2016年08月

転載します。

テント日誌8月22・23日(月・火)
経産省前(テント)ひろば1807日後 1日・2日
 
テントはなくても続けられることはある
 テントの通い路の最後は地下鉄のエレベータだった。地上の出口の前にテントはみえた。まだ、今日もあるだろうか、という緊張がいつもあった。テントができたはじめは特にその意識は強かったのであるが、その後もこころの底に流れているものだった。これってなんだろう、とよく思ったものだったが、テントがなくなった(強制撤去)昨日は封鎖されていて、ここを通れなかった。午前中のある時点まで。でも実際はそんなことにはこころが回らなかったというところだろう。今、テントのあった場所に向かいながら、思い出したことである。テントがある時期から、それが撤去された後のことは考えなかったことではない。
強制撤去に対する対応も含めて。僕らには経産省前の一隅を占拠してテントを立てた時から、どこか1960年代後半の大学バリケード占拠の記憶があったからである。強制撤去に対する対応にもそのイメージがあったのだと思う。しかし、一方でこれとは違うということもあり、強制撤去への対応をどうするかをべつの形で考えてもきたのである。たいした抵抗もできないで強制撤去を許した結果に終わったのだが、この抵抗の仕方に重要な視点を置いてテントが立てられ、維持されてきたのではないから、そこから受け取るものは違う。
 
 深い失意というか、喪失感のようなものは静かな怒りとともにある。かけがいのないものを失ったという思いと哀しみがある。これはしばらく消えないだろし、癒されもしないだろう。僕は消えて欲しくないし、癒されたくもない。権力の冷たい、しかも絶望的にみえる壁を見ているのだが、この感触を忘れたくはない。これは記憶として僕の中に深くのこるものであり、僕にとってのテントに参画した意味だったのかも知れないからだ。
 
テントへの通い路の中で、僕がいつも自問していたのは、この執着はなぜ、そしてどこからくるのか、ということだった。これは権力に確執するこころであり、これは祈祷会で上杉清文さんが言っていたようななづけようのないものであり、言葉ならざる言葉のようなものだ。この権力に確執するこころというか精神は生命そのものであり、その所業なのかもしれない。僕の存在のあかしのようなものかもしれない。このこころは僕の命としての歌なのだ。これは間違えば僕を戦争に誘うものかもしれない。しかし、これは、僕が何の変哲ものない日常を過ごすことと同じように大事な命の所業だ。僕らは原発の存在や再稼働を企てる権力の理不尽な行為に異議申し立てをしてきたのであるが、それを通して権力という存在に確執してきたのである。このこころは権力の壁に立ちすくみはしない。僕の権力に抗う、それに確執するこころは静かに、冷たく、そして、また、熱く続いていく。原発の存続や再稼働に反対する意志としても。
 
僕はこのテント(占拠)という形での闘いは持続的なものであり、この形態を超えてあり続けるものだと語ってきた。理不尽さの何一つ解決されないまま、そしてあり得るかもしれない事故を内包して進められる原発再稼働や保持をすすめる当体に対する反対の意志を持ち、表示しつける。そしてそれを推進する権力に抗い続ける。テントはもうない。しかし、それは形態としてのテントであって、僕らの意志としてのテントは存続する。そこに身体を運ぶ、そこに座り込もという最も始原の行為として続けられるだろう。そこに身体を運び、座り込んで意志表示するという行為は何の変哲もないものにみえるが、それは心が動くということを内包している。人間の生の豊かさが伴っている。ここが始まりである。
                          (三上治)
不当逮捕されていたカメラマンは釈放された。
 
昼過ぎには、丸の内警察署がやたらに高圧的に我々の妨害をし、
オブジェの分捕りあいが起こり、それを撮影していたカメラマンが大勢の警備警察に囲まれて交叉点の反対側に連れて行かれ、
更に警察の車で丸ノ内署に拉致されてしまった。
まったくひどい不当逮捕だったが、テントから沢山の人が丸の内署にかけつけ、抗議の声をあげてきたが、8月23日に釈放された
 
