2020年12月

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10月25日 本多書記長追悼の集い 開かれる。

主催者発表では「参加者が46人、メッセージが4人」

詳細はhondanobuyoshi1975(livedoor.blog)

 

私も終わりの方で発言した。原稿を用意していなかったので、記憶によって採録したい。【補足】は今回付けたもので飛ばしても結構です。以下……… ……… ………

 

さっき水谷さんの発言中にヤジを飛ばした二人のうちの1人です。

「湯本」といいます。

〇滝沢さんの項目

まず主催者が用意した「追悼 非業の死をとげた仲間たち」のレジュメについて。

この中の「滝沢紀昭」さんの項目では「…転落死させられる」とありますが、ここから「させられる」の5文字を削ってほしい。

私は元中核派。埼玉大学出身で本社編集局の一員にもなりました。その後はいわゆる「白井朗系」「白井派」。ブログで『狂おしく悩ましく』というものを公開しています。

事件当時は埼大生でした。ま、69年4・28の件でこのころは東京拘置所に入っていました。当時の肩書では、滝沢さんがマル学同埼大支部のキャップで経済学部自治会委員長。私はサブキャップで理工学部委員長、でした。

事件についての中核派の公式的表現では、たしか「突き落とされて、虐殺」だったと思います。襲撃したのは「権力から金をもらって転向したスパイ」といいう感じだったと思います。

それに比べればここでの表現はやや和らいではいる。けれども「中核派の正史」を引きずっています。直前の望月さんの項では「墜落…逝去」です。事件としては望月さんの事件の方がはるかにひどい。けれどそれはおいて、ひとまずそれに近い表記にとどめたい。

事件としては前夜に中核派の首都圏部隊によるバリケードへの襲撃がありました。ま、それ以前には主として反戦連合側からのいざこざ・小競合いがありましたが詳細は省きましょう。とにかくこの「5文字」です。


  【補足】マイクの不調で最初から言い直しましたが、だいぶ省略しました。
    「湯本」ー「10・8世代」の皆さんには「湯本弟」としたほうが分かるかも。
        
「反戦連合」は「反戦連合ほか」に訂正します。発言そのものは変えられないので内容上の訂正です。

    以下の各項目の【補足】は末尾に書きました。

で、「本題」に入ります。

  組織内部からの変質と崩壊

2重対峙=対カクマル戦、そして革命軍戦略、言い換えれば内ゲバとロケット砲の時代です。私も十分な総括はできていません。ただはっきりしているのは、「組織の内部からの変質・崩壊」はずいぶん早くから進行していたという思いです。

そりゃそうです。襲撃され殺されるのも大変ですが、襲撃する、殺すというのはある意味でいっそう大きく跳ね返ってくる。「人の人生を抹殺すること、ひとの命を奪うこと、一つの命を抹殺すること」。今回はこの点を強調したい。現場逮捕・事後逮捕、長期投獄の恐れ。関係者への家宅捜索と「事情聴取」。跳ね返りも大きい。
 組織内での相互の機密保持が第一になる。個々の襲撃の是非もその実相も秘匿するしかない。議論もできない。何一つ「共有」できないままで鵜呑みするしかない。

軍事と軍令が日常活動の基本的な姿、それが日常の基本的な枠組みになる。だから人事と財政はキャップの専権事項になる。議論が起こっても、それが政策や理論の問題でも、この軍令体制に縛られる。複雑なあるいは難しい組織問題でも、抜擢されたキャップの思いつきや無限ともいえる裁量権が横行する。【補足①】

 

  三里塚・沖縄論の「定説」や「認識の深化」

この間三里塚や沖縄での中核派(中央派)の度し難い言動について考えています。…【三里塚については中略】…

沖縄県民がたたかう時、あるいは人として声を上げる時、「沖縄主義者」であるのは当たり前でしょう。常識。その「沖縄主義者」という言葉を、「追放・敵対」を正当化する「罵倒」として使うなどということを私には想像もつきませんでした。

言い訳のできない、どうしようもない裏切りとしか言いようのない数々です。けれどもこれは打倒された中央派旧執行部の腐敗や変質ということに止められない問題だと感じます。しかし60年代末に中核派が「三里塚・沖縄」に全力で取り組んで以来50年、残念ながら「農業・農民問題」も「沖縄・この構造的差別」の問題もなに一つ「論」として真正面から取り組み深めることをしてこなかった。中核派にはそもそも沖縄問題とは何か、ということでの「定説」いわば哲学的深化がなかった。初期の思いも「空洞化」「消失」していた、ということにありそうです。

