2015年03月

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コメントとしての投稿を転載しなおします。

お久しぶりです。
「前進」に次のような記事が載っています。
http://www.zenshin.org/zh/f-kiji/2015/03/f26740101.html
国鉄労働者が「みんなの安全を守っているのが俺たちの労働だ」と誇りを持って闘っているように、空港労働者も乗員・乗客の安全のために、最も敏感に闘う存在です。
3・29三里塚全国集会(成田市栗山公園)に総結集し、成田市内デモを打ち抜き、成田空港で働く労働者とその家族と結びつきましょう。そして労組を組織する闘いに踏み出しましょう。それは市東さんの農地を守る階級的な労農連帯が、国鉄決戦と動労総連合、合同・一般労組、陸海空の交通運輸労働者、そして公務員労働者と結びつく壮大な第一歩です。

これまで中核派がこのようなことを主張したことはないはずです。私はこれを、実質的な「三里塚闘争敗北宣言」と理解しましたが、それで正しいでしょうか? 削除
2015/3/24(火) 午後 9:45 [ O'Hanlon ]

 正直、最近『前進』ウォッチをサボっているので唐突で意外な表現でした。
 「成田空港で働く労働者とその家族云々」の表現ですよね。

 経緯や問題意識が見えないので、とりあえずは最終判断を保留します。

 
 一般論としては、三里塚基軸論と「二つの内戦」の時代には考えられない記述です。
でも「中野体制」への移行後は、おかしくないのかもしれませんね。
 中核派自体が過去を忘れた「健忘症」状態で、反省の無い「軽さ」に改めて感慨を深めています。

 「陸海空の交通運輸労働者」とはイラク戦争での陣形でもありましたが、ここではむしろ国鉄(JR)を中心にした旧交運共闘への郷愁でもあり、やはり「4大産別」ではない動労千葉主義の延長なのでしょうか。

 とはいえは、じつは市東さんサイドの独自の動きとの絡みが震源でもありそうです。もともとは「成田市民」を射程に入れる?
 結果としては「中核派支配の風化」の表現かも?

 とりあえずは、反対同盟農民との「同床異夢」?。 
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私の関連記事は以下の通り。マウスを当ててください。
投稿された『前進』のリンクを設定しなおしました。

 葛飾区労連でもだいぶ前に、上納金の引き上げが議論されたが頓挫した。
 たった一人の専従職員の給与が10数万という劣悪な状況を打開できなかった。
 区労連は公立の教組や自治労系が外れた「その他」連絡会議のようなもので、実際の役割は共産党系の「革新統一候補」の支持母体という以外にほぼ役割を果たしていない。

 前に一度区労連の会議に参加したけれど、研究所や私立教組と並んでタクシー労組が参加する割に、互いの実際の環境には無関心で、それぞれ自分がどう「闘っているか」を言いっぱなしの逆質問もなし、交流会も不参加だったりのおざなり大会だった。

 「共産党専従」候補の支持はできないし、区労連出身の候補を立てるときのみ、区労連や参加の組合決定で「組織内候補」として立てられるのが慣習になっている。

 選挙では動員されたタクシー乗務員は宣伝カーの運転手か電話係で観ていても憤懣やるかたない。せめて駅頭宣伝の時には、タクシー乗務員にマイクを握らせて、「駅前ロータリーの同業のみなさん、○○タクシーの△です」と言わせれば、場も受けるし、運転手もお客との世間話でそんなことを話して一票につながりそうなのに。
 ましてや葛飾や東京東部にはタクシー会社が集中し、乗務員も多く住んでいる。家族や親族や交通関係の職場の人も多いから、うまくやれば葛飾だけで数万の上積みも見込めそうな気もする。そんな問題意識すら消えてしまったのが今の共産党の現場なのだと思う。

 足立区長の(一期のみの)当選はその点で色んな教訓を生んだはずなのだけれど、よく見えない。「区政与党としての汲めども尽きせぬ教訓」も結局は「右傾化」と「右傾化の切り捨て」のはざまで消えていくのだろうか?
 選挙で供託金を取られっぱなしの百%立候補方針がまたぞろ復活の方向らしいけれど、共産党の実際の財政状況も楽ではないはずだ。「足腰」がガタガタなままで都知事選での「勝利」を謳歌しても、この「現実」は避けて通れない。

 新旧左翼連合の動きも、こんな中で生まれているのだろうか?

