【ブログ注】大坂裁判の判決公判が12月22日に迫っています。以下、『前進』その他から駆け足で転載。ひとまずは裁判の現段階を、『前進』記事の抜粋から共有しよう。71年渋谷暴動闘争は、私たちが共有し、生きてきた歴史的体験なのだから。少し長いがこの際…

【以下転載】……… ……… 以下は「アーカイブ」(過去記事のカテゴリー 弾圧との闘い、などから)……… ……… ………

 

 第15~16回公判(3月7、9日)でっち上げ供述調書の破綻

 

★★大坂救援会★★

 「星野、奥深山、大坂が死亡した警察官を殴打していた」とするでっち上げ供述調書を多数作成した当時の取調検事・中津川彰の証人尋問が第15回公判で行われました。体調不良を理由に1月の公判に不出頭だった中津川ですが、弁護団・支援の強い怒りに追い詰められ、ついに法廷に引きずり出されました。

違法な取調を「正義」と開き直った中津川 第15回公判

 検察官は「中津川元検事は高齢であり、事件に関して何も覚えていない」と主張し、星野裁判での公判調書の採用を求める策略でした。中津川もこれに乗っかり、自らの年齢さえ大きく間違えるほどでしたが、弁護団の反対尋問に追い詰められ、次第に本性をむき出しに開き直り始めました。

 父親が取調室でARを殴りつけ、それをきっかけにARが供述を始めたことに対し、「公安部の検事としてARの人間性を立ち直らせたと自信を持った」「こういうおかしな人間に対して、まともな人間にさせるために検事になった。ARを反省させられた」と暴力的な転向強要を自慢。

 黙秘権を侵害する違法行為ではないかと弁護団に詰め寄られると「考えないね、そんな」「おかしいじゃないかというが、これは僕の人間性。ARのため、ARの父親のため」と開き直りました。検察庁で取り調べるのではなく、自ら警視庁地下取調室に出向き、警察の調べに続いて深夜に取り調べを行ったことを「サービスだ」と主張するなど、拷問的取り調べの実態とでっち上げを是とする国家権力の本性が中津川の証言を通して赤裸々に暴かれました。

 もっとも許せないのは、弁護団がこうした拷問的取り調べの実態を具体的事実を突き付けて追及するや逆切れし、大坂さんに対して「正義の味方の中村巡査が殺された。生きていること自体が、正義の味方として私の正義感が許さない」と暴言を吐いたことです。無実の星野さんや大坂さんをでっち上げておきながら、何たる言い草でしょうか。でっち上げの下手人=中津川を絶対に許さないぞ!

M証人が中津川のでっち上げ手法を厳しく弾劾

 第16回公判は、中津川にでっち上げ調書を作られたMさんが証人として出廷しました。 

 青年労働者だったMさんは社会の矛盾を感じ、中野社研で学習会を重ね、反戦青年委員会の仲間と1114闘争に参加しました。
 翌年1月に事後逮捕され黙秘しますが、最大で1日18時間に及ぶ拷問的取り調べを受け、意識がもうろうとする中、でたらめな供述を強要されました。

 証言台に立ったMさんは「黙秘が認められず、拷問的取り調べをうけ、うその証言をさせられた。知らない人を、捜査官に言われるまま認めた。信念を曲げて供述してしまい、今でも悔しい。無実のKさんに迷惑をかけ、50年間いつも負担だった」と涙ながらに訴えました。厳冬の1月に取調室の窓を開けっぱなしにされたり、わざと手錠を外さないといった拷問の実態や、知らない人を特定する「写真面割」のでっち上げ手法が法廷で暴露されました。

 両日とも、権力への心の底からの怒りがあふれる証人尋問でした。傍聴していた若者が「見ごたえがあった」と興奮して友人と語り合うなど、権力のでっち上げは完全に暴かれました。


2627回公判 弁護側立証、無実の証言続く

 
裁判は弁護側立証に入り、大坂同志の無実を明らかにする証人の登場で権力のでっち上げが一層明白となっている。
   証言台に立ったのは、元東京南部地区反戦の◯氏、元工学院大のY同志、元東京西部地区反戦の I*氏、ら。

    闘争前日の工学院大学の学生が1人、神谷町の現場から2人の反戦派労働者、そして…


第26回公判 「工学院に大坂はいなかった」 

 大坂同志を全く知らない群馬の学生たち(少年含む)が、死亡した警察官を殴打していた人物を「事前に見かけた」とされている場所が、デモの準備で訪れた工学院大学(新宿)だ。


 
当時工学院大学の学生リーダーとして1114闘争を闘ったY同志が証言台に立った。
 
   Y同志は
「群馬の奥深山幸男さんから、デモで使う旗ざお作りを手伝うと連絡が入った。彼らは数日前から東京に来て、デモの準備をしていたようだ」

  「
工学院は三多摩全学連の拠点校。三多摩の仲間は出入りするが、群馬の学生が来たのは初めて。千葉の大坂さんは工学院大学に来たこともなければ、来なければならない理由もなかった。皆、各地区で闘争への参加を全力で組織していた」

