カテゴリ:☆☆続『狂おしく悩ましく』 > 「国家と革命」関連


元共産党員の宮地健一さんの第2次クロンシュタット反乱も検討してみたいテーマだ。
私自身はたぶん80年代にアナーキスト関係の書籍を読んだ。
何人かの同志(当時)と議論した覚えは有る。
「クロンシュタットの多くのボルシェビキが反乱側に決起していた」という認識は、トロツキーの記述と対立するが、私は前者の記述に信頼性をおいた。
いつかは〈二つの内戦の終了後には〉改めて議論の的になるはずだ。そう思いながら、議論をしめくくった。そしてそのまま封印してしまった。

宮地さんは60年安保に共産党系(全自連?)にいて、長く共産党の活動家だった人だ。
そう、まだ「暴力革命論」が基調だった共産党(綱領的にはまだハードスターリン主義)。その後、共産党の転換の中で多くの人々が「左右の立場から」共産党を離れた。今日の私たちにとっても、まともに共産党批判をしようとするならば、最低限の知識として、このブログの共産党批判を学ぶべきだとも思う。

反スタ・新左翼にも学習対象になるべき多くの紹介記事や論文もある。

参考までに見出しを挙げてみた。分量が多いので小見出しに当たる部分は大半は削除した。
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宮地健一のホームページ
 
 

 
    年金問題
  
 
5、共産党の党大会 第26回大会2014年1月15日
      4、綱領全面改定-第23回大会
   5、規約全面改定-第22回大会 6、61年綱領めぐる問題
 
      8、中国共産党 9、二〇世紀社会主義
 
 
 
〔メール mel-ken@mxw.mesh.ne.jp 
 
 
(以下は上記の詳細)
1、政治ニュース+集団的自衛権・秘密保護法  
 
     宮地幸子『尾行』公安調査庁による尾行日本共産党による張込・尾行1カ月間
 
     『日本共産党政治資金2013年度報告の表裏』→14年度報告=15年11月末予定
     1年間で、党費収入-2795万円、機関紙収入-7億7132万円
 
 
     
  3、東京都議選13年結果 13年6月23日投票
  
  4、2014年・12年総選挙結果
     
     
     加藤哲郎『日本の社会主義運動の現在』末尾日本共産党はいったん自然死
   5、2011年統一地方選結果前半戦4月10日投票、後半戦24日投票
   
    
 
    平和共同候補実現運動、年金問題

           『反原爆と反原発の間』日本マルクス主義から、なぜ高木仁三郎や小出裕章が生まれなかったか
          
     れんだいこ『日共の原子力政策史考』共産党と不破哲三の原子力政策批判
     不破哲三『「科学の目」で原発災害を考える』原子力発電は未完成→原発からの撤退
 
    (共産党系ベルト団体の崩壊-民青系全学連、民青、民商)
     1民青系全学連〔2、民青〔3、民商 相良和文『豊島民商問題』
     (憲法改定問題、国民投票法問題)
    
     加藤哲郎『護憲・論憲・改憲の幅と収縮可能性』世論調査分析

 いずれ、「正しい戦争論」や「正しい内ゲバ」について正面から語りたいと思う。
 「統一行動」も共同行動も、「敵」を想定して形成される以上、あらかじめ「排除」すべきものがある。けれども「共同」に参加する人々はそれぞれ「重心・核」が違う以上、排除すべき相手と取り込むべき相手が大いにずれる。共同行動の外のラインはどう設定できるのかはとりあえず「悩ましい」
 結果、我慢と受容には互いに限度があることはがあらかじめ限定されていると考えるのが「正しい」。

 一つの解法は、運動が抱える様々な場面を想定して、時々節々の「離合集散」の繰り返しを想定することだ。そういう想像力の豊かさと、「絶対的正義と絶対的貫徹」論の「排除」から動き出すことかとも思う。他人への非難は「親しい関係」の時にこそ、場面場面ですべきであり、「絶対的敵」への集中砲火によって代行することを厳しく諌めるべきだという気もする。それでもいい、それでも闘えるというある意味中途半端な「闘いの志」のありかたを養うべきなのではなかろうか?

