荒川さんの弾劾パンフは多くのことを語っていて、ここで整理や要約するには荷が重すぎる。
詳しくは(正確には)パンフやブログを見て欲しい。
ここでは思いついたことをおいおい整理してみたい
 
〈総合的に〉
 荒川氏のパンフとブログ(以下、荒川パンフまたはパンフ)は、査問の経緯や貸金庫事件を詳細に語るとともに、事件の背景の全体像をも描いている。とくに中野氏の〈党中央の解体的出直し〉への流れが印象的だ。思いを胸に整然と語る文体にはそれ自体に共感を感じる。
 
〈中野改革?について〉
 事件から少し離れて、荒川さんの「名刺問題」と中野改革?、このあたりに詳しい人に聞いてみた。
 
 問い 荒川さんは「笹森や山崎など連合や全労協の会長にも、村山富市や福島瑞穂など元首相や前党首にも会っている。」と明らかにしてこれらを〈スパイの証拠〉とすることに異議を唱えている。
 私の中核派観では出て来ない姿なのだけれど、どういうこと?
 
 A いや、90年代の半ばから後半にかけては、どこでもやっていたことでもある。
 労組関連にせよ市民運動的なものにせよ、じっさいに何かをなそうとすれば、統一戦線が問題になるし、議員や「体制内」の幹部や最高幹部たちと直にあって議論したり情報を交換することはすごく大事な領域だ。
 
 B 5月テーゼ以降、離れたり休眠していた労働者メンバーもずいぶん復帰したり、交流センターに協力してくれた人が増えた。力も影響力もある人たちがずいぶんと加わって、それなりの陣形ができたんだ。
 C そういう人たちやその外側の人たちの好意や助言で、いわば「大舞台」が見えてきた。中野=六本木会談も大きくはそんな流れでできたことでもある。
 
 A 中野=六本木会談では面白い逸話もある。
 事前の打ち合わせで「委員長は少し遅れて行くのが良い」とか言われて、中野さんはあえて少し遅刻したとかという話。それで最初から気まずい雰囲気になったとか。
 
 B そう。「委員長」とは国労からすれば六本木さんを指すのが常識だと。
 C 社民政治や「政治の常識」からすればそういう「格」の問題もあったし、「伝令」があまりにお粗末だったということでもある。
 A ともかくそんな問題を含めて、成長し変わることが「飛躍」に求められていた時期だということか。
 B 動労千葉と国労(高崎)の連合構想も、そんな初歩的な限界を超えて生まれて、そして消えた。
 
 問い とはいえ本社時代の私にはそんな話は届かなかった。
 ま、水谷さんや藤掛さんと折り入って個別に話すと似たようなことはずいぶんと知ってはいたけれど。
 
 B 地区や戦線でそういう大きな政治を打った場合、報告にはバイアスがかかる。
 「分かる人間には話すが分からない相手には話さない」。
 「相手の顔を見て話す」
 
 A  中野さんルートにはそういう話は集中するし、本社ルートにはまともな話は届かない。
 
  ま、水谷さんも知っていることは下ろそうとしていた節は有る。
 丸一日の基本会議に加えて「補足的会議」を恒常化して、いろんな報告をしてはいた。
 でも、新聞づくりのゲラの校正や原稿書きの最中に垂れ流すだけだ。
 大事な話でも手を休めるわけにはいかないし、一方的に(BGMのように)聞かされても不愉快になるだけだった。で、会議をサボリ続けた。は、は。
 
 C すべて知っているけれど、何も知らない。そんな指導部は少なくない。
 
 B 若手の中ではそんな話にかすりもしないで育った人も少なくないんだよね。
 で、「体制内云々」をただ額面通りに受け取る
 
 A 若手でなくとも、けっこう「大半の人」がそうかもしれない。
 よくて「政治利用主義」のレベルでしか分からない。「革命的俗物主義」「革命的利用主義」…。
 懐の浅さ…、理論の狭さ…。
 で、会話が成り立たない。天田dや木崎ds、それに坂木dも変わらない。
 
  うーん。むむ。