結論として、O’Hanlonさんとの「対話」はそろそろ打ち切ろうと思います。
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2020年10月
O'Hanlonさんとの応答
【ブログ注】
O'Hanlonさんとの「コメント」でのやり取りをまとめました。
青の文字(ハイパーリンク付きのタイトル)はここでの応答です。
O'Hanlonさん、ここにコメントをお願いします。
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水谷声明③の④いくつかの疑問
O'Hanlonさんとの「コメント」でのやり取りをまとめました。
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水谷声明③の④いくつかの疑問
お久しぶりです。 私は 「荒川パンフは、なぜスパイ問題をはぐらかすのか 2014年12月12日 水谷保孝、岸宏一」http://shiryoshushu.web.fc2.com/078.html を読んで根本的な疑問を感じました。 まず、荒川パンフの著者は本当に荒川なのか? >発行主体が本当に荒川かどうか不透明な点があるとは言え、荒川本人とみなすならば、荒川が初めて対外表明をしたものである。 と最初のほうに書いてあります。しかしそれ以降は「本当に荒川が筆者なのか?」ということはいっさい問われず、荒川が書いたものと事実上断定され、 >今回の荒川パンフは、筆者らが13年6月、『前進』報道直後に抱いた判断――荒川は権力のスパイ――を覆すに足りるものではなく、逆にその心証を強めさせるものであった。 といっています。しかし、もし書いたのが荒川でなく権力であればどうでしょうか?「荒川=スパイの心証はいっそう強まった」「荒川パンフの不自然なところ、辻褄の合わないところなど指摘すべき問題点は多々ある」といっていますが、指摘されている点は、筆者が荒川ではなく権力だとすると自然に納得できると思います。 そもそも、荒川は生きているのでしょうか?生きているという証拠があるのでしょうか?もし生死の情報があればお教えください。 >荒川は6月4日、みずほ銀行・貸金庫から権力の手を借りて脱出・逃亡して以来、1年半もの間沈黙していた。なぜ沈黙し続けているのかという疑念は、荒川への不信を強めさせていた。そのため荒川にとっては沈黙の1年半を弁明しなければならない。 荒川が沈黙していたのは、権力の監視下で闘病生活を送っていたため態度表明が不可能だったからではないのでしょうか? そして、もし荒川が死ぬか、まったく意思表明ができない状態にまで病状が進行したならば、権力が中核派かく乱のために荒川を騙ってパンフを発行したのは自然に納得できます。 2020-03-12 23:22:42 >時に荒川さん本人がふらりと顔を出す場面もあるという。 これは本当ですか?荒川が確実に生きていて、彼の名前で出されたパンフは確実に彼が出したものという証明がなされているのですか? 2020-03-23 04:11:59 私が証明します。 2020-06-24 17:30:14 | O'Hanlon |
私の立場をまとめて展開しておらず、とぎれとぎれに書き込んだために誤解が生じたのだと思います。
>①桜さんのいう「訂正・取消」について。「コメント」をください。
私の立場が大きく誤解されています。
>当初の「オール沖縄」への断罪は中核派(中央派)に拠っていた。
そんなつもりは少しもありません㋑。私は私自身で翁長の著書『戦う民意』を読み、翁長が知事になった目的(反基地闘争の破壊)を理解しました。翁長はそれをことさらに隠そうともしなかったのに、翁長を支持した自称左翼の腐敗ぶりには驚くばかりです。
私の主な情報源は㋺K・サトル(元「赤旗」記者)のブログ「アリの一言」、それに奄美出身で沖縄本島の中学・高校を卒業して日本(「本土」)の大学に進んだ在日琉球人からの情報です。
https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/d13268e7347d1fd3c8125012537fa5ba
>そして辺野古現地の声と那覇市職労の問題を代表的に挙げていた。しかし当ブログが後の二つの当事者の声を改めて挙げたところで、反論も事実や意見の訂正も補充もなかった。
特に私に向けられたものとは思いませんでした㋑ー2ので、コメントしませんでした。そのうえであえて言うならば、東村高江の反基地運動弾圧のために警視庁機動隊・大阪府警機動隊(「土人」「シナ人」発言でその本性を現した)の派遣要請をしたのは沖縄県公安委員会であり、翁長は知事として公安委員の任免権があるのだから、反基地運動を弾圧しているのは翁長だったのだと正しく認識してほしかったです。辺野古においても知事は公安委員を罷免して弾圧を許さない公安委員を任命することができたのにそれをしなかったのだから、反基地運動を弾圧しているのは翁長だった㋩のです。