1 大会戦の現場
1975年の、新橋駅と東神奈川の2大会戦は、「常勝革マル」の神話を最終的に打ち砕く、転換点となった。革マルは「あとひと押し」論で、中核派を壊滅できると勢い付いていた。1つの焦点が、政治集会そのものの粉砕=防衛だった。解散過程の人々があちこちで襲われ、死者まであった。集会を安全に成功させ、帰路を保証できるか否かが正念場だった。集会後、大部隊で移動し、1時間や2時間も行った先で解散する。時には暗い山道を1人1人バラバラになって散る、という事もあった。
移動中の部隊そのものを襲撃したのが、上記の2大会戦だった。新橋駅は東京南部と神奈川の合同部隊、東神奈川は神奈川の部隊が狙われた。私は共に行動隊として出くわした。
東神奈川では、私はレポ(斥候・偵察)だった。神奈川駅で部隊は下車した。ホーム上で隊列を整える間に私と相棒は階段を駆け上る。
と、改札の外に「Zヘル」の大集団が座り込んでいた。まだこちらの到着に気付いていない。鉄パイプをそれぞれ脇に置いて整然としている。勢い余って、私は集団の中に飛び込んでしまった。「革マルだ!革マルだ!」、声を限りに叫びながら、敵の手を振りほどこうと足掻く。不意を突かれた「Zヘル」も慌てて立ち上がる。見ると相棒は手にした傘で乱闘しているが、「声」がない[1]。
叫び続けようやく脱出して、階段を下りホームに戻ると、既に戦闘の陣形は出来ていた。中核旗を巻き付けた竹竿のやりぶすまが、階段に向かっていた。先頭で駆け下りて来たJAC(革マルの「全学連行動隊」)数人が、したたかに打ち据えられていた。後続は階段で止まり、ホーム上の白ヘルと向かい合う。
そこまで見届けて、私はホーム上の部隊の最後尾に走った。さっきの一瞬で、体力は使い果たしていた。それ以上に、「挟み撃ち」が心配だった。
集団戦の総括
神奈川支社は湧いていた。戦闘後、「迎え撃ち、前進して散る」という大方針の下で、前衛戦を闘った常任幹部は意気揚々だった。「勝てた!」という思いは皆の共有物だった。三々五々、集まって来た反戦(職場労働者)たちも興奮していた。後日、革マルが例によって「ウジ虫に教育的措置」などとエセ勝報を流したけれど、現場の空気は隠せない。
ただ、『前進』紙上の勝利報道には、一部の中からブーイングが出た。私もその1人だった。「神奈川常任集団の英雄的闘い」が繰り返し書かれていた。そして、当の神奈川の常任たちが鼻高々に振りまいていた。
「官僚たちめ、自画自賛もいい加減にしろ」。集会参加者には家族連れもいた。障害者もいた。逮捕者も大量に出ていた。反戦も、多く逮捕されていた。彼らを「守り切れなかった」という思いがあった。こうした痛手を忘れて、自画自賛しまくる官僚たちに、腹が据えかねた。日頃、「大衆運動主義者」と罵倒される私たちは、怒りのやり場がなかった。
しかしそれ以上に、忘れたくない事実があった。私が最後尾に走った時、数人のメンバーが声を荒げて叫んでいた。「大衆運動主義者」たちは、「下がるな!構えろ!」と繰り返し叫んだ。にわか仕立ての「しんがり隊」が結成されていた。しんがりが、「革マルせん滅、革マルせん滅」とコールする。竹竿でホームを叩く。後ろから前へ、コールと地響きが広がった。それが地鳴りのように大きくなった時、階段状のZヘルが散を乱して引いて行くのが見えた。
後方が大挙して動く時、威力は数倍になる。その逆も真なりだ。後方の動揺は、数倍になって前衛を襲う。前衛と本隊の絶妙なコンビネーションこそが命だ。
同時に、革マル必勝の戦法の「挟み撃ち」への備えが出来た事だ。私たちは「その日」のために、「後ろで闘おう」と話し合っていた。「その時、お前はどこに居た」という問いに、「しんがりに居た」と胸を張らせない空気に、虚しさが生まれた。「大衆運動を知らねえ奴らは、軍事も知らねえ」。「こんな奴らのために死にたくねえ」。ため息が漏れた。
技術に頼った革マル
革マルの敗北の主因は、「レポ」(レポーター、偵察・連絡)がたまたま機能しなかった事にあるのだと思う。「内戦」初期、革マルの「技術」は圧倒的だった。伸縮性の鉄パイプの開発も、無線開発と運用も、革マルから輸入したものだ。
多分、この日レポのトランシーバーが巧く機能しなかったのだ。この時代、私たちもよく機械の扱いに失敗していた。
「一瞬の差」「先制第1撃」の失敗は決定的だった。あるいはまたこの結果として、挟み撃ちの別動隊が機能しなかったのかもしれない。「技術に頼った革マル」は「上手の手から水が漏れる」のたとえを身をもって味わったのかもしれない。
最も大事な事は、職場労働者への侮りが、冒険主義的な作戦に走らせた、という事だ。革マル派と違い、中核派の反戦労働者は、「2つの11月」の鉄火の訓練を受けていた。職場支配をめぐる資本との闘いも熾烈だった。戦いを知り、闘い方を知る、腹の据わった労働者部隊の底力が、最後の勝敗を決したのだ。