 職場で共産党を支える人たちも、実は多種多様だ。
 ひとたび新しい動きが起これば、条件次第でppp地域や支部丸ごと、新しい動きの担い手になりそうだ。
 共産党のトップを弾劾する「共産党批判」も結構だけれど、実態を見据えて獲得的に批判するという内容ある批判こそが求められているのだと思う。

 中央派にもまだまだ棄てられない人材や運動が残っていそうだけれど、まったく同じように、共産党や全労連にも貴重な人材や運動が息吹いている。ましてや他の多くの熱い運動もある。
 
 最大の問題は、その動きを巻き起こす問題意識の欠如にありそうだ。
 

 3月16日、霞が関・経産省前をのぞいてみると、近くで集会の音声と旗。
 郵政ビルの前で集会が持たれていた。
 「郵政ユニオン」の旗が林立している。
 全労連と全労協の旗が仲良く(?)並んでいるのに驚いた。

 しばらく覗いて仕事に戻る。
 あとでネットで調べてみるとこれもまた驚いた。
 全労協系と全労連系の二つの労組が組織統一してできたのが郵政ユニオン(略称)なのだそうだ。この世界、この間トンと情報に疎い私なのでとりあえず記事にした見た。
 正式名称は双方の名前からきているが、略称は全労協系の名前を受け継いでいる。

 実際の主導権や内実やそれぞれの思惑は分からないままだけれど、全労連系が一歩譲った形ではある。
 「弱者連合」という面が強いのだろうけれど、それはそれで一つの動きとは言えそうだ。
 産別や地方によって濃淡の差が大きそうなので一概には言えないが、注目すべきものではある。
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 全労連も組織の維持が厳しいようだ。
 だいぶ前にはタクシーの自交総連と建設・トラックなどの建交労(東京土建など)との組織統一が取りざたされたけれど、それ自体は破たんしたらしい。「事務所と職員の生活の維持」からの発想ではうまくいかなかったということらしい。
 
 レイバーネットにも投稿している。


元共産党員の宮地健一さんの第2次クロンシュタット反乱も検討してみたいテーマだ。
私自身はたぶん80年代にアナーキスト関係の書籍を読んだ。
何人かの同志(当時)と議論した覚えは有る。
「クロンシュタットの多くのボルシェビキが反乱側に決起していた」という認識は、トロツキーの記述と対立するが、私は前者の記述に信頼性をおいた。
いつかは〈二つの内戦の終了後には〉改めて議論の的になるはずだ。そう思いながら、議論をしめくくった。そしてそのまま封印してしまった。

宮地さんは60年安保に共産党系(全自連?)にいて、長く共産党の活動家だった人だ。
そう、まだ「暴力革命論」が基調だった共産党(綱領的にはまだハードスターリン主義)。その後、共産党の転換の中で多くの人々が「左右の立場から」共産党を離れた。今日の私たちにとっても、まともに共産党批判をしようとするならば、最低限の知識として、このブログの共産党批判を学ぶべきだとも思う。

反スタ・新左翼にも学習対象になるべき多くの紹介記事や論文もある。

参考までに見出しを挙げてみた。分量が多いので小見出しに当たる部分は大半は削除した。
青字に下線のある部分を左クリックするとアドレスが表示され、さらにクリックするとジャンプします。

宮地健一のホームページ
 
 

 
    年金問題
  
 
5、共産党の党大会 第26回大会2014年1月15日
      4、綱領全面改定-第23回大会
   5、規約全面改定-第22回大会 6、61年綱領めぐる問題
 
      8、中国共産党 9、二〇世紀社会主義
 
 
 
〔メール mel-ken@mxw.mesh.ne.jp 
 
 
(以下は上記の詳細)
1、政治ニュース+集団的自衛権・秘密保護法  
 
     宮地幸子『尾行』公安調査庁による尾行日本共産党による張込・尾行1カ月間
 
     『日本共産党政治資金2013年度報告の表裏』→14年度報告=15年11月末予定
     1年間で、党費収入-2795万円、機関紙収入-7億7132万円
 
 
     
  3、東京都議選13年結果 13年6月23日投票
  
  4、2014年・12年総選挙結果
     
     
     加藤哲郎『日本の社会主義運動の現在』末尾日本共産党はいったん自然死
   5、2011年統一地方選結果前半戦4月10日投票、後半戦24日投票
   
    
 
