2015年09月

連絡もあり、とりあえず転載しました…


読売新聞 より http://www.yomiuri.co.jp/national/20150928-OYT1T50168.html


男性監禁、屋上から転落させる…中核派2人逮捕

読売新聞 / 2015年9月29日 7時27分
監禁 東京 デモ 逮捕  Ads

過激派・中核派の拠点「前進社」(東京都江戸川区)で今年5月、活動家の男性が5日間監禁された後、屋上付近から転落し、一時意識不明の重体になる事件があったことがわかった。

警視庁公安部は28日、男性を監禁し、転落させたとして、監禁致傷容疑で同派活動家の男2人を逮捕した。同派内部で「総括」と称した暴行が依然として続いているとみて、解明を進める。

捜査関係者によると、2人は5月上旬、仲間の活動家の男性を5日間にわたって前進社の建物内に監禁した上で、5階の屋上付近から転落させた疑い。男性は、屋上の雨どいから逃げようとした際に転落して意識不明の重体となったが、その後、回復した。

公安部によると、中核派は最近、組織性を前面に出さずに市民団体のデモに加わる「ソフト路線」を進めており、逮捕された2人も、安全保障関連法案に反対する国会前のデモに参加していた。


監禁:中核派2人逮捕 元活動家の男性、5階から転落
毎日新聞 2015年09月29日 12時22分(最終更新 09月29日 13時20分)
 中核派の拠点「前進社」(東京都江戸川区)で元活動家の男性を5日間にわたり監禁したなどとして、警視庁公安部は29日、いずれも中核派全学連の活動家で、福島市野田町、古郡陸(ふるこおりひとし)(32)と仙台市青葉区、石田真弓(28)の両容疑者を監禁傷害容疑で逮捕したと発表した。
 
 逮捕容疑は5月3日夜から5日間にわたり、同派元活動家の20代の男性を前進社内の会議室に監禁し、7日午後3時10分ごろに5階の屋上から転落させたとしている。2人は黙秘しているという。……
その様子を警戒中の警察官が目撃していた。…

5月の当ブログの記事では無視していたが監禁されていたのは福島大学の「超有名人H君」らしい。以下は関連記事。

いまさらどうでもいいことのようにも思えますが一報します。ぜひ「最近の動向」に加えてください。(元三里塚被告 要旨のみ)

15年9月7日号『前進』の「理論/主張」(5頁?6頁?)から。

8月16日に岸・藤本の両氏が三里塚に足を入れた事を遅れて察知して弾劾したもの。
文字数三〇〇〇字をこえる(4百字詰めで9枚?)の「立派な分量」です。
本文では『敗北』本の83年3・8分裂と第4インターへのテロに対する「自己批判」への弾劾と、ほぼ岸氏の「罪状」が中心です。


【白土(注)】
藤本氏の名が登場し、見出しに「岩本」の名が無いのが、この間の経緯として「??」ではある。

もとより岸氏は「81年に現闘キャップとなり」、の人だ。良くも悪くも80年代-90年代の中核派の三里塚闘争の名実ともに責任者だ。

「三里塚現地闘争本部」名で出された声明で「党の革命云々」を声高に叫んでいるのだけれど、この名は本来は反対同盟の実行役員会のものではなかったか?中核派なら「全学連現闘」か「革共同現闘」ではないのかといういぶかしさもある。ま、いまさら…。
以下一部引用。

反革命スパイ分子=岸・水谷・藤本の三里塚闘争破壊策動を粉砕せよ 反対同盟への卑劣な襲撃許すな 三里塚現地闘争本部


発行日: 20159 7 2696 主張/理論


週刊『前進』06頁(26960501)(2015/09/07


8月16日、反革命スパイ分子の岸・藤本が三里塚現地に潜入し、三里塚芝山連合空港反対同盟への破壊工作を策動した。国家権力と有無通じて敷地内農民への卑劣な襲撃に手を染めたものであり、断じて許すことができない。わが三里塚現地闘争本部は総力を挙げてやつらの三里塚闘争破壊策動を粉砕する。1011三里塚全国総決起集会への大結集をかちとろう。


