2023年12月

駆け足で…
ガザの戦時のただ中で、だからこそ「平時の日常」を振り返っておきたい。

「日常」とは?
 20年前にはガザやヨルダン川西岸から「イスラエル」に多くの人々が出稼ぎに行っていたという。
 けれど今、ガザは分離壁に囲われて、出ることも入ることも困難な年月が続いている。
 ハマスを通じたアラブ世界からの支援や、並行する国連などによる生活支援などは、「飢え死にしない程度」にとどまり、言わば真綿で首を締めるようなもの。イスラエルの空爆被害の写真で見る限り、平屋建ての民家のほかにも低所得者用の集合住宅が立ち並び、家族の空間は成り立っているようだが、明日の希望の持てない日々が当時の青年たちから次の青年たちに引き継がれようとしている。
 ガザを流れる地下水路の上流を支配するイスラエルの入植者がじゃぶじゃぶと気ままに使えばガザはたちまち渇く。
 大人の男たちは、昼は街角で日がな一日あてもなく過ごすのだという。
 ヨルダン川西岸地区もまた、分離壁とともに押し寄せる、年々拡大するユダヤ人の武装植民の村々に押し流される。西岸を緑の豊かな大地にして働くパレスチナ人農民たち…。その農地もそして大事なのみ水・水利もまたとるか取られるかの中。
    パレスチナへの旅を振り返って(その2) 辻信一 (sloth.gr.jp)からの要約。以下も

分離壁ー心の壁

「どうやら、壁っていうのはパレスチナをどんどん追い詰めながら、同時に、パレスチナという存在そのものを呑み込んじゃおうとしている。かつてはあんなに豊富にあった「あいだ」がもうなくなってきている。壁が目指しているのは、こちら側の拡張で、あちら側をなくしてしまう、ということなんですね。


 ぼくの友人で非暴力平和運動のリーダーであるサミ・アワッドは、エルサレムに住んでいたおじいさんを48年の戦争で亡くしている。戦争前、子供だった彼のお父さんはいつも近所でいろんな民族の、キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒の子供たちと一緒に遊んでいた。互いを区別しながらも、混然と、雑然と生きていた。境界とはそういうものだった。しかし今では、ガザに住むおじさんやおばさんたち親族と、西岸地区に住むサミは、もう何年も会うことすらできない。


 日本にもう40年も住んでいるイスラエル人の元兵士で、家具職人をやりながら熱心に平和活動をしているダニ・ネフセタイという人がいます。彼によると、彼がまだイスラエルに住んでいた頃は誰もが自由に西岸地区やガザに行けた。ユダヤ人でも普通に買い物したり、パレスチナの人々と付き合うことができたって。


 1967年の戦争の後なのに、イスラエルとパレスチナの境界とはまだそんなふうに両者が混じり合う曖昧な領域だった。両者は顔の見える関係だったし、お互い、どんな暮らしをしているかが見えていた。でも、今ではイスラエル人には壁の向こう側にあるパレスチナが見えなくなっている。【以上転載】

 この報告から数年後の「今」を読み解くと、パレスチナ人も、そして特にユダヤ人はなお、互いの顔を忘れて20年、相手を恐ろしい敵・猛獣のように想像して突き放すような20年を過ごしてしまったということになる。生まれたばかりの赤子がハタチになってしまったのだ。
 壁を取り払う、壁の向こうにいる互いの生きた姿を日々垣間見る。そんなことから始めない限り、対話も共存も成り立ちそうもない。


パレスチナ子どものキャンペーン (ccp-ngo.jp)


【報告】サラ・ロイさんと徐京植さんとの対話 ...

【考察 ユダヤ人問題とは?】
  「ユダヤ民族」は民族か?なぜ?いつから?どこから?
  「ユダヤ人」は基本的にはヨーロッパの「インド・ヨーロッパ語族」の一派であることの確認。
    ーーーーイスラエルとは中東に植民した欧州白人国家。
 そして「族外婚禁止」と迫害で生まれた幾多のユダヤ人コロニーの集合体。
 ただ、2000年の歴史は、ユダヤ人の相貌・遺伝子を欧州系に変えてしまった。
  ロシアの祖地とされる「ルーシー」では領主がユダヤ教に改宗して東欧のユダヤ人が誕生したという話もあるそうだ。
  

