今回はできるだけ「中立的目線」を意識して書いてみたい。

本書でいいたいことは、ほぼ全体の半分を占める1部「314Ⅱ」だろう。
2006年の関西の314(党の革命、314Ⅱ)での攻防と敗北、そして失脚がすべてといえる。「路線闘争を腐敗問題にすりかえて与田にテロ・リンチを加えたのは不当だ」というに尽きる。
 
関西の314を受けての中野・天田さんそして清水さんの変貌の前に、いわば「抵抗勢力」として槍玉に挙げられて追放された過程が「本体」になる。
関連する諸事件がそれなりに網羅され、ま、資料としては数少ないまとまったもの、ともいえるかもしれない。
 
入り口段階で2点の修正と指摘をしておこう。
①当ブログでの修正。314当日の本社での「党内集会」について。
「留守番内閣云々」は誤認のようだ。(修正済み)
②西島文書による「天田と中野があらかじめ仕組んだ314」説は、この本では撤回されている。
 
第1部のなかの「深夜の政治局会議」では、その「決定」の仕方が異様だ。
「書記長と(欠席した)副議長が賛成だから決定だ」とする天田さんに、「反対意見も併記してくれ」とすがる水谷さんら。これが「政治局決定」というものかとあらためて唖然とする。とはいえ「それが中核派の実態」という思いもぬぐえない。片言であいまいな清水メモが場を決する。
天田・木崎が清水さんに激しく噛み付いた瞬間の描写もある。ある種ショッキングな事件だ。「清水打倒」の臨場感があふれる。
清水さんの「3年でひっくり返すから」発言にすがった水谷さんらの沈黙と「違約」。「清水マジック」云々。
政治局に連なる地方や戦線などの314Ⅱへの賛否などの一覧は注目に値する。ただ、その色分けが適切か否かはよく分からない。
かつての共産党をも上回る「閉鎖集団」と化した中核派の実像を嫌というほど読まされる。

第2部は、その歴史に沿った検証ということになろうか。
いいかえれば、〈裏切りと変節の清水さん〉の実像に迫る、ということになる。75年の314以降を政治局内の目線から描いている。

「清水=中野『密約』説」の当否はおいて、いくつかの誰も知らないビックリ事実も書かれている。「左右の軸足」に乗ってジグザグを繰り返す定見の無い清水さん。91年の5月テーゼ(6月の挑戦-81路線」)のヌエ性ということか?

91年段階の「このままで行くことは党の死」「絶対的飢餓の現実」という清水さんの認識(?虚言?)自体は私も同感だ。
参考までに当ブログから5 革命軍戦略の敗北


問題はこの現状をどうみつめてどう打開しようとしたのか?
本の中で繰り返される90年代以降の「左派」と「2つの右派」の内容・定義が分からない。折に触れてかすかに分かるのは「左派」とは武装闘争の継続路線だということ。「右派」とは「組織拡大唯一主義」と言いたいらしい。ただ、06年のこの時点では、もはや武装闘争は停止または廃棄されている。もちろん対革マル戦争も絶えて久しい。この時点での「蜂起の陣形維持」派とは何か?


中野さんの思惑や路線、折々の揺れの暴露はそれなりに描かれている。
ただ、各地方や産別そして諸戦線での実情や反応が描かれていないので、検証の仕様が無い。動労千葉特化路線の下では、全逓・国労共闘や教労・自治労などの「他の4大産別」との齟齬・あつれきも少なくない。それがまったく描かれていない。


地方や県や地区のキャップを労働者に置き換えて、「担当常任」が書記として仕切る体制への移行などは出てこない。
ある意味で最大の暴露は2つ。松崎せん滅にブレーキをかけた清水さん。そしてスト処分の和解のための亀井静香と中野さんの会談。後者は歯にモノの挟まったような議論で、中途半端だ。この時代、党と権力の関係をどう整理するか?難しい問題だったはずだけれど、スルーしてしまった。


荒川スパイ事件が再録され、栗山スパイ事件が大きく書かれている。


「主張」に近いものとして、三里塚3・8分裂にかかわる第4インターへのテロや67年10・8羽田前夜の解放派へのテロの自己批判などがある。


大事なことだが先行する小西誠さんや白井朗さん、今井公雄さんや小野田譲二さんなど諸人士の総括や自己批判の焼き直しでもある。すでに関西派の〈組織としての自己批判〉もある。2番煎じ・3番煎じとしてはそうした先駆けを受け継ぐという姿勢もほしい。(参考文献とするなど)


あとがきでは、「本多正統派」「7・7派」らしき自己主張か。


全体としては、「政治局目線」から描くことでひとつの資料集としての価値はあるのかもしれないが、抜け落ちた重大事案も多すぎる。それに多くの問題は「清水さんの忠臣」としての評価のままであり、実態が伴わない。この一冊だけから何かを得ようとすれば時間の無駄でもある。


結果として、「闇の党首 清水丈夫を仮借なくヒキはがす」のに成功したか否かの判断は人に任せよう。


ただ、清水さんを神か鬼神かのように畏敬した公然政治局員たちの絶望と恨みの心は、あふれるように滲みだしていることは確かだ。「これが当時の、長年続いた中核派の中央の実像だった」ことだけははっきりと分かる。清水さんの崩壊、そして清水体制の政治局員の実像としてはその意味でよく描かれている。


繰り返して読むには味がないかも。まわし読みして流し読み、ていどがふさわしい気もする。