    平和共同候補実現運動、年金問題

           『反原爆と反原発の間』日本マルクス主義から、なぜ高木仁三郎や小出裕章が生まれなかったか
          
     れんだいこ『日共の原子力政策史考』共産党と不破哲三の原子力政策批判
     不破哲三『「科学の目」で原発災害を考える』原子力発電は未完成→原発からの撤退
 
    (共産党系ベルト団体の崩壊-民青系全学連、民青、民商)
     1民青系全学連〔2、民青〔3、民商 相良和文『豊島民商問題』
     (憲法改定問題、国民投票法問題)
    
     加藤哲郎『護憲・論憲・改憲の幅と収縮可能性』世論調査分析

 Bookの『狂おしく悩ましく』のために書いたのだけれど、載せなかったモノ。
 前進社出版物に見つからず、私の記憶を担保できなかったのではずしたけれど、最近ようやく出版物目録に見つかったのでアップする。 川武信夫さんの『共産党宣言』とは別の、ま、その土台になるべきものか?

 90年代のはじめ、『新訳‥‥』が発刊され、手始めに編集局で学習会がもたれた。
 刊行を代表する仲山がチューター(ティーチャ-、解説者)として参加し、高田さん(?)が報告した。
 仲山の話では、いくつもの原典に当たり改めて翻訳しなおしたこと、邦訳もいくつも読んで批判・検証した。理論委員会の多くの参加を得てできた渾身の力作ということだ。

 『共産党宣言』の学習会を改めてするのも変だなと思いながら、端の席で聞いていた。
 結構逐一的な解説だったので、ぱらぱらとめくりながら流し読みしていて「あれっ」と思う。

 「感想や意見」の時間で「偉大な成果」とか「改めて感動した」などの発言が続く。
 私の番になって指名されたので、「小さな疑問だけれど」と切り出してみた。

 「俺の記憶では、ここにある『千年王国』とは『神の千年王国』とか『ザ・千年王国』として使われていたはず。ちょっと感じが違うんだけど?」
 「えっ?そう?」と仲山が驚いて、水谷さんの顔を観る。
 ちょっと渋い顔をして水谷さんが答える。
 「うん。○○版や△版ではそうなっていると思う」
 仲山が凍りつく。

 一瞬の間をおいて東欧君が叫んだ。
 「なんだ。まるっきり逆じゃねえか!!」
 85年世代が党文献に反逆すること自体が「身の程知らず」だったけれど、それがその場の雰囲気を決めた。
 しらけた空気が広がり、学習会はそのまま終わってしまった。

 共産党宣言では、「約束された(空想上、幻想上の)神の千年王国」を〈地上に人間の手で〉実現しよう、というパラドックスの論法で語っていた。私もかつて学生時代にクリスチャン左派とそんな議論をしていた。
 そんな逆説的論法に気がつかずに、マルクスたちが「王国」や「千年王国」を語っていたと理解してそれに共感するマルキストなんているのか?(クリスチャンならどう訳しても誤解はしないだろうけれど)。他の基本組織ではどんな議論になったのかは分からない。

 ずいぶん時間を経た後に、「新訳…」について何人かの同志・元同志たちに聞いてみたのだけれど、記憶にないという。川武信夫さんの『宣言』しか記憶にないという。なお、ここでは「王国」は〈正しく〉訳されている。〈70年世代の限界の露呈かそれとも別か〉
私のBookの「新訳・共産党宣言」
で、タイトルは「新訳・」をはずすのが正しい。

マルクス主義原点ライブラリー

「レーニン主義の総括」では、梶川さんの3部作が避けて通れない。
ソ連がなぜ崩壊したのか?
社会主義がなぜ失敗したのか?
そもそもソ連のどこまでが「解放」でどこからが「圧政」だったのか?
その圧政の実態は?
責任はスターリンに発するのか、それともレーニンとトロツキーにさかのぼるのか?
その断絶と継承の関係は?

