4) 宗教を否定する宗教としてのボリシェビズム
《社会現象としてのボルシェヴィズムは、通常の政治運動ではなく、一つの宗教と考えることができる。世界にたいする重要で効果的な精神的態度は、宗教的態度と科学的態度とに大別できるであろう。科学的態度は試行錯誤的で、断片的であり、証拠のあるものは信じ、ないものは信じないという態度である。ガリレオ以来、科学的態度には重要な事実や法則を確認していく能力があることがますます立証されており、そのことは気質、利益、政治的圧力の如何にかかわりなくすべての有能な人々の認 めるところである。太古の時代より世界におけるほとんどすべての進歩は、科学と科学的気質によるものであった。ほとんどすべての主要な悪は、宗教によっている。
私が宗教というのは、独断として抱かれている信仰の体系を意味する。その独断は生活の振舞いを支配し、証拠を超越し、あるいは証拠に反し、知的ではなく感情的ないし権威主義的な方法で教え込まれる。この定義では、ボルシェヴィズムも宗教である。その教義が証拠を超え、あるいは証拠に反する独断であることは、後で証明することにしよう。ボルシェヴィズムを認める人々は科学的証拠を 受けつけなくなり、知的に自殺してしまう。ボルシェヴィズムのすべての理論が真実であるとしても、この知的自殺ということには変りはない。その理論を偏見抜きで検討することは、許されていないからである。私のように、自由な知性が人類の進歩の主要な原動力であると信じるものは、ローマ教会と同じくボルシェヴィズムに根本的に反対せざるを得ない。
ボルシェヴィズムは、宗教の中ではキリスト教や仏教よりもイスラム教と同列におくことができる。キリスト教と仏教は本来、神秘的な理論、冥想好みの個人的な宗教である。イスラム教とボルシェヴィズムは実際的、社会的、非精神的で、現世の国を獲ちとることに関心を持っている。この両者の創始者は、聖書でいう荒野の第三の誘惑に敗けたことであろう。イスラム教がアラブ人にしたことを、ボルシェヴィズムがロシア人にすることになるかもしれない。シーア派の初代教祖アリーが、予言者ムハメットが勝った後ではじめて集まってきた政治家たちの前に膝を屈したように、真の共産主義者が今ボルシェヴィキの隊列に集まりつつある人々の前に屈することになるかもしれない。もしそうなれば、壮観華麗をきわめたアジア帝国が発展の次の舞台となり、後に歴史的に回顧すれば共産主義はボルシェヴィズムの小さな部分でしかなかったということになるかもしれない――ちょうど禁酒が、イスラム教の小さな部分でしかないように。革命勢力が帝国主義的勢力であるかどうかはともかく、一つの世界的勢力としてのボルシェヴィズムが成功すれば、遅かれ早かれアメリカと絶望的な対立に陥ることであろう。そしてアメリカは、ムハメットの部下が直面させられたどのような勢力にもまして堅固で強力である。しかし共産主義理論は長期的にはほとんど確実にアメリカの賃金労働者の間で前進を遂げるであろう。したがってアメリカは永遠にボルシェヴィズム反対という訳にはいかなくなるであろう。ロシアでボルシェヴィズムが倒れることになるかもしれない。しかしそうなっても、他の国で再び出現してくるであろう。それは、困窮の立場に立たされた工業人口にはお挑むきに適しているからである。その悪い点は主として、困窮の立場に起因したという事実によっている。問題は、善と悪をより分け、絶望のあまりまだ残忍さに駆られていない国で善を採るようすすめていくことである。》
本書は48年に第2版が発刊されており、そこでラッセルは「いま書くなら、いくつかのことでは違った言い方をするであろうが、すべての主要な点で、私は一九二〇年の私のロシア共産主義観を今もそのまま持ち続けている。」と記し、「それ以後のロシア共産主義の発展は、私がかつて予想したものと似ていなくもない。」としている。それから60年を経ったいまでも、彼は同じ感想を記すことになるのではないかと思う。
6) 農業(民)問題の無策
《文明世界は遅かれ早かれ、ほとんど確実にロシアの実例に従って社会の社会主義的改造を試みようとしているかに見える。私は、その試みは次の数世紀間の人類の進歩と幸福にとって本質的に重要なことだと信じているが、同時にその移行は恐るべき危険を伴うとも信じている。移行の方法についてのボルシェヴィキ理論が西欧諸国の社会主義者の採用するところとなれば、その結果は長期の混乱であり、社会主義にも何か他の文明の体系にも至ることなく、ただ暗黒時代の野蛮に逆戻りするだけだと、信じている。社会主義のため、さらには文明のためには、ロシアの失敗を認め、かつそれを分析することが至上の命令であると、思うのである。他ならぬこの理由のために、ロシアを訪問した多くの西欧の社会主義者が必要と考えている秘匿の陰謀に、私は加わることができないのである。
先ず、ロシアの実験は失敗だったと私に考えさせる事実を要約し、次いで失敗の原因を探し出すことにしよう。
