2015年05月

 しばらく休みます。

 ま、ゆったり休んで…。水谷さんらの本をゆっくり読んで、…。

 で、最後は少しはしょったので見苦しいところもあったかもしれません。
 

 面白い投稿やメールがあれば随時転載します。
 また、ため置いた「非公表」の記事をポツンと公表に変更するかも。

 よろしく。


革命運動史上最大のスパイ分子に転落した岸・水谷・岩本を打倒せよ 革命的共産主義者同盟政治局

発行日: 2015年5月18日 第2681号 主張/理論
週刊『前進』06頁(2681号02面01)(2015/05/18)

 1〜4月決戦は安倍との階級戦争として巨大な勝利を開いた。それは同時に、「党の革命」で打倒された岸宏一と水谷保孝、岩本慎三郎を、革命運動史上最大の反革命スパイ分子としてあぶり出すに至った。今や日帝権力中枢の極悪の手先に転落した彼らをわれわれは断じて許さない。すでにこの間、学生運動内に潜り込んだスパイを摘発・粉砕する勝利がかちとられている。これに続き、岸らスパイ分子を完全打倒しつくそう。

労働者階級に打倒・追放され日帝権力との結託で延命図る

 5月、2006~08年の「党の革命」で打倒・追放された岸宏一と水谷保孝、岩本慎三郎は階級闘争史上、最も極悪で腐敗にまみれた反革命スパイ本を出版した。彼らは本の題名を『革共同政治局の敗北』として、自己が知りえた情報を得手勝手に脚色し、組織の内情を暴露するかのようにデッチあげて歴史を偽造し、国家権力に売り渡して弾圧を懇願する最悪のスパイ行為に手を染めたのだ。
 3人の反革命分子は、反階級的所業の極致として日帝権力の完全なスパイに転落した。戦前・戦後の歴史を通じても、また国際的にもこれほどのスパイ行為は前例がない。ロシア革命時のマリノフスキーや2013年に革共同が摘発・粉砕した荒川碩哉(あらかわ・ひろや)も及ばない、とてつもないスパイ行為が登場したのである。この反革命はプロレタリア革命の業火によって焼き尽くさずにはおかない。

【中略】

 岸・水谷・岩本はこれまで騒ぎ立てていたスパイ・荒川についての言及をトーンダウンさせた。反革命スパイの腐臭にまみれた「情報」に真実など存在しない。労働者階級の団結と階級的真実、マルクス主義的確信の前にはすべて吹き飛び無力でしかない。
 岸・水谷・岩本が、いかに薄っぺらで傲慢(ごうまん)と尊大のみをひけらかす矮小(わいしょう)で恥知らずな人格であるからといって、この史上まれな犯罪行為への断罪がいささかも弱まることはない。この反革命策動を粉々に爆砕し、6・7国鉄全国集会へ、動労総連合を全国に建設し、ゼネスト情勢を切り開くために総決起しようではないか。

 <メモ①>
①岩本さんまで〈3人〉に入れられてしまったのはまあ、なんというチンプンカンな…。著者はふたりのはずなのに?
②「第二に、…この反革命本は今だからこそ出された。大恐慌と戦争、革命に向かうゼネスト情勢ゆえに利用価値があるとして日帝権力中枢が本を出させたのだ。」
 日本の「ゼネスト情勢」??「前夜情勢」でもなく?

③「第三に、彼らの魂胆は「革共同の50年」を「テロ・リンチ・粛清の歴史」として偽造するということである」。「それは「テロ・リンチ・粛清」の革共同を「闇の党首・清水丈夫」がつくったという清水議長への恐怖と憎悪に行きつく。」
 このまとめかたはいわば「両刃の刃」。やけのやんぱち?
 下手をすれば「自滅行為」になりかねない。
④「「1・26革共同声明」こそ、国際帝国主義の「テロ弾劾」を粉砕するとともに、イスラム武装勢力などの血債主義を打倒し…勝利の道を指し示した」
 イスラム武装勢力全般を「血債主義」として打倒する?!知らなかった!
⑤「岸・水谷・岩本はこれまで騒ぎ立てていたスパイ・荒川についての言及をトーンダウンさせた」 
 岩本さんも「荒川=スパイ」論を両氏とともに語っていたとは聞いていないのだけれど。
 チンプンカン。ま、「反中央派」だからスパイ、ということか?
 両氏がトーンダウンさせたのかは要検討?
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 〈メモ②〉
実践的には「この反革命策動を粉々に爆砕し、6・7国鉄全国集会へ、動労総連合を全国に建設し、ゼネスト情勢を切り開くために総決起しようではないか」らしい。
 ま、組織内外に充満する「スパイ」にはお手上げで、何もするつもりはないという面も。
 「テロはできない。もうしない」ということのようでもあり、それはそれで良いことではある。

