「自由と民主主義」?
1 大国間の論理
ロシアのウクライナへの軍事侵略に日々、想いが掻き立てられている。
日々のニュースに一喜一憂する。
そしてまたさまざまな場面や人々を前にして「立場・立ち位置」が日々揺れる。
「千々に乱れる」そんな毎日だ。
ただ、はっきりしているのは「ロシアの軍事侵略とウクライナ側の自衛戦争」こそすべての起点である、ということだ。
一般に大規模な地域紛争「低列度紛争=LIW」に向かい合う場合、攻撃されている「弱小国」をひとまずは「主語」から外して大国間の論理を見極めるべきことが大事と考えられている。「自衛戦争」の側のあれこれに引き込まれると、大局観を見失う、という意味だ。第1次大戦下でのレーニンのサラエボ事件=バルカンに対する視点は有名だ。そしてその視点は(いくつかの保留込みで)いまも不可欠な視点だと思う。
そこではこの戦争は
①火点はロシアの侵略開始に置かれるべきだ。さらにはそのロシア侵略軍の想定を超えた残虐性も付加される。ウクライナ側の対ロシア・ソ連の歴史は大事だ。
②米欧の「兵器に絞った援助・介入」は、かつて私たちの知らないほどの大規模・激しさを伴っている。その情報戦も「情報のかつてないほどの公開」だ。そしてまた「経済制裁」は「ロシアをソ連崩壊時に追い込むようなかつ、長期に及ぶ」と宣言された。そもそもが米欧の事実上の対抗的軍事介入という形自体が、ほぼ前例がない。ある人は、スペイン内戦 を想起するという。
問題の大きさはこのロシアと米欧の側の「前例のないほどの」、「ほぼ対抗的な軍事発動」が世界や私たちも巻き込んで、色んな形での「当事者性」を付与されていることだ。もちろん「核使用の恫喝」も「本当の当事者は中国」ということも見逃せない。
この辺の全体的な認識は今回も「ピスカトール」に学びたいとも思うし、関連して中央派の「『前進』春季特別号論文と、分裂の定着以来初めてとも思える関西派による批判も近く参照したい。
2 「防衛戦争」の論理
初期において多くの情報を公開したというアメリカの情報戦略が功を奏した。今や「事実の森にウソを隠す」戦略が大手を広げて展開される。
アメリカの情報と立場・方針に即して(日本政府の政策にも即して)語られる場合も多そうだ。
そんな「専門家」たちの話では、米欧の軍事援助が功を奏して、ロシア軍はひとまずは全土制圧を目指した攻勢を阻まれたが、戦局はいっそう泥沼化と長期化に向かっているそうだ。
米欧の帝国主義を意味する「国際世論」に乗って「自由と民主主義の戦争」論が幅を利かせている。しかしながらそれ自体はあまりにも的外れだ。
以下、「防衛戦争」の議論のために大きく迂回しながら始めたい。
ひとまずの結論は、「防衛戦争」はそれ自体として擁護されるべきテーマであり、民主化他のその中身の可否はいわば「上乗せ・相乗部分」だということだ。
資料
ウクライナ概観 在ウクライナ日本大使館作成
ウクライナのオリガルヒ - Wikipedia
アゾフ連隊
3 ベトナム反戦世代として
私は(私たちは)70年をはさむベトナム戦争(アメリアのベトナム侵略戦争)の世代だ。だからあえてその認識をベースにする。
さらに私たちの父母は太平洋戦争(朝鮮植民地化と中国侵略戦争)の世代だ。「あの歴史を繰り返してはならない」という想いがあの激しい闘争の時代を作った。それは直接運動に加わらなかった同世代の多くの人にも共有された。そしてまたさまざまな課題と運動を派生・前面化した。
ここでは「戦争世代」の人々の「平和のための軍事問題研究」の意義を再確認しておきたい。
米軍の沖縄配備のあれこれも日本の再軍備の実像も、彼らの営為なくして的確な認識や対応は無かったと思う。
戦時下の人の生き死に、戦争と青春・戦争と青春の領域は小説やドラマで繰り返されても来たけれど、総体としてまだまだ不十分だ。そして「だから戦争はいけない」んだけれど「けれど、不条理の中で生きるということ」自体、ある意味でより普遍的なテーマでもあるはずだ。
「アポリア」(解決困難な難題)という言葉が重い。
4 「対革マル戦争」(内ゲバ)の体験者として
同じことを私たち「内ゲバ世代」も担うべきだと思う。
けれども内ゲバも内内ゲバも外ゲバも、真正面から総合的にとらえ直す努力は一部を除いて乏しい。
「正義」や「不正義」や「巻き込まれて」云々は確かに不可欠な要素だが、「戦争の論理」「内ゲバの論理」を生き生きととらえ直すことは、同じことを繰り返さないためにも大事だし、それはそれで「倫理的にいけない」だけでない「生きるという問い」「闘うということ」に迫ろうとする一つの道だ。
なぜこの場でこんなことを言うのか?
