以下も同名の中核派ブックに関して。「所感」だけですが。

1)「幻想的国家」論に「暴力国家」論を対置
 もともと、80年代には、ほぼ「暴力論」に傾斜していました。「未発表」の野島論文(?別人?)で、「確立」していたといえるでしょう。
 「革命軍基軸路線」は、この「暴力国家論」と対を為していたのだということ、それが今、「新指導路線」の「進路を照らすもの」として打ち出された意味は、きわめて大きい。

2)本多氏の「幻想国家論」を廃棄
 本多氏はもともと「幻想国家論」であった、と私は記憶しています。
 また、「継承か解体か」だったと思いますが…「暴力と幻想の二つの契機」をあげています。ここでは、国家の「二つの契機」として、「対外対抗と対内統制」をもあげていたと思います。
 「今さら」ですが、「継承か解体か」を廃棄するのなら、それを明言するのが「理論家」の義務ではないでしょうか?
 「本多中核派は終わった」「清水中核派は『一度死んで生まれ変わった中核派』であり、元には戻らない」というのなら、そうはっきりさせるべきでしょう。

3)「対外」と「対内」の問題
 ロシア国家の建設が、「ダッタンの脅威」をテコとして、軍事的要請を帯びて進んだこと、明治維新が「外圧」をテコに早産したこと等をあげれば、「対外」の意味は分かるでしょう。韓国の歴史教科書でも、「漢民族の圧力」との対抗が独特な国家形成に進んだことを繰り返し語っています。
 マルクスも、普仏戦争で「ドイツの勝利を期待する」と明言していました。また、独仏の国境問題を検討して、民族⇒言語の境界と領土の関係を論じています。
 民族解放でも「自分の国家の建設」は不可欠・緊急の課題でした。
 現代日本の「愛国心」を歴史的に検証する作業も進んでいます。「戦争責任」をめぐって、「一部の軍部」やあるいは財界も交えた戦争責任のわい小かに対して、中核派や新左翼は、「日本人民・階級と民族の責任」をも射程に入れていました。そうしてなお、「階級・人民の多数派」を目指していたはずです。
 「暴力国家」論はその点で、「初期中核派」や「70年の中核派」と一線を画す退廃だとしか考えられません。

4)「哲学の貧困」
 「国家=共同体」論や「国家=共同幻想」論に対置して、「本質としての暴力」を掲げています。
 しかし、レーニンの「哲学」に依拠すれば、この論議は、今の中核派の立場にたってさえ、「形式としての共同体、実体としての支配階級、本質は暴力、そして概念としては…???」ということにしかなりません。一番高度で大事な「概念」がない理論とはいったい何でしょうか?
 好意的に見ても、「本質還元論」としかいいようがありません。つまり、何も言っていないのです。

5)実践的要請への無関心
 交流センター運動にとって、こんな理論が「応用」できるでしょうか?
 「応用」を前提として「開かれた環」でない理論に意味があるでしょうか?そんな理論に「検証可能性」があるでしょうか?(私はここで数学や物理の話をしているのではありません!)。
 かつて80年代、「独自の軍事大国化」論が打ちだされた時も同じことがありました。
 論の正否はおいて、安保と沖縄の現実を視野に入れないこの議論は、「米軍基地」との戦いを最大の焦点とした当時の(今も)沖縄の運動に(「本質的に」)悪罵を投げかけ、混乱させる以外の何者でもありませんでした。
 「新指導路線」下の「理論」もまた「相変わらずだ」としか言いようがありません。

6)「一国主義」の完成と対か?
 上述したように、排外主義との対決=民族問題の追放が、隠されたテーマだというべきでしょうか?
 「清水 VS 白井」問題は、政治テロを含めて根が深い。「スターリン批判と民族問題」は、いまの中核派ではタブーになってしまった。こと「革命論」の領域では、「一国革命主義」の完成、という以外の何者でしょうか?

7)「軍令」と「専制」の理論
 けっきょく、この理論の政治的目的は、「一党支配」と「党内専制支配」にあるということでしょう。
 「女性解放委員会」の諸論文が、女性たちの運動にツバを吐きつけ、「内戦下の女性運動の凍結」を(隠微に)結論付けるためのものであったように…。
 交流センターや諸運動の自立的展開にはどめをかけ、「機関」の優位を確保し、「党から派遣されたGPU」による監視と破壊を保証するための議論。目的ははっきりしているといわざるを得ません。

7)「キャリア政治」は不変
 中核派の中に公然とかつ根強く存在する「学生書記局出身」という「キャリア人事」は、確かに大きく崩れているとはいえ、中核派自体の歴史的消滅まで変わることのない「本質だ」と考えるしかありません。
 「労働者階級」の「実生活」はおろか、その接点すら経験せずにきた多くの「書記局」や「機関要員」に、いつまでコンプレックスを抱き続ければ良いのか?いまさら遅いのかもしれませんが。
 「武闘派」の「変化」に期待したり、それを前提にした「多数派工作」や「再編清水体制」での上昇志向の先に展望などないとしか考えられません。
 中核派の中で、「交流センター」が主流になる日などけしてない、あなたが腐るのが先でしょう。

8)「公開論争」と「話し合い離婚」を
 いま起こっている対立・分裂は、この点に即して言う限り、「古い軍令主義と『改善された軍令主義』との対立」以外の何者でしょうか?
 とはいえ、議論の対立が表ざたになったこと自体は歓迎するべきことだと思います。「古い、しかし阻害された地方」の「決起」が、「公開論争」を挑むなら、それは「歓迎するべきこと」でしょう。
 「協議離婚し」「財産の分配を協議し」そしてあらためて「いつの日か、語り合う」。それは、単なる夢物語でしょうか?