中核派の現状と総括の中で、いろんな会話があった。

①ある女性は、「婦民からの分裂で良かったのは最初の一カ月だけだった」と述懐する。
 女性運動の実際の交流から断たれて、日々起こっていることや大事なイベントがまったく伝わらなくなったという。
 もちろん色んな情報は脇からは得ることができる。
 けれども大事なことは問題意識や公開されない色んな思いや実態でもある。
 女性たちのネットワークから飛び出したということはそんなことだったのだ。
 そう。婦民からの統制の背景には、3・8分裂と第4インターへのテロへの批判があったことも自明だ。革マルもチャンスとばかりに婦民を追い詰める。そんな中での処分と分裂だったということもはっきりさせるべき時だろう。追い詰められたのは婦民全国協だけではなかったということだ。

②ある男性同志の述懐から。
 「田島論文が出て、喜び勇んで知り合いの女性のところに行ったんだよね」
 「で、『前進』やイストを渡して代金ももらった」
 そしたら、相手の女性が何冊かの俺に本を渡して言ったんだ。
 私の文も載っているから参考までに読んで。それから本の発行日を観て!
 ただでもらって読んでみてびっくりした。
 田島論文の肝心なところはその本の引用だった。
 「参考文献欄があったかどうかは当時のことだから気にもしなかったけれど、引用したならちゃんと『引用』くらい入れるのが筋だと思った」
 そう『女・エロス』だったよね。

 話の前段では、私の中核派の女性解放論の経緯についての記憶の述懐があった。
  私の印象では、中核派の女性解放論は、時間的にブントにはるかに遅れている。
 フェミニズムもリブもオピニオンリーダーたちは私たちよりも5歳か10歳くらい年上だったと思う。
 前後して私も『女・エロス』などを読みふけった。
 衝撃だったし、何よりもそう、「エロス」を語っていたことだ。
 読んでいて引きずり込まれるものに満ちていた。

 怒りや悲しみや何やかんや、とにかくほとばしる魂のようなものがあった。
 「中核派はどんな文章の中でも『女性』以外の用語を使わない。でも色んなフェミニズムは時として『おんな』を使うのが特徴だった」「おんなたちから女たちへ」とか言うようにね。時としてアナーキーな叫びだったよね。それが心を動かしたのだけれど。
 
 田島論文の特徴は、女性解放であれ婦人運動であれ、マルクス・レーニン主義の枠に収まることを結論とするためのものだった。叫び(エロス)を抑制し、ブルジョア社会(資本)への対決を打ち出して、こんにち体感的に求められている「解放」の中身を脇に置く。そう、予定調和に収まることを前提としてその線に沿って、前衛党派として女性解放に立ち上がろうというのが趣旨だったと思う。

 被青同の『君は明日生きるか』に比べても、心へのインパクトの不足は否めなかった。

 ま、当時そんな感じももちながら、決戦論は不動という方針に従ったのだけれど。
 こんなことを書くと、いつものことだけれど、自身のいい加減さを吐露しているようで嫌になる。とは言えやはり書かなければならない。
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資料として
『女・エロス』社会評論社
女・エロス No.1 特集:婚姻制度をゆるがす1973
女・エロス No.2 特集:反結婚を生きる1974
ほか
「女・エロス」編集委員会
 アマゾンのHPから

http://www.amazon.co.jp/s?ie=UTF8&field-author=%E3%80%8C%E5%A5%B3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%80%8D%E7%B7%A8%E9%9B%86%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A&search-alias=books-jp&text=%E3%80%8C%E5%A5%B3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%80%8D%E7%B7%A8%E9%9B%86%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A&sort=relevancerank