2017年01月

で、職場や同業の会話を再現してみました。少し長いけど。

近場専門の乗務員たちは?
寅  参ったな。明日からどうしよう?どうする?
  おれは都心で近場の客も障碍者割引もほとんど無いから関係ない!
  病院専門なんだよね。「お年寄り」や「障がい者」が多いね。当れば遠距離なんだけど、大半は1キロ程度の駅だね。
    トータルして売り上げは平均以下だけど、ラクで宝くじ狙いがいいんだ。
豹  どうやら都心が怖いか。それとも都心のサラリーマンが嫌いかだね。
  駅付けが多いけど、似たようなもんだね。
   「ピストン輸送」が専門だ。今回はきつい。
    やり方を変えようかとも思う。
  新橋や有楽町はどうかな。とくに新宿駅西口地下あたりはピストン専門らしい。
    ここがどうなるかは「見もの」だね。
  

カサ代わりの功罪
   1回400円や5百円だと、時間当たりの売り上げが3千円になるには、6回も7回も乗せないと勘定が合わない。
   10分に一回、ピストンするには、降りた場所で無理やりUターンしても間に合わない。ピストンは辞めたほうが無難だ。

路地裏の恐怖
  雨の日の月島とか、雨狙いのポイントもいくつかある。
     「カサより安い」というのも増えそうだ。
  雨や雪などの日には近場の体の悪い人が「悪いけど、今日は、路地の中に入って」ということも増えるね。下町は特に年寄りや路地が多い。

   そう。会社でも「路地には入るな」という注意はあるけどね。
    狭い路地に人がいる。飛び出しもある。行き止まりでバックしようとすれば、路上に何があるか分からない。時間を食ってあせれば、よほど気をつけてもこすったりする。始末書が待っている。何といわれようと、路地は避けたい。
豹  オレなら始末書なんてものの10分で書けるけど。あんたじゃ小一時間は軽くかかりそうだ。脂汗をかきながら、ね。

  最悪、路地の入り口でとめて、手を引くか荷物を持ってあげるのも選択肢ではある。
  でもそれで、「駐禁」でつかまったら?
  そうなんだよね。実例もずいぶんあるし…。

駅や病院? 君子危うきに…
猫  天候の悪い日は、駅や病院に近づかないか、勝手に「回送」にするかが無難かもしれない。

  多分、駅の構内では、車がいなくて人があふれることになる。
  そう。乗り込んできて、焦りと苛立ちをぶつける。せっかく「好意」で入っても…。やりきれないね。

猫  若いサラリーマンや中距離客は外に飛び出してくる。残るのは走れない人たちか、乗りなれていない人だけだ。これがまた怖い。

  外で信号待ちすれば、勝手にドアを開けて乗り込んでくる。
      危ないし、中央車線を走って、遠くから、良さそうな客を選別するのが一番だ。
  それって違反だけど。でもそれがいいかもね。

  「わが身大切に」「君子危うきに」ね。

(話を広げて つづき)
  業界全体でみれば、営収の増減は分からない。
    ただ、今までの話でも「実車率」は上がるはず。そんな雨の日に路地裏でニッチモサッチモ行かなくなる車を脇にみて、お得で安全な走りをひねり出すのがいいのかも。

「はいポーズ」
今度の料金改定は陸運局にとっても、「何かしています」のポーズ取りのように思えてならない。「障害者やお年寄りのため」みたいな、ね。
  業界にとっても、相変わらず「なべ底景気」だ。協会幹部も変わった博打をしたいだけじゃないかな?どの道、乗務員にかぶせるだけだ。
  単なる「おためごかし」。

