがかかる。
 「分かる人間には話すが分からない相手には話さない」。
 「相手の顔を見て話す」
 
 A  中野さんルートにはそういう話は集中するし、本社ルートにはまともな話は届かない。
 
  ま、水谷さんも知っていることは下ろそうとしていた節は有る。
 丸一日の基本会議に加えて「補足的会議」を恒常化して、いろんな報告をしてはいた。
 でも、新聞づくりのゲラの校正や原稿書きの最中に垂れ流すだけだ。
 大事な話でも手を休めるわけにはいかないし、一方的に(BGMのように)聞かされても不愉快になるだけだった。で、会議をサボリ続けた。は、は。
 
 C すべて知っているけれど、何も知らない。そんな指導部は少なくない。
 
 B 若手の中ではそんな話にかすりもしないで育った人も少なくないんだよね。
 で、「体制内云々」をただ額面通りに受け取る
 
 A 若手でなくとも、けっこう「大半の人」がそうかもしれない。
 よくて「政治利用主義」のレベルでしか分からない。「革命的俗物主義」「革命的利用主義」…。
 懐の浅さ…、理論の狭さ…。
 で、会話が成り立たない。天田dや木崎ds、それに坂木dも変わらない。
 
  うーん。むむ。
 
 
 
 
 
 

12月1日付けの荒川さんのパンフを読んだ。
模索舎で販売され、ブログもアップされた。
 
 
とりあえず、荒川さんの「無実・無罪」はほぼ確定したといえそうだ。
たしかに荒川さんにもっと「物証」を出してほしいという思いもある。
とはいえ被告側がいくら無罪を主張しても、検察側が「クロ系やシロ系の膨大な証拠」を公表しない限り、「95%の完全シロ」が「97%の完全シロ」以上にはならない。「100%の完全シロ」などはありえない。
「不完全な完全シロ」をもって「完全なシロ」とみなす、法に言う「みなし規定」を準用すべき時だろう。
 
ここでは同時に、「疑われたという罪」の問題もあることを考えておきたい。
 
狭山の石川さんにせよほかの冤罪や差別裁判でも、なぜに「無罪判決」に拘るのかと言えば、この「疑われたという罪」の重さを実感するからだろう。
 
荒川さんの反論には、本来なら反論しなくてもいい領域が多々ある。
けれども実は、ここで反論しなけられば、党内や周辺の人たちの心をつかめないという現実感覚が見て取れる。私も同感だ。
 
今日的には荒川さんの罪はもう一つ増えたことになる。
第一に、中核派(中央派)への信頼と共感を失墜させた罪だ。
現役にせよごく最近に中核派を離れた人にせよ、問題が表面化しただけで、肩をすくめて委縮する以外にないという現状。声を大にして天田さんらを断罪すればするほど、木魂のように「そんなところにいたお前はなんだ」と返ってくる。
いま少し、この辺へのあいまい化、あるいは熟慮・配慮が欲しいところだ。
中核派を離れてすぐに、まともな総括を出せと言われても、そんな、無理だよ。
時間をくれ!
 
総じてこの問題を通して、中核派への好悪を通り越して「どうでもいい存在」に転落してしまったこと。
 
さらにいえば、とっくの昔に中核派を離れた人たちにとってすら、「元中核派」の看板に泥をなすりつけたことになる。「人生の誇り」「青春期への熱い思い」をどうしたらいい?
久しぶりにあった同窓会で、「インターナショナル」を斉唱する「高齢者」たちも、こんな事件を知ると歌えなくなる。
 
「中核派時代のことをいくらひっくり返しても何も生まれない」「過去を忘れて前に進もう」もいい。
娑婆の生活と交流を一定期間と深さ・広さを積み重ねないと、ろくな総括も生まれそうにない。そんな沈黙にも意味はある。
 
若い中核派のメンバーにとっては「過去にしがみつく年寄りたち」ではあれ、歴史を知り、温かい応援をする年寄りたちの存在は「地獄に仏」か最良の金づるであることは間違いない。いっそのこと「中核派」の看板を捨てて、天田さんの下、「反代々木」ならぬ「反要町」の新しい党派を作ればすっきりするだろうに。「青年党」を作ればいいのに。まず「全学連」の看板を捨てることを勧めたい。使い古した大看板にしがみつくことに何の意味があろうか?若者らしくあれ。
 