【ブログから】
 実は今月に入ってインフルエンザにかかってしまいました。
 数日間の微熱と倦怠の後で病院の発熱外来で感染の診断とタミフルを得て、しばらく休みました。
 
 その間に事態はいっそう悪化し、同時に内外の様子も急速に変貌しています。
 私自身は体力・知力の低下も著しい。
 で、当初の計画をあちこちで極端に端折り、このテーマでの論考を終えます。……… ……… ………

 もうろうとしながらですが、テレ東の下記もまた迫力あるものでした。
 今回のブログ記事を終えてその気になったらゆっくりご覧ください。2本、長いです。
豊島晋作のテレ東ワールドポリティクス】
 (8) 「イスラエルの論理」を徹底解説~たとえ世界を敵に回しても戦う理由とは?(2023年11月30日) - YouTube 73分

「パレスチナの論理」を徹底解説~「ハマス憲章」で読み解く”弱者の論理”とイスラム武装闘(2023年12月8日) (youtube) 63分


☆ちょっとした資料や…
イスラエルの国防相が「我々は人間の顔をした動物と戦っている」

   BBC、ハマスを「テロリスト」と説明しない編集方針を擁護 英 ...
 ウェブ2023年10月12日 · BBCは11日、パレスチナの武装勢力ハマスを「テロリスト」と説明しない編集方針を擁護した。 ハマスを「テロリスト」と呼ぶべきか BBC「むしろ理解妨げる . • BBC - 【解説】 9/11から20年、アフガニスタンで学ばなかったか ... • 【解説】 ハマスとは何者か 今イスラエルを攻撃した理由は - BBC • 「9/11」から20年 あの日、何があったのか - BBCニュース 詳細 「ハマスのテロ組織指定解除を」欧州司法裁判所 ... 

【ビッグ・テック(巨大IT企業群)が戦争犯罪に加担】イスラエル ...

2023年12月10日 12:17【以下転載】 

 10月27日『The Grayzone』ワイアット・リード
(左派の調査ジャーナリズム・ウェブサイト『グレイゾーン』記者)翻訳:脇浜義明

パレスチナ支援のアカウントが停止
 イスラエルが米国の容認のもと、パレスチナ人ジャーナリストやアル・ジャジーラのジャーナリストを空爆によって口封じする中で、ビッグ・テック(巨大IT企業群)もそれに協力している。

 10月7日のアル・アクサ洪水(ハマスの反撃)の後、複数のSNSプラットフォームが多数の著名なジャーナリスト、人権活動家、パレスチナ人活動家のネット発信を停止、または無効にした。ネット上のイスラエル批判やシオニズム批判に対する検閲は前々からある。親イスラエルのプロパガンダはOKで、反イスラエルの内容はNG、とする二重基準は非難の的だった。
 10月5日、「パレスチナに目を向けよう」(Eye On Palestine)のアカウントがインスタグラム、フェイスブック、X(旧ツイッター)から消え、600万人以上のフォロワーがガザの現状を直接映像で伝える情報源にアクセスできなくなった。
 これに対してインスタグラムとフェイスブックの親会社メタのスポークスマンは、「この中断は政治的動機によるものでない」と主張し、「アカウントが発信している内容を原因としてアカウントを停止したのではない」と弁明している。
 メタの弁明の嘘は明白だ。これまでにも、メタがイスラエル政府の検閲要請に協力した経歴がある。2016年、政府が「扇動的」と見做すコンテンツをSNSから削除する権限を政府に与える「フェイスブック法案」が承認された後、イスラエルのアイェレット・シャーケド元法務大臣は、「フェイスブックもツイッターも、グーグルも削除命令の70%に従っている」と誇っている。(つづく)

☆現地報告
 日赤 ガザ会見報告 - 検索 動画 (bing.com) 国境なき医師団の報告も一覧に出てきます      長いものは1時間を超えますが短いものは…

     労働党 (イスラエル) - Wikipediaなど
     20世紀初頭からパレスチナへのユダヤ人入植を先導してきた政治勢力である労働シオニズム社会主義シオニズム)の流れをくみ、建国後も長きにわたり与党として社会を主導してきた、イスラエル建国エスタブリッシュメント政党。パレスチナとの融和・共存を掲げる中道左派新政党カディマ結成前は右派リクードと並ぶ、イスラエルの二大政党の一つ。