おためごかしと丸投げと
牛 「お年寄り」や 「弱者のため」みたいな話があるけど眉唾だね。
  小泉改革のときに「増車のメリット」として「失業者が減る」みたいな事を言っていた。現役の乗務員が安月給の一部を新規参入の新人に分け与える、っていうことだった。
    あれが「ブラック産業」に拍車をかけたんだよね。
  前回の値上げの時はマスコミも信じられないほど好意的だった。「乗務員の過酷さ」みたいな特集が続いた。
  あれって、業界の鼻薬が効いたのか?値上げしてパッタリ消えたね。良く言って実情をよく調べもしない「善意の気分屋」。
牛 でも、イットキ、一部だけでもそんな「優しさ」みたいなものがあり難かったのは事実だよね。

  ま、労組も「減車、減車」といい続けて。地理試験が難しくされて、人手不足になってからもまだ「減車を」とトンチンカンなことをいう。これまた業界の代弁者に成り下がった。
  それは、組合も活力を失ったからで、お年寄りの幹部らの「変節」というのは少し酷な気も。「トンチンカン」だけでいい。それにもともとこの業界では「労使共闘」が必要な場面も多い。

車   なるほど。「組合が業界をリードする」こと自体は必要だったんだね。

障割りの乗務員負担
  障割りの時と同じ。値下げの条件に「自主的に」障がい者割引を導入した。
  で、結局は割引分は乗務員に丸投げだ。世間は知らないけれどね。

鼠  そう、「運転者負担」。クレジットの手数料もそうだし。ま、パスモなどの「交通系」は手数料は取られないらしいけど。
   「処理が速くて損の無いスイカ」を使って欲しいね。
   特に路上の降車ではね。

  クレジットなどの手数料は「乗務員負担」がほとんどかな。
    障割りはだいたい6割が乗務員負担。千円の割引で6百円を持つのが相場か。
  正確には会社により、乗務員により、だ。
  会社によっては全額会社負担もある。ごく一部だけれどね。これだと気分的に負担が楽だ。ただそんな会社でも、そういう制度を知らないほうが多数派だ。
  オレの歩合は70%。だから70%を運転者負担だ。必要な事だから、気にしないけどね。
  オレは嘱託だから50%。制度がある以上、たんたんと、事務的に処理するのが当然だ。
   「障がい者」かそうでないかは外見ではわからない。障がい者手帳の有無で自分の「判断」を排除して、実務に徹する事だ。
  オレは営収が少ないので45%。オレよりはるかにいい生活をしている障害者に割引を求められると息苦しくなるときがある。

  どこからも「公費負担」の声が聞こえない。誰に言えば良いのかね。お国の役所か障害者団体か?俺たちの労組か?    

お年寄りって誰の事?
鼠  「お年寄り」って誰の事?
    オレは後期高齢者だけど、20年間、無事故無違反でやれている。ウチにこもるよりよっぽどいい。
  うちの会社でも乗務員の半分は「お年寄り」だ。若い客の大きな荷物をトランクに積まされて、「ぎっくり腰」で休職という話もよくある。「バカだね」で終わり。
   「高齢者ドライバーの事故」が言われるけど、「高齢者の乗務員」がいなくなったら、会社も業界も成り立たなくなってる。
   俺たち「お年寄り様」だね。
… … … … … … … … … … … … … … … … 
  どうしたことやら。
  どうなることやら。
  どうしたもんじゃろねー。


公式資料と計算式からおおむねの改定料金を出しました。
繰り返しますが、「料金」とは「距離メーター」と「時間メーター」の合計です。
同じ近場のコースでも、曜日や時間帯、そして天候やタイミングによって200円や300円の差は軽くつきます。それが「時間メーター」というものです。

東京駅から都内各地   
東京駅から山手線沿線の距離と距離料金(改定)  
 上野駅池袋駅新宿駅渋谷駅品川駅
距離(キロ)410878
改定料金14503450281024902810
      
