25   若者と学生

若者のエイサー

 印刷工場の若手は、エイサーに打ち込んでいた。沖縄闘争で得たものの1つは、「自身の文化を継承する沖縄」への共感でもあった。印刷工場に、沖縄の女性がいた事もあろう。議論の苦手な若手たちは、踊りの内に、自身の表現手段を見出したようだ。師匠は確か、戦旗派だ。
 沖縄出身の新城せつ子さんの杉並区議選でエイサーはデビューした。時ならぬ太鼓と鐘に人々が集う。晴れ舞台で舞い終えて、みんな紅潮していた。
 コミック君は、アニメと宝塚にはまっていた。「コミックが自分の表現方法」と言う彼には『コミューン』の挿絵を描いてもらう。
困ったのはその実直さだ。ある時私が、「革共同は年功序列の社会だからね」と自嘲した。若者たちを前にして、工場指導部のKさんが笑いながら、「そうだよ。年輩者には礼を尽くさなければいけないよ」と返した。後日、何の折か、年功序列を批判した時、「だって、刈谷さんは言ってたじゃないか」とてんこ盛り君に食ってかかられた。「もっと空気を知れよ」。それが難しい「時代の子」なのかもしれない。
 
私は時々、会議をボイコットして、「三国志」や「信長の野望」にはまっていた。物事を考えようとすると、「戦力5・体力3・知力4……」というように、デジタル化した数値に置き換わってしまう。これがゲーム脳か。
 

立退き料

 社防の任務中、戦線から動員された女性に問われた。「刈谷さん、立退き料って何ですか?」。彼女が住むアパートが、近く立て直しになる。立退き料を払うから移ってくれと言われている。けれど指導部たちは、居座れと言う。ゴネれば何倍も取れる。「地主や家主は金持ちだ。どんどん取れ」。彼女の困惑ぶりが分かった。「ゴネずに出た方がいい」。ホッとした顔になる。
 私はかつて本多さんが言った事を教えた。週刊誌に、「学生の無賃乗車についてどう思うか」と言う質問への、諸党派幹部のコメントが載っていた。私たちは、あの頃ピーピーだったから、よく駅のホームから逃げ出したものだ。けれども「『搾取や収奪』と、踏み倒す事を正当化するのは良くない。泥棒や強盗を推奨できるわけがない」。そんな感じだった。
学生時代、私も、1杯のコーヒーで何時間も粘った。けれど働き出してからは、そのまま居続ける事は出来なくなった。居続ける時は、追加注文する。「踏み倒せばいいんだよ」、横ヤリを入れる学生出身者たちを無視して、語り合った。彼女も働く女性だ。
 彼女の瞳が異様なほど輝いてきた。後でほかのメンバーに、「一体、何を話したの?彼女の瞳孔、開きっぱなしだったよ」と問われた。
 
 数日後、彼女が別件でやって来た。私は別の若手の女性と話していた。目を輝かせて寄って来た彼女を一瞥しながら、今目の前にいる人に話を合わせ続ける。しょんぼりした彼女を目の端で見送る。この世代、1対1で目を向けて語り合う以外、心を開け合えない事が多い。そういう人を中核派は獲得しているのだけれど、フォローが出来ていない。「共生の運動」、そんな中で自立していって欲しい。
 

戸板で出動

 学生たちの動きには、新鮮さもあった。前進社の小部屋に陣取って、そこから法政に出動した。
 時折体調を崩す女性は、一緒に行くと言って聞かなかったらしい。学生たちは「戸板に乗せて」彼女と共に闘う道を選んだ。体調を崩す女性は多い。共同生活と「軍事行動」の中で、彼らは互いを労り合う事を学んでいた。
 学生活動家のタイプも様変わりしていた。反帝・反スタや、革命論争などはあまり語れない。他方で、「差別」に敏感な人が多くなった。「共生の精神」は若者の心にフィットしていた。やはり「サブカルチャー」の世代だ。
 「私は今、学生たちにオバン攻撃を受けている」。23歳だったか。オジさん達は「えっ、まだ若いじゃないか」。私も口を挿む。「バカだね。ハタチ以上はみんな立派なオバンじゃないか」。「年増娘と同じだ」。
 大きな穴あきジーパンの女子学生に声をかけた。「その格好で北小路さんの部屋に行きな。ミニの方がもっと良いけどね」。「うん、オジさん達を再教育しなくっちゃ」。
 

いじめ雑感

 真冬の社防勤務はつらい。「1点」に立つ屋上の見張りは、防寒着を2枚重ね着しても、体の芯まで凍り付く。社防室のストーブで、甘酒を温めるのが日課になってきた。熱い甘酒をフーフー吹きながら、会話がはずむ。
 今日の隊員は、元民青の地区キャップだったという学生(女性)だ。民青の活動と実態を詳しく聞いた。意外と着実な学習と、討論を重ねている。
 「いじめ」について話が及んだ。小学校時代の、自身の「いじめられた」体験を彼女が話し出す。何人かの人が、心から彼女の苦しかった体験に思いを馳せる。「いじめは絶対にいけない」。
 私は少し気になった。「人の心を傷つけてはいけない」という流れが、文部省批判に広がって行った時、「ちょっと待って」と押し止めた。
「いじめそのものについて、もっと考えよう。みんなはどんな体験をしている?」。……少しして私は切り出した。「確かに世に言う『いじめ』は良くない。けれど、子どもの成長にとって、いじめは欠かせないと思う。適度に傷つけ合う、適度に血を流し合う事は必要だ。その事なしに、僕らはどうやって他人の心や自分の心を知る事が出来るだろうか」。
「えっ?」、虚を衝かれたように、彼女が応答する。「いじめをそういう風に見る人に初めて会いました」。私、「あるべき人間関係とか、互いに傷つけ合わない社会とか、そんなものはあらかじめあるはずが無いでしょ?社会主義だって同じでしょ?」。
みんな黙り込んでしまった。多分私は事実上、学生指導の在り方を批判している。後のフォローが気になってくる。「1人っ子世代」が社会問題にもなっている。彼らも多分、同じ様な環境だろう。
「さあ、時間だ。1点に交代頼みます」。任務は怠りないように気を引き締めて、頼むよ。
 
 元中核派の先輩が言う。「いじめは、学校の事だけじゃないよね。会社で、職員室での『いじめ』、今の大人の社会そのものが『いじめ』社会なんだよね。日の丸・君が代強制は、立派ないじめだよね」。うーん、一番肝心な事を忘れていた。
 
編集局でも話題にはなった。女性たちの話に、男たちは「昔からあったよな」と、昔話にしてしまう。そして、腕白坊主だった男が、話の中心になる。女性たちが「今のは違うのよ」と言うけれど、座は白けるだけだ。最後に女性への反撥の言で終わった。私は少し離れて、素知らぬふりだ。