かつては駅や会社などには必ずと言っていいほど、仕切る人間がいた。
今では、数少なくなった。
 
A.上野駅の仕切り屋
 京成上野には、改札の外(不忍池側)にタクシー乗り場がある。
 成田空港から直行したお客が、大きなトランクを引きずってくるには、階段を使わずに済む利点がある。
 
 昔の話だけれど、私も「おいしいところ」と聞いて、わざわざ付けてみた。
 
 外の待機場所に並ぶと、胡散臭そうな連中が顔を出してくる。
 「初めてなんだけど」と挨拶すると、仏頂面だ。
 「ここは良い客なんかいねえよ!」
 それでも素知らぬ顔で並び続けると、あきらめて車に戻る。
 
 順番が来て、構内の待ち場に着くと今度は身長180くらいの太った男がやってきた。
 「トランクを開けてみろ!」。しぶしぶ開けて見せる。
 「余計な荷物があるじゃねえか。これじゃ荷物を載せられねえぞ。出直して来い!」
 
 一見筋が通ったような、でもそのボス面に、「おー分かった。次からはそうしよう!」と投げ返す。
 一瞬にらみ合ったけれど、幸いすぐに客が来た。
 とはいえ、しばらくは、ほとぼりが冷めるまで、行くのを見合わせた。
 
 上野に詳しい同僚に聞くと、「あそこは○○が仕切ってるからな」という。
 「下手をしたら5,6人、すぐに集まってきてフクロだよ。ま、良かったね」
 
 他の同僚も、同じ京成上野の道路側の常連だ。
 数台から降りてきた運転手がたむろして顔を突き合わせているのも、何度も見た。
 ガタイの大きい連中ばかりで、見るからにやくざっぽい。
 「あれじゃ、客が逃げちゃうよな」と言ってみると、「多分ね」と笑う。
 彼は、やくざっぽいのが好きなのだという。生い立ちを聞いて納得もした。
 
 「日本語もしゃべれねえ中国が乗ってきてよ」という会話を紹介する。
 「あんまりわかんねんで、遠回りしてやった」とかいう会話だ。
 話半分なのか、本音なのかもよく分からない。
 とはいえ、昔堅気の運ちゃんの、仕切り屋がいることは確かなようだ。
 
 最近また、続きの話を聞いた。
 バブルのころ、実においしいポイントだったのは確かだ。
 2,3万の客はざらにいた上に、「ご指名客」を何人も抱えて分け合っていたらしい。
 月の売り上げも軽く百万を超え、チップも合わせれば、百万を超える月収だった。
 
 「交通違反や事故の時でも、調べに来た警官が名前を聞くと最敬礼するんだよね」ともいう。
 何か起これば、手下や仲間が何人も飛んでくる。時には警官を数十人で囲んで脅す。
 「怖いもの知らずだったよね」。
 警官もビビって、「なしにする」こともあったらしい。
 相手が一般人なら、土下座して謝って、財布を渡して逃げ出す一般人もあったとか…。
 
 5年程前に60才の定年を迎えて、随分まともな年金暮らしに入ったとたん、あっけなく病死してしまった。
 
 「これからっていう時にね」「やっぱり体が強すぎて、無理をしすぎた結果カネ」
 
 映画「青春の門」を思い出す。
 労働運動も、こんな奴らを敵にして、時には配下に組み入れて、抗争し、闘ってきた歴史がある。
 在りし日の、下層社会の原形というべきこの像をもう一度基底に据えて、今の世を見直したい。
 
 「資本主義とは何か?」
 「途上国の運動の知られざる特性とは何か?」
 
 のっぺりした「今の社会」。そしてあまりにひだの無い「社会観」。
 さらに言えば、「法や規範や下手な理屈」に過度に依存した活動家の運動観…。《以上》