【注】ここでは省くが、銀座~池袋のサンシャインや、港区の芝浦~上野なら首都高のほうが激安。
 もちろん高速料金込み。上も下もコースが同じだからだ。
      
     高速もほぼ同じコースの時は、以下の計算式が有効と思う。 
 地上料金=距離*400円から600円  
 高速は=300円+3キロ超のキロ*100円 
   ∴地上の加算はキロ100円から300円。高速料金はキロ100円。少し流れが悪ければ、渋滞でなくとも高速が安い。
      ただ、場所によっては高速も渋滞して遅い。 
      
東京駅から環八周辺(15㌔~20キロ)の距離と距離料金(改定)
 蒲田駅二子玉川駅小岩駅東武練馬高島平駅
距離(キロ)1516141620
改定料金51305530481055306810
      
ついでに「ロング」の距離と料金  
銀座からの距離と距離料金(改定)   
 千葉駅取手駅大宮駅桶川駅前橋・高崎
距離(キロ)40403245110
改定料金1361013610108901529037210
      
 横浜駅相模原三浦・小田原立川駅八王子
距離(キロ)3047803743
改定料金1025015930271301257014570


 なぜ「時間メータなどがあるのか?」
もし無ければ、都心のタクシーは激減するかもしれません。
下町でも、流れの悪い有名な幹線道路にはタクシーは走らないでしょう。

私たちも生活がかかっている。

お客さんにも色々います。
夕方から夜の盛り場では(かつては)大変な渋滞で、歩くよりも遅い場所が少なくありませんでした。そんな中に「お客さん、かんべんしてよ」のお願いを無視して「行け」という。渋滞の真ん中ごろでしびれを切らして「ここで降りる」。
前後して「30分ただ運転」に泣いた乗務員も少なくない。

今でさえ「ウィンドーショッピング」が大流行ですが、かつては「ひやかし」tぽい言葉がありました。
でも、お店を構えて者を売る人と、同時に1人か1グループしか相手にできないタクシーとは大違い。ご理解のほどを。

もちろんそんな場所が好きな乗務員もいるが、多くの人は「近寄らない」「あそこに行きそうなエリアでは【回送】にして逃げる」のでした。
「メーター料金」が広がっても、大きくは変わらないともいえますが。

前橋市の市街地も、信号待ちだらけです。
ここでも、乗務員は「距離メーター」で支えられているのでしょう。
     (つづく)

17年1月末から都内のタクシー料金のほとんどが改定されます。
「初乗りの引き下げ等」とも言われますが、役人のいう「等」とは「実は他の多くのこと」をも意味するのでご注意を。
  資料を補充して改定しました。
一般には「6キロを境に上げ下げがある」といわれますが果たして真相は?
以下、主観とデータを駆使してみました。

基礎データ    現行   改定
区分            初乗り  加算    初乗り  加算l
距離制        730円   90円  410円  80円
  単位の距離    2㌔   280m 1.052m   237m
時間制            -      90円    -       80円
  【注】借りきりや迎車などは略

距離あたりの料金の目安(公式・非公式の通達などから)
キロ      1    2     4     6     9     15    30     50    100    200
現行   730 730 1450 2080 2980 4960  9730 16210 32230 64450
改定   410 730 1450 2090 3130 5130 10250 16970 33850 67610

基礎データを基にした「加算」の指標(単位は円)
                              現行  改定   【注】
距離(キロ当たり)     321円  337円
時間(1分あたり)        51円   53円  (但し時速10キロ以下の時)
初乗りの「下駄」         87円    55円  (ドア開け代)