     
     労働党は、建国以来長らく政権を担ってきた。その中で、キブツなどを重視した社会主義的政策が労働党の中核でもあった。ところが、前述のとおり21世紀を迎えて以降は右派と協調することも多くなり、その中で右派政権の新自由主義政策を追認することもあった。ただ、ヤヒモビッチが党首になってからは、イスラエル国内で急速に増加しているワーキングプアについて警告するなどしており、今後、再び左派政党としての存在感を高められるかどうかが焦点となっている。

    イスラエル、2050年の人口予測を発表(イスラエル) | ビジネス短信 ―ジェトロの海外ニュース - ジェトロ (jetro.go.jp)
  1. 1950年代~60年代には世界からユダヤ人の移民流入が相次ぎ、当初100万人だったイスラエルの人口は、1970年代には300万人台にまで拡大した。さらに、1991年のソ連崩壊前後に旧ソ連圏からのユダヤ人の大量流入が起こり、再度、人口は大きく増加した(下図参照)。
    2020年現在では890万。


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【ブログ注】大坂裁判の判決公判が12月22日に迫っています。以下、『前進』その他から駆け足で転載。ひとまずは裁判の現段階を、『前進』記事の抜粋から共有しよう。71年渋谷暴動闘争は、私たちが共有し、生きてきた歴史的体験なのだから。少し長いがこの際…

【以下転載】……… ……… 以下は「アーカイブ」(過去記事のカテゴリー 弾圧との闘い、などから)……… ……… ………

 

 第15~16回公判(3月7、9日)でっち上げ供述調書の破綻

 

★★大坂救援会★★

 「星野、奥深山、大坂が死亡した警察官を殴打していた」とするでっち上げ供述調書を多数作成した当時の取調検事・中津川彰の証人尋問が第15回公判で行われました。体調不良を理由に1月の公判に不出頭だった中津川ですが、弁護団・支援の強い怒りに追い詰められ、ついに法廷に引きずり出されました。

違法な取調を「正義」と開き直った中津川 第15回公判

 検察官は「中津川元検事は高齢であり、事件に関して何も覚えていない」と主張し、星野裁判での公判調書の採用を求める策略でした。中津川もこれに乗っかり、自らの年齢さえ大きく間違えるほどでしたが、弁護団の反対尋問に追い詰められ、次第に本性をむき出しに開き直り始めました。

 父親が取調室でARを殴りつけ、それをきっかけにARが供述を始めたことに対し、「公安部の検事としてARの人間性を立ち直らせたと自信を持った」「こういうおかしな人間に対して、まともな人間にさせるために検事になった。ARを反省させられた」と暴力的な転向強要を自慢。

 黙秘権を侵害する違法行為ではないかと弁護団に詰め寄られると「考えないね、そんな」「おかしいじゃないかというが、これは僕の人間性。ARのため、ARの父親のため」と開き直りました。検察庁で取り調べるのではなく、自ら警視庁地下取調室に出向き、警察の調べに続いて深夜に取り調べを行ったことを「サービスだ」と主張するなど、拷問的取り調べの実態とでっち上げを是とする国家権力の本性が中津川の証言を通して赤裸々に暴かれました。

 もっとも許せないのは、弁護団がこうした拷問的取り調べの実態を具体的事実を突き付けて追及するや逆切れし、大坂さんに対して「正義の味方の中村巡査が殺された。生きていること自体が、正義の味方として私の正義感が許さない」と暴言を吐いたことです。無実の星野さんや大坂さんをでっち上げておきながら、何たる言い草でしょうか。でっち上げの下手人=中津川を絶対に許さないぞ!

M証人が中津川のでっち上げ手法を厳しく弾劾

 第16回公判は、中津川にでっち上げ調書を作られたMさんが証人として出廷しました。 

 青年労働者だったMさんは社会の矛盾を感じ、中野社研で学習会を重ね、反戦青年委員会の仲間と1114闘争に参加しました。
 翌年1月に事後逮捕され黙秘しますが、最大で1日18時間に及ぶ拷問的取り調べを受け、意識がもうろうとする中、でたらめな供述を強要されました。