その一つは、「正義と不正義の限定性」だ。「正義の為にはどんなことも許される」という「無制限・無制約の…論」とは決別したい。「卑怯者、去らば去れ」の英雄主義も時と場合による。というよりも「正義」の名による最悪の選択を私たちはあまりに多く体験しすぎて来た。
それが(大局的には)正義であれ不正義であれ、それぞれの個々人や、それぞれの場所ヾでの実相ははるかに違った様相を呈している。話を広げれば、「正義の中の不正義」や「不正義の中の正義」という話はじつに有り余るほどで、歴史を振り返れば振り返るほど「実りある」振り返りのテーマでもあるはずだ。
「最前線で戦ってきた戦士たち」が、その後次々に粛清の憂き目にあってきた「革命党」の歴史もあいまいにはできない。中核派では良きにつけ悪しきにつけ大事な局面局面で歴史を体現した人々が次々に追放され離反した歴史を土台としている。
さらにまた「負けること」「逃げること」「降伏すること」をも、現実の闘いの場では、あらかじめ起こりうる一つの選択肢として備えて欲しいからだ。
敗北への備えなどあるかという話もあろう。しかしまた、人は折々の選択をそんな風にして重ねてきたのだとも振り返る。
当ブログはそもそも、「2重対峙・対革マル戦」の総括の序(入口)を目指したものですが、やはり主としてその中の出版部分(本体)が我ながら一番生きていると感じます。その中のまとめのまとめが以下になります。
私たちの世代は、積極的に参加した人も、恐れあるいは嫌悪した人も、70年代からソ連の崩壊・総評・社会党の崩壊時の、それぞれの側からの生き証人なのだろうと思います。
5 原発問題
ロシア軍がウクライナの原発を砲撃し支配したという。
怒りは激しいが、同時に原発を戦場にしての戦闘が長引かなかったことに胸をなでおろす。
ウクライナにとって原発は、国内の電力供給は大事なかなめだという。原発を抑えられたら、経済・社会のインフラそのものが抑えられたと同じだともいえそうだ。ウクライナにとってロシアからの自立・独立の希望の証としての原発という面は大きいという。
胸が痛む問題だが、まずはウクライナ側があまり抵抗もせずに屈したことを喜ぶ。「核戦争」そのものだからだ。
ここでは「国敗れて山河あり」。「日本は負けて良かった」だ。
6 色んな支援の在り方
いずれの選択にせよ、どんな場合でも可能な限り支えたい。
眼前のその人が「戦う」にせよ「白旗」にせよ。ウクライナ人にせよロシア人にせよ!
戦後の回復はもちろん、難民を難民として。
いろんな支援には、ウクライナのロシア人やロシア国内外のロシア人も当然含まれる。
それぞれの支援も互いに理解し合うことも大事だ。
今のようなロシアで「反戦」を貫くことには多くの困難が伴いそうだ。私たちもそんな覚悟がいる。その覚悟を支える思いと仲間・制度が要る。それは第一級のテーマだ。
国際競技からロシア人やベラルーシの選手たちが排除されているそうだ。
ウィンブルドンテニス ロシア人 - 検索 (bing.com)
マックの撤収は大いに讃えられているようだけれど、ベトナム反戦時代に「コカ・コーラを飲むのを止めよう」と叫んだ共産党・民青に対して、私たちは不意を突かれながらも大いに笑った。それ以上に、喫茶店や名曲喫茶は私たちのかけがえのないたまり場だった。かつての同志たちと会うと、意外に(?)演劇やバンド出身の人も多い。ロックやソウル…。日大芸闘委は映画だそうだ。
7 当面の結論
ようやく本題の入り口にたどり着いた。けれども今回はここまでにします。
さしあたりの結論は、岸田内閣の「防弾チョッキ」を含む軍事支援や介入には反対します。難民の受け入れは、あまりに「人道」を無視した非人間的なものであり、避難・大幅な拡充を求めます。
危機に乗っかった「軍拡・核共有論」のばっこには全面的な対決が望まれます。
ただ同時に、「国民に正面から危機と全対策を呼び掛ける」という大胆さを欠いた「無策・乗っかり型」の「自発的従属化」「永続敗戦国」の延長上では「有効な結果」は何一つ生まれないだろうことも自明です。
参院選後の「与党にとっての黄金の3年」を見据えて、選挙で、国民投票で、何としても…
コロナと戦争による物価高や「生きずらさ」は待ったなしですし、諸国の内外の分裂の進行もあります。
当初の予定では以下のような議論を目指しています。
8 ウクライナの抵抗と「武器」
9 後発国の選択、第3勢力論の歴史
10 国際反戦闘争
11 『前進』春季論文と『未来』による批判
日々の生活もその付き合いもある。それはそれで欠かすことはできない。ほとんどなんもできないけれど、それはそれで繋がるものもあることも信じたい。
当地の駐輪場のお客さんたちは中高齢者が大半だけれど、子育て中の父母・保護者もいる。同じ保育所に通うベトナム人やネパール人、それにごく少数の中国人もいる。在日2世たちが数多く育っていることを実感する。それぞれ色んな課題を抱えながら日々を送っている。そんな関りからも想像力が生まれると期待しています。
「リアルな現実」と「バーチャル」。
実態・実相に迫れない議論は虚しいと痛感しつつ、…
ウクライナ概観 略史(在ウクライナ日本大使館)歴史とともに、オリガルヒや政治制度と選挙などにも言及しています。ウキペディアも急速に拡充されて来ていますが、信頼性も含めるとこちらの方が良さそうです。