2) レーニンという人物
《モスクワに着いて間もなく、私はレーニンと英語で一時間対談した。彼は英語をかなりうまく話す。通訳が同席していたが、その助けはほとんど必要がなかった。レーニンの部屋にはまったく飾り気がない。大きな机、壁の数枚の地図、本棚が二つ、二、三の固い椅子の他に来客用の安楽椅子が一つあるだけであった。彼が贅沢はもちろん、安楽ささえも好んでいないのは明白であった。彼は非常に親しげで、一見単純で、倣慢そうなところは全然なかった。誰であるかを知らずに会えば、彼が強大な権力を持っていることにも、彼が何らかの意味で著名であることにさえも気付かないであろう。これ程までに尊大さのかけらもない人物に、私はかつて会ったことがなかった。彼は来客をじっと見つめ、片方の目を細める。それがもう一方の目の人を見抜く力を驚くほど強めるように思える。彼は大いに笑う。はじめは彼の笑いはたんに親しく陽気であるように思えたが、私は次第に気味悪く感じるようになった。彼は独裁的で平静、恐れを知らず、私利私欲が異常なまでに欠け、理論が骨肉化したような人物である。唯物史観が彼の生命の源という感じである。自分の理論を理解してもらいたいと願う点で、誤解したり反対したりするものに怒る点で、また説明するのが好きな点でも、大学教授に似ている。私は、彼が多くの人を軽蔑しており、知的貴族であるという印象を受けた。
私が尋ねた最初の質問は、彼がイギリスの経済的、政治的状態の特殊性をどの程度まで認識しているかであった。暴力革命を支持することが第三インターナショナル加入の不可欠の条件であるかどうかも知りたかったのだが、他の人々が公式にその質問をすることになっていたので、私は直接には訊かなかった。彼の答は、私には不満足であった。彼は、イギリスでは今、革命の可能性はほとんどないこと、労働者はまだ議会制政府に愛想をつかしていないことを認めた。しかし彼は、この愛想づかしが労働党政権によってもたらされるだろうと考えていた。例えば労働党指導者のヘンダーソン氏が首相になったとしても、重要なことは何も行なわれないであろうし、その場、組織された労働運動は革命の方向に向うと、彼は信じている。この理由から、彼はイギリスのレーニン支持者が議会内で労働党の多数を得るために全力を尽くすよう願っている。彼は議会選挙に棄権するのは賛成していない。誰が見ても議会を軽蔑できるようにするのを目的に、選挙に参加することを奨めているのだ。われわれ大部分のものにとってイギリスで暴力革命を試みるのはおよそあり得ないことで、望ましいことでもないように思えるが、その理由は彼には取るに足らぬことで、たんなるブルジョワ的偏見のように思えるのであろう。イギリスではおよそ可能なことならば流血なしで実現できると私が言ったところ、彼はこの意見を空想的だとして軽く一蹴した。イギリスについての知識や心理的な想像力があるという印象はあまり受けなかった。むしろマルクス主義の全体的傾向が、心理的想像には反対なのである。マルクス主義は、政治における一切のものを純粋に物質的な原因に帰属させるからである。《モスクワに着いて間もなく、私はレーニンと英語で一時間対談した。彼は英語をかなりうまく話す。通訳が同席していたが、その助けはほとんど必要がなかった。レーニンの部屋にはまったく飾り気がない。大きな机、壁の数枚の地図、本棚が二つ、二、三の固い椅子の他に来客用の安楽椅子が一つあるだけであった。彼が贅沢はもちろん、安楽ささえも好んでいないのは明白であった。彼は非常に親しげで、一見単純で、倣慢そうなところは全然なかった。誰であるかを知らずに会えば、彼が強大な権力を持っていることにも、彼が何らかの意味で著名であることにさえも気付かないであろう。これ程までに尊大さのかけらもない人物に、私はかつて会ったことがなかった。彼は来客をじっと見つめ、片方の目を細める。それがもう一方の目の人を見抜く力を驚くほど強めるように思える。彼は大いに笑う。はじめは彼の笑いはたんに親しく陽気であるように思えたが、私は次第に気味悪く感じるようになった。彼は独裁的で平静、恐れを知らず、私利私欲が異常なまでに欠け、理論が骨肉化したような人物である。唯物史観が彼の生命の源という感じである。自分の理論を理解してもらいたいと願う点で、誤解したり反対したりするものに怒る点で、また説明するのが好きな点でも、大学教授に似ている。私は、彼が多くの人を軽蔑しており、知的貴族であるという印象を受けた。
