黄色のタクシーは「大手4社」と呼ばれています。
「4社」を核とした事業協同組合としてチケットや無線を扱っています。
お上や大企業のチケット営業に群を抜いていて、1台当りの営業収入は同業他社に比べてダントツです。
 
この協同組合は別名「大日本帝国」といわれます。
大和(だいわ)・日本交通(N)・帝都・国際(KM)の4社の略です。
 
最初は「悪い冗談だ」と思っていたのですが、実際には悪い歴史そのものだったことを知りました。
実際の大日本帝国の時代に、戦時下の産業報国会運動の中で生まれ、戦後も生き続けてきたものでした。
 
タクシーはもともと、「個人タクシー」から出発しています。
それが統制経済に向けた国策で少しづつ統合され、数次の統合の末に上記4社にまとまった。国策のままその1字づつを与えられてできた名前・体制そのものでした。
 
戦後もこの4社と並んで雨後のタケノコのように生まれた個人や中小のグループが、やくざを交えた、あるいはやくざもどきの合従連衡の抗争を繰り返して、戦後の興隆の時代を生み出していったのです。
労働運動も、「青春の門」のような荒々しく生身の人間くさいものでした。
 
私の群馬でも戦時下、生糸や紡織その他の協同組合が続々生まれたことが語られています。
 
見方を変えると、日本資本主義の形成史が浮かび上がります。
俗に「護送船団方式」と呼ばれ、「官営企業の払い下げ」で形成されたとされる日本資本主義は、実際には「上からの形成」には成功せず、良くも悪しくも中小・零細の「無政府的発展」が広く豊かな裾野を形成したことが知られています。
「上からと下からの対立的・矛盾的発展」とでもいうべき要素があってこそ、「発展」があったことを確認したいと思います。
 
大正デモクラシーのうたかたの夢は、その辺を反映したものだとしておきましょう。
歴史と現在を生き生きと多面的にみる訓練、色んなレベルから多次元的に考える訓練を積みたいと思います。
 
ただ実際の乗務員にとっての「4社」は、「金にはなるがやたらとうるさい風紀委員」だというだけです。
黄色いタクシーを見たら、そんなことも思い出してください。