日帝・安倍の先兵として現れ党と同盟の分断策す
 三里塚現闘にとって岸宏一は八つ裂きにしても足りない。2006〜08年の「党の革命」において打倒された与田らを擁護し、批判に耐えられず、自己批判もできず、打倒・追放された、唾棄(だき)すべきやからだ。その岸らが恥知らずにも三里塚現地に足を踏み入れたことの狙いは一点、三里塚闘争の破壊にほかならない。『革共同政治局の敗北』なる反革命本で革共同への不信をあおり、党と反対同盟の間に分断を持ち込み、三里塚闘争を瓦解(がかい)させることを狙った反革命襲撃そのものだ。
                  (注)事実に関してはこれだけ。



職場を守る「安全」と「プライド」


 一九七〇年代、大学や街頭に火炎瓶が飛び交う頃、職場の若者たちは、「安全」や「品質管理」を求めて、立ち上がっていた。

 高度成長は、「水俣」やカドミヤム、煤煙による喘息や「交通戦争」など、あらゆる「公害-産業災害」をまん延させていた。

 若者たちは、企業の内外で「市民・消費者」と連携して、自身の企業を「告発」した。

 「怒れる若者」たちは、古参組合員とも葛藤を繰り広げた。

 労働組合の役割自体、変化することが求められていた。

 「人として、子どもを抱える父・母として」「市民として」、仕事と生活を矛盾のないものにしたいと願った。

 「労働者としてのプライド」を求めていた。

 未熟さと世間知らず、そして思い込みが、互いを激しく傷づけあい、さまざまな危機を生んだ。
 しかし、あれはどの「公害」が(表面だけだとはいえ)収まったのも事実だ。    

 フジヤの職場の崩壊

 不二家も、工場の近代化を、「郊外移転」として進めた。

 生産現場を支え、運動を支えてきた多くの女性たちも職場を去った。

 ある人は健康を害し、ある人は地元に残った。職場に残った人は労働強化と子育てに追われた。「昇格」を拒否して現場に残った人も、「本工」として、準管理職に棚上げされた。

 「同一労働・同一賃金」の原則を墨守し切れなくなった時、「職場の一体感」は崩壊する。
 テレビをはじめ多くの報道も、働く現場は無視したままだ。操業停止された工場の労働者(派遣・パート)の現状は見えてこない。

 従来の消費者運動は労働現場への配慮を基本としたが、昨今の「消費者保護」や「被害者の救済」の「ブーム」ではこうした目線を仇敵としているようだ。

現場からの再建の道

 それに、「製造業」よりも「金融・IT・物流」の時代だ。募集は「営業」ばかり。カネカシやブローカーが我が物顔にはびこっている。「保安」や「保守」、現場のコストカットが、「経済の論理」として横行する。

 「格差社会」とは、まともな生活や労働をさげすむ社会でもあるようだ。

 「クリスタル」― 一見透言明だが殺伐とした空気の中で、労働運動の再生の道は険しい。

 かつて職場を支え、労働運動を牽引したりーダーたち、彼らに半ば呼応し相対した中下の中間管理層(そのタマゴたち)も霧散した。

 革新政党や労働運動を支えた自立した文化運動も、花開くと共に、商業主義の中に取り込まれた。

 しかしまた、今ほど労働運動やいろんな「労働者」運動が求められている時代は、ない。

 労働運動の原点に立ち戻ろう。

「少しでも長く居たい職場に。わが子や家族に誇れる仕事を。そして仲間の居る職場に!」

 適度に「群れ」、適度に付き合うことの継続が、日々の糧になり、「非常時」にも「保険」になるはずだ。『一期一会を大切に」。

 組合員もさまざまだ。かつて、「労働運動潰しの『闘士』」だった人々も、元経営者も、今は立派な組合員だ。「事実は小説よりも奇なり」

 今、春闘の真っ只中。

 私も「団塊の世代」で、子もたちは「失われた十年」の「失われた世代」だ。多くの人は、わが子や親族・知人に複数の非正規社員を抱えている。その共感や苦闘をどうしたら形にすることができるのだろうか?      【その2 完】

  「Y乗務員 投稿記事」

     2007.2.15



 2007年に組合の機関紙(月2回発行)に載せたものが出てきたので、記念として…。
 B4の両面を使った機関紙の第2面をフルに使って連載しました。

 350台余の車(当時)に2日つづけて、1枚1枚置いていきます。
 2日目には初日の分は運転席の周囲には残っていない場合の方が多い。
 かといって車庫のゴミ箱には棄てられる機関紙はほぼゼロ。
 皆さん結構読んでいるのです。