 証言台に立ったMさんは「黙秘が認められず、拷問的取り調べをうけ、うその証言をさせられた。知らない人を、捜査官に言われるまま認めた。信念を曲げて供述してしまい、今でも悔しい。無実のKさんに迷惑をかけ、50年間いつも負担だった」と涙ながらに訴えました。厳冬の1月に取調室の窓を開けっぱなしにされたり、わざと手錠を外さないといった拷問の実態や、知らない人を特定する「写真面割」のでっち上げ手法が法廷で暴露されました。

 両日とも、権力への心の底からの怒りがあふれる証人尋問でした。傍聴していた若者が「見ごたえがあった」と興奮して友人と語り合うなど、権力のでっち上げは完全に暴かれました。


2627回公判 弁護側立証、無実の証言続く

 
裁判は弁護側立証に入り、大坂同志の無実を明らかにする証人の登場で権力のでっち上げが一層明白となっている。
   証言台に立ったのは、元東京南部地区反戦の◯氏、元工学院大のY同志、元東京西部地区反戦の I*氏、ら。

    闘争前日の工学院大学の学生が1人、神谷町の現場から2人の反戦派労働者、そして…


第26回公判 「工学院に大坂はいなかった」 

 大坂同志を全く知らない群馬の学生たち(少年含む)が、死亡した警察官を殴打していた人物を「事前に見かけた」とされている場所が、デモの準備で訪れた工学院大学(新宿)だ。


 
当時工学院大学の学生リーダーとして1114闘争を闘ったY同志が証言台に立った。
 
   Y同志は
「群馬の奥深山幸男さんから、デモで使う旗ざお作りを手伝うと連絡が入った。彼らは数日前から東京に来て、デモの準備をしていたようだ」

  「
工学院は三多摩全学連の拠点校。三多摩の仲間は出入りするが、群馬の学生が来たのは初めて。千葉の大坂さんは工学院大学に来たこともなければ、来なければならない理由もなかった。皆、各地区で闘争への参加を全力で組織していた」

と真実を突きつけ、権力のでっち上げストーリーを破綻に追い込んだ。


 群馬の学生らのでっち上げ調書に繰り返し登場する「工学院大学の責任者」Y同志の毅然とした法廷証言に、検事は反対尋問で事実関係について全く触れることができなかった。ひたすら「あなたは革共同集会に参加しているか」「昨日行われた星野・大坂集会に参加したか」「裁判の内容を熟知しているのではないか」と、証言の信用性に少しでも傷をつけようとケチ付けを試みたが、まったく迫力を欠いた。「工学院で見た男が殴っていた」「それは大坂だ」という権力のでっち上げストーリーは完全に崩壊した。


 
 
27回公判、反戦労働者が殴打現場の証言
 
 第
27
回公判では渋谷闘争に反戦青年委員会の労働者として地域の仲間をまとめる立場で参加したI 証人が、殴打現場に大坂同志と似た身長・体格の人物がいなかったことを明快に述べた。


 「殴打していた人は大柄で、横幅もあった。体格からして大坂さんとは別人」
 「当時の私の身長は178センチ。大坂さんの手配書の記載と一緒。
私と同等の身長の人は、警察官を取り囲んだ集団の中にはいなかった

 「
私は殴打現場を取り囲む輪にいて事態を目撃したが、部隊をまとめるためにデモ隊の総指揮者である星野さんに注目していた。
 星野さんは殴打現場ではなく、そこから離れた十字路にいた

と証言し、殴打現場に大坂同志がいなかったことのみならず、故・星野文昭同志の無実もまた明らかにした。


 

 28回公判 「殴打者は大坂さんではない」 共に闘った労働者が堂々と証言

 東京南部地区反戦青年委員会の労働者として1114闘争に参加したHさんが証言した。

  H証人

「隊付きレポという役を命じられ、デモ隊に並行して動き機動隊の動向を報告するように求められた。だが、いてもたってもいられず仲間と共に闘い、東急本店前で現行犯逮捕・起訴された」

「取り調べでは『殴打現場にいただろう』『神山交番に放火しただろう』と追及され殺人罪でっち上げも覚悟した」と、自らの闘いを明らかにした。
 
 そして
「殴打現場を至近で目撃した。のちに大坂さんの指名手配写真を見て、絶対に間違っていると一瞬で確信した」
「沖縄闘争を憎悪する権力によるでっち上げ弾圧だ」
と権力を弾劾した。