経産省前(テント)ひろばでの行動について
経産省前での座り込み、スタンディング行動を展開します。
月~金 12時から7時まで。 土・日 12時から4時まで。(金曜日には
5時~6時経産省に対する抗議行動があります)★携帯の折り畳み椅子を持参
してください。
8月26日(金)月例祈祷会があります。(15時から)
これまで何度も行われてきた「呪殺祈祷僧侶団」によって展開されてきた、「死者の裁き」という祈祷会が8月26日(金)3時から行われます。
8月26日(金)5時~6時 経産省前抗議行動
場所:経済産業省前 主催:「経産省前テントひろば」
8/26()抗議行動 再稼働反対!首相官邸前抗議 18:30より20:00主催:首都圏反原発連合 
 
脱原発9・11怒りのフェスティバル 主催:経産省前テントひろば
 
【案内】脱原発9.11怒りのフェスティバル~設立5周年~
9月11日(日)15時~19時過ぎ、経産省前テントひろば

脱原発!再稼働反対を掲げた経産省前テントは設立から1790日を超えた。しかし、今だ10万人の人々が避難生活を余儀なくされ、小児甲状腺がんは170人を超えた。汚染水はダダ漏れ、フクイチ事故の原因究明もされていない。

被害はかくも深甚深刻多数にも関わらず、司法は東電経営陣を始めとする加害者の特定と責任追及をしようとしない。政府は自らの責任をほおかぶりし、被害(避難)者の住宅補助打ち切り、帰還強要で事故を無きものとし、原発の輸出と再稼働を強行している。

728日最高裁小法廷は、上告に対する棄却決定を行ったが、私たちは、いささかもたじろがず、粛々とテントを守り、脱原発の旗を高く掲げて闘い続けることを既に表明している。
大義は我々にある。脱原発の国内外世論に支えられた我々は圧倒的な多数派だ。
そこで私たちは、テント設立5周年の911日、経産省を包囲する、脱原発怒りのフェスティバル行うことにした。場所は経産省を包囲する一帯だ。
歌あり、踊りあり、演奏あり、スピーチありの楽しいお祭りです。経産省包囲ヒューマンチェーンも行う。是非お集まりください。

脱原発9.11怒りのフェスティバル~設立5周年~

2016911日(日)
主催:経産省前テントひろば
会場:経済産業省周囲一帯
経産省本館正門前周辺
経産省別館資源エネルギー庁前周辺
15:00 歌・音楽演奏
17:00
かんしょ踊り
17:30
スピーチ(各界より)
経産省周囲一帯
18:45
経産省包囲ヒューマンェーン・1回目
18:55
経産省包囲ヒューマンェーン・2回目
19:00
主催者あいさつ(経産省前テントひろば)
〈交通アクセス〉
東京メトロ 丸ノ内線・千代田線・日比谷線

 
 
 
 
 
 

たんぽぽ舎のメールを転載します。


たんぽぽ舎です。【TMM:No2861】
2016年8月22日(月)地震と原発事故情報-3つの情報をお知らせします
                             転送歓迎
━━━━━━━
★1.テント日誌8月21日(日)
   経産省前テントひろば1807日
   テントは今日午前3時40分過ぎに強制撤去された
                                 (I.K)、(K.M)
★2.空母はいらないどこにも(原子力空母ヴァージョン)
   東京湾に浮かぶ2つの原子炉(米空母)についての「歌」の紹介
                                         作詞:相馬正男
★3.新聞より
  ◆脱原発テントは消えても
   避難者を優しく支えた場「またみんな集まってくる」
   「10分で出ていって」就寝中に執行官
          (8月22日東京新聞朝刊27面より抜粋)
━━━━━━━
※8/24学習会のご案内
 「東京湾に浮かぶ2つの原子炉 米核空母の危険性」

 お 話:呉東正彦さん(弁護士)
 日 時:8月24日(水)19時より21時
 会 場:「スペースたんぽぽ」(ダイナミックビル4F)
 参加費:800円
━━━━━━━
※8/28第20回槌田ゼミのご案内
 「四国電力との交渉報告」「原発製造メーカーへの勧告について」

 お 話:槌田 敦さん
 日 時:8月28日(日)14時より16時
 会 場:「スペースたんぽぽ」(ダイナミックビル4F)
 参加費:800円
━━━━━━━

┏┓
┗■1.テント日誌8月21日(日)
 |  経産省前テントひろば1807日
 |  テントは今日午前3時40分過ぎに強制撤去された
 └──── (I.K)、(K.M)

○明け前テントからの連絡で飛び起きた

 強制撤去が来たというのでびっくり!
 あちこち連絡を入れて夜明けを待ってテントに向かう。
 早朝なので電車の本数も少なく、いらいらした。
 千代田線で霞が関に着くといつも使っているエレベーターが
 封鎖され経産省への出口も通れない。

