2022年06月

「共産趣味者」の過去記事から
 【ブログ注】80年代の当時現役の革マル派の「世界観」が恐ろしいほど率直に描かれている。おぞましい。
   段落はブログで付けた

Name: すえいどん(【注】趣味者の中心の1人)
Date: 03/19 17:45

[4678]竹田先生(革マル)の回想に基づく78年以降の横国大情勢性の利用

>中核派は、78年9月以降、横国大を武装制圧し始めた。
 そして、中共派の日本労働者党の協力の下、横国大を拠点化しようとした。1978年9月30日の文化系サークル連合の総会に出席するために全学連の学生は、9月29日の夜10時ごろに、横国大を武装制圧した。9月30日に総会に出席する事は、広く宣伝してあった。その日、中核派を来させないためである。
 しかし、我々が大学を武装制圧した後に、中核派はやってきた。中核派は、我々と遭遇すると、トラックで、我々に向けて、突っ込んできた。トラックに2人がひかれた。1人は半身不随になり、学習院大学の同志・堀は、倒れている所を鉄パイプで止めをさされ、虐殺された。
 10月1日からも、中核派は、機動隊に守られて、大学を武装制圧し続けた。そこで、革マル派は、10月の中旬のある日に、大学に登場するとの情報を広く流した。朝、大学構内に入った機動隊は、そこに居るのが、革マル派だと間違えて、中核派40名を逮捕した。機動隊に中核派を逮捕させた事は、革マル派の権謀術策の勝利だった。
 1978年11月、僕は、2000人の学生を前にして、アジテーションを行い、拍手喝采を浴びた。その勢いにのって、僕達は、経済学部自治会を、翌年の1979年1月に再建し、当初、ノンセクト主導であった自治会執行部を、同年、6月には、革マル派竹内寿一を執行委員長とする執行部に変革した。
 横国大学生運動の主導権は、43歳の革共同最高幹部・佐々木(北海道学芸大学札幌分校音楽科卒業、ピアノの教師、根本仁の盟友)の指導を受け、東京工業大学退学処分の佐野という現地指揮官に従う、10代の少年活動家の手に掌握された。
 1979年11月16日の佐藤修平、小林智(北大生)虐殺事件で、野島三郎は失脚し、北小路路線の下、謀略追認路線にウジ虫は舞い戻り、1980年の東京工業大学7名の学生の虐殺をも追認するのである。
 佐藤にとって、「内ゲバ」こそ、現代日本社会の矛盾を象徴するものであった。革マル派系学生が殺されれば、殺されるほど、闘争に決起するもの、革マル派の運動に参加する者が増加していった。
 M(横国大工学部)は、同志・堀が横国大で殺された事を新聞で読み、親戚一同の反対を押しきって、横国大に入学した。松川は言った「人間は血を流して闘う事が必要だ」「横国大に血を流して闘う人が居る事を知って、自分も生命を危険に晒したいと思って、この大学に来た」
 竹内寿一は、佐藤修平が虐殺された事を知り、自分も同じ道を辿ろうと決意した。僕も同じだった。佐藤修平の死によって、「いつ死んでもいい」と言う覚悟ができた。

 1980年頃には、中原の後継者=狭間による滝口派に対するテロが続発した。狭間が精神病になり、学生解放派は分裂し殺し合いを始めた。
 しかし、学生解放派両派の死者の多くは「知りすぎたスパイ」の抹殺を意図した権力の謀略部隊によって殺されたのである。
 解放派のスローガンは「感性の無限の解放を!!」であり、「殴りたい時に殴れ、セックスしたい時にはセックスしろ」というものであった。解放派の女はヤリマンで、男子活動家の共同便所だった。女とやりたくて解放派に入った学生も多い。
 解放派のメス青虫のオルグ方法は肉体オルグであった。性に関する純潔を求められる革マル派とは、正反対であった。ちろん、動労青年部においては、後輩を風俗営業店に連れて行く事が奨励されていた。しかし、同志間の恋愛には、指導部の許可が必要であった。

【以上転載】

【ブログ注】以下は「竹田 革マル」の検索結果から

  • https://ali0001.jimdofree.com

    竹田博士の著書から非常に多くの文章を引用し、JR総連破壊を破壊するための本を8冊も書いたのが、 「自分は公安警察と共にJR総連革マル派と闘う」と公言しているのが宗形明である。 中核派最高幹部。 JR、JP、沖縄