「殴打者はガタイのいい男だった。大坂さんとは全然違う体つきだった
」と言い切った。

 検事は「証人が目撃した殴打者の身長は170㌢か、171か、それとも172か」など、実にくだらない反対尋問で傍聴席の失笑を買った。また「証人は革共同政治集会に、渋谷暴動事件の証人自身の裁判が終わった後、42回も参加している」など、証言の信用性を傷つけようとしつこくケチ付けを続けた。

 だが「星野さんの虐殺は許さない。大坂さんへのでっち上げを許さない」という証人の固い決意と真実の証言の迫力が権力を圧倒した。

 証人尋問の後、審理計画についての手続きが行われた。6月の残りの公判期日をすべて取り消し、次回第
29
回公判は7月6日(午前10時 東京地裁)に行うことが決まった。

免訴の証拠調べを却下する暴挙

 裁判所は、弁護側が求めていた免訴に関する証拠調べ請求を、すべて却下する暴挙を断行した。半世紀以上前の事件の裁判が「違法ではない」と開き直り、免訴について審理すら行わないと言い放ったのだ。

 裁判所による「奥深山幸男の公判停止が
35
年以上の長期にわたったとしても、大坂被告人に許容しがたい不利益が生じたものということはできない」「裁判所の判断に刑事法の研究者の知見が必要であるとは言えない」との決定は、怒りに堪えない。


大坂正明同志は無実 第32回公判 「私は殴打していない」

 
 作業時間の都合で略。右クリックしてください。


大坂裁判判決公判

 12月22日(金)午後2時 東京地裁429号法廷
 ※傍聴券配布のため、1時間前集合

【以上転載】……… ……… ………

【ブログ注】 これが全てでは全くないけれど、東京南部のHさんと東京西部・杉並(とは書いていないけど)のⅠさんが、自ら神谷町の現場にいたと証言し、”そこにいたのは大坂氏ではない”と断言したということ。

 腹を決めた2人の証言には、身が震える。「決定的な証言」でもあるが「偉大な決起」ともいえる。

 

 以上

【補足】弁護側証人の3人は、それぞれ革共同(中核派)の「常任」を務めた人だ。工学院大学→本社、東京南部・千葉。

後者の2人はすでに「同志」ではないらしい。年月の経過を思い知る。同時に、大坂裁判も、「元同志」たちの決起に支えられていることをはっきりさせた。

「ガザの今」 2023.11.19
福岡・天神から ●● 光 

【ブログ注】メールを転載します。だいぶ時間が経ってしまいましたが。太字の見出しはブログで付けました 。
【ブログ注】細部の機微の訂正ほかで、一時「非公開」にしました。お詫びします【以下転載】
 

私がパレスチナと出会ったのは2008年年末です。イスラエルのガザ攻撃に、意を決して、福岡市天神の繁華街で座り込みを始めたヤスミンさんを知ったのです。

ヤスミンさん

福岡生まれの彼はガザに住むパレスチナと結婚し、七のこどもの親になりました。が、イスラエルはビザを出さず、国を拒否、それ以来、毎晩の携帯電話の通話がお互いの存確認となったのです。詳しいことは「ハヤティ パレスチナ 夢をつなぐカフェ 」(新風舎)を読んで下さい。

ヤスミンさんは福岡市で「ヤスミン・ライブラリー」をち上げ「パレスチナのこどもに本を。⼤⼈に仕事を」を掲げ、パレスチナ問題の後援会、映画会、アラブ料理の試会などに取り組んできました。私もそれを⼿伝いながら、ガザなまりのアラビア語を学びました。
 挨拶程度しか話せませんが、ガザに住む彼の家族に会うために彼と友たちとパレスチナにもきましたが、ラファ検問所で追い返され、それはかないませんでした。 それ以来15年間、イスラエルの攻撃をはじめ、占領・封鎖・虐殺のガザの活を、間近に感じながら闘ってきました。

 

今回の攻撃は今までとは次元が違います。  ガザのどもたちの「ヒカル=光、攻撃をめるために何かして」のメールに福岡市での集会やデモに参加しています。私⾃⾝の思いを知ってもらい、1119に福岡市天神の街頭で訴えた内容等を記します。

福岡市天神での訴え 「ガザで生まれた罪?」

 「イスラエルはガザのちゃん、病、住を殺すな!爆撃やめろ!」のボードを掲げ、当初の予定をオーバーして2時間のスタンディング街宣を福岡市でやりました。駆けつけてくれたのは2、本当にお疲れさまでした。 


