Ⅰ.「政治局は打倒された」
 一連の政治局会議でのもうひとつのキーワードはこの言葉だ。
 与田氏の腐敗の数々、それを事実上容認し続けて、放置し続けてきた清水さんと政治局。
 絵としては、事件への対応をめぐって「動労千葉を取るか、全国連を取るか」を清水さんに迫って〈決起した〉中野(故人)・天田さんの姿が浮かびあがる。
 
 「打倒された」にはとりあえず3つの意味がありそうだ。
 ①関西の決起によって、いわば桎梏以外の何者でもないことが鮮明になった党中央、それが本質的に打倒された。積年の党員の不満と怒りが全党的に噴出した。「俺も含めて打倒された」(天田さん)というのは、単にカラ文句だけではなく実感でもありそうだ。
 ②実態的には塩川派(後の関西派)の捨て身の決起。展開しだいでは中央派と同志会によって戦争的に打倒・一掃されていた?
③中野・天田さんらの「動労千葉を取るか?」という決起によって清水議長とその政治局(左派)が実際に打倒された。
 
 現状としては打倒されきってはいない。清水さんや清水政治局があり、攻防の先行きはあまりに不透明だ。「打倒された」「党の革命」を旗印に泥沼の抗争に突入する。清水さんは「3年でひっくり返す」と水谷さんらを抑えて再起を画策する。

.追い詰められた中野動労千葉路線
 中野さんの動きの分析はいまいちだ。
『敗北』本から抽出すると、大きくはこんな図式になりそうだ。
90年代始めの反戦共同行動での小西さんとの蜜月。
同時期には秋山さんの〈自滅的〉ゲリラ戦争が火を噴いている。(清水さんの「左」ぶれ)
95年、中野さんの政治局入り、97年副議長。
ここから98年、「11月全国労働者集会」路線が始まる。けれども前年来の安保ガイドラインをめぐる「20労組」運動が大規模の発展すると中野さんの〈中核派主導・基軸〉の構図としては空洞化する。
02年から03年の中野さんの「内部崩壊的危機」を経て、「サボタージュ」「ボイコット」「脱党の脅し」の末に、5月新指導方針(路線)への大転換が起こり、3・14Ⅱへの雪崩が始まる。
 
著書の国鉄決戦認識と中野さんの認識は対照的でもある。
著書によれば、00年国労臨大の演壇占拠と028人の逮捕・裁判闘争で展望が開かれた、という。
逆に、荒川氏硯哉氏のパンフ(荒川スパイ事件当該)によれば「01年国労臨時大会で「4党合意」を巡る国労内攻防で反対派が統制処分されていく。この頃から、(中野さんは)国鉄闘争に展望を失っていくのである」
 「2003年の新指導路線の核心はなにか。中野洋氏はこの頃から盛んに国際連帯とか四大産別とか青年部運動とか強調を始める。この根底にあるのは国鉄1047名闘争、闘う国労闘争団の獲得に失敗した党中央への失望である。新指導路線から始まり、2007年の党の革命にまでとどまることがない一貫した中野氏の意識は、党中央の解体的出直しであった。」http://arakawa410.blog.fc2.com/blog-entry-1.html

両者の認識の開きはあまりに大きい。切り口の違いとだけはいえない。
こんな中で降って湧いた06年の「314」。
中野さんの最後の戦い、乾坤一擲の決起があったということか?
中野さんに関しては、平田氏(九州)の監禁をできなかったことで天田さんを非難するなど、党内権力抗争ならではの他の一面を描いている。やはり内ゲバ党派の最高幹部「副議長」の姿を垣間見せる。
 
.自信喪失で自壊する清水体制
 最大の疑問は、なぜあれほど磐石に見えた清水体制は「簡単に打倒された」のか、だ。
 当たり前の党派なら、暴かれた与田氏の罪状は「政治局員全員の引責辞任」に値するかもしれない。けれど、中核派にあってはどうか?
 野島さんや秋山さんの(その後に分かった)失脚の直接の犯罪では、すべてを闇にほうむってすんだ。
 そうした前例を見る限り、中野さんらの勝算は見えない。
 
 では、かすかなりとも中野さんらには「勝算」は見えたのか?
 水谷さんらには見えなかった清水さんの揺らぎや地盤沈下は見えたのか?
 中野さんの数度にわたる会議や集会への「ボイコット」。
 その過程での清水さんの対応。
 
 組織的には、「政治局」の上に新設された清水さん直轄の「現場労働者を交えたWOB会議」の恒常化もある。これがもう少し描かれていい。
 生きた清水さんの実像が中野さんらの前にあらわれ、そのあまりに無残で無知としか言いようが無い姿をくりかえし体感することの中で、中野さんらはある種の確信を強めていた、ということではないだろうか?
 「地に落ちた偶像」という言葉がふさわしい。
清水政治局は打倒されたし、いまでは復活の芽もないらしい。(とはいえ…)