色んな事情でアップするのが遅れてしまった。

先日の927現地・全国集会に久しぶりに参加した。

コロナ下で、成田空港は無用の長物と化している。

 

前回の参加は雨だったこともあり、雨ガッパを頭からズッポり被り、サングラスにマスクだった。

おかげで懐かしい人と隣り合わせても誰も気が付かない。結果、現地をゆったりと堪能できた。

ま、それはそれでいいけれど、今回はマスクも何もせずに参加した。

会場の後方、中央派の後方当りに立っていると色んな顔見知りが行き来する。こちらに気が付いて頭を下げていく人もいる。「おうっ」とか言って立ち止まる人もいる。行き過ぎる後から、「元気?」とか言いながら付いていくこともあった。

デモが出発すると、隊列に入らずに道路側を歩きながら行ったり来たり。本社で編集局の写真班として、デモの時は外から見ることが身についていたので、この方がフィットする。隊列の中から声がかかったり、手を振ってくれる人もいる。かれこれ十人ほど、短い言葉や会話を交わして「満腹感」を味わった。

私の小冊子(当ブログ)を読んでくれた人や、このブログの「読者」という人もいる。時には「友だちつながり」で私のFacebookを訪れた人もいた。

今回言葉を交わしたこのほとんどが「現役の中央派」だった。中には「頭の痛いことが書かれているけどね」とかの感想も寄せてくれた。1人だけ、「まともになりなさい」とお叱りをうけた。「こんなところに顔を出して大丈夫?」とも。けれども、事情はだいぶ変わっているという感をも強くした。

 

デモの終了後は「元」や「非」中央派や元他党派のグループに混じっての飲み会に誘ってもらった。他党派の人は、85年の浅草橋被告を守ろうと苦戦する中で、第4インターへのテロに続く「脅迫電話」を受けて、怒りまくったという。その時は、脅迫電話の主が最後には謝罪したとか。聞いていて苦しくなった。三里塚での中央派の「農民はプロレタリアートに階級移行すべし」発言に異を唱えて除名された闘争会館事務局長氏らのその後の話や、沖縄辺野古での中央派の「オール沖縄反対論」なども話題になった。(当ブログ参照)

三里塚も今、緊迫した情勢だ。市東さんや萩原さんなどは同時に、日々の農作業に精を出しているという。そうそう、市東さんの農地裁判では、「脱落派」と罵倒した青行氏(熱田派)が原告側証人に立っていた。テレビでは別の青行夫妻が現地で農民として生きるたたかいを続けていることも「オンデマンド」でみられるという。

 

山 うーん?かつては「離脱した反党主義者」の元のメンバーがそういうところに顔を出すと、「監視員」や糾察隊に睨まれたり、写真を撮られたりと面倒なことも多かったけど。下手をすれば…。

郷 当時も「人による、時と所による」だっけどね。とはいえ、06-7年の過程でもう一つ変わった。

台 天田氏ら旧政治局(3人組)が崩壊して今は「揺れに揺れている」ことも影響していそうだ。とはいえ、除名・追放された諸個人・諸グループや関西派との関係の再検討に至るものではなさそうだ。労働運動の領域でも、再検証・「名誉回復」と復帰要請が必要なはずだが、そんな動きはないようだ。