 イスラエルはシファ病院を攻撃し、電気も切断し、保育器の
ちゃん、病気と闘っている病、医療スタッフ、南部に避難できずシファ病院に避難していたガザ住を殺した。ちゃんや彼らが何をしたというのか。まれたばかりのちゃんを殺した。まだ始まったばかりの⼈⽣だ。この世でやったことは呼吸だけなのに。イスラエルはちゃんにも死刑宣告を突きつけ、執した。


 その「罪」はガザでパレスチナとしてまれたからだ。ガザでまれた、パレスチナでまれた間は皆殺しにしている。イスラエルはシファ病院にハマスの指揮所を発できず、第段階として、南部を攻撃し始めた。


  
ブッシュが「イラクは量破壊兵器を所持している」として、イラク侵略戦争に突した時と同じだ。侵略者の実はいつも同じだ。イスラエルはハマスが⼀⼈でもいるところは攻撃する、ハマスを⼀⼈残らず殺すといっている。これはパレスチナでまれたパレスチナは全員殺すということと同じだ。


 両親を、きょうだいを、族をイスラエルに殺されたパレスチナどもはその仇を討つとに誓う。当たり前のことだ。

なんの「罪」を犯したから殺されたのか。イスラエルが暴で「建国」した地に先祖代々住んでいただけだ。それだけの理由で殺されている。ハマスは消滅しても、パレスチナは次のハマスを組織するだろう。北部を爆撃し、死体とがれきのにしたイスラエルは次は南部を死体とがれきのにするのだ。

ガザの夜 

今、ガザ南部地区は料が尽きた。ミサイルに当たらなくても飢えて殺される。ガザの夜の寒さは厳しい。
 ⾬期にり先も冷たいが降った。ミサイルに当たらなくても凍え死ぬのだ。電気はない、がない。トイレが機能しない。WHOは感染症の蔓延と犠牲者の続出を警告している。ミサイルに当たらなくても、感染症で死んでいく。 


 イスラエルは占領・封鎖で
間がどの程度まで料不に耐えられ、電気も、道もどこまでぎりぎりに抑えられるか、ガザ地区のパレスチナきていけるかを75年間続けてきた。
 パレスチナはミサイルで殺されなくても、オスロ合意(1993年)後のせかけの独で気も失い、間の尊厳を奪うような、真綿でを絞められ、とうとうきる気も体も尽き果てている。


 ⾃
殺を禁じるムスリムのパレスチナに、殺者が急増している。 ヤスミンさんはガザのどもたちにハマスになってはいけないと厳しくってきたが、「今では、もう仕がないね。」と思っている。

  

「ハマスが悪い」のか?

202310を忘れるな、とイスラエル相ネタニヤフはいう。また、ハマスの暴はいけないとパレスチナを語る評論家はう。


 ちょっと待ってほしい。ハマスの動を評価、批判する前に2023107のニュースをてほしい75年前まで、さかのぼってニュースを調べてほしいとはわない。数前、1か前、半年前まででもいい。パレスチナのヨルダン川岸地区のが何殺されているのか、占領しているイスラエルの植者が銃を持ちどれだけのパレスチナを殺したか、イスラエル軍がどれだけのパレスチナを殺したかを知るだろう。


 そしてイスラエルは強盗の論理で、その都度、責任はハマスにあるとしてガザを空爆してきた。ミサイルと真綿でを絞め殺すつのやりでどれだけのパレスチナが殺されてきたことか。パレスチナにまれたパレスチナという理由だけで殺され続けている。
 

「ヤスミン」とガザで呼ばれてきた日本人女性の彼女はその著書「ハヤティ・パレスチナ 夢をつなぐカフェ」(新舎)で、隠しされ、をふさがれ、⼿⾜と体を縄でぐるぐる巻きにされ、転がされているパレスチナが最後の抵抗でを振り回したことに、暴はよくないとだれがえるのかと書いている。
  

イスラエルを止められるのは?