 もちろん、「党派政治」や「政治力学」論も現実にはある。けれどもそれはまず、まっとうな「近代政治学」を研鑽するなかでのものでなければ、本末転倒になりそうだ。あるいは多少まともな社会学や人生論を深める途上性として「仲間作りや排除」を葛藤しながら重層的・多面的に進めるそのプロセスに拘りたい。

 
 小話から
 
 昔、サムライが幅を利かせていたころのこと。
 群馬のある村に、おじいさんとおばあさんがおったとさ。
 おじいさんとおばあさんは真っ白な馬を大事に大事に育てていたんだとさ。
 名前は白いからシロだんベ。

 ところが村の長者がこの馬を奪って都の偉い人に献上してしまったんさ。
 悲しいことだよね。

 ある時都にいくさが起こって、偉い人もその旗がしらになったらしい。
 おじいさんとおばあさんは、馬のシロが心配で心配でしょうがなかったんさ。
 「でもシロは頭のいい子だから、何とか生きて生き延びているだんベ」と慰め合ったんだとさ。

 ある日の夜中、ドサッという音がして2人で外に飛び出したんだとさ。
 ほしたら、シロが倒れていたんさ。体中に矢が突き刺さったまま、都から飛んできたんだんベ。
 シロはだんべ、2人に看病されてだんべ、元気に生き返ったんだんベ。
 幸せに暮らしたんだんベ。(おしまい)
 

68年3・20だったっけ?
 
 反対同盟の村ぐるみ参加の解散集会に、機動隊がなだれ込んできた。
 市役所近くの谷あいに作られたグランドに、坂をかけ下ってくる機動隊。
 
 当日も機動隊とゲバ棒で激しく激突したあとのことだ。
 集会に参加した「3派系」の学生たちは、すでにゲバ棒を処理して素手・無防備だった。
 しかも、反対同盟=農民を中心にした集会だ。
 
 警棒を振り回して無差別に殴りかかる機動隊に、集会参加者は逃げまどい、大混乱に陥った。
 
 ここで書きたいのは、権力の怒りではない。
 逃げまどい、ぶつかり合い、倒れ・よろめく仲間たちを押しのける学生たちの姿だ。
 
 会場の周囲には、鉄条網が張り巡らされていて、出口は少なく狭かった。
 
 出口に殺到し、逃げまどう人々の中には、明らかに農民たちが交じっていた。おじさん・おばさん、おじいちゃん・おばあちゃん。押しくらまんじゅうの末、数人が転べば折り重なって窒息しそうだ。
 
 そんな中で、学生たちも、互いを押しのけ、農民を押しのけて、ぶつかりあう。
 修羅場だ。
 
 私は逃げる道を失った。
 かといって反撃に転ずるなど考えもできない。
 シンガリを担えるような状況でも無い。
 
 必死の勢いで鉄条網にしがみつき、ひっぱり・揺らして逃げ道を確保しようとした。
 何人かが同調して、ようやく逃げ延びた。
 後ろに取り残された人々は、学生であれ、反戦であれ、そして農民であれ、したたかに叩きのめされていった。
 
 
 負けた時、勝てない時にもまた、逃げるための「人としての在りよう」が問われるのだろうと思う。
 そしてまた、「逃げるための力」も同じ。
 
 機動隊と何度も何度も激突し、勝ったり負けたりを繰り返す中でしか、そんな力もつかないのかもしれない。
 傷つき倒れるか、なんとか続けられるかの境目もあろうが、「修羅場を踏む」ことなしに、「強いゲバ」は育たない。
 同時に「平時」に力を着けることもやはり大事な要素なのだろう。農民を突き飛ばして逃げるくらいなら、「今回は参加しない」のも一つの選択だ。逃げ足の訓練、状況判断の訓練…振り返れば日々の生活の中にある幾多の選択肢…。
 
 武装とは何かを改めて振り返ってみたい。
 
 

以下も同名の中核派ブックに関して。「所感」だけですが。

1)「幻想的国家」論に「暴力国家」論を対置
 もともと、80年代には、ほぼ「暴力論」に傾斜していました。「未発表」の野島論文(?別人?)で、「確立」していたといえるでしょう。
 「革命軍基軸路線」は、この「暴力国家論」と対を為していたのだということ、それが今、「新指導路線」の「進路を照らすもの」として打ち出された意味は、きわめて大きい。