と真実を突きつけ、権力のでっち上げストーリーを破綻に追い込んだ。


 群馬の学生らのでっち上げ調書に繰り返し登場する「工学院大学の責任者」Y同志の毅然とした法廷証言に、検事は反対尋問で事実関係について全く触れることができなかった。ひたすら「あなたは革共同集会に参加しているか」「昨日行われた星野・大坂集会に参加したか」「裁判の内容を熟知しているのではないか」と、証言の信用性に少しでも傷をつけようとケチ付けを試みたが、まったく迫力を欠いた。「工学院で見た男が殴っていた」「それは大坂だ」という権力のでっち上げストーリーは完全に崩壊した。


 
 
27回公判、反戦労働者が殴打現場の証言
 
 第
27
回公判では渋谷闘争に反戦青年委員会の労働者として地域の仲間をまとめる立場で参加したI 証人が、殴打現場に大坂同志と似た身長・体格の人物がいなかったことを明快に述べた。


 「殴打していた人は大柄で、横幅もあった。体格からして大坂さんとは別人」
 「当時の私の身長は178センチ。大坂さんの手配書の記載と一緒。
私と同等の身長の人は、警察官を取り囲んだ集団の中にはいなかった

 「
私は殴打現場を取り囲む輪にいて事態を目撃したが、部隊をまとめるためにデモ隊の総指揮者である星野さんに注目していた。
 星野さんは殴打現場ではなく、そこから離れた十字路にいた

と証言し、殴打現場に大坂同志がいなかったことのみならず、故・星野文昭同志の無実もまた明らかにした。


 

 28回公判 「殴打者は大坂さんではない」 共に闘った労働者が堂々と証言

 東京南部地区反戦青年委員会の労働者として1114闘争に参加したHさんが証言した。

  H証人

「隊付きレポという役を命じられ、デモ隊に並行して動き機動隊の動向を報告するように求められた。だが、いてもたってもいられず仲間と共に闘い、東急本店前で現行犯逮捕・起訴された」

「取り調べでは『殴打現場にいただろう』『神山交番に放火しただろう』と追及され殺人罪でっち上げも覚悟した」と、自らの闘いを明らかにした。
 
 そして
「殴打現場を至近で目撃した。のちに大坂さんの指名手配写真を見て、絶対に間違っていると一瞬で確信した」
「沖縄闘争を憎悪する権力によるでっち上げ弾圧だ」
と権力を弾劾した。

「殴打者はガタイのいい男だった。大坂さんとは全然違う体つきだった
」と言い切った。

 検事は「証人が目撃した殴打者の身長は170㌢か、171か、それとも172か」など、実にくだらない反対尋問で傍聴席の失笑を買った。また「証人は革共同政治集会に、渋谷暴動事件の証人自身の裁判が終わった後、42回も参加している」など、証言の信用性を傷つけようとしつこくケチ付けを続けた。

 だが「星野さんの虐殺は許さない。大坂さんへのでっち上げを許さない」という証人の固い決意と真実の証言の迫力が権力を圧倒した。

 証人尋問の後、審理計画についての手続きが行われた。6月の残りの公判期日をすべて取り消し、次回第
29
回公判は7月6日(午前10時 東京地裁)に行うことが決まった。

免訴の証拠調べを却下する暴挙

 裁判所は、弁護側が求めていた免訴に関する証拠調べ請求を、すべて却下する暴挙を断行した。半世紀以上前の事件の裁判が「違法ではない」と開き直り、免訴について審理すら行わないと言い放ったのだ。

 裁判所による「奥深山幸男の公判停止が
35
年以上の長期にわたったとしても、大坂被告人に許容しがたい不利益が生じたものということはできない」「裁判所の判断に刑事法の研究者の知見が必要であるとは言えない」との決定は、怒りに堪えない。


大坂正明同志は無実 第32回公判 「私は殴打していない」

 
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大坂裁判判決公判

 12月22日(金)午後2時 東京地裁429号法廷
 ※傍聴券配布のため、1時間前集合

【以上転載】……… ……… ………

【ブログ注】 これが全てでは全くないけれど、東京南部のHさんと東京西部・杉並(とは書いていないけど)のⅠさんが、自ら神谷町の現場にいたと証言し、”そこにいたのは大坂氏ではない”と断言したということ。

 腹を決めた2人の証言には、身が震える。「決定的な証言」でもあるが「偉大な決起」ともいえる。

 

 以上

【補足】弁護側証人の3人は、それぞれ革共同(中核派)の「常任」を務めた人だ。工学院大学→本社、東京南部・千葉。

後者の2人はすでに「同志」ではないらしい。年月の経過を思い知る。同時に、大坂裁判も、「元同志」たちの決起に支えられていることをはっきりさせた。