少し古くなるけれど図書新聞から
第22回
水戸喜世子氏(元救援連絡センター事務局長)に聞く
聞き手=小嵐九八郎(作家・歌人)
 
 66年に入学した私は、直後からほぼすべてのデモに参加した。
 多い時は週に数回もあるデモ、普通なら断るところだけれど、出勤率百%に近い。
 出席率と逮捕数では、東工大の内田(杉並の有岡)とトップを競う。浦和から駆け付けるのは時間もカネも大変だ。
 
 その中で「中国核実験弾劾」のデモは印象的だった。
 緊急行動への参加は、書記局と合わせて十数人だったろう。
 
 当時はまだ共産党は「社会主義の核はきれいだ」論であり、「中国の核でも反対」というのは覚悟が必要だった。
 三派でも統一見解はなかったと思う。
 「社会主義の自衛のための核保有」論に対して、「国際反戦闘争による核の抑止」論で中核派は応じた。
 
 「社会主義の核も弾劾」論や「中ソに替ってまともな社会主義が実現できたらやはり核を持たない」論は新鮮だった。
 翌日は学内で、民青と全面対決だ。議論のネタは次から次へとあった。
 
 誰に聞いたのだろう?
 この議論は水戸巌さんらが強力に主張した結果受け入れたものだという。
 反核運動(原水爆禁止運動)の中でも混迷していた。
 中核派にとってもあらかじめ準備されていた主張ではない、と。
 
 核も原発も、物理学者たちが反対の旗を先頭で掲げていた時期でもある。
 
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 堀内が全学連委員長になってからのこと。
 集会(会合?)に水戸さんが同席していた。
 堀内が水戸さんに向かって、とうとうとアジる。
 「やはり核を持たない」論をさも中核派の独自の主張であるかのごとく。
 水戸さんはおとなしく聞いていた。
 たまたま編集局員として取材で同席していた私は、赤面する思いで聞いていた。
 
 堀内に罪はない。
 彼は政治局か松尾かに言い含められて上記の論を受け入れ、アジッタに過ぎない。知ったかぶりも「学生」ということで許されよう。
 けれども、中核派の主張が、独自・自己完結的にできたかのような思い込みをどう糺したらいいのか?
 
 思想に「特許権」は不要だが、その生成やその葛藤について先人を敬愛する思いの継承は、「党派」であればなおのこと、必要ではないかと感じながら、私は無言だった。
 
 今の時代、「社会主義者として」(つまり権力を奪取し行使することを前提として)論を立てること自体がウソ臭く感じる。けれどまた、「革命派」と自称する限り、つねに過渡期の諸政策や社会生活について、その観点からも論立てしない限り、結局は単なる不満分子(以下)の無思想・無理論にしかなりえない。
 難しい問題ではあるが、「新しい思想・価値観・視角からの発信力」の有無が、「革命派」の存在感(不在感)を生むのだと思う。 
 最低限、「価値観の転倒」を生む多くの個人・運動に、より学ぶことか?
 
 (余談)革マル派は喜んだ。
  「中核が『中国核実験弾劾』と叫んでいる。略して『中核弾劾』には大賛成だ!」