2018年05月

投稿を一部削除して転載します。
見出しのみ付けた。下方に『狂おしく』の【注】
2つの映画を紹介してくれた人でもある。【以下転載】
 


先週、ほぼ映画を観るためだけに上京しました
 
久しぶりに映画館をハシゴしました😁自主的な二本立てです

感想①マルエン 
 まず、マルエンですが、原題にある通り若きマルクスを描いています
冒頭、森のなかで薪拾いをしている貧しい民衆を官憲が弾圧、というより虐殺?するシーンから始まります
 そこから、ライン新聞が発禁にされ、マルクスが逮捕されることに始まり、党宣言が出されるところで終了です
 
 監督が意図するところは、マルエン二人の友情物語と、二人の信念を貫く思想的強靭さなんでしょうけども、私にはどうしても二人の人間が嫌な奴にしか見えませんでした
 特にマルクスの傲慢さは鼻につきました 決して、友だちにはなりたくない・なれない人間です
 そのあまりにもセクト主義な姿勢は、Yを連想させるほどでした
総じて、こんなものかなっていう感じで、最新の研究成果など真新しいものはなく、スタ党でも創りそうな映画でした
 それでも、私が岩波で観たどの映画よりも観客が多くそれが不思議でした
意外に、マルエンは人気なのかもしれまん
 もっとも、私より若い観客は二人だけで、あとは見るからに団塊の世代ばかりでしたから、納得できると言えばいえると思います😃
 【注】Y=革マル派のこと
 
感想②タクシー運転手
 もう一本のタクシー運転手~約束は海を超えて~は、お勧めです😃
 光州518は市庁舎に立て籠って、武装闘争を描いた文字通りの蜂起を描いた、画期的な作品でした。
 それに対して、タクシーは光州蜂起のもう一つの知られざる一面を描いた、感動的な作品でした
 学習不足の私が知らなかっただけかもしれませんが、初めて知ることばかりで驚きの連続でした
 主人公の学生デモに批判的だったソウルのタクシー運転手が、悩み抜いたあげくにドイツの記者に協力して立ち上がる姿や、地元のタクシー運転手が立ち上がって闘う姿は、涙なくしては観ることができませんでした
 負傷者を救出する場面や、ラストの場面は必見です
 彼らの、人間としての尊厳を賭けて闘う姿とは対照的な、非人間的な弾圧をする軍隊特に私服の軍人の弾圧の苛烈なこと
 人間とは何か?人間解放とは何か?大いに考えさせられた映画です
 是非ともご覧下さい😉
 残念だったのは、こちらの方ががら空きだったことです
 世の中やっぱりどこか間違っています👊
【注】マルエンは岩波・大阪・名古屋の3か所だけ?
タクシー運転手は全国で公開中。(末尾⑤参照)

 
【『狂おしく』注】
①映画「光州5.18」
 同・過去の予告編(ユーチューブ)
 

②光州事件とは 1980年5月、韓国の街は戦場だった【画像】


③光州事件(Wiki 概要・経緯・今に至る評価など)
 詳細を調べてもらえると市民軍の構成の変化などがもう一つ感動を呼ぶ。

④光州広域市(クァンジュこういきし、韓国語表記:광주광역시)は大韓民国広域市。 朝鮮半島の南西部、全羅南道に八方を囲まれる形で位置しており、過去には全羅南道の道庁所在地だったことがある。
 1986年11月1日 - 全羅南道光州市が光州直轄市に昇格(事件後6年目)

 ◎「韓国光州」の検索結果
 海外の場合いつもそうですが、「観光案内」は必須ですね。「正史」を補足する宝の山です。
⑤上映中の映画館(北海道から沖縄まで全国で公開)

⑥当時の中核派は「光州蜂起」と呼んだ。
 ただ、具体的な連帯行動ができたわけではない。「先制的内戦戦略=革命的ゲリラ戦で応える」という言い方もあった。
 現下の「南北・米朝」そして「日韓」関係をどう見るかという時にも、この事件を背景・底流として読み解くことをお勧めする。朴正煕の娘の朴槿恵を押し頂く勢力と金泳三金大中の流れをくむ諸勢力への歴史上の認識は大事だ。
 朴正煕の下での「漢江の奇跡」(https://www.weblio.jp/content/%E6%BC%A2%E6%B1%9F%E3%81%AE%E5%A5%87%E8%B7%A1)も正面から見据えたい。

発売日: 2018年5月7日 月曜日 - 発売中
  以下はアマゾンから引用                             

内容(「BOOK」データベースより)

学生運動史上、最大・最強を謳われた日大全共闘。芸闘委委員長が50年を経て、鮮烈に駆け抜けた怒涛の時代をフィルモロジカルにモンタージュする。1968叛乱の原風景。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

眞武/善行
1948年生まれ、東京・中野に育つ。1967年、日大芸術学部映画学科入学。68年、日大全共闘に参加、芸術学部闘争委員長として日大闘争をたたかう。ポスト全共闘においても、戦闘的労働運動を担い続ける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

『狂おしく』【注】
① 第2章2行動隊行動隊として(地位争い)の行動隊長を参照
     の全逓問題と神田問題 を参照

③07年杉並のけしば・新城両氏の追放・独立に際して、両氏を支える応援団長的役に付く。以来、両氏陣営の選挙を全力支援。


ついでに日大全共闘関連

日大闘争の記録(ユーチューブ 58分)