イスラエルの攻撃はどうしたらめられるのか。国際世論の切だ。しかし、イスラエルは国連の決定を無視し続けてきた国だ。それでも本を含む国際世論の声と動は重要だ。


カギはイスラエル社会

決定的にカギを握るのはイスラエル社会と政治だ。
 イスラエルの々がネタニヤフ政権を打倒し、せめて中道左派の政権ができれば停戦は可能だ。 その契機はイスラエルにある。10.7で殺され、また質にとらわれたたち。そのたちの家族、族、友の悲しみは何を持ってもかえることはできない。愛するを失ったの悲しみをることほどいことはない。かける葉もない。
 
 そのあなたが味わっている苦しみをパレスチナ75年間味わってきた。あなたが悲しいことはパレスチナも悲しい。いことは同じようにい。ここにてば何かが変わり始めるはずだ。 
 

今まではイスラエルの攻撃は停戦が成すると段落したものだ。国際政治は本も含めてガザ復興資の供与を約束し、停戦にる。この復興資約束だけで終わり、それと踵を接して国際社会はパレスチナを、ガザを忘れる。私はいつもそれを、またかと感じてきたが、今回は違う。

 ⼈道の回廊でガザに住むパレスチナは、シナイ半島の砂漠の新しい難キャンプに閉じ込められる。もしも、ガザの々が⼀⼈でもき延びていたらの話だが、もう復興などは夢物語になる。停戦は新たな占領と封鎖と虐殺の始まりだ。

 【ブログ注。アラブ諸国、パレスチナ人の強制移住に反対 イスラエル・ガザ戦争めぐる首脳会議で - BBCニュース


 ☆ ☆ ☆ ☆

、何週間ぶりにかヤスミンさんは、ガザの家族と話ができた。わずかな時間だ。彼らは南部ハンユニスに避難している。運よく屋根の下にいる。パンは列に並んでも買えない。冬物はもって出る暇はなかった。寒い。インターネットはそもそもバッテリーが価でだめ。電話の途中で、ミサイルの爆発がした。

 電話は、「ぼくたちのことは配しないで、ママの病気がよくなることを祈ってる」で切れた。 2023.11.19
【以上転載】……… ……… ………

【ブログ注】
せめて中道左派の政権ができれば停戦は可能だ。 その契機はイスラエルにある。」
あなたが悲しいことはパレスチナも悲しい。いことは同じように
この言葉をしっかりと心にとめて行きたい。

  イスラエル軍の南部侵攻が始まっているいま、「甘い」と言えば甘い。
  虐殺と破壊の末の占領統治の意図もあまりにもあけすけだ。
   さらにまた、「停戦・終結」で何も終わらないことも見え見えだ。
   けれども「今後はけしてパレスチナを忘れない」という言葉も虚しさが付きまとう。
  
   けれど、けれど、だからこそ、どんな場合でも上の言葉を忘れまい。他には代えられない。

   【追伸】家族たちはいま現在は「元気だ」とのこと。

 

野球部の想い出① 宝塚歌劇団から

下級生への「締め」ケジメの行事 中学時代の想い出

ジャニーズの性加害や宝塚歌劇団のパワハラなどが話題になっている。

ともにエンタテイナーの世界だし同根とも言える。ただ背景には幾分かの違いもありそうだ。

ここでは私の昔の忘れられない記憶。「縦社会」「上下のケジメ」

 

中学に入ってすぐ、私は野球部に入った。

当時は部活は義務制。運動部か文化部のどちらかに入れと指導された。

ま、実際には名目だけの入部で実際には「帰宅部」という幽霊部員も多かった。

私自身は進んで入った。小学校時代に楽しみにしていた町内会の野球大会が何かの都合で中止にされたこともあって、ぜひともやりたかった。

1学年100人の男子のうちほぼ半分、50人近くが野球部を選んだ。

ただ、数か月もしないうちに大半が辞めて他の運動部に移ってしまった。1年生では10数人が残った。運動神経が良かったり、独立心の比較的強い連中がバスケや水泳や陸上部に行ったようだ。選択肢が広がったのだ。

2-3年生はほぼ10人程度だったから、例年のことのようだった。

1年生は基本、球拾い。練習場もさほど広くも無いから、手が空けば半腰で「ガッチコーゼ」「ナイスバッティング」などと叫ぶのが「練習」。

それに加えてマラソンとダッシュ。立教野球部などに行った先輩たちがしょっちゅう顔を出して締める。腹筋とうさぎ跳びなどが際限なく続く。練習とは苦行か?で、みんな嫌になってしまったのだ。