 仕方なく空いている階段を登ったら財務省前に出た。
 もうテントの仲間がたくさん集まっていた。
 テントはほとんど撤去されていて荷物も運びだされたらしい。
 大勢の警備員や警察に封鎖されてテントの周りには近づけない。
 弁護士が来てくれたがどうしようもなかったようです。
 撤去は日の出から日の入りに行われるという風説は間違っていたらしい。
 裁判所から日曜日の3時半に執行できるお墨付きをもらってきたと言う。
 私たちは為すすべもなく財務省前で「撤去すべきは原発!川内止めろ!
 再稼働反対!」などなどのシュプレヒコールを上げたのみ。

 マスコミも襲来と同時にやって来たらしい。
 多分知っていたものと思われる。
 知人からNHKの朝のニュースで知ったとメールが来た。
 7時半近くから人が集まり、急遽9時から記者会見をすることに決まった。
 9時少し前には後片付けもすっかり終わったらしく、警備員が引き上げて
 行ったのでテントのあった場所の前で記者会見を行った。
 撤去に来た時の様子の説明から始まって、渕上さん・正清さん・福島に
 行っていたが急遽帰ってきたKさん・双葉町の亀屋さんなどが次々に
 思いのたけを話した。
 いつもテントを支援して下さる長野の人の顔を見てびっくり!
 そして感謝です。

 13時からそして夕方17時からも抗議行動をやるということでしたが
 私は寝不足だったので帰宅の途に着いた。
   脱原発運動はこれからと思いながら     (I.K)

   記者会見の様子や抗議行動の様子がツイキャスで見られます。

 朝の様子。<http://twitcasting.tv/showering00/movie/299024145>
          <http://twitcasting.tv/tentcam/movie/299017557>
 記者会見など http://twitcasting.tv/tentcam/show/


○まったくひどい不当逮捕だ

 昼過ぎには、丸の内警察署がやたらに高圧的に我々の妨害をし、
 オブジェの分捕りあいが起こり、それを撮影していたカメラマンが
 大勢の警備警察に囲まれて交叉点の反対側に連れて行かれ、
 更に警察の車で丸ノ内署に拉致されてしまった。
 まったくひどい不当逮捕だ。
 テントから沢山の人が丸の内署にかけつけ、抗議の声をあげた。
 4階で面会していた、カメラマンと弁護士さんには抗議の声が
 力強く聴こえたそうだ。
 22日も18時から丸の内署に抗議する。
  不当なテント撤去にも不当な弾圧にも私たちは負けない。
           (K.M)

○緊急の行動のお知らせ
  23日(火)10時から18時、経産省前抗議、座り込み、スタンディングします
  ので、台風襲来の予報もありますが、雨具など用意の上、
  宜しくお願い致します。

○8/26(金)抗議行動 経産省抗議行動 17:00より18:00
  場所:経済産業省前 主催:「経産省前テントひろば」

○脱原発9・11怒りのフェスティバル~設立5周年~

 9月11日(日)15時~19時過ぎ、経産省前テントひろば
 主催:経産省前テントひろば
 会場:経済産業省周囲一帯、経産省本館正門前周辺、
    経産省別館資源エネルギー庁前周辺
 15:00 歌・音楽演奏 17:00 かんしょ踊り 17:30 スピーチ(各界より)
     経産省周囲一帯
 18:45 経産省包囲ヒューマンェーン・1回目
 18:55 経産省包囲ヒューマンェーン・2回目
 19:00 主催者あいさつ(経産省前テントひろば)