 当時、組合員は大争議に完敗してから激減ですが、非や他の組合員も大切にしまいこむのが通例です。情報と話題が欲しいのだと思います。

 記事は「800人中40人が読めば出来すぎ」という思惑で書いたもの。
 たまに「あの記事は面白かった」という人がぽつぽつと続きました。


ペコちゃんが泣いている


 ずさんな管理が次々と表面化


 不二家食品の品質管理のずさんさが、ぼろぼろ出てきた。店頭から商品は締めだされ、埼玉工場は操業停止に。


 私は今、親しかった不二家の女子工員(当時の表現)たちを思い浮かべている。彼女たちは今、この事態にどう直面しているのだろうか?どんな想いでいるのだろうか?


 当時、彼女たちは、零下十数度の冷凍室で作業していた。硬く凍ったチョコレートを枠から叩き落すという、地味で、根気のいる作業だった腱鞘炎に悩まされながら、組合の青年婦入部の活動を中心に担っていた。


 彼女たちは、会社の製品に誇りを持っていた。休みの日には 「欠格品」のかけらの山を抱えてきた。「おいしいでしよ」という言葉に、私たちは「うまい、うまい」とほおばり続けた


 「企業モラル」とフジヤ


 事件が発覚して、会杜側はまず「現場の派遺社員たちが勝手にやったこと」と罪をなすりつけようとした。


 それが失敗すると、幹部たちの坊主ざんげで真相を覆い隠そうとした。


 そして、事実が次々と発覚すると、立ち往生するしかなくなった。


 会社の対応は「雪印の二の舞」を恐れるあまり、同じ轍を踏むことになった。


 「アナリスト」たちは「危機管理能力」や「企業統治」などを訳知り顔に語っている。しかし、多弁な割に中身ははあいまいだ。


 「生活者の目線」というバネが効かなければ、どんな優れた「危機管理システム」も「仏作って魂入れず」ではないか。


 「マスコミ対策」も良いが、「底の浅い奸智」は致命傷になる。問題は「会社人間」だらけの現実という「限界」だったのではないだろうか?


 不二家もパロマも、「同族経営の弊害」という説もある。


 不二家では「同族主義」への回帰の中で、経営幹部の「番頭化」が進み、また「過激な』労組を敵視」し、『現場』が冷え切っていたともいう。


 「女性は産む機械」発言の背景に、「会社では、女性は機械の一部」という古典的な労務政策が復活している。


  内外からのチェック


 不二家の札幌工場では、最終検査も身分の不安定なパートに押し付けられていた。その「社内基準の数値」も国際基準はもちろん国内基準にも満たなかった。


 同じ食品産業のネッスルでも同様なことがあったという。ここでは労組がくり返し「警告」や「抗議」することで、「難」を逃れたのだという。「労組の姿勢と闘い」が「職場」を守った例だ。


 「自分も消費者」という当たり前の目線」に立つた「製品へのプライド」こそ、基本中の基本ではないだろうか?


 派遣労働者とともに


 責任は全て、経営側にあった。苛立たしいのは、そのつけが、真っ先に労働者(派遣やパート)に転嫁されているという事実だ。不二家の工場現場は今、派遣やパートで担われている。実態は正規雇用なみの仕事をしてきた人々だ。


 「職場としてのまとまり」をつなぎとめてきたのは「派遣」自身だったはずだ。しかし、操業停止=自宅待機に、まともな保証がされる気配はない。


 「国際競争力の試練」の御託や「いつか来る経済成長のおこぼれ」の神話は聞き飽きた。


 当たり前の生活を取り戻すために、私たちの目線を「国家や経済」の悪夢から、もう一度「生活と社会にに移しなおす時ではないか。


 「国家の品格」などという 「美しいあいまいな過去」よりも、今の【派遣の品格】を考えたい。


       【以上その1】


暴かれる戦後最大のスパイ事件!清水丈夫の「擁護」する宮崎学など、公安庁スパイ事件の全容を解明。
発行年月 :
2002年05月


目次 : 
第1章 中核派機関紙『前進』の「小西反革命」規定の総批判(スターリンばりの「反革命」規定
    /歴史を偽造する清水丈夫氏
    / 大衆運動の引き回しをする中核派 ほか)
第2章 スパイ宮崎学を「擁護」する清水丈夫氏(スパイとの原則的闘いを放棄

