以下は「かけはし」からの、またも無断で引用 。  
読書案内『もうひとつの全共闘』芝工大闘争史を語る会著/つげ書房新社/2500円+税                     かけはし2010.12.20号
敗北しなかった稀有な大学闘争

全共闘運動史の歪曲を超えて
 「今、?1968年?をめぐる歴史の掘り起こしが進んでいる。だが、闘争当事者の声はあまりにも少ない。それどころか、当時マスメディアの光りにあたった『記録』や『資料』だけを積み重ね、全共闘運動のほんの一面を取り上げて『批判』するたぐいのもので満ちあふれているといわざるをえない。堕落した新左翼諸派による『内ゲバ』、あるいは『革命』なき『革命幻想』におちいった『連合赤軍』や無差別テロを実行した『反日武装戦線』が、あたかも全共闘運動の必然的な結末であるかのような前提に立って、『負の遺産』の側からのみ全共闘運動を判定する『歴史』が闊歩している。ましてや、敗北しなかった大学闘争の記録は皆無であり、存在すらしなかったように扱われている。私たちには語らなければならない義務がある」(本書プロローグより)。
 本書は第一章 沸点にむかう芝浦工業大学、第二章 第一次闘争の展開(68年1~2月)、第三章 学外での闘いの経験から第二次闘争へ(68年3月~69年1月)、第四章 「四つの拒否権」の波及と大学立法反対闘争(69年2月~10月)、第五章 反動との闘いから暴力ガードマン追放へ(69年12月~71年11月)から構成されているドキュメントである。
 また全学闘活動家による多くの証言が時系列に沿って収録されていたり、エピソードなども各章末に掲載されており、その大学闘争史の内容を豊富化させている。

力関係は一気に逆転した!

 「芝工大は、スポーツ部門の『広告塔』によって学生を集め、集まった学生を徹底的に収奪し、運動部学生をそのための弾圧的な私兵として使う……そこに、民主主義のかけらもあろうはずがない」、典型的な右翼スポーツ反動大学だった。
 しかし、六八年一月、学費値上げ反対闘争を水路にして、学生の不満や怒りが一気に吹き出すことになる。そして一~二年生のクラス、学科闘争委員会を闘争主体とする大衆的な全学闘争委員会が出現する。
 だが全学闘に結集する学生のなかには、大衆闘争やストを組織した経験をもつ者は誰もいない。熱い塊となってストを死守する五百人の全学闘ピケット部隊、それをとり巻く五百人の学生。力関係は一気に逆転し、二千人結集の大衆団交にまで攻めのぼることになる(第一次闘争)。

改革派との攻防と四つの拒否権

 全学闘の出現によつて、大学当局が反動派と改革派に分裂する。教職員組合が結成される。暴力装置だった応援団は、中大応援団との乱闘事件で自滅的に解散する。こうした学内状況のなかで六八年十一月、第二次闘争が始まる。
 経理を公開させ十億円の黒字が発覚。全学闘は「学費値上げ白紙撤回と民主化の実現」を要求して、強固なバリケードを構築。反動派理事会はバリスト一カ月目で白旗を上げ、全学闘の要求を受け入れて総辞職してしまう。そして反動派に代わって、改革派が前面に登場する。
 こうしてバリケードの中で、六九年一月二十九日の大衆団交を迎える。改革派理事会は、全学闘が提案した「四つの拒否権」(予算・決算、教育上の決定、人事の決定に対する拒否権、管理介入権)を含む、すべての要求を丸呑みしてしまう。
 全学闘委員長「四つの拒否権を認めるということは、大学は革命の砦になるということだな」 理事長代行「大学は反体制の砦である。そうだろう」……。全学闘は闘争の具体的成果を獲得はしたが、新たな闘争局面を迎えることになる。
 五月から始まる全学上げての「大学立法反対闘争」は、大学の自治は学生の自治なのか、それとも「進歩的」教授会が主導する自治なのかをめぐる攻防の質が問われることになる。

内ゲバ主義に抗した闘い

 芝工大でドイツ語講師をしていた真継伸彦は、「大学革命論序説」のなかで次のように書いている。「芝浦工大全学闘には、党派間の暴力抗争は皆無であった。それが、私が評価する重要な理由のひとつである。全学闘と民青のあいだにも、一月二十八、二十九両日の対立(大衆団交破壊のために地区ゲバ民と体育会連合が襲撃)のほかに暴力行為はなかった」。
 六九年九月十八日、大学立法反対闘争から継続する大宮校舎のバリケード内にいた中核派の活動家が、反戦連合(元中核派)に襲撃され、埼玉大生が校舎から転落して死亡するという事件が起こる。長期化するバリストをめぐる対立と、この衝撃的な「内ゲバ事件」に乗じて学内反動派体制が復活する(70年2月)。

反動派理事会をついに打倒した
 七〇年五月の自治会選挙で全学闘派が民青候補に圧勝し、反動派に対する大衆的な反撃が再開される。十二月には二部自治会が結成される。
 全学闘―自治会の反撃を背景にして、独善的で強権的な大学経営を進めようとする反動派理事会に対する教授会、教職組からの反発が深まる。教授会は学長のリコールを決議し、教職祖は三波のストを決行する。こうした教職組の闘いに対して処分を乱発し、学内で孤立化する反動派理事会は「学生対策」として、日大闘争を襲撃した暴力ガードマンを導入する(71年2月~)。それはまさに、末期的な軍事独裁政権そのものであった。
 芝工大全学闘―自治会はその後、百人を超える大量逮捕の弾圧と多数の負傷者を出しながらも、不屈の闘いを継続させ七一年十月、反動派理事会を打倒するのである。
 芝浦工大全学闘の闘いは全共闘運動の金字塔である。そうであるがゆえに、体制主義者や俗物主義者はその闘いを「封印」しようとするのだ。本書によって、その「封印」は完全に解かれたのである。  (鶴)