     【注】他の記事は…【中略】。



【編集部より】
 メルマガ読者からの集会・デモ・講演会のお知らせ、その他投稿歓迎。
  ※「川柳・俳句」についても投稿歓迎です。
   掲載については編集部の判断とさせて下さい。
 1.「集会・デモ・講演会等のお知らせ」に関しては、平等に掲載するため
 日時、会場、タイトル及び内容、主催者、主催者の連絡先などを400文字
 以内でお送り下さい。件名に「イベント案内掲載希望」と明記して下さい。
 2.集会や行動の参加報告等に関しては600文字以内で、タイトル(見出し)及
 び本文をお送り下さい。件名に「メルマガ掲載希望」と明記して下さい。
 送付先は「 nonukes@tanpoposya.net 」です。
 なお、お送り頂いた投稿は集会・デモ・講演会のお知らせを含めて紙面の
 都合上すべてを掲載できない場合があります。
 たんぽぽ舎の会員からの掲載希望を優先させていただく場合もあります。
 予めご了承ください。
──────────
   たんぽぽ舎のメールアドレス: nonukes@tanpoposya.net
 ◆携帯電話への送信は、容量が多いためか全文表示できない例があります。
──────────
たんぽぽ舎は、月曜~土曜13:00~20:00オープン、日曜・休日はお休みです。
〒101-0061 東京都千代田区神田三崎町2-6-2ダイナミックビル5F
              TEL 03-3238-9035 FAX 03-3238-0797
                 新HP http://www.tanpoposya.com/
郵便振込 加入者名 たんぽぽ舎 口座番号 00180-1-403856

転載します。

ついでに??中央派中央に望むのは、「岩本スパイ論」の撤回だ。
『敗北』本に岩本氏に関わる記事が登場したことと、岩本氏の「責任」は別物だ。

「68年革命」の一つの頂点でもあった東大闘争は、もともと医学部闘争に端を発する。
その医学部がなぜあれほどの闘いになったのか?
様々な議論の以前に、学生処分のでたらめがある。

〈学生の暴行〉を認定して処分された中に、現場に居合わせなかった人がいた。
処分自体の当否を置いて、〈人違い〉や〈アリバイのある人物〉をその実行行為で有罪とし続けた医学部当局の姿勢はあまりにひどい。そして東大闘争の最後まで、当局はその〈間違い〉を認めなかった。

 「岸・水谷は別として」「岩本はもともと反革命分子ではあるが」でもいい。
 
 「今回の『敗北』本に関しては無実であり撤回する」というような表明はできないものか??

 「スパイ規定」の大盤振る舞いが眼に余る。
 ま、中央派の地盤沈下自体が進んだ結果、どうでもいい話になってきそうだが…。
                (労働者派 了)

転載から。
改めて「甘糟=スパイ」論再考
両氏の「荒川=クロ説」から多くの「親・両氏」の人々が距離を置いたのも、あまりに唐突な「甘糟=スパイ」説にあった。

甘糟=和久井(涌井)グループも、最大の拠点は全逓や国労などを集約する東京南部地区委員会だったらしい。このグループは多岐にわたる産別や課題を集約するそれなりの大きさ・広がりを持つ運動でもあったようだ。もともと政治局員たる両氏が関心も無かった「右派」の世界に彼らはいた。

それらは両氏の及ばない現場性をも持っていたので、両氏にとっては「エセ左派」でもあったのだろう。「やっかみ」ともいえる。
06年の「3・14」で自派に組しなかった甘糟氏らへの「裏切り者」認識は無視できまい。「甘糟=スパイ説」があまりに唐突に叫ばれたのもそんな政略的思惑・思い込みからくるものに見える。考えてみれば岸氏も元はこの南部のキャップでもあったのだが。

『蒐集』の「抜き書き」でも、「反党」部分が異常に多い。「抜き書き」からアップするに当たっては「カネ」に絡まる部分は「割愛」しながらだ。さらに[ ]の追記部分には荒川氏や岩本氏、甘糟氏の関わるいわば「成功事例」に対する憎しみの念だけがクローズアップされている。この点では3人組と共有する感覚だと言える。繰り返しだが、自分たち以外の「反中央」分子の名前を列挙する意図は何か?

以下、補足として「抜き書き」から引用する。「やっかみ」論として…。

〔東工大グループは首都圏と全国の大学のノンセクト勢力のセンター的な位置をもっており、一時期それがNCに接近し、全学連との共闘関係が成立していた。だが東工大グループは、NCとの交渉力をもってノンセクト学生運動を強権的に牛耳るという陰湿な体質を深め、権力の弾圧を契機に自壊していった。〕注 太字は本ブログによる)

こうした成功事例は、東工大OB氏らの活躍によると言われ、荒川氏も関与していたとされる。その「成果」を吸い上げてボツにしてしまったのは誰か?
  問題はそこにありそうなのだが。ただ、誰であれ、この時点で中核派に公然と直結させようとしたのなら、失敗は自明だったともいえる。ではどうしたら良かったのか?本当の問いはそこにありそうだ。

さて元に戻って、「反党活動」の諸グループに関する記述が余りにも大きすぎるのは「原文」を反映したのか?それとも「抜き書き」氏の関心によるのか?