その「付け」が回ってきたのだと感じます。【補足⓶】

 

  反スタということ

反スタとは何よりもまず、「活動家の主体性」だと思ってきました。「正否の基準」は一人一人にある。そして「指導部が誤ったり裏切ったりしたら、議論を起こし、党内闘争を展開し、時に分派を作り、時には分裂・自立する」というものだったはずです。

私は残念ながら、まともな議論すら起こせなかった。反スタの入り口で失格です。恥ずべき変質・転向=党内転向です。「自由のために闘う共産主義者」ではありえなかった。これが最大の問題です。無念です。

本多さんについては今回は略します。 


【ブログ注】

【補足⦿】〇滝沢さんの項目
 
滝沢さんの事件、言い換えると「芝工大事件」について、私自身は長く内に秘めて個人的な問題として処理してきました。けれど、事件の元被告の友人・知人との信頼と責任のためにも、今改めて積極的に語るべき第一級の課題だと感じています。今回改めてネットを検索すると、想像以上のブログで扱われています。

 
【補足①】   組織内部からの変質と崩壊
 「心のキズ、負担」は実行行為者と、「内部通報者」だけではない。あまりに多
くの人が苦しむことはさけられない。正しいか、必要かとも別の問題です。
 斎藤政明さんの本で、九州支社で革マルの逆襲を受けたときの「総括」をめぐる「中央」とのやりとりがでています。「中央」とはこの時福島平和さん【注 訂正済み】だったとのことですが、斎藤さんなりのリアルな現実認識・視点に対して中央はただ坊主懺悔だけをくり返し求める。「そうなんだろうな」とも思いつつ、中央のレベルですらこんなだったんだ、と思いを新たにしたものです。これが斎藤さんが壊れて離れていくひとつの要因だったようですね。
  https://www.amazon.co.jp/%E5%A5%A5%E6%B5%A9%E5%B9%B3%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%9F%E2%94%80%E7%A7%81%E7%9A%84%E8%A6%9A%E6%9B%B8-RED-ARCHIVES-03-%E9%BD%8A%E8%97%A4/dp/4784592229
 

ともかく「路線云々」前に、「中核派は当時の時点で、戦争できる組織・諸組織でも、諸個人でもなかった。多くの場合、あまりにも『無準備』だった。そして内部から変質した」というしかありません。もちろん、人により、所属により、地位により、その差や違いは大きかったはずです。
 そして「
対等なお互いの関係」の破壊的進行については特に、はっきり言って「上」で胡坐をかいた人には、その後も長いあいだ、自覚すらなかったのではないか?あるいは最後まで?とすら思えます。

【追加】私の発言では、以下の要旨もあったと指摘されました。
「早稲田の革マルによるテロ支配はもちろんですが、明治の解放派、法政の中核派によるそれも…」


 【補足②】   三里塚・沖縄論の「定説」や「認識の深化」
 
沖縄問題で思い出せるのは「同一民族」という言葉だけです。いつだったか今は思い出せません。覚えているのはある日突然『前進』重要論文にこの言葉が使われ、何度か繰り返されながら一度もその意味を語ることが無かったということだけです。「日本は単一民族」という中曽根発言のころでしょうか?

「同一民族」というゆえんは何か?「だからどうなのか?」何も語られなかったという記憶だけです。時に「重要路線」時には「戦術」として中核派としては「大動員」をかけながら、肝心な「論理」「思想」は空洞化していく一方だったな、と改めて振り返ります。「70年」から50年、この「無思想」「非論理」が続いてきた結果が今なのだ。そう思います。

【補足追加】集会ではすでに公表されている人々のほかに多くの人が発言した。「ゲスト」や自由発言などさまざまで、私としてはこのへんに啓発されるものがありました。

主催者のホームページで採録されることを期待しています。その時はまた、この続きを書きたいと思います。


  

 

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【ブログ注】
 軽いノリで読める割にずしんと来るものもある。
 ともかくあれこれと偉そうなことを論じる前に、こんな本やテレビや映画をいくつか見てから感じたことを言葉にすることはすごく大事なことだと感じる。
'  ……… ……… ……… ……… ……… ……… 以下 

女に生まれてモヤってる!

