以下転載
天田WOB議長の解任
正確な時期が分からないが、天田氏が「本社の責任者」とWOB議長を兼任していた頃のこと。
WOB(中央労働者組織委員会)で全逓から「天田議長の解任」動議が出された。流れの中で「採決」に至り、賛成多数で決議が通ってしまった。政治局も決議を受け入れて代わりの候補探しが始まった。候補はたぶん××。しかし××は関西から離れるのを拒み、人選は振り出しに戻った。結局は東海で浮上して再び地方委員長になっていた坂木が抜擢された。振り返ればともに岸人脈ということになるが…。

1年かの「見習い期間?」を経て、坂木WOB体制になる。
解任動議の首謀者は「神*」だという。しばらくして神*は全逓をはずされた。さらにその後のこと、「辞任」を拒んで独立した杉並の「結柴・新城」選挙の強力な援護者になった。

ただ全逓担当をはずされた神*、その後も長く全逓の現場の会議や活動には顔を出し指導性を発揮し続けたとも言う。
WOB産別代表の常任メンバーも多くは、中央に呼びつけて会議をすませれば、現場に顔を出すこともない。全逓の力のある古参活動家集団は神*処分後も一定の「独立王国」を築いていた。
91年以来の10余年は、全体としては「転換」の内実の不透明さによる「混迷期」「浮遊期」とも言えそうだ。

中野=天田連合の天田氏らも、中野氏から見れば「使えない奴ら」の域をでなかった。「現場」への興味も関心もない官僚主義的「労働者派」とでも言おうか?ま、清水氏から「社民」と毛嫌いされる天田氏をひとまずおいて…。
 
ここでは「3人組の足元が定かでない」「3人組と〈中野フラク〉の立ち位置の違い」ということにとどめたい。
              (労働者派)