  ある「反党」分子氏によれば、一連の記述には「余りに通りいっぺんな」「誰でもかける作文」で「深みも凄みもない調査結果」という声もある。

   「抜き書き」はここでいう「原文」がどんなものかも語っていないし、この間の両氏のクロ説のでたらめさも合わせて正面から論ずるべきものではない。
   坂木氏の「問い」や「追及」と荒川氏の「反論」や「弁明」がどれだけ反映されているのかも、原文編集の過程でどんな作為が繰り返されたのかも分からないからだ。

その上で、抜き書き氏のこんなバイアスがかかっているとすれば、なんともいえないのだが…。 
ひとます「やる気も無いのにやっかみ」とでもまとめよう。

岸・水谷両氏の謝罪や自己批判の声は聞こえてはこない。

もしも、の話だが、『流砂』での「あらかじめスパイ」説を撤回するなら、「甘糟スパイ」説の白紙撤回も要求されよう。ま、もしも、だが。
 
 最後に、中央派中央が「抜き書き」の原文を公表することを強く求める。

                                  (労働者派)

アップを躊躇したのですが。
『資料蒐集』がアップしたのでこのさい…。

再建協議会(関西派・塩川派)の個人史としての「私史」。
分量が少なく、不足感も大きいけれど、「私見」と「私史」というスタイルには好感も感じる。
議論触発型でもあり、関係者の反響を見てみたい。「第3の50年史」??

下は『資料蒐集』の頁です。
革共同私史 橋本利昭(2016年7月)
      革共同(中核派)関西派前議長の見解

再建協議会自身のホームページは以下です。
印刷物を正規な手続きで読もうとする方は上記アドレスか直接再建協または書店で。

革命的共産主義者同盟再建協議会

大阪市淀川区東三国6丁目23-16 前進社関西支社
kansaizenshinsha@proof.ocn.ne.jp

郵便振替

口座番号:00970―9―151298
加入者名:前進社関西支社

 「未来」のお試し購読(無料)はhttp://kakukyodo.jp/button3.gif

書店案内

出版物取り扱い書店

『未来』(革共同通信改題)は☆印 『展望 The Perspective』は◎印

(東京) 模索舎  ☆◎

新宿区新宿2-4-9中江ビル
Tel 03(3352)3557
http://www.mosakusha.com/

(東京)東京堂書店<1階売場> ◎

千代田区神田神保町1-17〔神田すずらん通り〕
Tel 03(3291)5181
http://www.tokyodoshoten.co.jp/

(愛知) ウニタ書店  ☆◎

名古屋市千種区内山3-33-8新今池ビル
Tel 052(731)1380
http://www.h6.dion.ne.jp/~unita731/page004.html

(愛知)  磨里書房 南店  ◎

名古屋市熱田区金山1-5-4 クマダ77ビル1階〔金山総合駅南口〕
Tel 052(682)9777
http://www.marishobo.com/

(岐阜) 自由書房EX・高島屋店  ☆◎

岐阜市日の出町2丁目 高島屋9F
Tel 058(262)5661
http://www.jiyushobo.jp/

(滋賀)紀伊國屋書店・大津店  ◎

大津市打出浜14-30 大津パルコ5F
Tel 077(527)7191
http://www.kinokuniya.co.jp/04f/d03/shiga/01.htm

(大阪) 関西大学生協 書籍部 ☆◎

大阪府吹田市千里山東3-10
Tel 06(6388)7641

(大阪) ジュンク堂書店・大阪本店   ◎

大阪市北区堂島1丁目6-20
Tel 06(4799)1090
[堂島アバンザ3F、法律経済コーナー]
http://www.hi-ho.ne.jp/nobuhiro/bookstore/u_junku.html

MARUZEN&ジュンク堂書店・梅田店  ◎

大阪市北区茶屋町7-20 チャスカ茶屋町
Tel 06(6292)7385
[チャスカ茶屋町4F、社会コーナー]
http://www.junkudo.co.jp/tenpo/shop-MJumeda.html

(大阪) ジュンク堂書店・難波店   ◎

大阪市浪速区湊町1丁目2-3 マルイト難波ビル3F
  Tel 06(4396)4771
[JR難波駅隣、マルイト難波ビル3F、社会コーナー]
  http://www.junkudo.co.jp/tenpo/shop-namba.html

