社民解体論

 『前進』に、社民(社会民主主義)批判論文が、「学習重要論文」として掲載された。編集局でも学習会が開かれた。
「これは、スターリン主義の『社民主要打撃』論そのものじゃないか」。口火を切ったのは、元・関東交通労協の事務局長を務めた人だ。中核派でも最古参世代で、労組担当だ。発言には重みがある。
城戸が「何言ってんだ、ちゃんと読めよ」と切り返す。労組さんは、トロツキーに依拠して、社民主要打撃論の犯罪性を得々と展開する。ナチスに対する共同闘争を否定し、社民とナチスを同一視したスターリニスト、その誤りと裏切りは、反スタの大事な批判点だ。対する編集長は、「何言ってんだ」とくり返すだけだ。
ロシア君が続いた。「『社民解体論』は極左日和見主義。右翼日和見主義の『人民戦線戦術』と一対で、その理論と実践の粉砕は、反帝・反スタの綱領的課題だ」。
この論文の筆者は、杉並担当君ではある。けれど、逐一、水谷さんの指導と点検を受けた “水谷監修”だ。編集局の誰もがそれを知っていた。
私も続いた。「革共同は今、闘う社民との統一戦線を掲げている。“社民から離れて中核派の下へ”と呼びかける以前に、共に闘おうという統一行動の呼びかけだ。論文は党の方針を否定するものだ」。
他のメンバーはLCを始め、沈黙だ。会議は押し問答のまま終わった。当の水谷さんは奥の院に籠ったままだ。
同じ事がまたあった。同じメンバーが激しく追及する。「党の方針に反対なら、反対とハッキリ言ったらどうだ。編集局長自身、立場を明言させろ」。
論戦は一方的な勝利だった。しかし、何1つ変わらない。「政治局」も沈黙したままだ。これまた「全党の学習論文」として指定され続けた。
 
 会議の後で、若手女性が聞いて来る。「共同行動の対象となる社民って、誰の事ですか?」私には答えられない。「本社に居座って、何が分かるものか」というのが精一杯だ。私も、他党派やノンセクトの活動家達と付き合っている。けれど今の中核派にはつなげたくない。まだ無理だ。
 国労を中心とした全労協、社民党、新社会党、寸断され孤立しながら踏ん張ろうとする人々。そして知識人たち。労働運動や反戦平和の後退戦、そのしんがり戦のための共同綱領をどうしたら探り出せるか。
 
私はこの頃、他の潮流の研究会をいくつものぞいた。ここでは中核派は、「急進市民運動」に区分けされている。アメリカの市民運動は、日本に比べて、はるかに活力も基盤もあるけれど、この時期は急激に衰退している。左翼は、労働組合に「逃げ込んでいる」。なるほど。日本でも、竜宮城の日々から、私たちが帰還した「故郷」は、昔日の故郷ではない。私たちは、浦島太郎であることを、しっかりと自覚して歩むしかない。
 
社民の左派的切り取りという視点を克服する事。その上で、自由な論争を活発に組織する事。トロツキーの「別個に進んで一緒に撃て」という共同行動の原則を共に考えよう。私たち自身が変わる事なしに、眼前にいる味方も見えて来ない。
そうだ、陶山健一さんがいた。陶山さんが生きていたら、何を言い、何をしようとするだろう。
 

FOB論文

 92年頃のこと。久しぶりに『共産主義者』に、FOB(女性解放組織委員会)論文が載った。「女性解放闘争の推進を」という見出しに、私は飛びついて読んだ。斜め読みの後、熟読を止めてタバコ部屋に出掛ける。
 事務局の男性が寄って来て「ようやく出たね」と興奮気味に言う。神奈川から来た人で、元・金属労働者。本社では数少ない労働者出身だ。私も馬が合ってよく話した。
 「何が?」と応ずると、「いよいよ女性解放運動が出来るんだよね、みんな待っていたよね。これでシンパの女性にイスト(『共産主義者』)を渡せる」。
憤然として私は応えた。「何を読んでるんだ。ちゃんと読めよ」。「えっ?」。「論文の結論を見ろよ。どこに女性運動の課題が書いてある?何も無いだろ?『何もするな、女性運動を粉砕しろ、革命的武装闘争だけが女性解放だ』。それ以外に何が書いてある?!」。私の剣幕に、彼は呆気にとられたままだ。私は論文の書き方や読み方をまくし立てた。
「そうか、何もするなって事か。なーんだ、期待して損をした」。周囲には女性たちも数人いた。「やっぱりね」。恨みがましい顔を見合わせて、会話も途切れた。タバコをもう一服。何も無かったように散った。
 
 地区の古参の女性たちも、私と同じ読み方だった。彼女たちの怒りはもっとハッキリしていた。私が「FOB」と言うとその言葉を糾された。「男のためのFOBと言いなさいよ」。返す言葉もない。
 FOBには、若手の女性たちの不満も大きい。様々な集会で、「女性からの発言」を彼女たちは独占し続ける。
91年の杉並選挙で、立候補していた新城せつ子さんの応援弁士は、1020も年上の女性たちで占められた。新城さんと同世代の女性たちは、ビラ撒きや戸別訪問の下積みだ。彼女たちが次々にマイクを握っていたら……。私には、その結果を想像する資料は無い。しかし言える事は、新城さんを囲む同世代の女性たちの新しいうねりの芽、その可能性を摘み続けたという事だけだ。