  • https://sevgi-us.wixsite.com/makoto-takeda

    革マル派について教えて下さい」と言って来た。 竹田博士の著書から非常に多くの文章を引用し、JR総連破壊を破壊するための本を8冊も書いたのが、「自分は公安警察と共に革マル派と闘う」と公言しているのが宗形明である。

  • https://open.mixi.jp/user/15183261/diary/1939032186

    2015/02/21 · 以後、革マル派幹部の制止を押しきって、歴代の首相、公安警察最高幹部に対するスパイ工作を貫徹。革マル派に多大の利益を与える。 1997年、極悪極右反動分子=石井吉也学長の犯罪行為を弾劾し懲戒解雇処分

  • https://open.mixi.jp/user/15183261/diary/1938671348

    2002/11/19 · 革マル派のゲバルト部隊は学生によって構成される全学連特別行動隊である。 この祭典には、全学連の学生は一人も参加していなかったのである。 革マル派に暴力を行使する …

  • https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=4688010&id=48321236

    竹田誠博士の、家系が、皇族そのものであったという、事実は、 これで、証明されたものと、思います。 黒田寛一だの、革マル派だの、まったく、小さな、事柄では、 ありませんか。誇 …

  • www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/sahasaiseico/...

    竹田誠氏の事件見解】 竹田誠氏の「第4章 国家権力の謀略とネオ・ファシズム体制への傾斜」に「革マル派系活動家・水本潔(日本大学生)変死事件」について次のように触れている。 …

  • https://money4.5ch.net/test/read.cgi/kyousan/1124204647/l50

    ついに、竹田誠博士が、英断を、下しました。. 博士は、革マル派内部で、英雄的な、プロレタリア. 分派闘争に、乗り出すことを、断固として、決意し、. ここに、革マル派改革協議会を …

  • https://www.nishinippon.co.jp/item/n/516710

    2019/06/10 · かつて革マル派の活動家だった大藪龍介さん(80)は50年近く前、内ゲバの標的になった。. 「しばらくどこかに身を隠した方がいい」。. 仲間に ...

  • https://money2.5ch.net/test/read.cgi/kyousan/1082808448

    >竹田博士が、革マル派の中では黒田寛一と並んで >その理論的柱を担っている事実はどう説明するのかね。 94 :名無しさん@3周年:04/04/27 06:58 ヶヶて毎日何して生計たててるんだろ …

  • https://namagusa.com/archives/6559

    2017/06/08 · 革マル派・中核派のメンバーは、大衆の中に紛れ込んでいると言われています。それぞれに数千人の構成員がいますので、「隠れ

  • 「自由と民主主義」?

     大国間の論理

    ロシアのウクライナへの軍事侵略に日々、想いが掻き立てられている。

    日々のニュースに一喜一憂する。

    そしてまたさまざまな場面や人々を前にして「立場・立ち位置」が日々揺れる。

    「千々に乱れる」そんな毎日だ。

    ただ、はっきりしているのは「ロシアの軍事侵略とウクライナ側の自衛戦争」こそすべての起点である、ということだ。
     一般に大規模な地域紛争「低列度紛争=LIW」に向かい合う場合、攻撃されている「弱小国」をひとまずは「主語」から外して大国間の論理を見極めるべきことが大事と考えられている。「自衛戦争」の側のあれこれに引き込まれると、大局観を見失う、という意味だ。第1次大戦下でのレーニンのサラエボ事件=バルカンに対する視点は有名だ。そしてその視点は(いくつかの保留込みで)いまも不可欠な視点だと思う。
     そこではこの戦争は
     ①火点はロシアの侵略開始に置かれるべきだ。さらにはそのロシア侵略軍の想定を超えた残虐性も付加される。ウクライナ側の対ロシア・ソ連の歴史は大事だ。
     ②米欧の「兵器に絞った援助・介入」は、かつて私たちの知らないほどの大規模・激しさを伴っている。その情報戦も「情報のかつてないほどの公開」だ。そしてまた
    「経済制裁」は「ロシアをソ連崩壊時に追い込むようなかつ、長期に及ぶ」と宣言された。そもそもが米欧の事実上の対抗的軍事介入という形自体が、ほぼ前例がない。ある人は、スペイン内戦 を想起するという
      問題の大きさはこのロシアと米欧の側の「前例のないほどの」、「ほぼ対抗的な軍事発動」が世界や私たちも巻き込んで、色んな形での「当事者性」を付与されていることだ。もちろん「核使用の恫喝」も「本当の当事者は中国」ということも見逃せない。
      この辺の全体的な認識は今回も「ピスカトール」に学びたいとも思うし、関連して中央派の「『前進』春季特別号論文と、分裂の定着以来初めてとも思える関西派による批判も近く参照したい。