2)本多氏の「幻想国家論」を廃棄
 本多氏はもともと「幻想国家論」であった、と私は記憶しています。
 また、「継承か解体か」だったと思いますが…「暴力と幻想の二つの契機」をあげています。ここでは、国家の「二つの契機」として、「対外対抗と対内統制」をもあげていたと思います。
 「今さら」ですが、「継承か解体か」を廃棄するのなら、それを明言するのが「理論家」の義務ではないでしょうか?
 「本多中核派は終わった」「清水中核派は『一度死んで生まれ変わった中核派』であり、元には戻らない」というのなら、そうはっきりさせるべきでしょう。

3)「対外」と「対内」の問題
 ロシア国家の建設が、「ダッタンの脅威」をテコとして、軍事的要請を帯びて進んだこと、明治維新が「外圧」をテコに早産したこと等をあげれば、「対外」の意味は分かるでしょう。韓国の歴史教科書でも、「漢民族の圧力」との対抗が独特な国家形成に進んだことを繰り返し語っています。
 マルクスも、普仏戦争で「ドイツの勝利を期待する」と明言していました。また、独仏の国境問題を検討して、民族⇒言語の境界と領土の関係を論じています。
 民族解放でも「自分の国家の建設」は不可欠・緊急の課題でした。
 現代日本の「愛国心」を歴史的に検証する作業も進んでいます。「戦争責任」をめぐって、「一部の軍部」やあるいは財界も交えた戦争責任のわい小かに対して、中核派や新左翼は、「日本人民・階級と民族の責任」をも射程に入れていました。そうしてなお、「階級・人民の多数派」を目指していたはずです。
 「暴力国家」論はその点で、「初期中核派」や「70年の中核派」と一線を画す退廃だとしか考えられません。

4)「哲学の貧困」
 「国家=共同体」論や「国家=共同幻想」論に対置して、「本質としての暴力」を掲げています。
 しかし、レーニンの「哲学」に依拠すれば、この論議は、今の中核派の立場にたってさえ、「形式としての共同体、実体としての支配階級、本質は暴力、そして概念としては…???」ということにしかなりません。一番高度で大事な「概念」がない理論とはいったい何でしょうか?
 好意的に見ても、「本質還元論」としかいいようがありません。つまり、何も言っていないのです。

5)実践的要請への無関心
 交流センター運動にとって、こんな理論が「応用」できるでしょうか?
 「応用」を前提として「開かれた環」でない理論に意味があるでしょうか?そんな理論に「検証可能性」があるでしょうか?(私はここで数学や物理の話をしているのではありません!)。
 かつて80年代、「独自の軍事大国化」論が打ちだされた時も同じことがありました。
 論の正否はおいて、安保と沖縄の現実を視野に入れないこの議論は、「米軍基地」との戦いを最大の焦点とした当時の(今も)沖縄の運動に(「本質的に」)悪罵を投げかけ、混乱させる以外の何者でもありませんでした。
 「新指導路線」下の「理論」もまた「相変わらずだ」としか言いようがありません。

6)「一国主義」の完成と対か?
 上述したように、排外主義との対決=民族問題の追放が、隠されたテーマだというべきでしょうか?
 「清水 VS 白井」問題は、政治テロを含めて根が深い。「スターリン批判と民族問題」は、いまの中核派ではタブーになってしまった。こと「革命論」の領域では、「一国革命主義」の完成、という以外の何者でしょうか?

7)「軍令」と「専制」の理論
 けっきょく、この理論の政治的目的は、「一党支配」と「党内専制支配」にあるということでしょう。
 「女性解放委員会」の諸論文が、女性たちの運動にツバを吐きつけ、「内戦下の女性運動の凍結」を(隠微に)結論付けるためのものであったように…。
 交流センターや諸運動の自立的展開にはどめをかけ、「機関」の優位を確保し、「党から派遣されたGPU」による監視と破壊を保証するための議論。目的ははっきりしているといわざるを得ません。

7)「キャリア政治」は不変
 中核派の中に公然とかつ根強く存在する「学生書記局出身」という「キャリア人事」は、確かに大きく崩れているとはいえ、中核派自体の歴史的消滅まで変わることのない「本質だ」と考えるしかありません。
 「労働者階級」の「実生活」はおろか、その接点すら経験せずにきた多くの「書記局」や「機関要員」に、いつまでコンプレックスを抱き続ければ良いのか?いまさら遅いのかもしれませんが。
 「武闘派」の「変化」に期待したり、それを前提にした「多数派工作」や「再編清水体制」での上昇志向の先に展望などないとしか考えられません。
 中核派の中で、「交流センター」が主流になる日などけしてない、あなたが腐るのが先でしょう。

8)「公開論争」と「話し合い離婚」を
 いま起こっている対立・分裂は、この点に即して言う限り、「古い軍令主義と『改善された軍令主義』との対立」以外の何者でしょうか?
 とはいえ、議論の対立が表ざたになったこと自体は歓迎するべきことだと思います。「古い、しかし阻害された地方」の「決起」が、「公開論争」を挑むなら、それは「歓迎するべきこと」でしょう。
 「協議離婚し」「財産の分配を協議し」そしてあらためて「いつの日か、語り合う」。それは、単なる夢物語でしょうか?
 