【注1】最後の指標は独自に算出したもの

     
【注2】「おおむね6キロを超えると値上げ」になる。「実際には凸凹があるので6.5キロ超は値上げ」と説明される
        
【注3】本来料金は、「距離あたり」と「時間距離併用」の合計である。この「距離当り」の表で料金のおよその目安かというとまったくそうではないことにご注意。

    都心では、信号待ち1回か2回で時間メーターが一つ上がるのがいわば「常識」。単位時間(秒)が下がることで、渋滞時の料金が上がるとも思える。

    ちなみに銀座あたりでは現行(旧制度)ではキロ=800円、青山通りの西行き青山3丁目まではキロ400円程度だ。

    東京駅~成田空港がおよそ70キロ。110キロはおよそ東京~前橋または高崎。高速道路では時間メーターは動かない

では楽しいタクシーライフをどうぞ。


  確かに神奈川は「ヘル・角材・火炎瓶」には最後まで乗らなかった。
  いや、「第1の11月」に初めて「持った」というのが正確かな?
  そうだね。天田さんも「11月」の反戦被告団の代表だったはずで、その意味では「白ヘル火炎瓶反戦」の人格的体現者ともいえる。

  とはいえ、天田さんをもって「神奈川方式」の体現者とするには無理がありそうだ。
  そうだね。オレが71年に神奈川に移籍したときの県キャップは「お医者さん」だ。横浜南部地区?のキャップは「ヤナセ」さんだった。天田さんはその意味ではオレにとっては「同格の大先輩」とでもいう位置だった。逮捕・起訴そして解雇で、右派労組の書記に潜り込んでいたと思う。
桜  「同格」?全国委員か否かとか、県か地区の「LC」かということでは、各の違いがあったのでは?!

  神奈川は労組や社会党との結構太いパイプもあったから、そんなことも「フツーに」できたんだよね。(【注】竹中意見書の中身から)
  神奈川と陶山さんの指導性ということでは諸説あって、「神奈川型」の成立と温存の関係や第2次羽田での陶山さんの立ち位置など、検証すべきはいくつもある。何しろ「京浜工業地帯」だしね。もちろん、対革マル戦の戦略構想まで…。ま、田川さん問題まで入れれば知らないことばかりだ。

  この時期を総称して「第4次分裂(サミダレ型)」とでも捉え返すべきなのかもしれないね。「分裂」の認識も自覚もないままに過ごしてしまったこと自体が、「ああっ」だけどね。
松  政治局もほぼ30代、多くの活動家はハタチそこそこ。若かったねー!

  天田さんが対革マル戦争で「常任の党」への転換の中で「3段跳び」で神奈川のキャップに抜擢されたこと、「神奈川の実績」を背景に書記長まで上り詰めたこと。「神奈川型」を作り上げたのは別の人たちなのに、その「神奈川性」ゆえに疎まれたこと。矛盾というか、歴史のパラドックスというか?
   「レーニン主義の党」と「ボルシェビズム」と「根性」が一体だったとは。そういえばそうだった気もするが。
  中野さんの労働運動路線に乗りながら、党機関としては結局はまともな「労働者の党」への転換はできず、失策を重ねて中野さんの失望・絶望を呼び起こした…。
  清水さんが”比較的短期”に限る「転換」を意図していたことも今では見えてきている。言を左右にして実際に何かまともな構想や思いがあったようには見えないが。  自称「清水左派」が「多数派」を自称できる人事をしていたこともあり、「天田が中核派をダメにした」とか「アマダはダメ田」とかだけいうのはダメだと思うが、
  竹中意見書からすれば、反戦の先駆的成功事例でも有り、対中央では中間主義でも有る神奈川。その地平をひたすら食いつぶしてきた天田さんの「成功秘話?」とも言えそうだが…。

私の『狂おしく悩ましく』の本体にこのころの雰囲気がわずかに出ている。参考まで。

竹中意見書はA5で50ページに及び、議論は多岐にわたり、ここでは安易な紹介も難しい。
  議論の核心からは反れるが、「清水・天田関係」の機微に触れる「神奈川問題」を紹介するに止めよう。【以下引用】