ロシアにおけるもっとも初歩的な失敗は、食糧をめぐる失敗である。かつては穀物やその他の農産物では魔大な輸出可能の余剰を生み出していた国、非農業人口は全人口の一五%でしかない国では、都市に充分な食糧を大した困難もなく供給できて然るべきである。しかし政府は、この点ではひどく失敗している。配給は不充分、不定期で、市場で投機的価格で非合法に買った食物がなければ、健康と活力を維持できない。輸送網の崩壊は食糧不足の有力な原因ではあるが主要な原因ではないと考える理由を、私はすでに述べておいた。主要な理由は農民の敵意であり、それはさらに工業の崩壊、強制徴発の政策によっている。小麦と小麦粉については、農民が自分と家族に必要としている最低限以上に生産したものを、政府がすべて徴発している。代りにある一定額を地代として取り立てていたならば、農民の生産意欲を打ち破ることもなかったであろうし、あれ程までに強い農産物を隠匿しようとする動機を生み出すこともなかったであろう。しかし、この計画では農民は富裕になることができ、いわば共産主義の放棄を告白することになったであろう。だから強制的な方法を用いた方がよいと考えられるようになり、それは当然に破滅をもたらすことになった。》
7) 工業政策の不在失敗
《ボルシェヴィキの不評は、第一に工業の崩壊によっているが、その不評は政府がやむなく採った政策によって一層大きくなった。ペトログラードとモスクワの普通の住民に充分な食糧が与えられなかったことから、政府は、ともかくも重要な公共の仕事に従事している人々には能率を維持できるだけの栄養を与えるべきだという決定を下した。お偉い人民委員はもちろん、共産党員一般がイギリスの基準でも贅沢な暮しをしているというのは、根も葉もない中傷である。彼らは彼らの支配下の人民とは違って、厳しい餓え、それに伴う精力の衰弱にさらされていないというのが事実である。この点では彼らを非難できない。政府の仕事は遂行しなければならないからである。しかし一つにこのようにして、階級間格差を追放することを意図していたところで、それが再現してきたのである。私はモスクワで、明らかに腹を空かせている労働者と話したが、彼はクレムリンの方を指して、「あそこでは喰うものはふんだんにある」と言った。彼は、国民の間に広く拡がっている感情を表明したにすぎなかったが、それは、共産党員の理想主義的な呼びかけに致命的な打撃となるであろう。
ボルシェヴィキは、評判が悪いがために軍隊と非常委員会に頼らねばならなかった。そしてソヴィエトを中身のない形式だけのものにせざるを得なかった。プロレタリアートを代表しているという主張は、ますます見えすいた嘘になってしまった。政府のデモや行進や集会の真只中にあっても、本物のプロレタリアは無感動で幻滅したような顔で傍観している。異常なまでの精力と熱意のあるプロレタリアならば、資本主義下の隷属よりもはるかに進んだこのソヴィエトの隷属状態から自分を解放するために、むしろサンジカリズムやIWWの思想の方に向かうであろう。苦役労働者並みの賃金、長時間労働、労働者の徴用、ストライキの禁止、怠業者にたいする禁固刑、生産が当局の予想を下回った時には、ただでさえ不充分な工場の配給をさらに減らすという措置、政治的不満のあらゆる気配を密告し、不満を煽動するものを投獄しようと狙っているスパイの大群――これが、今でもプロレタリアートの名で統治していると公言している体制の現実なのである。
同時に、国の内外の危機のために大規模な軍隊を創出することが必要となった。軍は中核部分だけが党員で、一般の兵士はほとほと戦争には嫌気のさした国民から徴兵制で集められている。もともと国民は、ボルシェヴィキが平和を約束したから、彼らを政権につけたのである。軍国主義は、必然的な結果として苛酷で独裁的な気運を生み出す。政権の座にある人々は、自分たちの指揮下には三百万の武装兵力があり、自分たちの意志にたいする民間人の反対は簡単に粉砕できることを意識しながら、彼らの日々の仕事をこなしていく。》
《十月革命以降のロシアとボルシェヴィズムの全発展過程に、ある悲劇的な宿命性が漂っている。外見的に成功しているにもかかわらず、内的な失敗は次々に不可避的な段階をたどって進んでいった――この各段階は、充分な鋭さがあれば初めから予見できたものであった。ボルシェヴィキは外の世界の敵意を挑発することによって、農民の敵意、遂には都市の工業人口の敵意あるいは徹底した無関心を挑発せざるを得なかった。これら多様な敵意は物的な破滅をもたらし、物的な破滅は精神的な崩壊をもたらした。この一連の悪全体の窮極的な根源は、ボルシェヴィキの人生観にある。その憎悪の独断論、人間の本性を力によって完全に変えられるとするその信念にある。資本家を傷つけることが社会主義の窮極の目標ではない。しかし憎悪に支配された人々の間では、それが活動に熱意をこめていく一要素となる。世界中の敵意に直面するのは英雄的行為であるかもしれない。しかしその英雄的行為の代償を支払わねばならないのは、支配者ではなくて国民である。ボルシェヴィズムの原理の中には、新しい善を築こうという願望より古い悪を倒したいという願望の方が大きい。破壊での成功の方が建設での成功よりもはるかに大きかったのは、この理由からであった。破壊したいという願望は憎悪によってかき起てられている。それは建設的な原理ではない。ボルシェヴィキ的精神のこの本質的な特徴から、ロシアを現在の殉教的苦難にさらそうとする意欲が発生した。まったく別の精神からしか、より幸福な世界は作り出せない。》