1)「敗北主義」をめぐって
 第一次大戦の中で、レーニンはボルシェヴィキの中でも孤立していました。
「祖国=ロシアの勝利を期待する勝利主義」が指導部でも多数を占め、「祖国=ロシアの敗北を期待する、促進する、敗北を利用する」という主張は少数でした。
 レーニンはここで「敗北主義」の貫徹のために、「革命的敗北主義」というヌエ的表現を採用したといっています。「革命的」とは良い言葉で、内容をあいまいにするためにも充分威力を発揮したといっています。
 さて、『前進』は「祖国敗北主義」なのでしょうか?それとも「革命的敗北主義」なのでしょうか?
「軍令派」と「中央派」と「改革的軍令派」の間に微妙な違いがあるということでしょうか?
 もっとも今の情勢では、「帝国主義間戦争」よりも「共同と対抗の共同侵略」に直面しているのですが。

2) 「愛国主義」をめぐって
 「日の丸・君が代」や改憲の時代、「愛国心」との対決は火急の課題です。
 しかしまた、「愛国主義」との対決の理論はあまりにぶざまというしかありません。「愛国心」との全面的対決には、日本の現実を見据えての問題と共に、理論として語る時はやはり理論としてはっきりさせる問題もあるのだという初歩に立ち返る必要があるでしょう。まさかここで「個に死して…」と叫ぶ人はいないでしょうが。
 レーニンは、使える愛国主義と使えない愛国主義を区別しています。単純化すれば、権力を握ったら「愛国主義」を肯定するが、現状(反体制)では「愛国」を拒否せよと。レーニンの場合、論戦形式で罵倒に忙しいこともあり、理解も大変ですし、「帝国主義論」の成立をはさんでとかいうややこしい議論もありますが…。
 マルクスの「プロレタリアートは祖国を持たない」論が、今日まであまりに誤解されていました。「持たない」とは、「持っていない」という意味だということが理解されていなかった…。
 これも白井氏に学ぶべきでしょう。マルクスは普仏戦争で自らのドイツ=プロシアの勝利を期待すると明言しています。それは、戦争の初期の動機が、ドイツの統一(戦争)を阻害しよとする仏帝の意図にあったからだとされています。「統一ドイツ」がマルクスの主張だったからです。(オーストリアを中心にした大ドイツ主義やこれを排除した小ドイツ主義もありましたが)。マルクスは「祖国を持つべきだ」と主張していたのです。「共産党宣言」のはるかに後の主張だということを理解しておきましょう。また、「アイルランド問題」の前でもありますが。
 
3)レーニンを越えて
 時代は、マルクスやレーニンが予想していた以上に、「階級」に一元化できない「民族問題」の大きさ・深さを示しています。もともとレーニン自体、ポーランド進攻などの度し難い失敗(裏切り)を数々犯しています。それは「帝国主義論」のはるかに後の問題です。「ユダヤ人ブント」問題への過ちは後々、そしていまのイスラエル問題にまで及びます。
 また、「社会内外の多様性」や「人権」の問題と蓄積もあります。EUという「現実」もあります。本格的に広範囲のテーマをめぐって「愛国心」との対決を議論していかない限り「わら人形を撃つ」ことを続けることになるでしょう。

4)「国家」の存在とその「死滅」の問題、現実の国家と過渡期の国家の問題をいまの現実にのっとって深めること、「過渡期の国家」を統治と民衆の双方から捕らえ返すこと…革命ロシアでの「労働組合論争」の比ではないものとして捉え返すこと。それは中核派の大再編や発展的解消をも意味するのでしょうが。
 残念ながらそんな余力すら残っていないとすれば…。
 
 
 
 日本革命あるいは日本の巨大な社会的変革
 
 
 
 
 

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