「米帝の圧倒的な軍事圧力の前に崩壊したソ連スタ」論が覆い隠すスタへの傾斜・親近感と「社会主義への関心の放棄」、それが清水さんと中央派の根っこを覆っているとすれば…。


「飢餓の革命 : : ロシア十月革命と農民 」ほか。
とりあえずネットで問題の基本を読むことができる。
これですら長いのでプリントアウトしてじっくり読むことをおすすめする。
アマゾンでも買うことができるけれど、できれば梶川さんへの思いも込めて新品を買う人が増えることを望みたい。

レーニンの農業・農民理論をいかに評価するか

宮地健一のホームページ

―― 十月革命後の現実を通して ――
 
梶川伸一

白井さんも梶川さんの著書と交流を通して多くを学びなおしたと聞く。

ちなみに「梶川伸一」を検索するとたくさん出てくる。

 昔の自治労大会でのこと。

 大会参加者も、代議員と傍聴者は厳しく区別されている。
 そんな中、荒川さんが代議員席に平気で座っているのを観たという話。

 「えっ、なんでそんなところに?」
 

 大会の主催者の中に、れっきとした中核派の、しかも組合員でも無い奴が居所をもっている。
 
 「いま荒川さんのパンフを読んで、その光景を浮かべている」。

 彼はそこまで、「上のほうに入り込んでいたんだ。正体を隠さずにしかも信頼を得る。すごいスケールで構想と人脈を広げていたんだな、と改めて思う」

 現場での党派闘争や組織戦と並んで、「中央レベルでの情報交換と意識の共有」が、無用な軋轢や抗争を回避して、新しい展望を切り開く。「トップ会談」やホットラインはいつでも必要だ。
 
 中野さんの「解体的再生」にとっては有る意味で欠くことのできない人材だったのだろうけれど、今の中央にとっては、どうしようもない「はみ出し」でもあったのだろう。

 中央も惜しい人を失ったね。
 

 水谷・岸両氏の第③声明(「メモ」)を観て、ある人は「違和感ばかりが残る」という。
 私自身も「呆然」とするような中身なのは事実だ。

とはいえ、「やっぱりね」という感じの方が実態に近い。

水谷さんらの第③声明は尽きるところ以下のようなものになる。

「荒川はすべてを言っていない。だから弁明にならない」
「全国委員ですらない奴がPBや中央委員(?)の構成を知ろうとした。一部にせよ知っている。…だから反党分子でスパイだ」
「PBである俺たちの方が何でも知っている。下っ端のくせに生意気を言うな。序列を守れ。…だから反中央でありスパイだ」

多分これに尽きる。

 もう一つは、天田さんら3人組への批判・非難がほぼ数行になり、「絶無」といって良いものになったこと。荒川問題を通じて天田さんらに正しい革共同の姿を教示するのかと思ったら、肝心なところが抜け落ちている。

 最後に、前回の声明で栗山さん絡みで匂わせていた「スパイを温存し容認する中野さん」らの「労働運動主義者」への矛先がまったく消えたこと。期待していたのに…。
 

 もとKGBの両氏の論議は今の中央派の「沈黙」を強調的に代弁している。
 中央派の中央が何かを言う時には両氏の声明が下書きになる(なるべき?)。
 中央が改めて何かを言い出せば「蜂の巣をつついたような騒ぎになる」。だからこその「沈黙」なのだろうか。
 それを埋め合わせるかの役割を担っているような…。

 「虚心坦懐」という日本語をこんな風に使えるのはやはり水谷さんならではだ。

 「虚心坦懐に人の話を聞いて、結論は揺るぎない」。
 「虚心坦懐に色んな情報を聞き出して反党分子や反中央の言動をあぶりだす」
 水谷さんをよく知る人の感想だ。

 天田さんや山森らは「反対意見」に対して血相を変えて罵る。
 坂木や○○はこんな場合は能弁が消えて固まってしまう。
 それに比べて水谷さんは、また一味違うのだという。
 

 ま、こんなやり方で前回の「声明」に至ったのだろう。
 ただ、「何ゆえの中央の沈黙か」が代弁者の言葉を通して聞きたいのだけれど、それは次回に期待したい。

 改めて思うに、「二つの内戦」のもとで、「権力には90%ガラス張り、党内では10%ガラス張り」だった。それが中野体制の下では(浮上組の完了も含めて)「対外的には95%ガラス張り、党内では5%ガラス張り」になった。
(いや、問題によってはだいぶ党内には公開されたと思うよ、の声も。「内的には90%開けた」とも。「党と交流センターの2重基準」?)