  この中にあり、中央路線に反対する人たちの中で「神奈川県反戦をめざせ」という主張がある。…非常に無念ではあるが、この主張にもくみしえない。
  …神奈川型反戦が、現在の中央指導部のとっている路線の中では、いかに不可能であり、かつまた神奈川型反戦をめざすことがいかに中間主義でしかないのかは、次の3点によっている。
  第1点はまず何よりも、神奈川型反戦は中央にとっては日和見主義としてしかうつらない故に打倒物なのだ。
…第2点は、神奈川反戦は多くの単組青婦部の団体加盟をもって構成されており、そこに動員力も労働者性も存在するのだが、こともあろうにそれを清水中央政治局員は「社民とベタベタなのだ」と唾棄しているところにある。… 
   第3には、神奈川反戦が多くの単組青年部を中核部隊とし、ルンプロや学生に発言権をもたせていないまでになっていることはどうしてなのか、についての認識が不十分であるか、看過されている。労働者階級の内部での党建設という視点からみれば、神奈川以外は全国的に見て神奈川型反戦の前段階にあることを無視してはならない。…

  『敗北』本に紹介される清水さんの天田=神奈川方式嫌いは、この当時から一貫していそうだ。「レーニン的オーソドキシー」に(一時的に?)「回帰・転向」して後も何一つ変わらなかったといえそうだ。もちろん、『敗北』本の著者たちも同じこと…。

  もう一つ、「三全総への回帰や再評価」も大事だが、その場合、この「意見書」も他の諸氏や他の資料とともに避けては通れない。
  たしかに、意見書は用語として「革マルと同じような言い回し」ととれる面も少なくない。  「労働者本隊」論ほか…。
   けれどここには時代の共通用語もあること、「反スタ」の基礎用語でもあることを改めて肝に銘じ直したい。中核派の創生世代は、共産党=スターリン主義の克服(脱却)のために、こんな議論を積み重ねてきたのだということを知るだけでも大いに意味がある。「痛苦」を持って…。
  後の結果から思い起こせば、意見書は少なくとも中核派の70年代~80年代への「警鐘」としての意味だけでも吟味する価値がある。
  「トロツキーやローザを媒介した反スタ」のように、あるいは日本の「アナ・ボル」論争のように、同時代の人を媒介することを通しての総括という視点を大事にしたい。

67年から70年代前半にかけて、政治局員や最高レベルの指導部が次々に離脱した。以下、「党内権力闘争」レベルで思いついたままに「メモ」として。
①竹中氏や浜野氏らの意見書と「関西地方委全員」の解任
②小野田氏ら首都圏学生運動の大量の離反と「反戦連合」
③71年の田川和夫さん。政治局員の北川さんや弘田さんも広くはこの時期に離脱している。
④澤山保太郎さん
⑤「試練派」の上口孝夫さん(ブログ『試練』とは無縁)
⑥「党友」扱いにされ、地下に放置された陶山さん
    この辺を総称して「第4次分裂(サミダレ型)」または「第4次、5次」というべきか??
    同時に、数多くの中央・地方、地上・地下での「党内抗争」の実相と数え切れないほどの離脱…。あらゆる領域で「党の担い手」や有り様が変化したこと。PBだけの視野でなく、実は「あらゆる」が大事なのだが…。
(尾形『私史』でも地下生活での実相が一部描かれている)
本多さんの虐殺と清水時代。
⑦「3・14」本多さんの虐殺=暗殺。「革共同は死んだ」
清水さんの「襲名」。清水さんのカリスマ性の確立と頂点の時代。
3・14直後の清水・野島関係を含めて。
80年代の法大支部の集団「分派」ほかをどう位置づけるか?