《ボルシェヴィキの哲学は、漸進的な方法にたいする絶望によって非常に大きく助長されている。しかしこの絶望は忍耐力のなさの現れであり、実は事実の裏付けのあるものではない。近い将来、立憲的な方法によってイギリスの鉄道、鉱山で自治を獲得するのは、決して不可能なことではない。これはアメリカの経済封鎖を発動させたり、内乱やその他の破滅的な危険――現在の国際状況にあっては、本格的な共産主義革命が生じれば、そのような危険を覚悟しなければならない――をもたらすような政策ではない。産業自治は実現可能であり、社会主義にむかっての大きな一歩となるであろう。それは社会主義の多くの利点をもたらすと同時に、生産の技術的停滞をひき起すことなく社会主義への移行をはるかに容易にしていくであろう。
第三インターナショナルの提唱している方法には、もう一つの欠点がある。それが唱えているような革命は、実際には国家的な不運の時でしか決して実行可能ではない。事実、戦争での敗北が不可欠の条件のようである。その結果この方法によっては、社会主義は生活条件が困難な国、道徳的退廃と社会組織の解体のために革命の成功がほとんど不可能になっている国、人々が激しい絶望の気分に襲われ、工業建設にとって非常に不利な状態にある国でだけ開始されることになるであろう。もし社会主義にも公正な成功の可能性がなければならないとすれば、それは繁栄している国で開始されねばならない。しかし繁栄している国は、第三インターナショナルの用いている憎悪と世界的動乱の議論によっては容易に動かされないであろう。繁栄している国に訴えかけるには絶望よりも希望に重点をおき、繁栄を失うような災厄に見舞われることなくいかにして移行できるかを示すことが必要である。これには暴力や破壊活動の必要性は小さく、より多くの忍耐と建設的な責任が必要であり、決意を固めた少数者の武力に訴える必要も小さいであろう。》
破壊に比べると建設ははるかに困難であるだけでなく、根気が問われる作業である。気が遠くなるほどのこらえ性がなければ果たせない事業なのだ。何百年もかけてつくられてきたものを、わずか10年や20年で一変させることが、果たして必要だったのだろうか。それほどの急激な変化をロシアの人民は望んでいたのあろうか。すべては急ぎすぎにある。それ以前に、そんなことが可能であると本気で考えたとすれば、人間という生きものに対する無知としかいいようがない。
8) 観念論の極地としてのボリシェビズム
《政治理論を哲学理論の上に基礎づけようとするのは、もう一つ別の理由からも望ましくない。哲学的な唯物論がいやしくも真実であるとすれば、それはすべての所で、常に真実でなければならない。それにたいする例外がある、例えば仏教やフス派の宗教改革運動は例外であると、期待してはならない。そのため、ある哲学の帰結として政治をやっている人は、その哲学の政治への適用において絶対的で全面的であり、歴史の一般理論はせいぜい、全体として、主要な点で真理であるとしか言いようのない性質のものであることを認められないであろう。マルクス主議的共産主義の独断的性質は、その理論の哲学的基礎とされているものに支えられているのである。そこには、カトリック神学に見られるような固定された確実性がある。近代科学における常に変化する流動性、懐疑的な実際性がない。》
《すべての政治は、人間の願望によって支配されている。つき詰めていえば唯物史観には、政治意識のある人は皆、唯一つの願望――自分の持ち分の財貨を増大させたいという願望に支配されているという前提が必要である。さらに、彼がこの願望を実現する方法は通常、彼自身の個人的な持ち分だけでなく、自分の階級の持ち分を増大させようとすることであるという前提を必要としている。しかしこの前提は、真実とはほど遠い。人々は権力を欲する。誇り、自尊心の充足を欲する。対立の相手にたいする勝利を欲し、勝ちたいという無意識の目的のためには対立関係をデッチ上げたりもする。これらすべての動機が純粋に経済的な動機と交錯しており、この交錯の仕方が実際には重要なのである。》
ボリシェヴィキの思考の根底には、マルクス主義者はあくまでも善でありブルジョアジーは悪の塊であるとする救いがたい観念がある。そこにはいさいの人間にかかわる観察がない。多くのボリシェヴィキが類い希な善意の人間で構成されていたことについては疑いの余地がない。(そのことはラッセルも認めている。)だが、たとえそうであったにしても、その多くのなかに優れた組織力をもつ権力欲の塊のような人物が紛れ込んでいないとする保証はないし、根拠もない。レーニンという卓抜した指導者が没すると同時に、そのことが明らかになる。
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