2020年11月30日 O’Hanlonさんとの応答 ② いろいろありましたが、結論は変わりません。以下いくつか追加しました。1970年、沖縄青年委員会内部で、中核派と反中核派(海邦派)の分裂が起き、海邦派はやがて沖縄解放同盟となります。この対立においては沖縄解放同盟のほうが圧倒的に正しく、その問題意識を受け止めるべきです。しかし沖縄解放同盟にも欠けていた点はいくつもあります。1. 北琉球(奄美)同胞との連帯が欠けていたこと。奄美が先に「返還」(再併合)された結果か、琉球の一部である奄美同胞を含む琉球人民運動を作ろうという提起は知る限りない。2. 「夏潮」など、台湾の祖国統一左派との連帯がなかったこと。台湾人民の祖国統一の闘いとの連帯なしに琉球の解放について語ることはできない。3. 棄権主義の立場がなかったこと。棄権主義・反議会主義とは、アナキストや左翼共産主義者の唱える選挙・議会制度そのものを否定するものと、選挙・議会制度そのものは否定しないが「正当性のない」選挙・議会には参加しないというものです。たとえばボルネオ島の民族解放運動が「マレーシアという国家を認めない」ので選挙に参加しない、アイルランド共和派が英帝により分割されてでっち上げられた「アイルランド共和国」「北アイルランド」の正当性を認めず選挙に参加しない、といったものです。ここでは後者の意味です。1968年の「主席公選」以来、反選挙・棄権主義の立場に立つべきでした。いったん切ります。2020-11-28 03:46:13 返信編集O'Hanlon61.205.176.209「オール沖縄」 O’Hanlon③公開非公開2. O'Hanlon2020年11月28日 02:41>「85年世代かそれ以降、遅くても90年代半ばに中核派に結集したか強いシンパシーを持った人」「06年3・14当時はまだ『現役』かその周辺」で「関西派に一定の接点があったが中央派を選んだ」「学生または学生運動出身(高校生運動を含む)」…です。ちょっと懐かしくなったので思い出を書きます。私は「中核派に結集したか強いシンパシーを持った」ことはありません。しかし、「共産主義者」は中学生のころから読んでいました。書店で中核派「共産主義者」・革マル派「共産主義者」・日共「前衛」などを購入して読んでいたのです。しかし「前進」「解放」「赤旗」などは書店になかったので読んでいなかったのです。初めて「前進」を読んだのはいつか覚えていませんがだいぶあとだと思います。中高一貫校の生徒でしたが、東京教育大学卒で学生時代は筑波大学法案反対闘争や沖縄「返還」協定反対闘争のまっただなかにいた先生がおり、その先生に「共産主義者」の内容などについて質問していたことを思い出します。学校の勉強の質問ではなくそんな質問に答える先生がいたのは相当自由な学校だったのでしょう。 「☆☆続『狂おしく悩ましく』」カテゴリの最新記事 < 前の記事次の記事 > コメント コメントフォーム 名前 コメント 記事の評価 リセット リセット 顔 星 情報を記憶 コメントを投稿する
ちょっと懐かしくなったので思い出を書きます。
私は「中核派に結集したか強いシンパシーを持った」ことはありません。しかし、「共産主義者」は中学生のころから読んでいました。書店で中核派「共産主義者」・革マル派「共産主義者」・日共「前衛」などを購入して読んでいたのです。しかし「前進」「解放」「赤旗」などは書店になかったので読んでいなかったのです。初めて「前進」を読んだのはいつか覚えていませんがだいぶあとだと思います。
中高一貫校の生徒でしたが、東京教育大学卒で学生時代は筑波大学法案反対闘争や沖縄「返還」協定反対闘争のまっただなかにいた先生がおり、その先生に「共産主義者」の内容などについて質問していたことを思い出します。学校の勉強の質問ではなくそんな質問に答える先生がいたのは相当自由な学校だったのでしょう。