91年5月テーゼ関連で。
⑧90年以降の「転換」を受けての各地方.県党での分裂・反乱・離脱と一連の指導部の更迭
⑨野島・秋山両氏の失脚
   野島さんや 秋山さん事件は「PBによるカネとセクハラ」という一大不祥事であるが、同時に「PBの失脚」であり、「権力と路線」が交錯した問題でもある。少なくとも「清水専制」の確立のもう一つのメルクマールとすべきか?それとも全体として「動揺の開始」とすべきか?
⑩中野VS「PB主流派」の抗争と清水バランス政治。
小西誠・白井朗さんらが中核派と袂を分かった件。

そして06年関西の「3・14」とその後の一連の事件(「党の革命」)。
   91年の「転換」以来、なんど15年もの間、2つかもっと多くの路線や「それぞれの党」が「一丸」の名の元に並存・抗争してきたという事実こそが改めて衝撃だ。

  竹中意見書を読んで、思いつくままに羅列してみた。
  私自身は、⑦または⑨くらいまでが「私にとっての中核派」なのだが。
  「路線」に集約できない、思想や綱領戦略などと色んな課題はあるが今回は略。

以降、竹中意見書関連は「新綱領と党史」に移します。
◎以下は」マル共連2軍から

中核派の4回大会はいつ開かれ何を議論したのか?
竹中意見書に67年12月29日本多
「NC関西地方委全員を不信任する。
木下PBを常駐させ,そのもとで関西を再建する。
理由①10・8以降の京大でのブントとの党派闘争の敗北(と無反省)
②関西での地区反戦でのブントとの党派闘争の敗北
③67年9月の4回大会で美濃部支持・美濃部都政擁護方針への強い反対
④公務員賃闘における教労委大阪支部の経済主義・組合主義」
という条があり4回大会に言及しているが、公認党史でこれに触れたものはない。3回大会、5回大会は出てくるのだから当然4回大会もあったはず。「政治局の敗北」に4回大会で陶山が美濃部支持方針を批判した云々の記載があるが、ただし時期は67年12月としている。


①古い話としては『竹中意見書』として知られる。
中核派の歴史では「消された」「埋もれた」党内闘争でもある。

『日本プロレタリア革命に向けて指導部のプチブル急進主義を弾劾する!10・8以降の基本路線の対立』
(マル青同・教育労働者委大阪支部・竹中明夫意見書(小川 登)1968)
関西派(塩川派、再建協)のHPにアップされている。

「68年、死闘の7か月」や「二つの11月」を改めて振り返るとき、欠かせない論点が盛り込まれている。
人いわく、「うーん。書かれていることにはなるほどと思うこともある」「若かったということ、『時代の勢い』ということをどう思うかだね」。「何が正しいか、というと難しい」
②新しい話としては「9条改憲阻止の会」を立ち上げた「代表」でもある。
阻止の会は経産省前テントの柱でもある。強制撤去後も経産省前座り込みを続けている。

③9条改憲阻止の会や竹中意見書、桃山学園などとともに検索すると数多くヒットする。

   阻止の会https://9jyo.jimdo.com/

   参考までに少し古い「旗旗」からの転載を。
件名輝け憲法! 許すな「日の丸・君が代」強制! 2・1大集会(大阪・守口)
開始日時2009年 2月 1日 (日曜日)   13時30分 (GMT+09:00)
終了日時2009年 2月 1日 (日曜日)   17時30分 (GMT+09:00)
場所大阪・守口文化センター大ホール
連絡先06-6993-6615
詳細輝け憲法! 許すな「日の丸・君が代」強制! 2・1大集会

2009年2月1日(日) 13時30分~ 
大阪・守口文化センター大ホール(京阪「守口市駅」すぐ)
         
講演:「憲法を語る」土井たか子(元社民党党首・憲法学者)、
「戦争は教室から始まる」北村小夜(「障害児を普通学級へ・全国連絡 会」世話人) 
報告:門真三中「君が代」不起立  
反戦・労働歌ミニライブ  

資料代800円・高校生以下無料
手話通訳あり

賛同者募集中(郵便振替00930-7-98690)
<呼びかけ 2・1集会実行委員会 問い合わせ 
06-6993-6615守口市・三浦事務所>

■呼びかけ文

 2007年5月、当時の安倍政権は、憲法を改悪するための国民投票法を強行成立させました。この法律の施行は2010年5月です。憲法改悪に反対する広範なたたかいをつくりあげていくことが私たちの急務となっています。

