特に昨年に限ったことではないらしいが…。
各地で「白組同窓会」がもたれているそうだ。
60年組や70年代組やさらには80年代など、学生運動出身の人たちが中心のグループも少なくない。また、地区ごと産別や「反戦高協」系の労働者メンバーを主体としたものもあると聞く。一つの特徴はそれなりの規模をもった会合があることか?
中核派の場合、運動から離れて結構長く、沈黙の期間を経ている人も少なくない中でのこと。
桜 年齢のことは大きいね。60年安保世代は80歳前後、70年世代は70前後になる。自分たちの人生をどう振り返るかという時期だ。何かを残したい、何かを伝えたいという思いもある。
松 一昨年の安保法制は大きい。国会前を埋めた人の波に突き動かされるものがね。
竹 原発・辺野古ももちろんだね。派遣云々…。子育ての苦労や結婚もしない子や孫の世代とのつながりを大事にしたいという思いも大きいね。どこから時代がもう一度回り始めたのか…。どこから自分を見直すか?
桜 関西派や九州の分裂・独立の意味も、今更ながらだが、大きい。「分派・分裂」ということ自体が、時間とともに、失われた「中核派らしさ」の記憶を彷彿と呼び起こすものにもなった。
竹 中央派の惨状がさらけ出される中で「自分たちが築き上げた中核派」への想いが形を得てきたともいえる。「分裂の持続という空隙」は非当事者にも自由に考えるゆとりを与えてくれた。
松 それぞれの時代と節目を担ってきたものからすれば、そうした歴史や地平を「現役」の少数派に占有され、横取りされてきたこと自体をどう考えるかという問題もある。
俺たちの存在を措いて「あの時の歴史や事件を語るな」という思い…。「歴史のドロボー」を放置できないという思い。
竹 そう。「唯一の前衛党」とか「革命党」という金縛り的発想から距離を置くと、「俺たちの時代は」からさらに進んで、「俺たち『元』という多数派!は」というコペ転も説得力を持ちそうだ。
松 そうだね。「ボルシェヴィキ」って本来は直訳すれば「多数派」だね。
「多数派宣言」!?
桜 80年代や90年代の「若い世代」にとっても、今の話は大事だと思う。「60年」や「70年の中核派」や「カゲキハ」「全共闘」がそのままずん胴に今の中核派という歴史観を覆すことは、最低限古い世代の義務でもあるしね。
竹 「天皇決戦」などの「歴史の抹殺」と併せて、「節々」「それぞれの断面」を語ることにも意味がありそうだ。
松 それぞれが「ボルシェヴィキ」と名乗ったら?
桜 とはいえ、「元」の中には現役の中央派をはるかに上回る「前衛主義」を抱き続けている人もいてややこしい。
松 そうだね。「なんとか固持」も少なくなくてややこしい。わいわいやりながら「噛み砕きなおす」作業も必要だね。
桜 尾形氏の『革共同…私史』もそういう脈絡で見たらいい。川口さんの本やその他、もっとお互いに声を上げなおしたいものだね。
松 ゆるゆると…。たとえ「残された時間は少ない」としてもね。