荒川さんの罪はもう一つありそうだ。
それは「容疑者」が「俺はやってない」と叫んだ罪だ。
会社であれ、世間であれ、失敗したり迷惑をかけた場合、本人は非難や無理難題の攻撃に対して本人が弁明してはならない。それが日本の常だ。
よし、弁明は必要だったり義務だったりしても、多くを語ってはならない。
大事なことは、上司や先輩が前に出て、「本人も反省しているからこれ以上言うな」と抑えるのが「揺るいでいるとはいえ、今も続く日本の本流」だ。
 
最後に、つまり具体的には、「資産家の息子という罪」、「連合幹部にあったという罪」「個性的であるという罪」ほか。
共産党が常とした分派狩りや「スパイ」規定を補強してきた、ある意味で事実以上の罪状認定のこうした罪状認定の手法は、「主体性論争」の時代にすら激しい緊張と呪縛を強いてきた。
多分、スタとか一国社会主義批判とかいう前に、左翼やリベラルはこの種の問題に正面から対決することが求められていたのではないかとつくづく思う。
「反スタ」に逃げ込んで、反スタを極小化して、「老いたる共産党中央」に若さを(事実上)対置して事足れりとした罪が、今、荒川さんに負わされている。
要は、水谷さんらが失脚して人民裁判にかけられてあることないこと責められたその同じことが、荒川氏を待ちうけているということだ。「いじめの構図」をどう脱却するか?
 
荒川さんのパンフを通して多くの人が「シロ」説に立ったとして、それが外に向けて発信されるにはまだいくつかの大きな壁がありそうだ。現にまだ、荒川さんを擁護する「大物」やグループの発信は届かない。
党内ではすでに、荒川問題や「血債主義」問題で異議や疑問を呈して糾問され、降格や権利停止などの処分を受けた人もいると聞く。深い疑問と絶望を感じながら、冷え切った空気の中では声を上げる気力も沸かない、ずるずると「居眠り党員」化するのが一つの流れかもしれない。
公の場ではカラ元気で革命的?階級的?言辞を弄しながら、すっからかんの心。
 
パンフを読みこなして、色んな思いと過去が沸いてくる。
 
多くの人の意見や感想が欲しいとつくづく思う。
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とりあえず、メモとして構成と要旨を記しておきたい。
おいおい検討して…

「荒川碩哉 スパイ捏造と財産略奪策動を弾劾する」
模索舎でも販売中
 
(はじめにの部分)
わたしは、わたしをスパイとして除名した党中央(革命的共産主義者同盟)を弾劾する。
わたしは断じてスパイではない。わたしは一人の革命的共産主義者である。スパイ捏造を許さない。しかもこの問題は、わたしの財産の略奪策動と一体である。わたしは白昼公然とした強盗行為を許さない。さらに、わたしと「有無を通じていた」としてスパイ呼ばわりし、機関紙「前進」に名前を公表・列挙した諸氏に対して謝罪せよ。いや、記事そのものの撤回と謝罪を求める。党中央への批判を封殺するための反対派狩りをやめよ。…
 
内部粛清ねらうスパイ捏造
「除名分子・反党分子=スパイ」と規定
「前進」への批判は、事実を語るだけで十分である…。
 
摘発の根拠は党中央への批判
第一に、わたしは内調、公調のスパイであったなどというのは、完全な捏造である。当然にも、発表された文面をいくら読んでも、わたしがスパイだと断定する根拠が何一つ示されていない。

(Ⅰ)決定的なのは、わたしがいったいどこのスパイなのかという核心部分が、まるではっきりしない。主張はこの一点ですでにグラグラである。
スパイと断じた「主要な三つの発表文」をきちんと読めば歴然とする。

(Ⅱ)そこで何が話されたというのかとなると、たちまちにして何一つ具体的ではない。
「党の内部情報から全国の情報、さらに新左翼諸党派、体制内労働運動にいたるまで情報網を張り、情報の分析までやってみせ・・・」
などと一般論になる。スパイと特定できる事実など何ひとつ存在しないのだ。
(Ⅲ)さらに声明にはほとんど具体的事実が書かれていないなかで、唯一例外といえるのはスパイ活動を始めたとする時期の部分である。
(Ⅳ)「膨大な告白文書」についてである。天田の基調報告では「自白文書」に変わっている。「告白文書」というのならば言い得て妙だが、「自白文書」なら大違いである。
 
なぜ銀行内(貸金庫)で三人が逮捕されたのか
 第二に、なぜ三人が逮捕されたのか、また逮捕された場所が銀行の貸金庫だったのか、逮捕劇と貸金庫を巡る事態について、党中央はなぜ沈黙しているのか、についてである。
(貸金庫事件についての詳細な事実経過と思い)