②「福島大でスパイを摘発・粉砕 勝利をバネに安保国会決戦へ」
 スパイの罪状も明らかにはしていない。中身は不明なままだ。
 ホントのスパイにせよ嘘にせよ…。
 一説によれば福島大の中心メンバーらしい。とすればかなりな大事件だけれど、本名も明かさないのはどういうことか?
 そんな記事を後半に着けて体裁を付けるほど(もしかしたらスルーするための…)、全体として短く投げやりだとしか読めない。

「1・26革共同声明」とはレジュメかメモみたいなもので、…。
  週刊『前進』06頁(2666号01面01)(2015/01/26)
 中東・欧州・全世界人民に訴える
 大恐慌・戦争を革命へ
 日帝の中東―世界戦争参戦許さず
 労働者の国際的団結で安倍を倒せ
 1・26安保国会粉砕!緊急行動に立とう

お知らせありがとうございます。
 
それにしても高価な本ですね。
私は佐藤昭夫さんの本(3500円)を買ったばかりなので遠慮します。
 
私の岸さんの印象は、三里塚の闘争会館でいつもふんぞり返っていた姿しか知りません。
私のような一兵卒は視界にも入らなかったのではないでしょうか。
 
せめて、1000円の本だったら買うのですが…。(85年)


【補足】これのことかな?

「私は、歴史や現実を見、自分の頭で考えることを知らなかった。そのため、幼年時に植えつけられた権力による価値観の呪縛から逃れるには、復員後3年余りの日時を要した」(同書より引用)――本書は、著者の佐藤昭夫氏が仙台陸軍幼年学校卒業、陸軍予科士官学校在学(陸軍最後の将校生徒)という軍国主義一色だった少年時代の反省から、「自ら考えることの大切さ」を学び続けた記録でもあります。


 この手の本がでると、組織暴露だとかの批判が出て来ますが、そうした批判こそが時代錯誤だと思います。
 自己正当化ではない、真摯な運動に対する総括ならばもっと多くの人が語るべきだと私は思っています。
 Y戦をどう総括しているのか、先内戦をどう総括しているのか、そこが一番の肝だと思っています。避けていないことを願っています。(ポセイドン)

5月12日発行とのこと。
アマゾンでの購入も可。
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  模索舎も通信販売ができる。

その内容です。
革共同政治局の敗北1975〜2014 あるいは中核派の崩壊                         
1960年代以来、日本におけるラディカル左翼のトップランナーだった中核派が、テロ・リンチの果て政治的頽廃を重ね、無惨に顚落して行く……。闇の怪人=清水丈夫革共同議長が仮借なくひき剝がされて行く。分裂と崩壊を大胆不羈に剔抉する、痛恨のドキュメント全950枚。


革共同のたたかいの歴史、党内闘争の実相を時代の大きな流れのなかに位置づけながら、事実に即して描こうとしたもの」だそうだ。

 主な見出し(amazonの紹介よりもずっと詳しく)
…………………………………………………………………………………………
 水谷保孝 宏一[]
革共同政治局の敗北 19752014
   ――あるいは中核派の崩壊
                        白順社 本体3200+
…………………………………………………………………………………………
 
 序章 革共同は疾風怒濤の時代を開いた
第1節    大いなる可能性としての革共同
大衆運動の先頭に立ち続ける/革共同の組織構成の変遷と特徴
  第2節 革命の現実性をみた
労働者・学生の大衆運動と実力闘争/時代を画した反戦派労働運動/日本革命を切り開く反戦闘争、安保・沖縄闘争/三里塚闘争の広さと深さ/七・七自己批判と反スターリン主義の深化/日本階級闘争における固有の内戦/暴力の復権のたたかい/レーニン主義組織論を現代に適用/政治局の末期的限界と組織分裂/
  第3節 二一世紀の使命――どこからどこへ
   アメリカ帝国主義の世界史的敗退過程/「1968革命」は現代史を規定する
 
──────────────────────────────────
第1部 〇六年三・一四党内テロ・リンチと諸結果
──────────────────────────────────
第1章 三・一四Ⅱの本質
革共同は大分裂した/なぜ三・一四Ⅱが起こったか/二つの右派によるテロと粛清/「中野洋の三・一四」
 