    / 元公安庁調査官・野田敬生氏の内部告発/ スパイ工作原本は事前に中核派へ ほか)

第3章 革共同第「六回」大会と白井朗氏「除名決議」(「第五回大会開催」という歴史の偽造

    / 誰もが呆れる大会の封建的手続/ 革共同規約をこっそり「改正」 ほか)


【著者紹介】

小西誠 : 1949年宮崎県生まれ。1964年航空自衛隊生徒隊(少年自衛官)入隊。1968年三等空曹任官後の69年、治安出動訓練などに反対し、訓練拒否を呼びかけ逮捕・起訴されるが、81年無罪確定。現在、軍事・社会批評家

検証 内ゲバ    日本社会運動史の負の教訓

いいだもも(著/文 他), 生田あい(著/文 他), 栗木安延(著/文 他), 来栖宗孝(著/文 他), 小西誠(著/文 他)
四六判 345頁 並製
定価2,300円+税
ISBN978-4-916117-47-2   C0036
品切れ・重版未定(出版社情報)
奥付の初版発行年月 2001年11月
書店発売日 2001年11月20日

紹介

死者113人、負傷者役5000人以上を出した内ゲバ。
それは日本の社会運動に壊滅的打撃を与えた。本書は、
この負の教訓を検証し、その原因の解明の中から、21
世紀の社会運動の再生への道を示す。

目次

序 章 なぜいま内ゲバの検証が必要か—小西誠 5
 
第1章 革共同両派の内ゲバの歴史・理論と実態─小西誠 20
 第1節 内ゲバの前史 20
 第2節 海老原事件と革マル派・中核派 28
 第3節 「内ゲバ戦争」の本格化 39
 第4節 内ゲバの停止を求める文化人の提言 50
 第5節 革共同両派の内ゲバの理論 58
 第6節 中核派の対権力武装闘争への転換と内ゲバ 70
 第7節 新左翼運動と民主主義 74
 第8節 黒田組織論の批判的検討 85
 結 語 党派闘争の倫理基準 91

第2章 内ゲバ─その構造的暴力と女性・子ども─生田あい 95
 はじめに 95
 第1節 ブントの内ゲバ時代の背景 100
 第2節 内ゲバ時代の只中にキューバから帰国 106
 第3節 わたしの〈内ゲバ〉経験 110
 第4節 〈内ゲバ〉の中の女性・子どもたち 127
 第5節 連合赤軍事件と内ゲバ殺人 140
 第6節 内ゲバの思想・理論を考える 153
 本稿を終えるにあたって 183

第3章 内ゲバの主要因─新旧左翼の唯一前衛党論─栗木安延 186
 第1節 内ゲバの要因分析 186
 第2節 唯一前衛党論の批判 194
 第3節 統一思想の欠如 206
 第4節 大衆路線戦略の欠如 217
 第5節 内ゲバの日本的な要因 222

第4章 スパイ、転向、内ゲバで潰滅した戦前日本共産党—いいだもも 237
 第1節 日本の革命運動の伝統の革命的批判 237
 第2節 戦前共産党の発展と崩壊 250
 第3節 スパイに潰された日本共産党 261
 第4節 宮本「スパイ・リンチ」事件の党史的意義 272
 第5節 新左翼にも通じる共産党の内ゲバ 287

第5章 日本共産党の「五〇年問題」と党内抗争─栗栖宗孝 302
 第1節 「五〇年問題」の意義 302
 第2節 「五〇年問題の経過」(その一) 305
 第3節 朝鮮戦争と共産党中央委員らの追放、分裂の激化 318
 第4節 「五〇年問題」の経過(その二) 326
 第5節 新左翼に繋がる「内ゲバ」 330
 第6節 「内ゲバ」の主要要因 341

版元から一言

内ゲバの検証とは、気が重い課題だ。だが、この日本の
左派運動を壊滅的危機に追いこんだ内ゲバの検証・総括
なしには、運動の再生はないという思いで編集に取り組
んだ。この本を機に議論が活発に始まることを望む。