(大阪)三鈴書林 ☆◎

大阪市都島区中野町4-5-63
[桜宮駅から川沿いに南へ歩3分]
Tel  06(6357)1034

(香川) 讃州堂書店 ☆◎

高松市松島町2-1-9
Tel 087(834)1533
http://www.ekiten.jp/shop_2724236/

順序が逆になったが、関西派(再建協議会・塩川派)の首都圏委員会が「荒川=シロ説」を表明。
16年2月10日付け。

『資料蒐集』に全文アップされた。

 橋本氏の表明もそうだが、中核派&中央派の対スパイ対応などへの反省を前面に押し出している。この点が『敗北』本の両氏との姿勢の違いといえそうだ。
 両氏の姿勢は上記アドレスから読める。

 以下は首都圏委員会の表明の前文から引用した。【以下引用】

 2007年までこの安田派中央の人々と同じ党に所属してきた我々にとって、こうした腐敗を他人事として語ったり見過ごしたりすることは許されない。
 我々は『未来』58号と『展望』7号において、白井朗さんに対する革共同中央の暴力的排除に加担したことについて自己批判を発表してきた。そこには、党中央から流される情報について主体的に検証することを怠り、白井さんに対する党中央のデマを容認し加担してしまったからである。白井さんへのこうした排除を許してきたことが、また、90年代終わりからの「スパイ」とレッテルを張って異論を唱える者を排除する革共同中央の堕落を容認してしまったものと痛切に反省する。
 他方、革共同中央は、『展望』1号の飛田論文で暴露したように、本当の権力のスパイについては、取り逃がし、その総括も行わないといったことを続けてきた。
 このことは一切が、官僚主義的自己保身と、人民に対しては単に操作する対象としか考えないその堕落した態度から生み出されたものである。
 共産主義者を名乗る者の中から起こったこの悪行悪風を絶ち、全人民の闘いを発展させるために、こうしたやり方を絶対に容認してはならない。

役に立ちそうなページです。

JCA-NETの目的

2011年総会で採択された文書も参照してください。

JCA-NET は通信NGOとして、APC(進歩的コミュニケーション協会)とともに、世界の APC メンバー40カ国以上のパートナーとの協力により、社会的、環境的、経済的正義、性による差別の克服を求める社会運動を、情報通信技術を使って支援します。

新しいインターネット時代に

 いま、情報通信の環境は変化しています。そして、情報通信の環境の変化が社会の構造の変化を促す時代がやってこようとしています。その環境は時として暴力的で、集権的で、差別的でもあります。時代に対抗するため、JCA-NETは情報通信技術の民衆的コントロールを通じてインターネット社会の民主化に貢献し、インターネットコミュニティの形成に参画します。
JCA-NET はインターネット、コンピュータを市民運動の道具として活用していくことを支援する組織がほしい、というNGO、NPO、市民運動団体の人たち、コンピュータ技術者の人たちの声によって生み出されました。
JCA-NETはインターネットプロバイダでもあります。ユーザーと会員が使いやすい道具を提供することによって、市民社会の強固な基盤づくりのために活動します。

JCA-NETでできること

1. JCA-NET は市民団体・グループの情報ツールを提供します
*Web パブリッシングサーバ、会議室/Web連動メーリングリスト  *独自ドメインも安価で使えます。
市民運動の声を効果的に発信しよう!
市民運動団体の活動の中で生まれてきた情報を効果的に、グループ内で、あるいは広報用に効果的に使うことができるシステム。JCA-NET は市民運動に特化していますから、市民運動に関する情報の密度が高い。JCA-NET Search! では中身の濃い全文情報検索が可能です!
市民運動の活動記録をしっかり蓄積しよう!
JCA-NET では市民運動の活動記録を残していくためにも、市民運動に関する情報記録に関しては容量制限をかけません。団体名のディレクトリ、独自ドメイン、サブドメインも使えます。
2. JCA-NET 広報システム
JCA-NET では効果的に社会に情報発信をするためのメール/Web マガジンを構築しています。  このシステムの活用によって、自分たちの活動を効果的に広げることができます。
3. サポート、コンピュータ市民講座への取り組み
JCA-NET では市民運動がコンピュータやインターネットなどの ICT(情報コミュニケーション技術)を効果的に使えるように、出張サポートやコンピュータ・インターネットに関する出張講座などをやっています。自分たちの団体のメンバー対象に要望に沿ったカリキュラムを作ることも可能です。
プライバシーを守る運用ポリシーとユーザサイドのスキルアップを!
JCA-NET では、他のプロバイダには見られないプライバシー保護の取り組みをしています。また、ネットワーク時代のプライバシーを守るための技術講座も定期的に開催しています。

ICTによる社会運動支援とコミュニケーションの権利を!

