子育てと保育園

 誕生予定日が迫って、私は自宅に帰った。反戦の仲間にまわしてもらった他人名義で、部屋を借り一緒に住んだ。おかげで産湯をつかわせる事が出来た。触れば壊れそうなカタマリだ。妻に励まされて体を拭きあげた時、言いようのない恍惚感があった。小さな唇に手を当てると、わんわんと泣き出した。体の中から甘酸っぱい何かが動きだす。
 「己の欲するところに従いて則を超えず」――私の好きな言葉だ。この心で子どもの名前を考えてみた。妻も共鳴してくれた。
 木造長屋の隣のオバさんは「下町の人」そのものだ。子どもが泣けば首を出し、事あるごとに手を差し伸べてくれる。若い夫婦2人きりの子育てを心配で心配でしょうがない、という感じだ。
 しかしそろそろ限界だ。私たちは部屋をたたんだ。私は神奈川支社に戻り、妻は職場の近くに移った。支払いは全て済ませたつもりだったけれど、1件漏れて「住んでいたのは誰だ」と騒動になってしまった。ごめんなさい。
 私は昼間のうちに、定期的に家に通った。まだ妻は職場だ。オムツを洗濯する。伸ばし、干す、たたむ、それだけで何時間もかかる。
保育園に通うようになってからは、送り迎えも加わった。子どもを外で遊ばせながら洗濯だ。「仕事や組合で遅くなるから代ってくれ」――ポケベルで暗号表を作り、やり取りしながらスケジュールを調整し合う。
 
保育園の送り迎えは「決死」だった。山の高台に昇って、私は周囲を点検する。私が敵なら、どこで見張るだろう。どうやって襲うか。入念な襲撃プランを練り上げる。そして、敵の虚を衝くプランを作る。
 鉄パイプを近くに隠し、投げつけるべき木や石の塊をあちこちに置き、そして息子を抱き上げる。最悪の時は放り投げて逃げるしかない。柔らかそうな芝生や地形を選んで、ポイントを繋いでコースを組んだ。マンガ『子連れ狼』が連載中だった。「この子は雨ん中、骨になる……」。
 

「バイク、バイク」

 県内で日教組の集会があった。私は、ビラ撒き動員だったが、生憎な事に妻のスケジュールとかち合った。
 「ままよ」。バイクの荷台に段ボールを2つ載せ、折り紙の帆船のようにした。これなら落ちないし、風も防げる。そこに息子を抱き上げて縛り付けた。信号のたびに、居なくなっていないか泣いていないかと振り返った。気が気でないとはこんな事か。
意外な事に、子どもは大喜びだった。景色が飛び寄り飛び去っていく。嬉しい興奮がよく伝わって来た。
会場の近くの知人宅にバイクと子どもを預けて、革マルの宣伝隊と睨み合う。「もし衝突になって、パクられたらどうしよう」。心臓がドキドキだ。
子どもを妻に渡す時、バイクの話をしたら、激しく罵られた。しかし後日、バイクを見ては「バイク、バイク」と叫ぶようになった。結果オーライか。
 
2歳の頃だったろうか。約束の時間をとっくに過ぎても、妻は帰って来ない。私は子どもを柱に縛り付け、鍵をかけて部屋を出た。次の任務が入っていた。もうこれ以上待てない。
しばらくして、妻からポケベルで「至急帰れ」の連絡があった。慌てて帰ると、妻は真っ青だ。妻が帰った時、子どもの姿は見えなかった。ドアが開いていた。子どもは自分でひもを解いて、鍵を開けて外に出たのだ。「とうちゃん、とうちゃん」とべそをかきながら道を歩いているのを近所の人が保護してくれていたという。助かった。私も青くなったり力が抜けたりした。弁明のしようもなかった。それにしても、子どもの成長って早い。
 

通信簿と悪童

 学期末には、テストの採点や通信簿作業を手伝った。教師の仕事の多さには呆れ返った。1人1人の評価について、妻は私に教えるように、口に出してまとめていく。成績と努力点。「なるほど、通信簿とはこうやって出来るのか」。
 担任クラスに3人の悪童がいた。妻はよく、3人の名前を挙げて愚痴っていた。ある時、私が緊急の用事で小学校を訪ねた事があった。校門の前で中を覗いていると、子どもたちが寄って来た。偶然、彼女のクラスだった。私は言った。「お前の名前は○○でラーメン屋、お前は××、お前が△△か」。「えっ、オジさん何で知ってるの?」。「バカな悪ガキだって先生が泣いていたぞ」。「えー、先生の知り合いなんだ」。
 

泣きやまない

 時間調整に行き詰まって、時に子どもをセンター(神奈川前進社)に連れて行った。スヤスヤ寝入っている子を同志たちに預けて、会議に参加した。
 会議中に呼び出された。子どもが泣いて、泣き止まないという。あわてて戻って抱き上げた。「とうちゃん、とうちゃん」とべそをかいている。「うんうん、分かった。そばにいるからね」。しばらく抱いていると、ようやく収まった。母親がいれば、私のことは見向きもしないのに、こんな時は慕ってくれる。「2番手の親」でも、親は親だ。
 
 この頃大きな集会では、集会託児所が必ず設置された。当たり前の事で、むしろ遅すぎた。女性の会議出席を保証するために、「保育士」動員もあった。けれども、子どもと付き合える人が少ない。これでは「仏作って魂入れず」だ。時々、泣き叫ぶ子どもを見て、あやして治める役を買って出た。自慢じゃないが、その辺の母親以上だ。
妻が、保育園から帰って来て文句を言う。「いい旦那さんですねって言われた。何か、私が悪い妻って言われてるみたい」。は、は、世間から見ればそうなんだ。