7・7自己批判にあたって、白井朗「マルクス主義と民族理論」


一部引用しました。

はじめに…80年代の赤黒系の運動をかじった人から言わせれば、何を今更言ってるんだ~という感じ…マルクスのいう「世界文学」を「主力言語への統一を主張した」と読んでしまうところでアウト(むかぁし「AALA(アジア・アフリカ・ラテンアメリカと連帯しぃ~って運動を見てきたから、そんなもん単なる「言語帝国主義」じゃないか)…まぁ、そういう読み方すべきと考えられてきた「マルクス・レーニン原理主義」の党政治局員が「反省して」書いたということに意義があるもの。

マルクスが書いたものには当然「時代の制約」がある。いろいろな民族・言語・習慣・社会形態について全て知って書くことは無理だった。だから「金科玉条」にしないことが大切。どこの民族が「資本制社会を進め」、「革命」を担うとマルクスが認定した(しなかった)からマルクスはダメだということにはならない。

レーニンは「抑圧民族と、被抑圧民族を分けて考える、被抑圧民族の権利を尊重することをロシア革命で掲げた。が、実際実行することができなかった。スターリンの「民族抑圧」は、じつはレーニンの時代から始まっていた…その路線が敷かれていたことは「反共」の側からのみならず「革命」の側からも多くの資料があり、研究がなされている。
「大ロシア主義」…レーニンが「何を言ったか」で留まっていて、「何をやったか」を見据えなかった…「白」としては大いに反省すべきである…ただ「赤黒」はそういうところから比較的に「自由」だったと思う(もっと酷いのもいたかも知れないが)。
(以下略)

イメージ 1
マルクス主義と民族理論
社会主義の挫折と再生

イスラームに対する欧米世界の偏見。ロシアによるチェチェン民族の弾圧。中国のチベット、ウイグル、モンゴルへの抑圧。深い歴史的起原をもつ現代世界の民族問題をどうとらえるか。新たな世界史観から民族理論を再検討する。

社会評論社刊
2009年4月20日

 

目次】
まえがき 9

序 章 世界の焦点・中東イスラーム世界の民族問題 15
[1]イスラーム世界と日本人 16
[2]日本帝国主義とアジア諸民族 19
[3]アメリカのイスラーム敵視 21
[4]石油帝国主義と産軍複合体 24
[5]ムスリム諸民族抑圧は最大の民族問題 27
[6]イラク戦争の不正義 30
[7]スンニ派とシーア派との対立 33
[8]アメリカの戦略的敗北 37

第一篇 民族をいかに捉えるか

第一章 日本人の場合 二、三の知識人の言説について 42

第二章 マルクス・エンゲルスの視点 51
第一節 「歴史なき民族」なるもの 51
[1]「労働者は祖国を持たない」の意味 51
[2]民族と国民との関係 56
[3]英語・フランス語・ドイツ語の三言語の統一を予想 58
[4]民族は人間存在に必須不可欠 62
[5]資本の本源的蓄積の認識の未成熟 64
[6]西欧文明の東欧への普及 72
[7]「歴史なき民族」 78

第二節 マルクス、アイルランド論へ 88
[1]「マンチェスターの受難」の衝撃 89
[2]フィニアンのたたかいの歴史的意義 95
[3]アイルランド民族独立がイギリス革命を促進 100
第三節 経済学者の民族問題アプローチ・渡辺寛批判 104
[1]農業問題と民族問題は資本主義の外部的矛盾 104
[2]アジアの民族の歴史への無知 109

第三章 バウアー・カウツキー論争の意義 114
第一節 バウアーの民族文化共同体説 114
第二節 バウアー、「歴史なき民族」を批判 121
第三節 カウツキーの言語共同体説 126
第四節 同じ歴史を歩んだ民族は一つもない 133
第五節 論争止揚の視点 137
第六節 エンゲルス「言語と共感」 145
第七節 カウツキーの民族解消論批判 149
第八節 世界諸民族の言語系統 156
第九節 人は母語の中に住む 160

むすび 民族の平等 163

第四章 レーニン・スターリンの民族観 165
第一節 スターリン民族論文の再検討 165
第二節 「資本主義が民族問題を解決」 175
第三節 帝国主義論による深化とその後の逆転 178
第四節 民族消滅論は言語帝国主義 184

