一昔前の中核派なら、入管闘がイスラム教会の防衛に飛んで行っただろうかと思う。

あれは北朝鮮の拉致事件の頃だった。
入管闘が(たった数人だけど)川崎の駅頭で街宣をしたはずだ。
そう、入管闘だけの動員で、党全体の(色んな駅や地域への動員もなかったけれど、形ばかりの行動は有った。

 それがどんな意味があったのかもきちんとした総括は聞いてはいない。入管闘も解散したと聞く。ま、入管闘は「日朝中」だけが「基本的課題」だったのかもしれないけれど。
 「過去の血債」に押し込めて今進行中の「血債」も見据えない限り空洞化も避けられない。

 滞日ムスリムの人々との「生活の共有」というか、「同じ生活空間」にあることをどう改めて認識するか。
 四つ木にはモスクもあり、ムスリムの食品店もある。同僚たちも時に異国情緒を求めて買いに行く。
 つぶれてしまったけれど、私の行きつけの食堂の常連にも廃車を輸出するブローカーのパキスタンのムスリムがいた。
 
 時には酒席をしてみてもいいかなとは思う。(パキスタン人の場合、日本に滞在するときはこっそり飲んだりするのだという話を聞いた。もちろん人にもよるし、出身地域その他でもいろいろ違いそうだ)
 

日本のモスク(イスラム情報サービス)から