    「防衛戦争」の論理

     初期において多くの情報を公開したというアメリカの情報戦略が功を奏した。今や「事実の森にウソを隠す」戦略が大手を広げて展開される。

    アメリカの情報と立場・方針に即して(日本政府の政策にも即して)語られる場合も多そうだ。
     そんな「専門家」たちの話では、米欧の軍事援助が功を奏して、ロシア軍はひとまずは全土制圧を目指した攻勢を阻まれたが、戦局はいっそう泥沼化と長期化に向かっているそうだ。
     米欧の帝国主義を意味する「国際世論」に乗って「自由と民主主義の戦争」論が幅を利かせている。しかしながらそれ自体はあまりにも的外れだ。
      以下、「防衛戦争」の議論のために大きく迂回しながら始めたい。
      ひとまずの結論は、「防衛戦争」はそれ自体として擁護されるべきテーマであり、民主化他のその中身の可否はいわば「上乗せ・相乗部分」だということだ。
    資料
    ウクライナ概観 在ウクライナ日本大使館作成
    ウクライナのオリガルヒ - Wikipedia
    アゾフ連隊
     
    ベトナム反戦世代として
      私は(私たちは)
    70年をはさむベトナム戦争(アメリアのベトナム侵略戦争)の世代だ。だからあえてその認識をベースにする。

    さらに私たちの父母は太平洋戦争(朝鮮植民地化と中国侵略戦争)の世代だ。「あの歴史を繰り返してはならない」という想いがあの激しい闘争の時代を作った。それは直接運動に加わらなかった同世代の多くの人にも共有された。そしてまたさまざまな課題と運動を派生・前面化した。
     ここでは「戦争世代」の人々の「平和のための軍事問題研究」の意義を再確認しておきたい。

    米軍の沖縄配備のあれこれも日本の再軍備の実像も、彼らの営為なくして的確な認識や対応は無かったと思う。

    戦時下の人の生き死に、戦争と青春・戦争と青春の領域は小説やドラマで繰り返されても来たけれど、総体としてまだまだ不十分だ。そして「だから戦争はいけない」んだけれど「けれど、不条理の中で生きるということ」自体、ある意味でより普遍的なテーマでもあるはずだ。
      「
    アポリア」(解決困難な難題)という言葉が重い。

    4 「対革マル戦争」(内ゲバ)の体験者として

    同じことを私たち「内ゲバ世代」も担うべきだと思う。

    けれども内ゲバも内内ゲバも外ゲバも、真正面から総合的にとらえ直す努力は一部を除いて乏しい。

    「正義」や「不正義」や「巻き込まれて」云々は確かに不可欠な要素だが、「戦争の論理」「内ゲバの論理」を生き生きととらえ直すことは、同じことを繰り返さないためにも大事だし、それはそれで「倫理的にいけない」だけでない「生きるという問い」「闘うということ」に迫ろうとする一つの道だ。


     なぜこの場でこんなことを言うのか?

    その一つは、「正義と不正義の限定性」だ。「正義の為にはどんなことも許される」という「無制限・無制約の…論」とは決別したい。「卑怯者、去らば去れ」の英雄主義も時と場合による。というよりも「正義」の名による最悪の選択を私たちはあまりに多く体験しすぎて来た。
      それが(大局的には)正義であれ不正義であれ、それぞれの個々人や、それぞれの場所ヾでの実相ははるかに違った様相を呈している。話を広げれば、「正義の中の不正義」や「不正義の中の正義」という話はじつに有り余るほどで、歴史を振り返れば振り返るほど「実りある」振り返りのテーマでもあるはずだ。

