エピローグ
諸方面からの反響も、おおむねは好感を持って受けてもらえたようだ。「自分も手記を書く」「書き直す」という声がうれしい。「元中核派は口が重い」という時代から、お互いに重い口を開く過程に入ったのだろうか?
私の手記には「現場で責任をとって戦い抜いてきた人々の激しい思いと体験が欠けている」という声もある。
わずかながらだが、この手記への反響として知りえたこともある。三里塚の「3・8分裂」が大衆運動の現場でどう進んだのか、その諸相。第4インターへのテロに対して激しく批判した同志たちの存在。さらに、02年のテロに反対し、あるいはその拡大に反対した人たちの存在。
06年の「3・14」(関西の「党の革命」)と以降の中核派の分裂・対立は、ある面では過去を振り返ることで読み取ることもできた。91年の転換を「茫然自失と敗走の開始」と見ればいい。80年代の中核派の陣形を考えればいい。
「安田派中央」の変質ぶりは度肝を抜くほどだ。けれど、それとまともに対決も出来ずに敗退した清水さんにこそ、問題の核心があると思う。そしてこの期に及んでも、公然と反旗すら掲げられない古参の元・同志たち‥。
他党派の人からは、「それなのに何故、何時までも中核派に固執したのか?」と糾される。これこそ最大の難問だ。旧来の意味での「一所懸命」が私の特性だったのか。「地方都市出身の私」の精神風土ということか?
ある人は、「流浪感」という。「心の故郷」の不在か?
私自身、この手記を書くことで、自分自身のリハビリとした。恥をかき軽蔑される過程が必要なのだと思う。その中にこそ生きた証がある。                         2009・8・21
増補
今回、計6頁分を付け加えた。3章「定在戦場の臨戦態勢」、5章「錯乱」、8章「生い立ち」。あとは注とコラムで補った。本文は変えていない。
              2010・5・3