第2章 三・一四Ⅱの発生 〇六年三~九月 [第一局面]
 第1節 七人組による陰謀から始まった
三月一三日深夜から始まった党内リンチ/与田側は天田書記長を呼んだ/与田、遠山をす巻きにする/路線や理論もなく、ただ扇情的に
第2節 政治局の分裂と左派の危機
深夜の政治局決定/中野が政治局決定を転覆させる/財政的腐敗を認めた与田弁明書/西島と遠山を断罪する根拠なし/党内論議は真っ二つに/「左派追放」を宣言した天田/ぶざまな醜態をさらした与田
第3節 清水議長、党内テロ・リンチに迎合
路線問題を不問にした清水議案/清水にはじめてかみついた天田/与田、遠山、西島の除名決定/「最大多数の最大幸福がオレのやり方」/「天田書記長は政治局内少数派だった」/粛清の力学が回り始めた
第4節 粛清なしに存続できない党
三・一四Ⅱ反対派を一挙的に排斥/ブハーリンの心境やかくならん/九州党員総会が総反乱/戦闘的伝統を誇る九州地方委が集団離党/中四国地方委を解体的に再編、火種残る/「韓信の股くぐり」を決断した部落青年戦闘同志会/部落解放同盟全国連への敵視/「部落解放闘争は党の利益に貢献せよ」
第5節 政治局内大粛清
清水が率先して三・一四Ⅱ転覆を策動/「三年でひっくり返す」発言でだましあい/二二全総は腐敗と転落への最終的分岐点/政治局の血の入れ替え
 
第3章 杉並、東西分裂、七月テーゼ 〇六年一〇月~〇八年四月 [第二局面]
 第1節    杉並二区議即時辞職を強要
天田の脅しと都革新区民の怒りの爆発/政治局総がかりで即時辞職を強要/怒りの杉並区民、革共同との対決へ/結柴・新城除名を策動するも頓挫/杉並区民が革共同を打ち負かした
第2節 中央派と関西派の分裂
関西地方委が中央政治局を追及、挑発/『前進』〇七年新年号論文が分裂の火種/大庭パンフ発禁事件/塩川に政治局員辞任を強要/分裂劇に嵌められた関西派―分裂の特徴と本質
第3節 広島差別事件こそ七月テーゼの正体
部落解放同盟全国連へのあからさまな敵視/戦闘同志会が集団離党/警察権力と一体で中田全国連書記長の抹殺狙う/部落のなかから決起した青年を全否定/七月テーゼは俗物政治局の野合の産物/部落解放運動を捨てることは日本革命を捨てること
 
第4章 動労千葉特化路線と粛清の党 〇八年四月~ [第三・第四局面]
 第1節 三里塚反対同盟など大衆運動への敵対
織田文書が三里塚農地死守を全否定/動労千葉特化路線は労農連帯を破壊する/党内権力闘争のために三里塚闘争を破壊/五・二七国労臨大裁判、民族差別との闘争、百万人署名運動、沖縄人民、婦民に敵対
第2節 「四人組」除名問題
中野主導の路線に批判、疑問が噴出/武藤第二文書、志賀文書の波及/除名恫喝は組織矛盾を強める/三里塚闘争破壊の革共同
第3節 高木徹の処分と七年後の除名
清水は盟友を切って捨てた/パルタイ・パトリオティズムの閉鎖集団へ
第4節 荒川スパイ問題での敗北
なぜ荒川スパイ問題の事実を明かさないのか/天田、大原、清水ら政治局はどこを向いているのか
第5節 動労千葉特化路線という階級的犯罪
労働運動への冒瀆/国家権力打倒闘争からの逃亡
 
第5章 党内リンチ事件の根拠と構造
 
第1節 導火線に点火したのは中野と清水
異様な党内リンチがなぜ支持されたのか/〇三年新指導路線は政治局内クーデター/関西問題についての指導部会議(ベルリン)/翌年にも関西問題で会議(ホッケー)/二度目の与田基調報告と〝フェニックス〟結成
第2節 与田問題=政治局問題の深層
筆者らは与田問題を正視していなかった/財政的腐敗の問題/浅尾スパイ問題で政治局は腐っていた/浅尾スパイ問題隠ぺいの犯罪性/党内闘争への不見識
第3節 テロ・リンチ以外に方途はなかったか
与田腐敗問題は口実にすぎなかった/中野洋と三・一四Ⅱその後/革共同は組織的自浄力ゼロである/呪縛からの解放は自力しかない
  第4節 左派はなぜ敗北したか
自己批判の入口にも立たず背走した清水/党内闘争の欠如と党至上主義
──────────────────────────────────
第2部 政治局の腐蝕はいつから始まったか
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第6章 本多延嘉書記長虐殺を超克しえたか
 
第1節 カクマルによる凶行
清水時代は本多時代とどう変わったのか/血にまみれたフランス語版『資本論』 
第2節 三・一四復讐戦を政治局は指導しえたか
試練に立たされた政治局/革共同のもてる英雄主義が爆発/先制的内戦戦略を提起/対カクマル戦第一主義の倒立性/「本多さんの弔辞を、オレは書いていない……」/反清水グループの形成と処分
第3節 本多延嘉の革命観
七〇年代革命の爆発的高揚へ/革命の原理と内乱の論理/『前進』六四六号「堅実で全面的な発展」の構想/六四六号論文の欠陥は何か/七五年三・一四による杜絶と回復
 