私は次に、農民が大多数を占めている国で共産主義をしっかり充分に樹立できると思うかと尋ねた。彼は困難であることを認め、農民が食糧を紙幣と強制的に交換させられていることを笑った。ロシア紙幣が無価値であることが、彼には喜劇的なことのように思えたのであろう。しかし彼は、農民に提供できる商品があれば、事態は自然によくなるだろうと言った――それは間違いなく正しい。この点では、彼は一つに工業の電化に期待を寄せていた。電化はロシアにとって技術的に必然なことだが、完成するには一〇年かかるだろうと、彼はいう。党員はみなそうだが、彼は熱意をこめて泥炭による発電の大計画について語った。もちろん根本的な対策としては外からの封鎖の解除に期待しているが、他国に革命が起らなければ、封鎖解除は完全かつ長期的には実現できないだろうと考えていた。ボルシェヴィキ・ロシアと資本主義諸国間の平和は常に不安定なものにならざるを得ないと、彼は言った。協商国側は厭戦気運と各国相互間の不一致のためにロシアと講和するようになるかもしれないが、その平和は短期的にしか続かないと確信していた。平和と封鎖解除については、彼はわれわれ代表団よりもはるかに熱意がなかったし、その点ではほとんどすべての指導的党員も同じであった。彼は、世界革命と資本主義の廃止がなければ真に価値のあることは何も達成できないと信じていた。資本主義諸国との貿易再開は価値の疑わしい一時しのぎの措置と考えていると、私は感じた。
彼は富農と貧農の間の対立、貧農にたいして行なわれている政府の富農反対の宣伝について語った。そのため暴力行為が起こっていることを、彼は面白いと思っているようだった。彼は、農民にたいする独裁は長期にわたって続けねばならぬといわんばかりの口調であった。農民が自由貿易を望んでいるからであった。この二年間、農民はそれ以前よりも多くの食糧を持っていることを統計で知っていると言った(これは充分に信用できることである)。「それでも彼らは、われわれに反対しているのだ」と、彼はいくらか物悲しげに付け加えた。農村では共産主義ではなくて、農民の土地所有が創出されただけであるという批判者にたいしては、どう返答したらよいのかと、私は彼に尋ねた。それはあまり真実ではないというのが、彼の返事であったが、何が真実であるかについては何も言わなかった。
私の最後に尋ねたのは、資本主義諸国との貿易がもし再開されるとすれば、資本主義的影響力の中心部が各所に作り出され、共産主義の維持をもっと困難にしないであろうかという質問であった。熱烈な共産党員ならば、外の世界との商業的交流は異端の浸透を招き、現存体制の硬直性をほとんど維持できなくしてしまうとして恐れているのではないかと、思っていたからである。私は、彼がそのように感じているかどうかを知りたいと思ったのである。彼は、貿易が困難を作り出すだろうということは認めたが、戦争の困難よりは小さいだろうと言った。二年前には彼も彼の同志たちも、世界中の敵意に対抗して生き延びることはできないと考えていたと、彼は言った。彼らが生き延びたのは、さまざまな資本主義国家間の嫉妬心と利害の分裂、それにボルシェヴィキの宣伝によるものだと、彼は言う。ボルシェヴィキが大砲にたいしてビラで戦おうとした時、ドイツ人は笑ったが、しかし事態はビラも同じように強力だということを証明したと、彼は言った。西欧の労働党や社会党がその事態の中で一役果したことを、彼は認めていないと、私は思う。イギリス労働党の親ソ的な態度のために、イギリス政府はこそこそやれること、また否定してもあまり空々しい嘘にはならないことしかできなくなり、こうしてロシアにたいする本格的な戦争は不可能になったことについては、彼は知らないようであった。
彼は、イギリスのタイムズ紙の社主ノースクリッフ卿の反ソ攻撃を大いに楽しんでいた。ボルシェヴィキの宣伝に貢献したというので勲章をさしあげたいとまで思っていた。強奪という非難はブルジョワにはショックかもしれないが、プロレタリアートには逆の効果があると、彼は言った。
誰であるかを知らずに彼と会ったら、彼が偉大な人だということに気付かずに終っただろうと、私は思う。あまりに強く自説にこだわり、偏狭なまでに正統的だという印象を受けた。彼の強さは彼の正直さ、勇気、不動の信念から来ていると、私は想像している。彼の信念は、いわばマルクス主義の福音にたいする宗教的な信仰である。マルクス主義の福音の方が利己主義的でないという点を別とすれば、この信仰がキリスト教殉教者の天国への願いの役割を果しているのである。彼は、ディオクレティヌス帝の迫害のもとで苦しんだが後に勢力を得てから復讐したキリスト教徒と同じく、自由にたいする愛着をほとんど持っていなかった。おそらく自由への愛着は、人間のあらゆる苦しみを治療できる万能薬があると心から信じる態度とは両立しないのであろう。そうとすれば、私は西欧世界の懐疑的な気質を喜ばざるを得ない。私は社会主義者としてロシアへ行った。しかし疑いを持たぬ人々と接して私自身の疑いは千倍にも強くなった。社会主義そのものにたいする疑いではなく、信条を固く抱いてそのために広く不幸をもたらすのは賢明なことかという疑いである。》
レーニンという人物は不可解な人物である。趣味はなにかと問われれば「マルクス主義と革命」と答えるのではないかと思えるほどに無趣味であり、かつ私心がない。快活であり、尊大なところを人に感じさせない点でも希有な人物である。しかし、私には「彼は大いに笑う。はじめは彼の笑いはたんに親しく陽気であるように思えたが、私は次第に気味悪く感じるようになった。」とラッセルは記している。このラッセルの直感には、さすがだと思わせる鋭さがある。
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