 憲法改悪の最大の狙いは、戦争を放棄した9条の破壊にあります。しかし、それは、戦争はいいとか、悪いとかいった一般的な問題ではありません。現実に、アメリカが世界130カ国に35万人の軍隊を派遣し、非人間的な侵略戦争を行っていて、イラクやアフガニスタンでは、この侵略戦争の一端を自衛隊が担っているという現実があります。そして、アメリカはもっと全面的な自衛隊の参戦を要求し、日本国内の反動層から自衛隊参戦の要求が激しく湧き上がっています。この現実の中で、憲法が改悪されようとしているのです。
 私たちはこの現実を直視して、憲法改悪を許さないたたかいを、広範につくり上げていかなくてはならないし、このことが待ったなしに問われているのではないかと思います。

 同時に、戦争と貧困の元凶がひとつであることを明確にさせなくてはならない時代が来ています。戦争はすべての労働者・市民に抑圧と貧困を強制します。逆に、労働者・市民が賃上げを要求し、人間らしく生きる権利を要求して立ち上がっていくとき、それは戦争を阻む大きな力となっていくのではないでしょうか。
 「人間らしく生きさせろ」、この叫びが、社会の至るところから聞こえてきます。憲法が保障している生存権、労働権はいったいどうなっているのでしょうか。
 憲法は人間の「文化的な最低限の生活」を保障しています。人間が人間である限り、誰一人の例外もなく、人間らしく生きていく最低限のことは、憲法により保障されているのです。しかし、現実はどうでしょう。憲法改悪をたたかうとき、それは、劣悪な労働条件そして失業の中で苦しむ人たち、とりわけ若者たちへの、私たちからの熱い連帯の呼びかけでなくてはなりません。

 憲法は基本的人権と国民がすべて平等であることを保障しています。しかし、戦争は基本的人権と平等の精神を踏みにじり、差別排外主義を労働者・市民の中に蔓延させます。中山元国土交通相の「日本は単一民族」なる発言の背景には、他民族への差別があり、国内においてはあらゆる差別で、労働者・市民を分断していく思想が横たわっています。憲法を変えるな、憲法を守れという私たちのたたかいは、差別・分断を乗り越え、連帯の輪を広げていくとき、大きく発展していくのではないでしょうか。

 今、教育現場には「国旗・国歌(『日の丸・君が代』)」が強制されています。かつて、日本人を侵略戦争に駆り立てていった愛国主義、天皇制思想の復活です。
 今年の春、門真三中の入学式において、大阪府教育委員会は「国歌斉唱時には起立せよ」という職務命令を出しました。「戦争は教室から始まる」と言われていますが、これは歴史的事実です。そして、同じ歴史がまた、繰り返されようとしています。
 教育現場では国旗・国歌の強制に反対し、「教え児を再び戦場へ送るな」というたたかいが粘り強くたたかわれています。これは憲法改悪反対のたたかいと一つになって、来年の春、激しくたたかわれようとしています。

 さて、私たちは来年2月1日(日)、守口エナジーホールにおきまして、憲法改悪に反対する集会を開催します。
 憲法改悪の攻撃は、支配者の側から、戦後の日本のあり方を全面的に覆していこうとするものであります。である以上、私たちのたたかいも、広く連帯を求めて、より多くの人たちと手をつなぎあっていくものでなければなりません。ご賛同、ならびにご参加を心より呼びかけます。

2008年10月25日

■呼びかけ人

小川 登  (9条改憲阻止の会・関西代表)
梶原義行  (百万人署名運動・兵庫県連絡会世話人)
佐藤三郎  (憲法の改悪に反対する元教職員ひょうごネットワーク共同代表)
重藤英一  (門真市中学校教員)
戸田ひさよし(門真市議会議員)
仲尾 宏  (京都造形芸術大学客員教授)
平井文則  (日本キリスト教団牧師)
福本憲応  (大乗寺住職)
藤原好雄  (百万人署名運動・奈良県連絡会世話人)
三浦たけお (守口市議会議員)
宮川謙二  (「日の丸・君が代」被処分者)
村山盛忠  (日本キリスト教団牧師)

