10月25日 本多書記長追悼の集い 開かれる。

主催者発表では「参加者が46人、メッセージが4人」

詳細はhondanobuyoshi1975(livedoor.blog)

 

私も終わりの方で発言した。原稿を用意していなかったので、記憶によって採録したい。【補足】は今回付けたもので飛ばしても結構です。以下……… ……… ………

 

さっき水谷さんの発言中にヤジを飛ばした二人のうちの1人です。

「湯本」といいます。

〇滝沢さんの項目

まず主催者が用意した「追悼 非業の死をとげた仲間たち」のレジュメについて。

この中の「滝沢紀昭」さんの項目では「…転落死させられる」とありますが、ここから「させられる」の5文字を削ってほしい。

私は元中核派。埼玉大学出身で本社編集局の一員にもなりました。その後はいわゆる「白井朗系」「白井派」。ブログで『狂おしく悩ましく』というものを公開しています。

事件当時は埼大生でした。ま、69年4・28の件でこのころは東京拘置所に入っていました。当時の肩書では、滝沢さんがマル学同埼大支部のキャップで経済学部自治会委員長。私はサブキャップで理工学部委員長、でした。

事件についての中核派の公式的表現では、たしか「突き落とされて、虐殺」だったと思います。襲撃したのは「権力から金をもらって転向したスパイ」といいう感じだったと思います。

それに比べればここでの表現はやや和らいではいる。けれども「中核派の正史」を引きずっています。直前の望月さんの項では「墜落…逝去」です。事件としては望月さんの事件の方がはるかにひどい。けれどそれはおいて、ひとまずそれに近い表記にとどめたい。

事件としては前夜に中核派の首都圏部隊によるバリケードへの襲撃がありました。ま、それ以前には主として反戦連合側からのいざこざ・小競合いがありましたが詳細は省きましょう。とにかくこの「5文字」です。


  【補足】マイクの不調で最初から言い直しましたが、だいぶ省略しました。
    「湯本」ー「10・8世代」の皆さんには「湯本弟」としたほうが分かるかも。
        
「反戦連合」は「反戦連合ほか」に訂正します。発言そのものは変えられないので内容上の訂正です。

    以下の各項目の【補足】は末尾に書きました。

で、「本題」に入ります。

  組織内部からの変質と崩壊

2重対峙=対カクマル戦、そして革命軍戦略、言い換えれば内ゲバとロケット砲の時代です。私も十分な総括はできていません。ただはっきりしているのは、「組織の内部からの変質・崩壊」はずいぶん早くから進行していたという思いです。

そりゃそうです。襲撃され殺されるのも大変ですが、襲撃する、殺すというのはある意味でいっそう大きく跳ね返ってくる。「人の人生を抹殺すること、ひとの命を奪うこと、一つの命を抹殺すること」。今回はこの点を強調したい。現場逮捕・事後逮捕、長期投獄の恐れ。関係者への家宅捜索と「事情聴取」。跳ね返りも大きい。
 組織内での相互の機密保持が第一になる。個々の襲撃の是非もその実相も秘匿するしかない。議論もできない。何一つ「共有」できないままで鵜呑みするしかない。

軍事と軍令が日常活動の基本的な姿、それが日常の基本的な枠組みになる。だから人事と財政はキャップの専権事項になる。議論が起こっても、それが政策や理論の問題でも、この軍令体制に縛られる。複雑なあるいは難しい組織問題でも、抜擢されたキャップの思いつきや無限ともいえる裁量権が横行する。【補足①】

 

  三里塚・沖縄論の「定説」や「認識の深化」

この間三里塚や沖縄での中核派(中央派)の度し難い言動について考えています。…【三里塚については中略】…

沖縄県民がたたかう時、あるいは人として声を上げる時、「沖縄主義者」であるのは当たり前でしょう。常識。その「沖縄主義者」という言葉を、「追放・敵対」を正当化する「罵倒」として使うなどということを私には想像もつきませんでした。