第7章 歪曲と転落の分岐点=第五回大会
 
第1節 戦略的総路線の彼岸化
変則的で異例づくしの大会/大会前後の政治局会議/清水一人で議案を報告/清水・三里塚二期決戦論のカラクリ/「強いられた決戦」の過度の強調
  第2節 党絶対化と大衆運動利用主義
八〇年代中期階級決戦というフィクション/三里塚農民への政治的利用主義/「三年間、三里塚をもたせてくれ」/労働運動軽視の裏返し
  第3節 対カクマル戦をどうする
対カクマル戦を続けるか否か/清水は対カクマル戦の仮象を必要とした/大衆運動の戦略的後景化/党防衛の絶対化=清水独断・権威主義体制の始まり
 
第8章 本多内乱・内戦論の改ざん
 
第1節 先制的内戦戦略論のジグザグ
革命の垂直的対決への恐怖にとりつかれた清水/先制的内戦戦略論の原典=津久井論文の特徴/革命の展望と先制的内戦戦略の位置/原典を自ら換骨奪胎――清水の三・一四宣言/野島「三・一四宣言」との異同は?
  第2節 清水の動揺がもたらしたもの
先制的内戦戦略論にふりまわされた闘争現場/指導における政治と軍事の逆転/先制的内戦戦略の原典を自ら反故に/「水平・垂直論を削除してくれ」――七八年巻頭論文の作成論議で
第3節 政治局の内的解体
政治局における歪んだ党内闘争/政治局会議はいつも北小路罵倒/清水・秋山の葛藤/大衆運動政策での「最大最高の失敗」/「政治局の顔の見えない党でいいのか」
  
第9章 清水政治局の堕落と党員の英雄主義
 
第1節 三里塚三・八分裂をめぐる誤り
石橋弾劾運動から三・八分裂へ/一坪再共有化運動の政治構図/三・八分裂は回避できたか/第四インターへのテロル
  第2節 三里塚決戦と国鉄決戦の推進へ
八五年一〇・二〇三里塚戦闘と収用委解体の勝利/動労千葉第一波ストと浅草橋戦闘/九〇年天皇決戦の日本近現代史上の意義/清水は「日本=単一民族」論者/中核派の〝白鳥の歌〟
第3節 非公然政治局体制の破局
古参政治局員の政治的・組織的破産/秋山による最悪の組織的犯罪/不運の陶山健一を切り捨てた清水
 
10章 九一年五月テーゼの虚実
 
第1節 五月テーゼが党内亀裂・路線的混迷を加速
清水=中野密約から始まった/清水によるクーデターとしての五月テーゼ/五月テーゼの意図的な誤読の誘導/五月テーゼを改めて読み返す/五月テーゼの特徴と核心点/清水はなぜ路線転換に舵を切ったか/五月テーゼと清水=中野密約の関係/中野が動労千葉防衛原理で分派活動
第2節 五月テーゼの解釈変え
五月テーゼを無効化しようとした秋山/「左」に大ブレした清水/清水の闘病と秋山―天田体制への移行/入管闘争と部落解放運動の大衆的高揚/秋山が軍縮小を観念した八・一路線―一・一路線
  第3節 政治局大再編
一九全総で初めて五月テーゼを討議/二〇全総は政治局内左右対立の始まり/第六回大会と〝粘土の左派〟
第4節 スパイ化攻撃とのたたかいで敗北
党中枢情報をつかまれた三つのスパイ事件/栗山スパイ問題とは何だったのか/北小路にもスパイ化工作が迫る/編集局内に中野派フラクを形成/権力との対決の弱点となった五月テーゼ
第5節 新指導路線から〇六年三・一四党内リンチへ
中野が内的崩壊と政治的沈没の危機に/「オレが中野に七・七問題をわからせる」/革共同に労働運動の理論と路線があったのか 
 
11章 〝革共同政治局の敗北〟から新しい道へ
 
第1節    一〇・八羽田闘争前夜解放派リンチ事件
三つの負の教訓/一〇・八をめぐる三派の主導権争い/一〇・八前夜解放派への凄惨なリンチ/本多はなぜリンチを決断したのか/一〇・八に革命党の命運をかけた本多/三派全学連の継続、発展はありえたか
第2節    七〇年八・三海老原事件をめぐって
政治局の組織的責任の放棄/政治局絶対化と無批判的追随主義の始まり/対カクマル戦の棘
第3節     連合赤軍事件の外在化の誤り
   第4節 反スターリン主義の徹底化こそ
本多延嘉と清水丈夫との断絶/第七回大会は合法主義、組合主義・経済主義の極み/労働者人民への「転向の勧め」/革共同の限界はどこにあったか/組織論における反スターリン主義の不徹底/党大会の決定的不可欠性/中核派精神は一人ひとりのなかに
  
あとがき  本多延嘉書記長の「遺言」によせて       岸  宏一
     七・七自己批判の実践を止めることはできない   水谷 保孝
 

 (追)ようやく「もう一つの中核派50年史」がでた。
    あらかじめ「噴飯もの」という声もあろう。
    とはいえ、元中核派はあまりに語らなすぎる。「周知の秘密」と誰も知らない事実・真実と。
    