日大全共闘・芸闘委行動隊長 (ユーチューブ 6分) 
山崎晴久

「日大全共闘 芸闘委」の検索

【以下『東洋経済』から引用】

JR東労組、組合員2.8万人「大量脱退」の衝撃

民営化から30年、大きな転機を迎えている



JR東日本の労働組合で組合員が大量脱退。今後運行に支障が起こらないとも限らない(撮影:尾形文繁)
JR東日本(東日本旅客鉄道)の最大労働組合「東日本旅客鉄道労働組合」(JR東労組、以下労組)に異変が起きている。今年2月中旬以降、この1カ月余りの間に約2万8000人もの組合員が脱退しているというのだ。今年1月時点では約4万6000人(社員の約8割が加入)もいた組合員が半減以下になるという、かつてない異常事態だ。
昨年、30周年を迎えたJR東日本。ほぼ同時期に発足した労組。30年を節目に労使関係は大きな転換期を迎えている。

スト権行使の予告がきっかけ

大量脱退のきっかけとなったのは、労組による「スト権行使」の予告だ。労組関係者によると、昨年2月の臨時大会でスト権を確立した労組は、今年の春闘では「格差ベアの永久根絶」を求め、2月19日にスト権行使を予告。これは、本来の業務以外の研修などに参加しない「非協力スト」の予告だったが、要求が認められない場合は指名された組合員が業務を拒否する「指名スト」も計画していた。
労組の言う「格差ベア」とは、個々人の基準給の何%という定率での定期昇給を指す。この定率方式では組合員の給与格差が拡大していくとの理由から、すべての組合員一律に同じ金額にする「定額ベア」を求めていた。
しかし会社側は20日、この労組の要求を拒否。「争議行為を実施することは、お客様にご心配や迷惑をかけ……また労使共同宣言の精神を否定するもの」として、争議行為の中止を申し入れた。同時に、経営幹部による職場訪問を順次実施。大量脱退が始まったのはこの時期からだ。
そして26日に労使対立が決定的になる。社長名で「労使共同宣言の失効」を労組に通知したのだ。

次ページ「高給取りによるスト」の批判

先ずは下記のUチューブを視聴のこと。
上野千鶴子講演「2015年夏、日本は変わったか」
      (10・8山崎博昭プロジェクトでの講演)
     自在に語る内容と語り口が面白い。
  
   下記大阪自由大学の上野千鶴子関連

●「もっとも危険な女」
 東京都では図書に「ジェンダー」と「上野千鶴子」の文字が入ると、購入や公開にクレームが入るという。石原慎太郎以来、今日に至る。逆に言えばこの二つを除いた書籍などあるのかとも思う。「男女共同参画」ならいいとか。「女性差別」とか「フェミニズム」「女性解放」などは、グレーゾーン??
 一部の女性運動が抗議運動を起こしたが十分な広がりを得ず、実を結ばなかった。七生養護学校の性教育に対する「度を越した反動」とも通じるが、数人の都議が文化・福祉施設を巡回して、資料をひっくり返しまき散らし、怒鳴り散らす。役人たちは「難を恐れて」自粛し忖度する。「バックラッシュ」の中にある。運動する側も、色んな力を試される今日この頃らしい。
 ここではとりあえず「もっとも危険な女」として知っておきたい。
 
●マルクス主義フェミニスト?
 上野さんの著作のどこでだったか?
 マルクス主義とフェミニズムの関係を議論したいと公開討論を求めたが、応じたのは構造改革派の「オールドボリシェビキ」だけだったそうだ。
 彼の議論は「フェミニズムの主張の基本はすでにマルクス主義の体系に含まれている、改めて論ずるものではない」ーーだったそうだ。
 新左翼は呼びかけを無視した。
 古い話だが、私の「現役時代」だ。無念だが分かる気がする。

 「マルクス主義者」はフェミニズムが嫌いなのだ。もしくは、その「日常性」とか「無政府性」の「過ち‣危険」が「党や運動」にとって「災いの種」になりそうだ。
 あらためて思うのだが、「マルクス主義者」ほど「理論」と「思想」と「実践」の断絶・乖離のあるものはない。そしてその乖離を無視したり忘れたりするのも「マルクス主義者」の特徴だ。
 いや、「それはスターリン主義と混同している」という反論も一部にはありそうだ。わたしもそう思う。で、言い換えよう。かつての「新左翼」(旧・新左翼)とはスターリン主義のくびきからほんの少し首を出しただけで「99%スターリン主義」のままを良しとした「新・親・スターリン主義」に止まり、さらに逆行し、そして終わった。「反スタ」を「半スタ」と読み替える人もいる。

 議論を要約すると、3つの方向から新しい批判が聞こえてくる。
 一つは、「元同志」からの声。特に排除された女性戦線の指導層。あるいは「現役」の指導層。ま、これは無視・パスしよう。
 もう一つは、職場や地域でそれなりの運動を自力でやりぬいてきた女性たち。「男の為の女性解放委員会」に怒りを向けてきた人たち。ここでは私の短文は、あまり当を得ていないか掘り下げが不十分だ。

 最後に、「無党派の女性たち」。もちろん男たちも含まれる。もっと共同の議論や行動をしたかった。各地で「団塊の女たち」と触れ合う場ももった。「左翼」=「左翼党派」または「党派の指導層」として議論するあり方は大事ではあるが欠陥だらけだ。

 「党派の一員」から成長して「無党派」になった人々も少なくない。
 「無党派左翼」という概念をもっと大きく大事な概念として育て上げられたらいいなと思う。かつても今も実際には大小の社会運動の基礎や、時には頂点まで築いてきた、…らしい。 

上野研究室
女性学

Women's Action Network(WAN)

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