第五章 アジア史の先進性──唯物史観と民族 189
第一節 民族形成の嚆矢は漢民族 189
[1]漢字の創成とと紙の発明 189
[2]近世・宋代における漢民族意識の成熟 194
第二節 唯物史観と民族 200

第二篇 大ロシア民族主義者・スターリン

第六章 スルタンガリエフの虐殺──ムスリム諸民族の抑圧 216
第一節 民族の崇高な権原 216
第二節 バスマチ運動弾圧の深刻性 223
第三節 イスラーム文化とチュルク諸民族 228
第四節 中央アジアのムスリム共産主義者 234
第五節 自己解放を否認するレーニン 241
第六節 一九一七年革命の真実の担い手 251
第七節 「グルジアのスターリン批判」 260
第八節 スターリンのムスリム諸民族抑圧 266
第九節 山内昌之批判 270

第七章 第二次大戦後の東欧諸民族の抑圧 276
第一節 ポーランド 278
[1]ポーランド共産党の悲劇 279
[2]スターリン、ヒトラーと握手 281
[3]スターリンのポーランド民族解体 284
[4]戦後ポーランドの発足 289
第二節 ユーゴースラヴィア 292
[1]ユーゴ解放全国委員会の勝利 293
[2]スターリンのユーゴー革命圧殺の失敗 296
第三節 ハンガリー 301

むすび 306

付論・ 日本人の民族性について 309
[1]イスラーム認識の欠如 309
[2]明治の開国いらいすぐに侵略と戦争へ 313
[3]他民族の文明受容の積極性 315
[4]新憲法の意義と五〇年朝鮮戦争 319
[5]自民族の歴史を学び豊かな歴史的意識を持つこと 326

付論・ チベットに自由と平和を。中国は虐殺を止めよ 329

参考文献 335

あとがき 341

 序章………………………………………………………………3

第一篇 マルクスーエングルスの民族理論…………………17
 第一章 『共産党宣言』と一八四八年革命の段階………19
     1―プロレタリアートは祖国をもたない」の意味 19
     2―マルクスは反動ロシアにたいする革命的民族戦争を鼓吹 22
     3―マルクスの「歴史的民族・非歴史的民族」論 26
     4―マルクスはいかなる民族運動を進歩的とみなしたか 31
 
 第二章 マルクス―アイルランド論の革命的転回………………………38
     1―一六四一年蜂起とクロムウェルによる過酷な弾圧 39
     2―大飢饉のはじまりとフィニアンの発足 41
     3―マルクスのアイルランド論 44
     4―アイルランド民族解放の勝利こそ槙粁 48
     5―農業・土地問題の戦略的位置づけ 51
 
第二篇 レーニンの民族理論…………………………………………………57
 第一章 ロシア革命勝利以前の時期………………………………………59
  第一節 帝国主義論確立以前の時期……………………………………59
     1―一九〇三年段階のレーニンの民族理論 59
     2―民族の牢獄、ロシア・ツァーリズム 67
     3―レーニンのユダヤ人ブント批判 74
     4―一九一三~一四年・中期レーニンの民族理論 88
第二節 帝国主義論の確立と一九一六年の三つの民族論文の到達地平…89
 I―レーニン『帝国主義論』の確立と民族理論の深化にとっての決定的意義 89
2―『社会主義革命と民族自決権』『自決にかんする討論の決算』『マルクス主義の漫画と帝国主義的経済主義について』の三つの論文の到達地平 94
     3―レーニンによる民族自決権の最大限の強調 101
     4―民族理論の内部にかかえこんだ矛盾 109
     まとめ 112

 第二章 ロシア革命の勝利と革命政権・レーニンの民族政策…………119
  第一節 ロシア革命の勝利と民族自決の宣言………………………119
     1-ロシア革命は生きている 119
     2-一〇月革命勝利の主導的理論 122
     3-民族自決の宣言 128
  第二節 ウクライナ民族の自決問題…………………………………131
     I―ウクライナ民族形成の歴史 132
     2―内戦とウクライナ民族の自決問題 135
3―三つのウクライナ共産党-ボリシェビキ、ボロチビスト、ウカピスト 140
     4―民族解放闘争勢力のロシア革命との合流の必然性 148
第三節 「グルジアのスターリン」批判 レーニンの最後の到達地平………156
       1-赤軍進攻は事実上のグルジア軍事占領 159
       2-グルジア問題こそ反革命スターリン主義の起源 162
       3-レーニンの遺書 171