白昼公然と銀行強盗を策動  これが「革命党」の行為か
 第三に、ではなぜ銀行強盗などという愚劣な行動に走ったりしたのか。
 監禁・査問の目的が明らかに途中から変わった。わたしの反党分子への共鳴や党中央批判の態度に対して、天田は「再生不能だな」と漏らしたらしい。芋づる式に拡大し続ける反党分子の摘発は、先を見通せない状態まで泥沼化していた。     
 さらには監禁・粛清が続いている党内動向に、権力が注視し、弾圧の機会を狙っていた。すでに監禁・査問の事態は権力の知るところとなっていただろう。術後処置の通院の異常な監視体制と不自然な対応、自宅や監禁場所での出入りや異様な雰囲気が一か月近くも続けば、もはや隠しようがない。査問中も坂木らは極度にガサを恐れていた。硬直した事態の打開が早急に求められていた。そこで財産に着目し、略奪して決着しようとしたのだろう。【中略】
 
 この方針の転換を聞いて脱出をはじめて考えた。財産を略奪したいだけではないか。こうした構想をする人間は天田以外には考えられない。
 
路線なき野合と内部粛清
 第四に、「前進」では「日帝国家権力の狙いとは何か」として、血債主義を国鉄決戦の解体のためだとしたうえで、カクマルも日帝国家権力の革共同の分裂破壊攻撃だったと位置づけた。こういう規定は初めてだ。

(Ⅰ)全体を血債主義派と国鉄闘争派の対峙関係に描いている。
【中略】まず、血債主義派か国鉄労働運動派かの二律背反的選択の不毛さである。
【中略】国鉄決戦の問題については、査問中に坂木と、わたしは激しいやりとりした。
【中略】問題は闘う国労と闘争団の獲得になぜ失敗したのかということである。この過程の事実の隠ぺいと総括のあいまいさこそが、その後の三人組の行動綱領といってもいい。すぐれて党の2000年「四党合意」攻防以来の指導の失敗である。
 
【中略】新指導路線から始まり、2007年の党の革命にまでとどまることがない一貫した中野氏の意識は、党中央の解体的出直しであった。
 
(Ⅱ)スターリン主義を越えて、とかスターリン主義批判を繰り返しているが、これもこれだけでは意味不明である。 三人組批判の核心は、スターリン主義的な党運営をやめよ、ということであった。
(血債主義への異同の論述あり)

(Ⅲ)「プロレタリア革命運動の偉大な勝利」と打ち出している。これも唐突で、これだけでは意味不明である。背景は査問の過程から推しはかることはできる。すべては三人組の自己保身である。
【中略】あの勝利宣言の裏には激しい党中央批判が噴出した事実が隠されている。
 
分解する党、メルトダウンする革命の志

 わたしは1967年「10・8羽田」にはじまる「激動の7か月」に身を投じて以来、半世紀を革共同ともに生きてきた。
【中略】満期出所して、まず目の当たりにしたのは党の惨状だった。とりわけ中央指導部の路線的不一致と私党化は目を覆うものだった。獄中の彼らに対し恥ずかしくないのか、と。
わたしは出所後、「前進」編集部への配属を固辞して、より労働現場に近い労対(WOB)をたたかいの場に選んだ。
【中略】が、道半ばでわたしは病に倒れた。しかし党としてたたかった日々に後悔はない。だが今回の事態に直面して、わたしが人生をかけた党が、こんなもんだったのか、と慚愧の念でいっぱいである。
【中略】「党の革命」で打倒されたのは一部の政治局員だけではない。中央全体が打倒されたのだ。三人組も同罪である。
【中略】「革共同50年史上の最大の勝利」とまで極言する三人組に対して、まともな論議が成り立つとは思われない。権力を守るためには今回以上のデマや捏造に走ることは目に見えているが、慎重な配慮のうえで、疑いを払しょくするために事実の一部を明らかにした。

(注)最後のコメント欄には以下の注が付いている。
 「管理人」だけに連絡したい場合もここに書き込めるということ。
 公開を求めるときにはその旨、か。
 不安な場合は、ためしに冗談絡みで「テスト」と書いてテスト送信してもいい。

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以下、 [ 野々村 ] さんのコメントをコピペしました。
 
【以下原文】
法大黒ヘルの首領・中川文人氏の電子書籍「サムライ・コミュニズム」にSOB時代の松尾が法政大学から10億円以上の裏金をせしめていた話が松尾のインタビュー付きで紹介されています。
これは初耳でした。しかし、思い起こせば、思い当たる節はあります。
これは松尾が単独でやっていたことなのか、清水の了承のもとでやっていたことなのか?清水が松尾の「円満退社」を認めたのは、この件があったからなのか?貴兄はどう見ますか?
 