    そんな中で勇気をふるって語ろうとする姿勢自体をおおいに是としたい。
    見出しを観ても、知らない事知りたかったことが満載のようだ。
    事実を掘り下げ、俯瞰できる数少ない書として、おおいに歓迎したい。

    足りないもの、思い出したくない事実もあろう。「害悪」もあろう。
    「不都合な真実」もあろう。歪み(バイアス)もあろう。
    けれどもそれはむしろ、他の人々が自分の声として語りだすことで埋めれば良い。
    お互いに「死ぬ前に事実を語っておけ…」

以下は「かけはし」からの、またも無断で引用 。  
読書案内『もうひとつの全共闘』芝工大闘争史を語る会著/つげ書房新社/2500円+税                     かけはし2010.12.20号
敗北しなかった稀有な大学闘争

全共闘運動史の歪曲を超えて
 「今、?1968年?をめぐる歴史の掘り起こしが進んでいる。だが、闘争当事者の声はあまりにも少ない。それどころか、当時マスメディアの光りにあたった『記録』や『資料』だけを積み重ね、全共闘運動のほんの一面を取り上げて『批判』するたぐいのもので満ちあふれているといわざるをえない。堕落した新左翼諸派による『内ゲバ』、あるいは『革命』なき『革命幻想』におちいった『連合赤軍』や無差別テロを実行した『反日武装戦線』が、あたかも全共闘運動の必然的な結末であるかのような前提に立って、『負の遺産』の側からのみ全共闘運動を判定する『歴史』が闊歩している。ましてや、敗北しなかった大学闘争の記録は皆無であり、存在すらしなかったように扱われている。私たちには語らなければならない義務がある」(本書プロローグより)。
 本書は第一章 沸点にむかう芝浦工業大学、第二章 第一次闘争の展開(68年1~2月)、第三章 学外での闘いの経験から第二次闘争へ(68年3月~69年1月)、第四章 「四つの拒否権」の波及と大学立法反対闘争(69年2月~10月)、第五章 反動との闘いから暴力ガードマン追放へ(69年12月~71年11月)から構成されているドキュメントである。
 また全学闘活動家による多くの証言が時系列に沿って収録されていたり、エピソードなども各章末に掲載されており、その大学闘争史の内容を豊富化させている。

力関係は一気に逆転した!

 「芝工大は、スポーツ部門の『広告塔』によって学生を集め、集まった学生を徹底的に収奪し、運動部学生をそのための弾圧的な私兵として使う……そこに、民主主義のかけらもあろうはずがない」、典型的な右翼スポーツ反動大学だった。
 しかし、六八年一月、学費値上げ反対闘争を水路にして、学生の不満や怒りが一気に吹き出すことになる。そして一~二年生のクラス、学科闘争委員会を闘争主体とする大衆的な全学闘争委員会が出現する。
 だが全学闘に結集する学生のなかには、大衆闘争やストを組織した経験をもつ者は誰もいない。熱い塊となってストを死守する五百人の全学闘ピケット部隊、それをとり巻く五百人の学生。力関係は一気に逆転し、二千人結集の大衆団交にまで攻めのぼることになる(第一次闘争)。

改革派との攻防と四つの拒否権

 全学闘の出現によつて、大学当局が反動派と改革派に分裂する。教職員組合が結成される。暴力装置だった応援団は、中大応援団との乱闘事件で自滅的に解散する。こうした学内状況のなかで六八年十一月、第二次闘争が始まる。
 経理を公開させ十億円の黒字が発覚。全学闘は「学費値上げ白紙撤回と民主化の実現」を要求して、強固なバリケードを構築。反動派理事会はバリスト一カ月目で白旗を上げ、全学闘の要求を受け入れて総辞職してしまう。そして反動派に代わって、改革派が前面に登場する。
 こうしてバリケードの中で、六九年一月二十九日の大衆団交を迎える。改革派理事会は、全学闘が提案した「四つの拒否権」(予算・決算、教育上の決定、人事の決定に対する拒否権、管理介入権)を含む、すべての要求を丸呑みしてしまう。
 全学闘委員長「四つの拒否権を認めるということは、大学は革命の砦になるということだな」 理事長代行「大学は反体制の砦である。そうだろう」……。全学闘は闘争の具体的成果を獲得はしたが、新たな闘争局面を迎えることになる。
 五月から始まる全学上げての「大学立法反対闘争」は、大学の自治は学生の自治なのか、それとも「進歩的」教授会が主導する自治なのかをめぐる攻防の質が問われることになる。

