水谷さんらの言動には「何で?」と思えるくらいのこだわりが見える。
事情に通じる人の話を聞いた。
【1】関西の3・14への均衡を逸した敵がい心
うん。正否は措いて当然と言えば当然のような気もするが。
それ自体は中核派の「前例に倣った」ごく普通の行動だった。
帰ってきた天田氏に清水氏の「勅令」を突き付けられて、突然「忠君転じて逆賊」として失脚・捕縛・処刑された。
たしかに「理不尽」といえば理不尽だ。
というか「あまりに想定外」過ぎたのかも。
【2】吊るし上げの日々(千葉の党員総会)
本社⇒地方・地区、「クーデタ粉砕」の決議がひっくり返り、水谷粉砕決議に一変する。
そして極め付きがあの党員総会だ。
場所と時間を覚えていないんだけれど、千葉のDC会館?
混乱と混沌の日々だったので、いまだに整理がつかない。
会場入り口近くに中野氏がドデンと座り、参加者はみんな、中野さんに挨拶して入っていく感じだったな。
司会も誰だったっけ?
とにかく壇上に水谷氏が座らされ、「罪状」が読みあげられて吊るし上げが始まった。
「討論」だったか、でも事実上の吊るし上げ。
会場の参加者が次々に立って、水谷氏の罪状をあげつらう。
ま、相当念入りに準備がされていたのだろう。
あることないこと、とにかく許せない、という感じだった。
「水谷!釈明しろ!」のヤジが飛ぶ。
「釈明させろ!」もあったと思う。
水谷氏が一歩前に出ると、「黙れ!引っ込め!」のヤジが覆う。
水谷氏が引っ込むと、また「釈明しろ!」
水谷氏は出たり引っ込んだりでうろうろするだけだった。
1人か2人か?「ちょっと待って。やりかたが酷すぎる」と立ち上がった。
けれど、ヤジの嵐に押しつぶされて、何度かの問答の末に沈黙させられた。
俺は水谷が好きじゃない。
それにあんまりに唐突過ぎて、ぼそぼそいうのが精いっぱいだった。
何といっても、関西への武力反撃がひっくり返って「党の革命」、その転換の大きさに翻弄されていたのだと思う。
「その時誰がどう動いたのか、どういう形で、どういう思いで」は改めて今後の課題になりそうだ。
「自己批判書」を書かされ、書き直され続け、監禁生活では昨日までの部下にいたぶられ。
たぶん水谷氏らには「いったい何が起こったのか」すらがいまだに整理つかないんじゃないか?
【3】西部・杉並でも
同じ形の吊るし上げは杉並でもあったね。
ここでは「現場」の声が会場を制したという感がある。
やっぱり数人の人が、「フェアじゃない」「酷すぎる」とたったと思う。
中でも障福氏が最後まで頑張った。ヤジを押し切って発言し続けたのは印象的だ。
教労・給食などからも割って入る人がいた。
けれども押し切られた。
その後、障福氏は離れた。
教労・給食も、あとで厳しく詮議されたようだ。
似たようなことはその後も何度かあり、その都度割って入ったりしたけれど、ついには力尽きたというところか?
そこまでの情況に直面して、なんで激しく立ち上がることをしなかったのか?!
うん。うまく言えない。そんな空気に長く漬かっていたから、としか。
なんですぐ離れなかったのか?
1人で離れるって、選択肢になかった。
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白土=刈谷の経験としては、80年代の「自作出版事件」を思い出す。
けれども質・量・激しさでは雲泥の差でもある。
参考までに当ブログ。
(注)『敗北』本によれば、天田さんは夕方~夜には本社に戻った。昼間に開かれた党員総会では関西での事態には無対応だったようだ。
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