     「最前線で戦ってきた戦士たち」が、その後次々に粛清の憂き目にあってきた「革命党」の歴史もあいまいにはできない。中核派では良きにつけ悪しきにつけ大事な局面局面で歴史を体現した人々が次々に追放され離反した歴史を土台としている。
     さらにまた「負けること」「逃げること」「降伏すること」をも、現実の闘いの場では、あらかじめ起こりうる一つの選択肢として備えて欲しいからだ。
     敗北への備えなどあるかという話もあろう。しかしまた、人は折々の選択をそんな風にして重ねてきたのだとも振り返る。

     当ブログはそもそも、「2重対峙・対革マル戦」の総括の序(入口)を目指したものですが、やはり主としてその中の出版部分(本体)が我ながら一番生きていると感じます。その中のまとめのまとめが以下になります。

    本多延嘉書記長 追悼の集い 私の発言

    私たちの世代は、積極的に参加した人も、恐れあるいは嫌悪した人も、70年代からソ連の崩壊・総評・社会党の崩壊時の、それぞれの側からの生き証人なのだろうと思います。

    5 原発問題

    ロシア軍がウクライナの原発を砲撃し支配したという。

    怒りは激しいが、同時に原発を戦場にしての戦闘が長引かなかったことに胸をなでおろす。

    ウクライナにとって原発は、国内の電力供給は大事なかなめだという。原発を抑えられたら、経済・社会のインフラそのものが抑えられたと同じだともいえそうだ。ウクライナにとってロシアからの自立・独立の希望の証としての原発という面は大きいという。

    胸が痛む問題だが、まずはウクライナ側があまり抵抗もせずに屈したことを喜ぶ。「核戦争」そのものだからだ。

    ここでは「国敗れて山河あり」。「日本は負けて良かった」だ。


       6 色んな支援の在り方

    いずれの選択にせよ、どんな場合でも可能な限り支えたい。

    眼前のその人が「戦う」にせよ「白旗」にせよ。ウクライナ人にせよロシア人にせよ!

    戦後の回復はもちろん、難民を難民として。

    いろんな支援には、ウクライナのロシア人やロシア国内外のロシア人も当然含まれる。

    それぞれの支援も互いに理解し合うことも大事だ。

     今のようなロシアで「反戦」を貫くことには多くの困難が伴いそうだ。私たちもそんな覚悟がいる。その覚悟を支える思いと仲間・制度が要る。それは第一級のテーマだ。

     国際競技からロシア人やベラルーシの選手たちが排除されているそうだ。
     ウィンブルドンテニス ロシア人 - 検索 (bing.com)
     マックの撤収は大いに讃えられているようだけれど、ベトナム反戦時代に「コカ・コーラを飲むのを止めよう」と叫んだ共産党・民青に対して、私たちは不意を突かれながらも大いに笑った。それ以上に、喫茶店や名曲喫茶は私たちのかけがえのないたまり場だった。かつての同志たちと会うと、意外に(?)演劇やバンド出身の人も多い。ロックやソウル…。日大芸闘委は映画だそうだ。
    7 当面の結論
     ようやく本題の入り口にたどり着いた。けれども今回はここまでにします。
     さしあたりの結論は、岸田内閣の「防弾チョッキ」を含む軍事支援や介入には反対します。難民の受け入れは、あまりに「人道」を無視した非人間的なものであり、避難・大幅な拡充を求めます。
      危機に乗っかった「軍拡・核共有論」のばっこには全面的な対決が望まれます。
      ただ同時に、「国民に正面から危機と全対策を呼び掛ける」という大胆さを欠いた「無策・乗っかり型」の「自発的従属化」「永続敗戦国」の延長上では「有効な結果」は何一つ生まれないだろうことも自明です。
      参院選後の「与党にとっての黄金の3年」を見据えて、選挙で、国民投票で、何としても…
      コロナと戦争による物価高や「生きずらさ」は待ったなしですし、諸国の内外の分裂の進行もあります。
     当初の予定では以下のような議論を目指しています。
     
     ウクライナの抵抗と「武器」
     9 後発国の選択、第3勢力論の歴史
    10 国際反戦闘争
    11 『前進』春季論文と『未来』による批判

     日々の生活もその付き合いもある。それはそれで欠かすことはできない。ほとんどなんもできないけれど、それはそれで繋がるものもあることも信じたい。
      当地の駐輪場のお客さんたちは中高齢者が大半だけれど、子育て中の父母・保護者もいる。同じ保育所に通うベトナム人やネパール人、それにごく少数の中国人もいる。在日2世たちが数多く育っていることを実感する。それぞれ色んな課題を抱えながら日々を送っている。そんな関りからも想像力が生まれると期待しています。