 

当時の3年生の部長は○○興業の社長の息子。運動神経もずば抜けていたがそれ以上にイタヅラ・やんちゃ坊主だった。

大学の先輩たちの姿が見えると「オーイ!体育館の陰に隠れろ!」などと指令して全員一目散に走ったりした。そして全員無事に逃げおおせたりもした。

この学年は強かった。夏の市内大会には優勝。県大会でも3位に食い込んだ。

その夏の大会が終わって3年生が引退し、2年生がトップになる。

忘れもしない。部室に一人ひとり呼び出されて、後輩への『指導』が始まった。私は何番目かに呼び出された。部室の電気は消されている。2年生たちが暗がりに広がり、囲んでくる。「オメエ、××」「テメエ△△」。雨あられと周り中から罵声・非難の声が飛んでくる。「謝れ」「反省しろ!」

ついには「キサマ、生徒会の役員をいいことにして練習をさぼりやがって」「すこし成績がいいからと言ってでかい面しやがって」

尊敬していた先輩たちから投げつけられた罵詈雑言の数々に、涙が止まらなくなった。泣きながら抗議した。「先輩のみなさん、俺のことを理解して応援してくれているとばっかり思っていたのに、なんで突然そんなことを言うんですか!」。「オレは本当に、一人ひとりに家族のような気持ちでいたのに!」

ワンワン泣きじゃくりながら、抗弁し続けた。

「もう良い、分かったら今後気をつけろ」の一言で帰された。

そして次のメンバーが呼び出された。

 

憤然として帰ってきた同級生もいたし落ち込んでうつ向いていた友もいた。ただ、泣きながら抗弁したのは私だけだったらしい。

それが附中野球部の連綿と続く伝統であり、2年生の天下を確立するための代替わりのシメの儀式だったことはすぐに分かった。
  この学年は市内大会の3位だった。

 ***

その1年後、同じころ、私達も同じ儀式をやることになった。

私もその一員に加わった。新部長が音頭を取り、「外交担当の」主任の私もそれなりの役目を負った。

ただ、今度は同じようには行かなかった。1年生のリーダー格が激しく反発して収拾がつかなくなったのだ。「泣かせろ」「泣くまでやれ」。でも泣かないで抗弁を続ける。「分かった。帰れ」

そして数日後、1年生全員が「退部届」を出してきた。「2年生が卒業するまで、野球部には戻らない!」と宣言したリーダー格の高●たちは、徒党を組んでどこかで自主練を始めたらしい。春になり、新1年が入ってくると、彼らもまた新2年生たちに引き込まれて、すぐに退部してしまった。

 

夏の大会に向かって、新3年生は10人だけで練習する羽目に陥った。私は当初、ピッチャーに指名された。まずは足腰を鍛えろと、マラソンや50メートルダッシュを繰り返す。捕手の平●が付き添ってくれると、残りは8人。バッティング練習も守備練習もままならない。直前には1人が転校して定員ギリギリだった。そしてボロボロのままで市内大会は予想通り緒戦敗退となった。

 

敗退の翌日には、12年生が復帰してのびのびと練習を始めた。あの高●、今でも頭が上がらない。前高時代も同じ高校だったのだろうと思うが、想い出に浮かんでこない。たぶん私のいる所には顔を出さなかったのかもしれない。
  それにしても私自身の記憶では、その後に「号泣」したことも「涙なみだ」になったことも他にない。「泣けない体質」はどこから来たのだろうか?

 

【追伸①】3年生の大会1か月前くらいか?突然、新ショートが開眼した。下手の代表格でやる気のなさを絵に描いたようなグレが、とつぜんファインプレーを続発し続けた。「何が起こっているのか?」。…70歳を超えた同窓会で、積年の疑問をぶつけてみた。「フクが家に来てくれたんだ。話し込んだ。それで…。あいつは俺の命の恩人だ」。ふーん?そんな奇跡のようなことがあるんだ?人間って捨てたものじゃないね。

【追伸⓶】ⓐ野球部を嫌った同級生たち

ⓑ部活を嫌って私営の卓球場に通ったもっちゃん

©少年チームを拒否して自前のチームを作ったカミさん

東国原英夫氏 宝塚歌劇団は「上下関係はたけし軍団より凄い .

「詰める」の使い方は?

締める(シメル)とは? 

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