昨夕の番組を見ていて「視聴者参加」したかったことを少し。
 
  今回はまず、推進派の専門家の主な主張をまとめる。
①福島事故は津波。
 だから、これを直せばいい。技術とは失敗を繰り返しながら成長するものだ。
②「最新技術を旧式にも適用している」
 だから旧式もいつまでも使える。
 冷却水の細管なども超音波探信などで適宜検査し、ぴかぴかの新しいものに替えている。
③自然エネルギーは気候・天候などで不安定。
  世界には風の吹かない地域も、太陽光の少ない地方も少なくない。砂漠地帯には水がない。
(だから? そして日本では? )
 だから基本は原子力しかない。
 
  これに「条件付き賛成派」がいう。
④原子力のシェアを減らすのはいい。
  10%くらいでも維持したい。(それじゃ、「原発基軸でなくなっちゃう?!」)
 
両者とも、廃止派・中止派にたいして、「博識」とデータを駆使して「空論だ」と笑う。
追及されれば、「各種の電力のパランスある推進の必要」も認めはする。
 
けれども、「情報公開を」という隠蔽体質には「それはそうだ」と(あくまで消極的に)受け入れる。
(では、公開と信頼のために何をするか、してきたか? 信頼確立と推進のプロセスはどうあるべきかにも答えない。「原子力村」批判にも同じ対応だ)
 
 
つまるところ、
 「国家と経済」を主眼に置くべきだ。
国家とその未来を担う原子力と東電は、批判や非難の対象であってはいけない‥ということではないか?
 
少し柔らかい言葉を言えば、「科学とお上にかけた未来と夢の下で『和』を保とう、争うな」
「自分の身に降りかからないように、その限りで被災者を悼む。都市の多数派の富と平和のために地方には泣いてもらう」‥かな?
 
  原発村とその取り巻きたちには、この数ヶ月におきた事件や世論の変動にはまったく無関心で、いつまでもこのままに行ける、行きたいということしかないようだ。「根底的な機器などどこにもない!」
  ぬるま湯に浸りきった人々には変化を主導する活力がないことこそ、明らかになったというべきか。
  言い換えれば、この時期東電を擁護する意見を吐けば、1回数百万の講演以来が舞い込み、御用学者としての忠誠度と地位が確保される。おいしい話に恥も外聞もない。なぜなら今までずっとそうだったから。