私の精神形成

 私が大学2年生の時だろうか?『前進』に「真理の大学を回復するために」という論文が出た。私は、この論調が好きになった。この問題意識は物理学科のクラス討論でも使えた。科学技術とは、共産党のいうような「労働者・人民に奉仕するか否か」だけの問題ですませてはならない。その発展の方向性や性格も、担い手自体のあり方と分かちがたく結びついている。私たちはどんな担い手になるのか、なるべきか?この議論は、その後の企業内告発運動・技術者運動へと連動した。
しかしその後、この論文は中心的な学生活動家の中で、不評を買ったと聞かされた。実際、「大学を安保粉砕・日帝打倒の砦に」という、私にとっては味気ないものに行きつく。
 
共産党の「国民のための教育実践」論への批判も同じような問題が有りそうだ。「10・8羽田」に行き着く学生運動を準備した諸大学での「学部名称変更阻止闘争」を思い返そう。
「学芸学部」から「教育学部」への名称変更に反対した学生の闘いは、「教師となることを自己目的化し教育技術をまず云々する前に、まず人として、自ら学び葛藤することを学ぼう」という呼びかけでもあった。それは同時に、共産党の「人民に奉仕する教育実践」論批判でもあった。それはまた、共産党に入って「はい、上がり」というような安直・無内容な議論を拒否しよう、ということでもある。
この時代、学生の自主的な教育ゼミ運動が大規模・活発に展開されていた。埼大でも教育学部の拠点は「教育科学研究会」だった。
けれども70年代初頭に出た『反戦派教育労働者(?)』では、政治主張だけが延々語られていた。共産党とは位置づけや闘争方針こそ違え、政府の攻撃との対決だけが全てだ。教育実践論批判は、教育実践それ自体の否定に純化・無内容化されていた。これもまた、やはり「はい、上がり」ではなかったろうか?教育現場での生きた現実との葛藤からの逃亡ではなかったろうか?
これらをどう考えたら良いのだろうか?大学闘争の「到達点としての負の側面」なのか?それとも大学闘争の「自己解体」を拒否した党派の保身・反動・無内容化だろうか?
対革マル戦争が、教育実践を困難に落とし込めたのか、それとも‥。結論は待とう。
 
 改めて振り返って思うのは、私が「埼大中核派」の伝統と空気の中で育った事だ。だから私は、中核派と大きな違和感を持つ事なく、「3派の中の中核派」に所属出来たのだと思う。法大出身者との違和感は、主体性論争や黒田寛一に至る多くを、わずかながら学んだか否かにあるとも思える。[1]
 「原点」「乗り移り反対」の言葉すら知らぬ者への違和感は大きい。中核派の「左翼スターリニスト」への転落は、意外と早かったのかもしれない。
 
私は、私自身での高校時代の運動を持つ。
3派の中で1時期、「前高・前橋出身」の比重は大きかった。私たちはノンポリ左翼として、イデオロギーに侵されず、あらゆる事を考えあい、ぶつけあった。50人・百人の高校生がくり返し議論する。その生身のぶつかり合いは、貴重な体験だ。その自由な空間を保障してくれた教師たちは共産党員だった。理想の教師を体現するのは、生徒に謝罪できる、小学校の軍国主義をひきずり続けたI先生。近代史の生きた教えは近所の酔っ払いおやじ。彼らがいてこそ今の私もある。
 

「大人になる」ということ

 全ての結論は平凡だ。中核派は、「大人になる」ための闘い(葛藤)を、「党」として避け続けたと言う事だ。まだ言葉さえ語れない赤子の「精神活動」は、人の一生の精神活動のほとんどなのではないかとすら今、感じる。私たちは成長に従って、その記憶と中身を塗り替える。大人になるとは、「大人の視線」で、その体験を検証し直す事でもある。
理論も大事だ。けれども私たちは、青年・学生時代に描いた社会認識と、その批判を、「大人として」再構築しなければならない。「何を変えたいか」、「誰と」。個々に、そして「党」として、不断に生まれ変わる結果――それを恐れてはいけない。大人となるための闘いを出来なかったのが、中核派だったのだ。
 
「私は広東で同じく青年でありながら、2大陣営に分かれて投書したり密告したり、あるいは官憲が逮捕するのを助けたりする事実をこの目で見た」
「青年たち、ことに文学青年たちは、十の九までは感覚が鋭く、自尊心も旺盛で、いささかでも気を許すとすぐ誤解を招く」
「青年を殺戮するのは、むしろほとんどが青年であるらしい。しかも、またとない他人の生命と青春を、まるで大切にしません」(魯迅)
 

こだわりと「原点」

「党員は綱領を承認し‥」と当然のように語られる。けれどもまた「当然のように」それは踏みにじられる。党の全ての主張を知らされて加盟することなど、現実的にはありえない。この「擬制」をどう考えるべきか?
「均質の党や「党的全体性」という思想こそが擬制に過ぎない。個々人にとっては「原点・こだわり」を捨てた「共産主義的全体性の獲得」など有ろうはずも無い。この擬制こそスターリン主義の道であり、レーニンの主張ではなかったか?「不完全」で独自の経験に満ちた人の集合がどうあるべきか? とりあえず、1人1人は「自分・私のこだわり」を恐れないということだろうか?
 
「革命前夜」「革命情勢の急速な接近」etc‥時代認識の誤りと「狼少年化」についてはあまりに明白すぎて言い様もない。


[1] 左翼スターリン主義。中核派の政治用語。当時急進的だった中国共産党を定義するために生まれた。戦術的には左翼、世界観はスタ。転じてブンドにも適用された。スタとは「歌と踊りと議会埋没だけ」という俗論的認識は、甘い。