第三章 スルタンガリエフのたたかいの歴史とその意義
   東方(アジア)の民族運動とロシア革命…………186
    第一節 スルタンガリエフとタタール革命………………………………188
       I-スルタンガリエフのアジア革命の提起とレーニン民族理論 188
       2-チュルク民族・タタール民族の歴史 193
       31一九一八年タタール三月革命の意義 197
       4-ロシア人ボリシェビキは中央アジアでムスリムを大虐殺 205
       5-チュルク諸民族共和国の完全独立をレーニンは拒否 209
       6-スルタンガリエフの内戦時の活動 213
       7-中央ムスリム委員部の活動の意義 214
    第二節 世界革命の一環としてのアジア革命………………………………219
       I-レーニン・スルタンガリ工フ論争 219
       2-一九二〇年コミンテルン第二回大会のレーニン・ローイ論争 231
       3-イラン・ギーラーン革命を見殺しにしたソヴェト・ロシア 239
       4-タタール自治共和国の樹立 247
       5-マルクスの宗教批判とイスラム教 254
    第三節 ロシア革命の変質と民族政策………………………………………260
       1-一九二三年四月ボリシェビキ党第一二回大会のソ連政治史における意味 260
       2-スルタンガリエフの除名と一九二三年六月民族問題協議会 268
       3-ロシア革命変質の画期としての一九二三年とトロツキー 274
       4-革命政権のユダヤ民族政策 282
 
第四章 言語共同体規定と民族の永続性 スターリンの「民族消滅論」批判……286
       1-言語共同体規定は民族の永続性を意味する 286
       2-スターリンの「世界語」による民族消滅論 294
       3-母語は民族の最高の文化財である 296
 
   終章 世界歴史における民族の形成
       東アジアと西アジアの先進性とヨーロッパの後進性………………………301
 
  注 あとがき 索引(巻末

序文は長すぎるので割愛します。

あとがき
本書の初稿はすでに一九八九年末には完成していた。一九八七年から執筆をはじめ一九八九年未に約六〇〇枚(四〇〇字)の執筆を完了した。当然すぐ出版しているはずのものが、さまざまな事情で刊行がこんにちまで遅れた。一九九七年夏から改めて全面的に書きなおし、約一年半かかって完成した。そしてある友人の紹介で社会評論社から出版の運びとなった。刊行を一番喜んでもらうはずだった友人は、一九九八年夏急逝された。霊前につつしんで本書を捧げる。
スルタッガリエフという人物についてはじめて知ったのは一九八一年で、当時新評論から出ていたエレーヌ・  カレール・ダッコース『崩壊した帝国』(現在は藤原書店『崩壊したソ連帝国』)のなかでかんたんにふれてあるのを読んだときであった。一読してこれはスケールのおおきな革命家だと直観して、当時唯一の専門的な研究書であったペニグセッ・ケルクジョ共著『ロシア・ムスリムの民族運動―タタールスタンにおけるスルタンガリエフ』  のフランス語原書を友人に依頼して入手し翻訳して貰い、研究にとりかかった。読めば読むほどスルタンガリエフの偉大さに感動するとともに、彼を抹殺したスターリンの反革命性に怒りを誘われた。そうするうちに東大教授・山内昌之氏による精力的な研究と紹介が一九八六年からはじまった。それにはおおいに学ぶところがあったが、やはりおのずと着眼点が相違していることは、本書を読んでいただければ判るだろう。ムスリム民族運動・  スルタンガリエフのアジア革命の提起を重要な軸として原稿を構成した。
 一橋大学教授・田中克彦氏の著書からは民族と言語の関係についておおきな刺激をうけ、民族をふかく考える重要な契機を得た。ここに感謝の意を表明したい。
 筆者の試みが成功しているかどうか、読者の率直な判断をお願いする。
 最後に私事にわたるが、初稿の刊行の挫折という困難のもとで、つねに私を励ましてくれ、こんにちの刊行まで支えてくれた妻・浄子に感謝の意を記すものである。
 
 一九九九年二月八日  白井 朗 

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