女に生まれてモヤってる!
ためし読み
定価 本体1300円+税
発売日 2019/6/27
判型/頁 4-6/256頁
ISBN 9784093887076ePub

〈 書籍の内容 〉

女の損は見えづらい
 生き方が多様化し、女性としてのライフスタイルに「正解」や「ゴール」がない今、私たちはどのような道を選択すれば、心地よく生きられるのか。コラムニストのジェーン・スー氏と脳科学者の中野信子氏が、これからの女性の生き方を対談形式で語り合います。

【一章】「女らしさ」は誰のため?
  -「女らしさ」とは自己決定権を手放すこと 
  -メイクや服は女ウケを狙ったほうがコスパがいい 他
【二章】敵と味方とルールを再検証する
  -「女同士はわかり合える」という一枚岩幻想
  -新自由主義の流れでカオス社会が爆誕    他
【三章】恋愛と結婚、私たちの戦略
  -自分よりも能力が高い人を好きになるという通過儀礼 
  -パートナーはまっとうに生きるための漬物石 他
【四章】なぜ女は自信を持ちづらいのか? 
  -男は女よりも自信を持ちやすい 
  -依存相手は都合のいいスクリーン   他
【五章】いつか結婚も出産もレジャーになる
    -妊娠・出産をアウトソーシングする未来 
    -私たちが本当に後世に残したほうがいいもの 他
【六章】ジャストフィットな生き方は自分で決める
     -男社会で設定されたゴールがすべてじゃない
     -今の選択が正しかったと思えるように   他


思ったより科学的な内容で読みごたえがあった。納得出来た。2とか続編が出たら絶対買う。(30代 女性) 2020.5.10


TBSラジオ番組の「ジェーン・スー生活は踊る」を毎日楽しく拝聴しており、著者の本を知りました。(30代 女性) 2020.3.7


大変よかった。共感とモヤモヤがスッキリする感じもあり、元気ももらえた。(40代 女性) 2020.2.9


タイトルがなんだか気になって購入しました(30代 女性) 2020.1.28


女としてできなかったり頑張れなかったことがあり、それに対する後ろめたさが消えずにいたため、タイトルを見て購入してみました。(40代 女性) 2020.1.20


いつもスーさんのラジオ聞いています。スーさんの相談コーナーが私の心のよりどころです。 そんなスーさんの本なので、読みたいと思いました。(40代 女性) 2019.9.12


まさに私が感じていたモヤモヤを言語化してくれた!という感じでした。女性はもちろん、男性にもたくさん読んで欲しいと思いました。(30代 女性) 2019.8.7


広告で見て、気になったので購入しました (40代 女性) 2019.7.12


ジェーン・スーさんの大ファンで、自分も「女に生まれてモヤってる!」その通りだったので、読んで共感する部分が沢山ありました!!!いつも私の気持ちを代弁してくれているかのようなジェーン・スーさんの著書が大好きです。勇気をもらえます。(30代 女性) 2019.6.29

だいぶ遅れましたが『試練』から転載します。
 【管理者のコメント】があまりに「水谷節」でかつ長いので、「謝罪文」本体を前に出し、また、解説は取捨選択します。


【以下引用】

2019-10-31 09:29:30 | 日本の新左翼運動と共産主義運動をめぐって


資料:天田三紀夫革共同書記長の「謝罪」文

▲革共同政治集会で基調報告する天田三紀夫氏(2007年7月29日、関西)

……… ……… ………以下、「謝罪文」全文……… ……… ……… 
                       6月11日 熊沢

 KOW同志から報告を受けた時とびあがらなかった自分、さらにコピーの遅れに気がつかなかった自分に、ものすごい危機感をもっています。

 申しわけありませんでした。

 人間的尊厳をかけて決起した〇〇同志に対して心から謝罪します。

 塗炭の苦しみから決起した女性同志に心から謝ります。

 この壁をどう突破していくのか。

 〇〇同志の決起に連帯して闘います。

 労働者階級の現実とともに進むことであると考えます。

 新自由攻撃に対して決起した女性・わかもの共に進むことです。このことをはっきりさせます。

 マルクス主義の研鑽につとめます。

 政治局の組織問題の解決のために全力をあげます。

                      以上あらためて謝罪します。


………【ブログ注】 以上全文。以下は『試練』による註

熊沢=天田三紀夫氏の組織名。

註2:KOW=小岩の略で、鎌田雅志氏の組織名

註3:「報告を受けた時」=女性差別被害を受けて深く傷ついたPさんは、その直後、担当政治局員・鎌田氏に許しがたい差別犯罪を直訴・告発した。その訴えを聞いて、衝撃を受けた鎌田氏は、ただちに黒川(木崎)氏に報告し、「重大な問題である。組織問題にしなければならない」と強調した。Pさんの告発内容を詳しいレポートにして、天田氏と黒川氏に提出した。その鎌田氏にたいして、黒川氏は「山梨は責任をとらせるほどの重要な指導部ではない。処分する必要はない」「たいした問題ではない」と高飛車に逆オルグした。さらに「Pさんが何か変な動きをしないか、監視せよ。逐一報告せよ」と命じたのだった。鎌田氏はすぐさま黒川氏の指示に従った。以後、彼はPさんに監視のプレッシャーを加え続け、告発封殺の直接の先兵となった。