言い訳のできない、どうしようもない裏切りとしか言いようのない数々です。けれどもこれは打倒された中央派旧執行部の腐敗や変質ということに止められない問題だと感じます。しかし60年代末に中核派が「三里塚・沖縄」に全力で取り組んで以来50年、残念ながら「農業・農民問題」も「沖縄・この構造的差別」の問題もなに一つ「論」として真正面から取り組み深めることをしてこなかった。中核派にはそもそも沖縄問題とは何か、ということでの「定説」いわば哲学的深化がなかった。初期の思いも「空洞化」「消失」していた、ということにありそうです。

その「付け」が回ってきたのだと感じます。【補足⓶】

 

  反スタということ

反スタとは何よりもまず、「活動家の主体性」だと思ってきました。「正否の基準」は一人一人にある。そして「指導部が誤ったり裏切ったりしたら、議論を起こし、党内闘争を展開し、時に分派を作り、時には分裂・自立する」というものだったはずです。

私は残念ながら、まともな議論すら起こせなかった。反スタの入り口で失格です。恥ずべき変質・転向=党内転向です。「自由のために闘う共産主義者」ではありえなかった。これが最大の問題です。無念です。

本多さんについては今回は略します。 


【ブログ注】

【補足⦿】〇滝沢さんの項目
 
滝沢さんの事件、言い換えると「芝工大事件」について、私自身は長く内に秘めて個人的な問題として処理してきました。けれど、事件の元被告の友人・知人との信頼と責任のためにも、今改めて積極的に語るべき第一級の課題だと感じています。今回改めてネットを検索すると、想像以上のブログで扱われています。

 
【補足①】   組織内部からの変質と崩壊
 「心のキズ、負担」は実行行為者と、「内部通報者」だけではない。あまりに多
くの人が苦しむことはさけられない。正しいか、必要かとも別の問題です。
 斎藤政明さんの本で、九州支社で革マルの逆襲を受けたときの「総括」をめぐる「中央」とのやりとりがでています。「中央」とはこの時福島平和さん【注 訂正済み】だったとのことですが、斎藤さんなりのリアルな現実認識・視点に対して中央はただ坊主懺悔だけをくり返し求める。「そうなんだろうな」とも思いつつ、中央のレベルですらこんなだったんだ、と思いを新たにしたものです。これが斎藤さんが壊れて離れていくひとつの要因だったようですね。
  https://www.amazon.co.jp/%E5%A5%A5%E6%B5%A9%E5%B9%B3%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%9F%E2%94%80%E7%A7%81%E7%9A%84%E8%A6%9A%E6%9B%B8-RED-ARCHIVES-03-%E9%BD%8A%E8%97%A4/dp/4784592229
 

ともかく「路線云々」前に、「中核派は当時の時点で、戦争できる組織・諸組織でも、諸個人でもなかった。多くの場合、あまりにも『無準備』だった。そして内部から変質した」というしかありません。もちろん、人により、所属により、地位により、その差や違いは大きかったはずです。
 そして「
対等なお互いの関係」の破壊的進行については特に、はっきり言って「上」で胡坐をかいた人には、その後も長いあいだ、自覚すらなかったのではないか?あるいは最後まで?とすら思えます。

【追加】私の発言では、以下の要旨もあったと指摘されました。
「早稲田の革マルによるテロ支配はもちろんですが、明治の解放派、法政の中核派によるそれも…」


 【補足②】   三里塚・沖縄論の「定説」や「認識の深化」
 
沖縄問題で思い出せるのは「同一民族」という言葉だけです。いつだったか今は思い出せません。覚えているのはある日突然『前進』重要論文にこの言葉が使われ、何度か繰り返されながら一度もその意味を語ることが無かったということだけです。「日本は単一民族」という中曽根発言のころでしょうか?

「同一民族」というゆえんは何か?「だからどうなのか?」何も語られなかったという記憶だけです。時に「重要路線」時には「戦術」として中核派としては「大動員」をかけながら、肝心な「論理」「思想」は空洞化していく一方だったな、と改めて振り返ります。「70年」から50年、この「無思想」「非論理」が続いてきた結果が今なのだ。そう思います。

【補足追加】集会ではすでに公表されている人々のほかに多くの人が発言した。「ゲスト」や自由発言などさまざまで、私としてはこのへんに啓発されるものがありました。

主催者のホームページで採録されることを期待しています。その時はまた、この続きを書きたいと思います。