同じく『資料蒐集』から
尾形さんが荒川碩哉さんとともに、出てくるので参考までに。
「甘糟との会談の記録」として公表されたものだ。
荒川碩哉事件の最初の顕在化ということとしても改めて参考になる。

 【13年】5月8日に荒川は拘束された。坂木【政治局員、労対議長】、有岡【内田透、東京西部地区委員】、新井(中島)【東海地方委員会議長】、坂井【東京西部地区委員長】が自宅に来た。最初は、自宅に上がり込んで尋問してそのまま自宅に置いておくようだったが、(荒川)みどりが都合が悪いと断ったため、ハワイ(杉並区上高井戸の事務所)に移動した。荒川は、11日に沖縄で尾形【尾形史人。1997年離党】と会う予定だった。みどりには、そのことは告げてあった。」
「11日に沖縄にいる尾形から甘糟に電話があった。『荒川が来ないのだが、どうなったのか?』と。自分は、『荒川のことだから日時をまちがえたのではないか』と答えた。その翌日会う約束をしていた星野暁子が尾形に電話してきた。『党中央から、尾形と会うなと言われた』と。【尾形からその連絡を受けて、】それで、自分としては、荒川が拉致・査問をされているのだろうと考えた。」

 【荒川は星野裁判闘争の重要な一角をしめ、獄中の星野も信頼しており、連れ合いの暁子とも運動上の関係が強かった。星野裁判闘争の性格上、沖縄の位置が大きく、関係者はしばしば沖縄に行っている。沖縄には尾形がいる。5月11日には荒川が沖縄に行って尾形と会い、星野暁子も翌日合流することになっていた。この三人の沖縄での会合が党中央によってつぶされたと受け止めた甘糟は、非常事態が起こったと推定した。荒川が密かに反中央の動きをしていたことを知っていた甘糟は、拉致・査問と察知した。なお、なぜここで党から逃亡した尾形が出てくるのか、筆者らは疑問に思っている。】

資料:甘糟との会談の記録(※27日に甘糟が読んで朱入れした記録文書)

   この時点では甘糟氏はすでに年末には反党フラクで除名?。
たしかに星野裁判になぜ尾形がという疑問は蒐集サイドからは「疑問」だろう。
   ここでは「逃亡・離党」後もなお、尾形氏が荒川氏とともに、星野闘争と暁子さんを支え続けてきたということを指摘するにとどめよう。
 
  なお「星野裁判闘争」という表記には「蒐集」側の立場・思惑の表明もありそうだ。「裁判闘争」が適切なのか?それとも「星野再審」なのか?それとも…?
  ちなみに全国連絡会のHPは「再審」とともに「星野さんに自由を! 星野さんと共に歩もう!」というタイトルだ

   また、2016年6月19日「星野文昭さん解放全国集会」もある。https://www.youtube.com/watch?v=USrOWYcPIes

   「ただちに釈放を」という表記もある。