註4「コピーの遅れ」=鎌田レポートを受け取った天田氏は、それをコピーせず、どこにも回さず、隠匿した。それから5年後の今回の追及にたいしても、鎌田レポートを明らかにしていない。つまり、「コピーの遅れに気がつかなかった」というのはまったくの嘘であって、意識的・組織的にPさんへの女性差別犯罪を隠蔽、山梨を擁護、Pさんを弾圧してきたのだった。

註5:「謝罪」=熊沢文書は無題である。なぜなのか。題目に「謝罪」「自己批判」という文言を記すことを意図的に拒否しているとみてよい。実際、本文に「謝罪」ということばはあるが、「とびあがらなかった」「コピーしなかった」ということを謝っているわけで、それしか書いていない。なぜとびあがらなかったのか、なぜコピーしなかったのか、その理由、その思想的根拠を真摯に自己切開するのでなければ、謝罪になるわけがない。「とびあがらなかった」とは何という言い草であるのか。そもそも政治家あるいは組織人が書くような文章ではない。これでは謝罪にはならない。それ以下の文章も、すべて責任逃れに終始している。「マルクス主義の研鑽につとめます」とは、けだし名文句である。マルクス主義の学習が何一つ身につかなかったダラ幹、権力欲のみで生きてきた天田氏の正直な心情吐露であろう。それにしても、あまりにも低水準な、あまりにも軽く、あまりにも拙劣な、およそ一政治組織の書記長たる者が書いた文章とは思えないものである。いや、むしろ、このような書記長を戴いてきた革共同中央派の、これがありのままの思想状況なのである。なお、天田氏はその後、心身ともに組織関係、人間関係に対応しえなくなり、人間崩壊的状態であるとされている。真偽のほどは検証されなければならない。なぜなら、それを理由に、党員の追及から逃れるという、‘天田隠し’がされているからである。

註6:「7月テーゼ」=07年7月、非公然政治局会議に清水議案が提出され、それを天田氏が「これで整理がついた」とした。天田氏に認められることではじめて清水議案が7月テーゼ原文とされた。その清水議案を『前進』用に編集・執筆した中心が坂本千秋氏(当時、副編集長、26全総で政治局員に再任、編集長)である。清水氏はもとより、坂本氏も革共同における7・7自己批判の思想、路線を「7月テーゼ」をもって否定・追放し、自ら排外主義・差別主義集団と化した直接の責任を負っている。


【ブログ注】色んな問題の理解の差はそれとして、事実関係もいくつか具体的なところで違うという話も多い。

……… ……… ……………… ……… ………
【管理者のコメント】 (【ブログ注】…『試練』。冒頭の部分に当たる)


 2019年3月から8月にかけて、革共同(中央派)政治局にたいする党内の批判・追及が燃えあがりました。その動力となったのは、2014年に中央WOBの一員である山梨(神奈川県委員会湘南支部)によって許しがたい暴力的な女性差別を加えられ、しかもその告発を政治局に握りつぶされ、言語に絶する苦しみを強制されてきた前進社本部α部局のPさんの党員としての命がけの決断による渾身の告発でした(2019年3月)。Pさんと連帯する同部局の女性同志たちは、ともに、真正面から政治局と対決したのです。

 それが党本部の全部局に伝わり、強い共感と連帯が生み出されました。政治局とりわけ3人組と呼ばれる書記長の天田三紀夫氏、天田(黒川)純子(=木崎)氏、河村剛(=坂木)氏という政治局員、そしてα部局担当の鎌田雅志氏ら4人の政治局員が一斉に批判され、追及を受けるところとなったのでした。そしてついに、彼らは党本部の党員たちによって政治局員を解任され、自らも辞任を表明しました。

 そのなかで、Pさんへの女性差別犯罪のすべてを承知し、それに加担した天田書記長が、当然にももっとも重大な組織責任を問われました。しかし、天田氏は右往左往するばかりで、問題を見すえることもできず、何をどう謝罪し、何をどう自己切開し、どう自己批判すべきなのかも、わからないありさまだったそうです。