内ゲバ主義に抗した闘い

 芝工大でドイツ語講師をしていた真継伸彦は、「大学革命論序説」のなかで次のように書いている。「芝浦工大全学闘には、党派間の暴力抗争は皆無であった。それが、私が評価する重要な理由のひとつである。全学闘と民青のあいだにも、一月二十八、二十九両日の対立(大衆団交破壊のために地区ゲバ民と体育会連合が襲撃)のほかに暴力行為はなかった」。
 六九年九月十八日、大学立法反対闘争から継続する大宮校舎のバリケード内にいた中核派の活動家が、反戦連合(元中核派)に襲撃され、埼玉大生が校舎から転落して死亡するという事件が起こる。長期化するバリストをめぐる対立と、この衝撃的な「内ゲバ事件」に乗じて学内反動派体制が復活する(70年2月)。

反動派理事会をついに打倒した
 七〇年五月の自治会選挙で全学闘派が民青候補に圧勝し、反動派に対する大衆的な反撃が再開される。十二月には二部自治会が結成される。
 全学闘―自治会の反撃を背景にして、独善的で強権的な大学経営を進めようとする反動派理事会に対する教授会、教職組からの反発が深まる。教授会は学長のリコールを決議し、教職祖は三波のストを決行する。こうした教職組の闘いに対して処分を乱発し、学内で孤立化する反動派理事会は「学生対策」として、日大闘争を襲撃した暴力ガードマンを導入する(71年2月~)。それはまさに、末期的な軍事独裁政権そのものであった。
 芝工大全学闘―自治会はその後、百人を超える大量逮捕の弾圧と多数の負傷者を出しながらも、不屈の闘いを継続させ七一年十月、反動派理事会を打倒するのである。
 芝浦工大全学闘の闘いは全共闘運動の金字塔である。そうであるがゆえに、体制主義者や俗物主義者はその闘いを「封印」しようとするのだ。本書によって、その「封印」は完全に解かれたのである。  (鶴)

もう一つの全共闘 単行本 – 2010/11/27

防備録
①雑感
 あの時代、いろんな闘い(闘い方)が有ったのだとつくづく思う。
 埼大にも「埼玉教育短大」が併設されていた。
 埼玉短大もあった。
 ともに何人かの中核派が生まれた。
 けれども当時の私の視野の片隅には、ようやく入ったに過ぎない。

 日大闘争ほど大きな大学でも無く、高経闘争よりは新しい。
 東大とはその存立の位置があまりに違う。

 私の大学では、私も含めて1人の処分もでなかった。
 数人の?自主退学を除けば、4年~8年でみんな卒業した。
 拠点クラスになった(教養部ではない)「教養学部」からは、その後の民俗学などの大きな流れも生まれたそうだ。

②クラス決議に拘って
 ことあるごとに「クラス決議」の積み重ねの上に、闘いを切り開く。
 情勢や主体の波に合わせ、クラス決議を生みだしながら、何度もうねりを作り出す。
 
 「個別大学のかかえる条件」や「個々の学生の資質と条件」への洞察と一定の答えや配慮は、
ほんらいあまりにも当然だ。けれどもあの時代…。

 70年の「7・7」とその後の「入管決戦論批判」を待つことなく、あまりにも当たり前な問題を否定した時代…。「自己否定」も「○○ではなくヒトとして生きる」思想も、根源的でもあるが時により人により、上ずった「一元化」論でもあった。そんな時代の中で7・7を前に、「女性解放」論や運動も生まれた。70年とは、公害やその他も噴出し、「公共性とは何か」「豊かさとは何か」が問われた時代背景をも基礎にして、絡み合って(?)進んだものだ。

 「血債の思想云々」とは、そういう総体をも問うものでもあったはずだ。
 
 (思想・・政治思想・戦略・戦術など。それぞれ別の次元だけれど)

 横浜時代に関与した関東学園大学2部学友会。

 そして後に知った中学時代の同級生たちの経歴とその後の数々。

 その人たちと当時の私の視野や条件は近いようであまりに違いすぎて、どうしようもないほどだ。

 同じ「中核派の同志」もまた、数年後、10数年後の生活と思いは違いすぎる。
 そしてまた、上級生・下級生、上を観る私には同級生や下級生たちの世界が見えない。
 文化人戦線や救援連絡センターに集まった60年世代・戦中派世代から私たちはあまり多くを学ばずにスルーしたようだ。

 それは私のせいか、運動のせいか?