関連団体



続き

絵としては描ける、程度だが。

(路線云々以前に、「現場に深く入り込む」、手間隙かけて現場とともに呼吸する、それがどんなに大変か?「世界観」や「内的空間」を突き崩すか?たしかにしんどい作業だ。で、あらかじめ閉じこもっているのが「思想的には安全」だ。ましてや多くのメンバーにとって、「外の世界」とは青年期以来触れたことが無い。あるいはあまりに長く切断してきてしまった!)

 良くも悪くも「左派」が叩き潰されて「元政治局員」が旗を上げることすらできないのは、「現場」によって打倒された、見放された結果ともいえる。

 本社の「3人組」も、この点では体質的に「左派」との共通項が多い。

 荒川事件が発生したこの年の3月には、交流センターの共同代表の入江氏が辞任している。
他の共同代表の動労千葉や水戸に対して、交流センターの指導にもっと責任を持てと迫っていた。
 2010年の中野氏の死去以来、千葉・水戸両氏の存在感の欠如は目を覆う。一時は脚光を浴びた水戸の転落もある。両氏の地盤沈下も著しい。

 「一地方の労働組合の指導者に過ぎない中野氏」への悪罵は色んな形で聞こえてくる。それ自体としてはあながち的外れではない。中野氏も始終ぼやいていたようだ。そのアナを埋め合わせるのは、有力な諸産別のリーダーの台頭だ。同時にある意味、「学生運動出身」の中の「労働運動派」の大量な登場を待つしかなかったとも言えそうだ。中野フラクにはそんな側面もある。

  「労働運動への回帰」がもっともっと早かったら、中野氏や古参指導部の力ももっと着いていたかもしれない。余りに長かった「戦争時代」と「戦争世代」。90年代の不毛な内紛も大きい。「学生運動出身の労働運動派」の不在ないしは極少さと併せて、厚い壁があった、と感じる。

 じっさいには「放浪する労働運動路線」「現場を忌み嫌う党機構」でのいがみ合い、という側面もありそうだ。そんな「中央」とかけ離れたところで、自前の道を歩む独立独歩の現場も時にはありそうだが…。
                  (労働者派)

以下転載
天田WOB議長の解任
正確な時期が分からないが、天田氏が「本社の責任者」とWOB議長を兼任していた頃のこと。
WOB(中央労働者組織委員会)で全逓から「天田議長の解任」動議が出された。流れの中で「採決」に至り、賛成多数で決議が通ってしまった。政治局も決議を受け入れて代わりの候補探しが始まった。候補はたぶん××。しかし××は関西から離れるのを拒み、人選は振り出しに戻った。結局は東海で浮上して再び地方委員長になっていた坂木が抜擢された。振り返ればともに岸人脈ということになるが…。

1年かの「見習い期間?」を経て、坂木WOB体制になる。
解任動議の首謀者は「神*」だという。しばらくして神*は全逓をはずされた。さらにその後のこと、「辞任」を拒んで独立した杉並の「結柴・新城」選挙の強力な援護者になった。

ただ全逓担当をはずされた神*、その後も長く全逓の現場の会議や活動には顔を出し指導性を発揮し続けたとも言う。
WOB産別代表の常任メンバーも多くは、中央に呼びつけて会議をすませれば、現場に顔を出すこともない。全逓の力のある古参活動家集団は神*処分後も一定の「独立王国」を築いていた。
91年以来の10余年は、全体としては「転換」の内実の不透明さによる「混迷期」「浮遊期」とも言えそうだ。

中野=天田連合の天田氏らも、中野氏から見れば「使えない奴ら」の域をでなかった。「現場」への興味も関心もない官僚主義的「労働者派」とでも言おうか?ま、清水氏から「社民」と毛嫌いされる天田氏をひとまずおいて…。
 
ここでは「3人組の足元が定かでない」「3人組と〈中野フラク〉の立ち位置の違い」ということにとどめたい。
              (労働者派)































































沖縄青年委員会設立に「参加」。
琉球・朝鮮・満州と日本の近代
「山城幸松」の検索結果

↑このページのトップヘ