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昨年10月8日、67年10・8羽田から50年のイベントがあった。
各地で関連イベントが続いたしマスコミでも取り上げられた。
当日は早朝から弁天橋とモニュメントの前で行事を開き、その後四ツ谷の主婦会館で集会。私も一部参加した。
 性格としては「元中核派」ではなく、あの時代を共有した色んな人が集った。
 もちろん、弁天橋で装甲車を乗り越えてその先で機動隊と対峙した仲間たちとの再開もあった。
 今後も色んな企画があるという。
 参加者やイベントの詳細は下記。

山崎博昭プロジェクト
フェイスブック

分厚い寄稿集もできている。

 『かつて10・8羽田闘争があった――山﨑博昭追悼50周年記念[寄稿篇]』
 10・8山﨑博昭プロジェクト 編
 四六判並製624ページ/定価=3900円+税(312円)
 発行:合同フォレスト、発売:合同出版

当時の追悼パンフもアップされている。
 中核派単独の作品らしいが反戦青年委員会や他党派の活躍も一部載っている。
 リベラシオン社のサイトから.。分量が大きいので、じっくりと読んでもいい。

 なお中核派(中央派)の『前進』では、「山崎」「羽田」の文字が見当たらない。
10・8当日は三里塚現地集会だが、市東さんの闘いと北原さん追悼と斎藤選挙だ。
 その前の10・1にはロシア革命百年の革共同集会があったが、ここでもやはりない。どうやら16年の全国農民会議 鈴木光一郎さんの言及が最後らしい。

 たしかに山崎プロジェクトは「党派の参加拒否」を打ち出したらしいが、それ以前に中央自身が「羽田弁天橋」を歴史から消してしまいたいというのが実相のようだ。
【写真注】弁天橋の写真。装甲車の上は左から北小路敏(失脚、故人)、伊藤(日大,「工場長」)、川口顕(横市大『近過去ー奥浩平への手紙』出版)、水谷の各氏。ただし右は水谷氏ではない、との話も。