③若さ
 いや、最大の問題は「若さ」といってもいい。
 もちろん「私の若さと言う罪」はある。同時に、30代、40代の百戦錬磨の将になって、大きく包み込む、そんな成長の仕方があったはずなのだと思うのだが。そんな指導者群になるための、そんな指導者群を作り出すための闘いだったような気もする。
 もちろんまったく違った経験からだ…。

 若さゆえの想像力と根源性は、若さゆえの無知と限界と背中合わせだ。
 どんなに優れた確信でも、「巨大なあいまいさ」を内包した確信とするしかない。

  
④滝沢さんの死を別の視点で見ると
 内ゲバも外ゲバも、当事者と他者ではあまりに立場の違いがあることを突き付けられる。
 芝工大闘争、芝工大の学生の視野から見ると…。
 連合赤軍や赤軍派をこれほどまでに正面から切って捨てる議論には、実ははじめてあったとすら言える。
 うーん。絶句。
 たしかに昨今の解放派のゲリラなどにはほとほとうんざりする。
 彼らとはほんとに「同席」したくない。
 ま、いろんな場面があるから、無条件に拒むともいかないけれど。

⑤早稲田解放闘争の砦・駆け込み寺。
 もちろん、安田講堂の攻防や多くの中央闘争にも関わっている。
 
 なかでも半年間だっけ、学内の教室を早稲田の仲間に解放し、寮を解放し…。
 寮の窓という窓を板で覆って、革マル派の攻撃に備えた…。個人テロへの恐怖と闘って、寮生や当局の協力を得て…。よくぞそこまでやりきれた!!
 『前進』社や法政にはできない事、同じ姿勢に立つ同じ学生の闘いでこそ、生きてくる。
 そういう意味でも、色んなバージョンがあったのだと思う。
 そんなこんなの結果として、昨今の集会には「芝浦工大」の旗が翻る。
 少なくない「○○大学全共闘」の旗も垣間見える。

⑥全共闘の総和か単一の結合か?
 異質の連合か同質化か?色んな議論が提出されている。
 
 ある人は言う。「いわば全国各地の地区ソビエトと、中央権力への蜂起の関係の、矛盾・対立の縮小版だったのかね?」
 ま、振り返ってみれば、70年は「権力奪取」には程遠い世界だったから、学生運動の延長にそんなことを語ること自体が間違っているとは思うけれど…。
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 まとまらないまま、まとめようともしないままですが。「宿題」への第1次の答えとします。
 

 Q:労働運動路線の4大産別論とは…
 ―私は前から主張していることだけれど、「労働運動で革命を」とは(最大限によく言って)「ゼ          ネスト革命」論といえるのかな、と思う。
 ―つまり、権力を取った後の統治機構と言うか支配機構と言うか、そういう問題にも重なるんだよね。

 --レール・交通を抑え、自治体を抑え、教育を抑え…。ついでに病院も。郵便?ま、マスコミ・ネットに代替されるかもしれないけれど。
 ―-たぶん、理屈ととして突き詰めればそうなる。で、近くそういう形で「理論化される」のじゃないかな?「ゼネストから革命へ」とくっついて。
 ―「蜂起-革命」論の放棄だけれど、どちらも共感できるものではないね。どっちもどっちだ。けれど長い「蜂起の陣形」論の歴史では、人によっては「解放された」人も少なくないのかもしれない。

 ―中核派そのものの呪縛から(右へ左へ)解放されたのかも。若い人にはどうでもいい議論かな?

 ―時に空虚なカラ叫びでも、救われる人はいる。その傍らで地獄に蹴落とされる人もいる。

 Q:4大産別論も中野さんの後半の主張だったと言われるけれど?
 ―うん。「4大産別」の自己運動は、「討伐隊」で徹底的につぶされた時期があった。
  動労千葉特化、「求心力」論だよね。

 ―今のそれも、基本は動労千葉にどう奉仕するかがポイントで、残りの時間や体制で「自由」にやれるということになりそうだ。

 ―とはいえ、人によって、ホントに自由にやっているところもありそうだ。

 ―問題は、各産別の理論や運動の歴史的な蓄積がなくなって社民以前の思い付きに終始している点だと思う。基礎から練り直すことが必要なんだろうね。

 ―合同労組運動もピンからキリだし、世間の役に立つ面も少しはあるのかもしれない。じっさいいくつかの成果や実績もあるし。

 ―人や組織によっては、単なる争議屋だったり、単なるモノ取りだったりする。迷惑な話もある。社内で邪魔になった人の姥捨て山みたいな面もないわけではない。

 Q:モノ言える現場?
  動労千葉の中野さんや全逓の神子さんなどの最古参は、政治局や中央指導部と「対等」にモノが言える人だったようだけれど、他の人や今の人はどうなんだろう?

 ―そういう問題を普通に立てる人は「10・8以前」の人なんだろうね。

 ―たぶん今の人は、出発点からそんなものはないんじゃないかな?

 ―地方や地区の代表的な産別や組合指導者も、はじめから「中央」には距離を置いた人も少なくない。それはそれで残したものも大きいと思うけれど、小物化した中央とはいっそう断絶は大きいのだろうね。

 ―ある意味で「60年代以前のエリート」の巨視的にみるスケールの大きさは、今の時代にはないのかな?埼大だってエリートだし、ま、上の下くらいかもしれないけれど。時代の違いは大きいよね。

 ―鈴木政治局員?の話も、そんな脈絡で見るのも面白いかもしれない。

 ―ま、古き良き時代に戻ろうとしても…。

 Q:常任と現場の関係は?

