【ブログ注】勝手にペンネームをつけさせてもらいました。

 

お疲れさまです…【前略】

…コロナ…。

さて、NC(注 中核派の符丁)の「オール沖縄反対論」は、沖縄関係の人にはとても口にできない最悪の論です。私は、沖縄に行くたびに、元中核派であることが恥ずかしくなりました。70年世代の人からも、かつての中核は、すごかった、と聞かされるたびに暗澹たる思いをしました。

基本的に、中核派が、「階級」と「民族」の問題を革命論的(路線的)に止揚できず、歴史的にブレてきた結果ではないか、と私は思います。「労働運動で沖縄闘争に勝利しよう」は、中核派の混迷の結末であり、どんなに公平に見ても、沖縄(現地)的には革マル以下の彼方に中核派は行ってしまいました。少なくとも、現地ではいかに闘うか、いかなる支援を行うか、に尽きます。ある意味、中核派には三里塚闘争の経験と蓄積があり、最も得意とすることろであったはずですが。

しかし、単純な「オール沖縄」で、基地問題が解決できるとは思いません。問題の立て方は、「オール沖縄、か否か」ではないと私は思います。

また、違う観点から言えば、八重山諸島の現在進んでいる自衛隊配備、「先島の最前線基地化」問題については、「オール沖縄」主義者たちは完全に切り捨てています。基本的に自衛隊配備を問題にせず、米軍基地のみを問題にしているところに、「オール沖縄」論の本質があります(沖縄本島と宮古、石垣など離島問題も)。宮古でも石垣でも、現地の反対派に引きずられるように日共…

右から左までの「オール沖縄」の持つ「沖縄ナショナリズム」の危険性について、田仲康博氏は、警鐘を鳴らしています。彼は、「沖縄アイデンティティ論」や琉球独立論についても批判的であり、沖縄左派最後の「本土との連帯論者」だと私は見ています。

田仲康博氏(元ICU教授)

以下を参照ください。講演を聞いて、地域でも来てもらって講演会を行いました。仲間に琉球独立論者の女性がいますが、田仲氏の話を聞いて納得していました。著作も色々出されていますので、参考までに。

 

https://honto.jp/cp/review/dokushojin/08.html 

 

【ブログ注】

 

 「奪還論」とは「沖縄奪還・安保粉砕、日帝打倒」と表現されていた。『前進』などでは「沖縄問題は民族問題ではなく、歴史問題」ともされたと思う。

当時は「帝国主義本国内での民族問題を語るのは反動的」というような議論が圧倒していた。新左翼の世界ではそれが大勢だったと思う。だから「沖縄解放」論が多かった。「奪還=復帰」論自体がそんな批判にさらされていた。今と違って「エスニック」などという概念はなく、民族とは「独立を為しうる力を持った大民族」という意味しかなかったと思う。
 問題はそれ以降中核派の中でも何一つ深まらなかったことにある。
 いや、2つの内戦の中でそんな問題意識も蒸発し、革共同創立以来の蓄積も「実践的に消滅」したというべきなのかもしれない。
  「沖縄を日本革命の火薬庫に」といういいかたもあった。「革命前夜情勢の急速な接近」だっけ? そこから沖縄問題を革命に直結して捉え、いわば日本革命の最短のコースとして捉えて、革命論から逆規定する。当否・正否は別として、見事に破綻してきた現実を長いあいだ認めずにきたその「空洞化」への無自覚・居直りがこのざまだとしか言いようがない。
 言い換えれば「沖縄は日本革命の礎になれ」と要求するもの。
 O’Hanlon  さんの議論のしかたもその延長というべきなのかもしれない。「奪還論」という言葉はたぶん今では中央派でも使われていない、『死語』に近い。また70年に至るあの時代に、復帰運動が沖縄現地で燃え上がっている時に、「復帰はナンセンス」ということの意味を考えて欲しい。歴史を踏まえて欲しい。
 「革命的、革命的」と空回りして自身を神に直結するような選民論に陥って、自縄自縛にいるとしか思えない。
 屋久杉 実感としては、オール沖縄批判は、批判というよりも沖縄県民から相手にされていないことを正当化するための、そして運動に噛めていないことを正当化するための、極めて内向きの論理でしかないと思います。

  こんな論理がまかり通るなら、三全総の路線などあり得ないはずです

民同に支配されているから、ダラ幹に支配されているから、そんな組合運動はナンセンスだと言っているようにしか思えません。

 つまり、自分たちが闘わないことを正当化しているだけです。

 (過去の)三全総路線は、そんな組合でも現場労働者は制動をはね除けて、必死に闘っているわけで、だからこそ革命党として責任をもって、内側から組合を変革するために現場労働者と一緒に闘い、防衛していくっていうことじゃなかったんじゃないですか? 


 白土 当ブログではひとまず以下を参照してください。

 44      ソ連崩壊と反スタの終り
   の中の
 
  ほんの少しだが、白土と水谷氏との民族問題をめぐるやり取りが描かれている。91年?のこと。


その意味でも、故白井朗さんの著作の歴史的意義は大きい。

 参考までに。

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2016年02月09日更新<2001.1.1創設/2009.5.7停止96,037アクセス/2010.01.01再開>2020年9月