 詳しいことはわかりませんが、天田氏が提出した文章は、現在までただ一つだといわれています。

 その後、革共同第26回全国委員会総会が開かれましたが、そこでは前記4人の政治局員の解任、処分の決定はされていません。指導部の交代といった形がとられています。

 その26全総の後も、天田氏の謝罪・自己批判文は出されていないようです。むしろ、新政治局は天田氏らへの追及を強制終了させているようです。

 26全総決定では、「政治局の中枢指導部がかかわった重大な女性差別事件」「その開き直り、隠蔽」「党中央における思想的腐敗」と記しながら、その問題について何の政治的・思想的切開もしていません。何の責任追及も、一人の処分もしていません。驚くべきことです。

 革共同の歴史上もかつてありえなかった、‘政治局炎上’となった事態であるにもかかわらず、それがなかったかのように党史の偽造が始まっているのではないでしょうか。………以下略

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https://blog.goo.ne.jp/shiren-shinsayoku/e/8b4b5c2118d3388bb2265d99184a4c9a

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遙かなる一九七〇年代-京都 学生運動解体期の物語の記憶 2017/11/4 300頁 2800円 鹿砦社


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色んな事情でアップするのが遅れてしまった。

先日の927現地・全国集会に久しぶりに参加した。

コロナ下で、成田空港は無用の長物と化している。

 

前回の参加は雨だったこともあり、雨ガッパを頭からズッポり被り、サングラスにマスクだった。

おかげで懐かしい人と隣り合わせても誰も気が付かない。結果、現地をゆったりと堪能できた。

ま、それはそれでいいけれど、今回はマスクも何もせずに参加した。

会場の後方、中央派の後方当りに立っていると色んな顔見知りが行き来する。こちらに気が付いて頭を下げていく人もいる。「おうっ」とか言って立ち止まる人もいる。行き過ぎる後から、「元気?」とか言いながら付いていくこともあった。

デモが出発すると、隊列に入らずに道路側を歩きながら行ったり来たり。本社で編集局の写真班として、デモの時は外から見ることが身についていたので、この方がフィットする。隊列の中から声がかかったり、手を振ってくれる人もいる。かれこれ十人ほど、短い言葉や会話を交わして「満腹感」を味わった。

私の小冊子(当ブログ)を読んでくれた人や、このブログの「読者」という人もいる。時には「友だちつながり」で私のFacebookを訪れた人もいた。

今回言葉を交わしたこのほとんどが「現役の中央派」だった。中には「頭の痛いことが書かれているけどね」とかの感想も寄せてくれた。1人だけ、「まともになりなさい」とお叱りをうけた。「こんなところに顔を出して大丈夫?」とも。けれども、事情はだいぶ変わっているという感をも強くした。

 

デモの終了後は「元」や「非」中央派や元他党派のグループに混じっての飲み会に誘ってもらった。他党派の人は、85年の浅草橋被告を守ろうと苦戦する中で、第4インターへのテロに続く「脅迫電話」を受けて、怒りまくったという。その時は、脅迫電話の主が最後には謝罪したとか。聞いていて苦しくなった。三里塚での中央派の「農民はプロレタリアートに階級移行すべし」発言に異を唱えて除名された闘争会館事務局長氏らのその後の話や、沖縄辺野古での中央派の「オール沖縄反対論」なども話題になった。(当ブログ参照)

三里塚も今、緊迫した情勢だ。市東さんや萩原さんなどは同時に、日々の農作業に精を出しているという。そうそう、市東さんの農地裁判では、「脱落派」と罵倒した青行氏(熱田派)が原告側証人に立っていた。テレビでは別の青行夫妻が現地で農民として生きるたたかいを続けていることも「オンデマンド」でみられるという。

 

山 うーん?かつては「離脱した反党主義者」の元のメンバーがそういうところに顔を出すと、「監視員」や糾察隊に睨まれたり、写真を撮られたりと面倒なことも多かったけど。下手をすれば…。

郷 当時も「人による、時と所による」だっけどね。とはいえ、06-7年の過程でもう一つ変わった。

台 天田氏ら旧政治局(3人組)が崩壊して今は「揺れに揺れている」ことも影響していそうだ。とはいえ、除名・追放された諸個人・諸グループや関西派との関係の再検討に至るものではなさそうだ。労働運動の領域でも、再検証・「名誉回復」と復帰要請が必要なはずだが、そんな動きはないようだ。

 

遅ればせながら。12月5日㈯です。今回は比較的に狭い会場で予約はほぼ満員??
替わりに無料の動画配信があるとのことです。

中村哲 一周年 低

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