 ―県委員長や委員に現場の実績を持った人が着任するようになって久しい。けれど、じっさいの運営はやはり「責任担当常任」が切りまわしているケースが多そうだ。

 ―「現場」の古参も他の産別や他の地区の実情に精通しなければやれないし、緊急時にも動けない。それに中央との密接な関係も専従なしにはできない。ある意味棚上げ・象徴でしかないんかも。

 ―やっぱり「専従指導部」の存在は大きいけれどその位置づけや役回りの検討があいまいなままで、宙ぶらりんの無責任体制になっているといえるのかもしれない。

 ―理論づくりとか政策構想など、専従や専門家の存在意義も大きいのだけれど、どうも中核派の歴史はまともに検討した気配が無い。理論委員会の実態もおそまつだったし。

 ―結果的には医者とか弁護士とかそれなりにいるけれど、一時離脱とか他党派からの結集だとか、政策的に推し進めた気配はないよね。その点、共産党や革マル派とは違う。

 ―金石範さんの小説なども読んで、革命にいたる色んなプロセスというか「革命の現実性」とか、「中核派の自然成長主義」みたいなものを感じる。ま、そこが良かったとも思うんだけど。

 Q:最後に社会変革、ということについて

 ―「革命家」という人生の選択にも色んな幅があることに気が付いてきた。

 ―同じ中核派でも色んな経験と人生を生きている。その違いの大きさにいまさら感銘している。色々な人生の一つだ、ということ。

 ―「革命家という人生」論という点では、色川大吉氏などの苦悶も参考になるし、「阿Q正伝」を書かずにはいられなかった意味も感じる。

 ―激動とか巨大な変革には色んな人が色んな契機で色んな形で関与する。「前衛」とか「党」もそんな中で色んな民衆が、「時に利用し、時に他を選ぶ」。選択主体は「市井の民」の側だ。そして勝とうが負けようが、祭りの後には人々は「平常な」生きていく。

 ―「大衆が前衛を乗り越える時云々」という言い方も、あまりに「前衛至上主義」の戒め程度で。視点を根っからひっくり返さないと。

 ―ま、とりあえずは、当面の、「身近な」世間の課題に寄り添って、ついていくのが精いっぱいだ。後始末しなければいけないものも少なくないし。

 ―まとまりのない結論だけれど…。

以下は、「ゼネスト革命論」の一端。

安倍政権と真っ向対決 鈴木達夫さん

発行日: 2015年4月27日 第2679号 選挙/議会
 その中でわれわれは、「どうやったら勝てるのか、ゼネストで勝つんだ」「北島必勝でゼネスト情勢を開こう」と訴えて闘った。韓国で27万の労働者がゼネストに決起した。アメリカでもEUでも、まさに全世界はゼネスト情勢です。
 そしてこの杉並で、まだ不十分だがゼネストを実現する拠点建設の手がかりをつかんだ。それがこの間の鈴コン闘争、アメアパの闘いだった。

 「清水、表に出て来い!」「お願いだから顔を見せて!」
 そんな声があふれた時期もあった。

 「どんなに悪いことをやった後でも、にこにこしてやってくる。その笑顔がすてきでつい気を緩めてしまう」
 「最悪の処分を出しながら、○○、気を落とすなよ」と声をかけてくる。
 じっさい、冷や飯食いからの時として抜擢もあったようだし。ま、その逆も。
 「実際会う人からは『保守的な人ですね』と言われた」

 「酒に弱い人で、酒乱で大事件を何度かして、以来、ぷっつりと断った」
 「自分に厳しい人だ。今でもマンションか何かの一角で、毎日、腕立て伏せとスクワットをして体を維持しているんだろうな」

 75年の3・14直後、あわてて飛んできた野島さんを追い返して、○年の会議では三つの基調報告を1人で取り仕切っていた。あの時点で「清州会議」。慣例にもない形で「何という人だと思った」

 北さんの追悼文はひどかった。中野さんの追悼文も同じく。人間力が枯渇し切った…。
 高木さんと言う「義理の兄」「永遠の側近」を切り捨てさせられて、飲むしかなかった時にもう完全に終わったんだよな」。

 「表に出ろって言ったって、そりゃ無理だよ。もう78かそこいらだよ。『前進』社のワンフロアーをあてがわれたとしても、あの空気の中じゃあすぐに体調を崩すにきまっている。どこかの広いマンションでゆったり老後を過ごしたっていいじゃないのか?たとえ1千万か2千万かかったとしても…」

 清水批判もいまや昔。
 色んな世代交代も進んだ。

 いまや「ずぶずぶの労働組合主義にもなれない。動労千葉特化主義」と「ゼネスト革命の時代の到来」だそうだ。
 できることなら自由の身になって、在りし日を振り返って欲しい…。



本多延嘉著作選全七巻総目次
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