 水谷さんらはその忠実な担い手でもあった。「政治局員」として「党と革命への比類ない忠誠」を尽くしてきた人たちだ。「公平無私」、自分を持たない「滅私奉公」を絵にかいたような人だ。
 確かに荒川さんにはその「無私・滅私」が欠けているのは感じる。「私は」・「オレは」の存在感が漂う。<政治局員とも本来は対等な関係〉を感じさせるという意味では、そもそも「前衛党員の資格」を最初から失っているのかもしれない。

 
(「何をばかなことを言ってる。水谷という奴はどうしようもない権力主義で権威を嵩に着た最低な奴だ。俗物だ」という声もあるけれど。まあまあ…)
(「水谷がニコニコと中央としてのスパイをする。岸が腕力で処を選ばず襲いかかる。2人して役どころを得ている…」。これもまあまあ…)

 とりあえず、水谷さんらの「スパイ論」の核心が分かったところで満足すべきだろうか?
 今回は、水谷さんの声音は聞こえるけれど、岸らしい表現が感じられないのは何?
 最後にやはり、「自分たちを追放した中核派の言動を体を張って守ろうとするのはなぜ?」

 そうだ。私のブログには「天田批判が足りなさすぎる。天田批判をしっかりやれ」というお叱りもある。
 「うーん。それはそっちでやって」
 具体的な注文や面白い投稿があれば、転載や紹介はするつもりだけれど。;。。。

2015/03/22 安倍政権NO!☆0322大行動~民主主義を取り戻せ!(東京・日比谷)
レイバーネットから

【事務局】
首都圏反原発連合/原発をなくす全国連絡会/NPO 法人アジア太平洋資料センター
(PARC)
【実行委員会参加団体】では全労連系が主力を占めそうだけれど、別の視点からは「 自由と民主主義のための学生緊急行動(ex.SASPL)」という新しい学生の運動が注目を浴びているのだそうだ。千人から二千人の学生が時に集まるという。

春・年度末に二日続けて面白い動きになる。

 いずれ、「正しい戦争論」や「正しい内ゲバ」について正面から語りたいと思う。
 「統一行動」も共同行動も、「敵」を想定して形成される以上、あらかじめ「排除」すべきものがある。けれども「共同」に参加する人々はそれぞれ「重心・核」が違う以上、排除すべき相手と取り込むべき相手が大いにずれる。共同行動の外のラインはどう設定できるのかはとりあえず「悩ましい」
 結果、我慢と受容には互いに限度があることはがあらかじめ限定されていると考えるのが「正しい」。

 一つの解法は、運動が抱える様々な場面を想定して、時々節々の「離合集散」の繰り返しを想定することだ。そういう想像力の豊かさと、「絶対的正義と絶対的貫徹」論の「排除」から動き出すことかとも思う。他人への非難は「親しい関係」の時にこそ、場面場面ですべきであり、「絶対的敵」への集中砲火によって代行することを厳しく諌めるべきだという気もする。それでもいい、それでも闘えるというある意味中途半端な「闘いの志」のありかたを養うべきなのではなかろうか?

 もちろん、「党派政治」や「政治力学」論も現実にはある。けれどもそれはまず、まっとうな「近代政治学」を研鑽するなかでのものでなければ、本末転倒になりそうだ。あるいは多少まともな社会学や人生論を深める途上性として「仲間作りや排除」を葛藤しながら重層的・多面的に進めるそのプロセスに拘りたい。

 
 小話から
 
 昔、サムライが幅を利かせていたころのこと。
 群馬のある村に、おじいさんとおばあさんがおったとさ。
 おじいさんとおばあさんは真っ白な馬を大事に大事に育てていたんだとさ。
 名前は白いからシロだんベ。

 ところが村の長者がこの馬を奪って都の偉い人に献上してしまったんさ。
 悲しいことだよね。

 ある時都にいくさが起こって、偉い人もその旗がしらになったらしい。
 おじいさんとおばあさんは、馬のシロが心配で心配でしょうがなかったんさ。
 「でもシロは頭のいい子だから、何とか生きて生き延びているだんベ」と慰め合ったんだとさ。

 ある日の夜中、ドサッという音がして2人で外に飛び出したんだとさ。
 ほしたら、シロが倒れていたんさ。体中に矢が突き刺さったまま、都から飛んできたんだんベ。
 シロはだんべ、2人に看病されてだんべ、元気に生き返ったんだんベ。
 幸せに暮らしたんだんベ。(おしまい)
 

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