関連記事は以下です。

松尾真の失脚

 

 

会社も行政や警察のもろもろの運用に右往左往している。
ガラス張りの行政とか見通しの聞く警察なんてないから、要はコネと接待だ。
先日は同僚の知り合いのつてで、お役人を接待して、実態を探ろうとしていた。
けれども場末の安い店で漏らしてもらえる情報はゴミだ。
大手や何かは色んなツテもあるだろうけれど中小でしみったれt会社では、業界の常識的情報すら知らずにいるのも少なくない。見当違いもはなはだしい。
 
 警察関連の情報はどうしたら手に入れられるか?
警察職場の飲み会の場所代を貢ぐのなら、交通安全協会や防犯協会に会社ごと丸ごと入れれば済む。私も時々そんな話をする。天下りにも良い。
 
で、名案を振り絞ってみた。
 「自家用車で通勤する車を会社の周りに違法駐車させる日を作ればいい。ご近所を名乗って最寄り・管轄の警察に電話すれば良い」。
 「違反のステッカーを張られたら督促状がくるまで音なしの構え。出頭してはいけない」
「罰金は会社が補てんすれば良い。出頭したら累積点が付くからだめ」
「で、合法的に警察への袖の下ができる」
 
さあ、どうする?

①信号の変わり目が変化している。
 右折や左折の矢印がでるタイミングが、予告なしにどんどん変わる。
 もともといくつかの交差点では、青と右左折の順番やタイミングが特異な場所があった。
 それがこの1年、急に増えた。
 
 前方が青になるタイミングに、右折だけでて青にならない。歩行者用の信号だけ青になり、長く変わらない。それやこれやでずいぶんと変わった。
 
 それ自体は、それぞれの交通事情を反映するという「実験」としては理解はできる。
 けれど、予告期間や「注意期間」なしに唐突に変えるのは参る。
 体が動いてしまう、後続車が気がつかずにクラクションを鳴らす。お客が騒ぎ出す。
 
 長く続いた習慣を変えるには、予告期間に続いて、警察官が張り付いて「違反車」を止めて警告する期間が必要なのだと思う。チャンスとばかりに違反で稼ぎまくろうなどとは…。

国土交通省の陸運局からの通達があったそうな。
営業用自動車の「駐車違反」での会社への処分が厳しくなったようだ。(?)
 
同じ車で駐車違反が重なると処分、会社当たりの駐車違反が重なると処分。
どちらも台数*日数で「停止」され、車庫で遊ぶことになるが、処分の有無やいつどこでや量は実際にはやってみないと分からないことになっている。
 
先日、当社にも2年前から1年前の違反の警告と事情聴取の連絡がきたそうだ。
あまりにも遅いけれどこれが常態だ。「処分は忘れたころにやってくる」
 
良くある例では、改めて乗務員が会社の上司に呼び出され、訓戒と事情聴取と改善努力の始末書や報告書を求められる。朝これからという時に、いやな目にあい、場合によれば徹夜明けで疲れきって帰ったところで呼び出される。「もうとっくに怒れられた事をまた蒸し返すのかよ」と言いたくなる。
 
乗務員にとって、「文字を書くこと」と「座業」は苦手中の苦手。ま、私なら5分か10分で書ける決まり文句も30分や1時間かかる。事務屋さんなら始末書を書く手間自体は何てこたぁないだろうけれど、乗務員にとっては苦行だ。
 
こんないじめのようなやり方でつじつまを合わせる行政や会社に、「絶望」の言葉が沸いてくる。
 
今のところ、どこの会社でも車は遊んでいるから、前もって処分が分かれば実害は無い時もある。とはいえ、誰もが出たがる金曜や「たまたまみんな出る」日に当たれば、出番変更や事実上の「出勤停止」になりかねない。そこいらの会社にとっては、行政の指導を受けること自体が大変なことだ。妙に過敏に反応したり、暇つぶしの大騒ぎにもなりかねない。人をいたぶる不快と快感は同居するものだ。
朝礼で「○○のせいでみんなが迷惑」などと言われれば、会社に出るのも嫌になる。
 
せめて、実務的・事務的な処理・処分を望みたい。
 
 

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