■呼びかけ団体

9条改憲阻止の会・関西
連帯ユニオン(近畿地本、関西地区生コン支部、近畿地区トラック支部)
守口・門真教育を考える会
アゲンスト(「日の丸・君が代」の強制に反対する東大阪保護者と教職員の会)
-
近畿地方の行動案内
投稿者中野 由紀子
繰り返し
最終更新日


各地の会合・談合で、『敗北』本や「荒川スパイ事件」は関心の軸の一つにあるという。

  中央派の沈黙は逆に中央派への疑惑を呼び起こす。一昨年に『敗北』本関連で「荒川も及ばない…スパイ」という一句を上げたことを除いて、事実の公表を拒み続けている。というより、「口を閉ざす」。昨年も今年も新年号でも知らんぷりだ。

  岸・水谷両氏の「あらかじめスパイ」説の破綻とその後の沈黙…。「資料蒐集」も「試練」も関連する記事が無い。

  関西派(再建協、橋本派)の態度表明も大きい。関西派そのものはあくまで橋本氏の「個人見解」と限定しての表明だが、「首都圏委員会」は「組織」としての表明だ。

  酒席では、シロ説やクロ説が折に触れて入り乱れながら、クロ説のほうが分が悪い。
  時に荒川さん本人がふらりと顔を出す場面もあるという。「公然・非公然」に荒川さんを歓待する動きが生れているということか?

  中核派(中央派)そのものの「オール沖縄粉砕」論と行動への不信が、拍車をかけているようだ。(もっとも、ここでも「万年革命主義」者も少なくないわけで、単純でもない)

  ま、「荒川=シロ」説は「道遠しとはいえど、半ば定着」という程度が適切なのかもしれない。中央派にとっては「自縄自縛」状態が続く。

  全学連・松尾委員長の離脱の経緯が知らされた。
  以下は私が簡略化した経緯だ。

  まだ「除名」前、それも06年に失脚する以前の梶さん(高木さん)から聞いた話。
  松尾さんが姿を消してから後、「松尾さんはどうして?」と聞いた。

  松尾さんはある日突然前進社から姿を消した。
  人を介して梶さんに「離脱したい」旨を伝えてきたのだという。
  で、何度か、外で、梶さんが会って説得し翻意を促そうとした。

  けれど結局は気持ちが変わらずに、最後は清水さんの裁可を得ることになったという。で、清水さんは受け入れた。最後は互いに「良かった良かった」ということになったらしい。

  外で会うときも、松尾さんは必ず、約束の時間を遅れて出てきたという。
  「拉致されるのがこわくて、周囲の様子を見てから姿を表した、ということだろうね」と梶さん。

  「なんで松尾さんは辞めたの?」という疑問には「結局、学者になりたかったんだろうね。そんな夢を捨てられなかったんだろうね」とか。

  【注】正確にはいえないが、松尾氏が離脱してから大学に進んだまでにはそう時間差もなかったと思える。今井公雄さんが逃亡してからやはり清水さんと(この場合は)直接面談して「秘密の正式離脱」するにはもう少し時間がかかったと思う。

  清水さんの人事にはこういう面もあったのだと、驚きでもある。
  ま、指導部や最高指導部には、それだけの裁量権と裁量の幅・ブレがあるというに過ぎないのかもしれない。驚くほうが政治や組織の「幼児性」を自白するようなものか?「政治を語る初歩」を改めて思い知る次第だ。

  関連する記事は当ブログでは以下。
 

31      80年代の諸問題

松尾真の失脚

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