     「リアルな現実」と「バーチャル」。
    実態・実相に迫れない議論は虚しいと痛感しつつ、…

    ウクライナ概観 略史(在ウクライナ日本大使館)歴史とともに、オリガルヒや政治制度と選挙などにも言及しています。ウキペディアも急速に拡充されて来ていますが、信頼性も含めるとこちらの方が良さそうです。

    新谷のり子 フランシーヌの場合 歌詞&動画視聴 - 歌ネット


     
     こんなブログで引用・紹介されるのはご本にははた迷惑なのだろうと思いつつ。あえて…
      【ブログ注】誤字誤植だらけでしたので直しました。
     【ブログ注】新谷さんの唄は、近く別の記事に移します。

    リトル・パレスティナ 
    を観た。まだロシアの侵攻が始まってすぐの頃だ。
     ウクライナの現状とパレスチナの現実。
     状況は似ているのに、「国際世論」も「世論」も雲泥の差だ。
     ここに「国際社会」というものの真の姿が見えてくる。
     
     とはいっても、ウクライナの問題にパレスチナ問題を「ぶつける」のは望ましくない。
     日常の会話で3分、5分「の会話」が限界ならば、世間話や相手の抱えている緊急の用件もある。職場では日常業務の用件や軽口の会話が優先だ。労働現場の要請を知らぬふりして『前進』業務に明け暮れた昔を苦々しく思い出す。
     映画·映像の力は素晴らしい。そこから生まれた想い・想像力こそが「有効性」を発揮できるのだと思う。
     その圧倒的な力も実はちょっとしたヒトコマひとこまの挿入や音とのコラボなどによって心に残る色合いが変わるのだという。
     お茶菓子の有無やその味わいいかんで勉強が進むか否かが決まるとは誰の話だったっけ。

     字幕に追われて画面に追いつけない。少なくとも2回、繰り返しみたい、とおもう。

    【ブログ注】
     論考は九州の尾*さんが、ロシアの侵攻以来ひと月半後の4月22日に書き上げたもので、ずいぶんと「タイムラグ」もあります。ブチャの虐殺が明らかになったころの物。
     しかしまた、マリウポリの陥落(降伏)と東部ドンパスでのロシア軍の猛攻の頂点にある現在は、一面ではその提起の一番当てはまるときのような気もします。ブログの判断で見出しと段落をつけました【以下転載】

     今日は2022年4月5日です。ロシアが占領していたウクライナのキエフ近郊の都市でロシア軍によるジェノサイド・大量虐殺が起こっていると報道されています。戦争に関する報道は最初だけが真実だといわれてもいますが、ジェノサイドが引き起こされたようです。
     プーチン政権はジェノサイドそのものは否定せず、ロシア軍の関与は否定しています。プーチンは2月24日の開戦当日に、「ドネツクのロシア人を大量虐殺から救え」、「NATO軍の侵略からロシアを守れ、これはネオナチと闘う大祖国防衛戦争だ」と演説し、ウクライナ侵略戦争に踏み込みました。
     そこにはロシアとウクライナの民衆が共に生きる、平和な生活を実現する考えなど全くありません。
     ロシアによるウクライナ侵略戦争そのものです。
     侵略戦争は三光作戦【註】と女性へのレイプ暴行は必ず繰り返されます。それは侵略戦争の目的には民衆にとっての大義・正義がないからです。ロシア軍のウクライナでの「三光作戦」は人類への犯罪です。
     【註】(三光とは日本軍が中国侵略戦争で行った殺光・殺し尽くす、焼光・焼き尽くす、搶光【そうこう】・奪い尽くすのこと)
     同時に、わたしはゼレンスキーー政権やそれを支援するNATO軍や日本などにも責任があると思います。それはロシアの侵略に対してウクライナの政権と軍の戦争目的は「ウクライナの民衆を何としても」守りぬくという物ではないからです。もし民衆を守るのであれば、民衆とともに撤退するはずです。
     しかし、ブチャではウクライナ軍は軍隊だけが撤退し、逃げ出す余裕のある人たちだけが逃げ出し、逃げ出す手段とお金のない人たちはそこにとどまる以外にありませんでした。ウクライナ政権と軍は民衆と町々を無防備のままロシア軍の前に放置したということです。軍隊は民衆を守らないという歴史の真実がここでも繰り替えされました。ロシア軍がそこへ侵略してくれば何が起こるのかはわかっていたのに。ウクライナのぜレンスキー政権下の軍隊は民衆を守らなかったのです。
     民衆をひきつれて後退する、安全な場所に民衆を誘導するために軍隊は動かなかった。民衆を守るために全力を尽くすか否かでその軍隊の戦争の目的が明らかになります。
     ゼレンスキー政権の軍隊にも民衆の命と生活を守るという大義はなかったのです。ジェノサイドの責任はロシアと米日をはじめとする西欧の両者にあります。

     今回のウクライナ戦争は強盗どもの領土分割をめぐる強盗どもの戦争です。戦火の中に放置され虐殺された民衆の側にわが身を置き、戦争を止めるために、戦争をなくすための行動に立ち上がりたいものです。
     ……… ……… ………
     こう書きながら現に今起こっている戦争を、ジェノサイドをとめるために自分は何をしたのか。なにができるのかと悶々と考えています。これまで二けた足らずの難民しか認定しなかった日本政府は政府専用機に20人のウクライナ人を救出し今日帰国します。中東から欧州に逃げてきた難民には見向きもしなかった日本政府が突然の変身です。決して日本政府が人道主義者に変身したのではありません。ウクライナのようにならないために軍備の増強を、核武装をという声はあっという間に世論を飲み込みました。それが狙いです。

     戦争を繰り返してはいけないという思いをしっかりと胸に抱いて。………以下略

    【ブログ注】
        東部ドンパス地域では「包囲される前に撤退か?」という解説もあったけれど、結果的には避難は間に合わないようです。
        ウクライナでも日本政府は「難民認定」をあくまでも拒否して「避難民」としている。
    あくまでも今や批判と怒りの焦点でもある入管体制を護持するつもりのようだ。この国はどこへ行こうとしているのか?














     なかなか解けない疑問に直面したまま疲れ果てている時、友人の紹介で映画ひまわりを観てきました。
    直近の戦況
     その間に、ウクライナの戦局は、とんでもない「予想に反した」方向に進んでいます。
    南東部のマリウポリでは、ロシア軍の攻囲に耐えてきた準国軍の「アゾフ連隊」が最終的に降伏し、ロシア側支配地域に連行されました。
     他方で東部では、米欧の兵器や情報の支援を受けて、ウクライナ軍が、場所によっては国境まで押し返していると報じられています。しかしまた直近では、東部ではやはりロシアの攻勢が山場を迎えている。
     包囲される前に撤退か?市街戦を覚悟するか?
     米欧からの最新式の大量の兵器が間に合ってウクライナ側の逆襲が始まるのはもう少し先だとか?

     「米国によるのロシアの誘い込み」論は、けっこう本物だったと痛感します。とはいえロシアの軍事侵略はなんら免罪されるものではありませんね。ロシア軍による虐殺や「非人道的行為」は許してはならないと思います。「国際的戦争法規」や赤十字などは、やはり貴重な賜物でしょう。
     ゼレチンスキーの「リメンバー・パールハーバー」の真珠湾奇襲とは何であったのか?改めて問い直したいとも思います。「ハルノート」が日本を追い込んだことも事実でしょうが、中国大陸からの撤退を拒否して戦争に打って出たのは明らかに日本の軍部・天皇国家でした。歴史修正主義者が幅を利かせている今日、そしてスターリン主義ソ連の参戦で歪められた「第二次大戦=民主主義対ファシズム」観を改めて覆すことも今後の大きな課題の一つでしょう。

     しかしまた、超近代兵器による「武器による戦争」の恐ろしさはまた別の物。現状の戦争は「低強度紛争 - Wikipedia」に当たるそうですが、それ自体ずいぶんと概念が変わっているとも聞きます。

     米欧による対ロシアの「経済制裁」は事実上、ロシアの人々への「空襲に等しい」。米軍による東京大空襲やわが前橋でのそれを改めて思い出しました。現代の戦争は互いに互いの国民を標的にしてこそという「戦争的合理性」を前提に考える時、そのおぞましさにも慄然とします。
     そして戦争は常に「社会的弱者を真っ先に襲う」ということも明らかになっています。
     経済制裁による諸国・人々の疲弊に対する説明と政策が見えない中、「経済制裁による世界の減衰」や政治の大混乱も真正面から向き合うべき多くの課題を抱えた大問題だといえそうだ。

    名作映画「ひまわり」に隠された”国家のうそ”
    ひまわり 上映館・上映スケジュール<全国>|映画の時間映画ひまわり に関するニュース
    (WEBから)今のウクライナのいなかの戦線で現地の中年のおばさんが進駐してきたロシア兵の「あんたたち何しに来たの?」って言いながらポケットにひまわりの種をねじ込み「あなた方がここで死んだらここにひまわりが芽を出すことになるわ!」と言ったと聞いてソフィアローレン、マストロヤンニの名作「ひまわり」を思い出した。究極の反戦映画だね!(以上引用)

    ひまわりのストーリーは別のところでご覧ください。
    ここでは、
    ①主人公たちの愛を引き裂く徴兵制度。「正義の戦争」であれ、「不正義の戦争」であれ、夫婦や家族を引き裂く現実。「精神病」を演じて徴兵忌避を策した若夫婦。「徴兵」と戦場。(ここではムッソリーニ時代の話ですが)
    ⓶ウクライナの雪原を敗走し、雪に覆われて死んでいく兵士たち。その中でもなんとか生きたいと抗う群像。
    ③凍死寸前の「敵国兵士」をきゃしゃな体で両脚を抱いて必死に救い出そうとする女性。いったい何が彼女の心をあれほどまでに動かしたのだろう?数歩歩くたびに心配そうに生死を確かめてはホッとして微笑む。
    ④戦後数年、帰らぬ夫を探しにソ連をさまよう妻。イタリア人であることを捨ててロシアで生きる元兵士。
    ⑤生きていた夫と現地の妻子。妻と現妻との無言で心からの語り合い。元妻と夫の熱く悲しい別れ。激しく悲痛なそしてたくましい選択。
     改めて、日本の戦後に遅れて復員してきた兵士たちの物語を思い出した。
     私たちの世代は、戦争に抵抗できなかった父母の世代を激しく否定して「子どもたちの戦争責任」の立場を確立した。けれども、それぞれの父母たちの無言の生きざまが、曲がりなりにも戦後の「(直接の)戦争のない」70有余年の歴史を築いてきたのだと改めて思いいたる。戦時下の青春を生きた人たちの想いの底に触れようともしなかったのかとも?この齢になると50年・70年という年月がいかに大きなものかということも、けれどまたほんの直近の過去だということも同時に感じる。歴史観…
     戦争とは残虐で恐ろしいものだ。人も自然も社会も激しく破壊して変えてしまう。
     けれどまた、あらゆる力や可能性を「戦力」に変えようとする以上、誰もが思いもしない様々な力と可能性をも秘めているともいえよう。そしてそこに生きる人がいる以上、そこに世界がある以上。
    70年代のラブシーン 
     そう、映画としては冒頭の、であったばかりで恋に陥る若い男女の海岸でのラブシーンはさすがイタリア作品。砂浜で激しく抱き合って後、起き上がるとぱたぱたと軽く衣装をはたいただけでサバサバする女性の姿。短い新婚生活では、料理ができる北部イタリア男と、それを手伝う「田舎の女」のいききとした互いの呼吸。言葉での会話に続いて息の合う共同作業。何か21世紀にしてようやく日本でも見られる光景のような気がして。
     50年前に、この姿に感動した同世代の想いに今ようやく気が付いたような気もする。映画・演劇・歌と楽曲。時間がない、金がない。それを理由になんと惜しい、貧しい精神生活だったのか?理由はいくらでもあったけれど、「痛苦」「悔恨」を今からでも埋めたい。
     長くなったので、「動物農場」は次の機会にします。

  • https://www.ghibli-museum.jp/animal/story

    映画『動物農場』公式サイト 伝説のH&Bが半世紀前に描いた、永遠不変の権力の寓話。ジョージ・オーウェル原作『動物農場』、ついに日本解禁。公式サイトでは作品解説から、最新情報まで …




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