ガチャバンの会
6月だったろうか?私はようやくアパートを借りる事が出来た。バイク便で働き、コミック君に20万円借りて、新居に移った。家財道具をどうしよう。
そうだ、佐野雄介君のリサイクル店がある。「障害者」差別と闘ってきた雄介君。彼の自立の拠点が「ガチャバンクラブ」だ。随分安いという。1石2鳥だ。トラックを借りて買いに行こう。
あらかじめ、欲しいものを連絡しておいたから、準備して待ってくれていた。戸棚、洗濯機、冷蔵庫、そして数多くの小物。応対してkれたSさんが言う。「党の人で買いに来てくれたのはあなたが初めてよ」。「えっ?安いから来たんだけど」。「でも初めてよ」。
一体どうなっているんだろう。杉並、世田谷、西部。私と違い動員でも来て、みんな知っているはずなのに。私より何倍も大衆的な広がりを経験しているはずなのに。そうだ、私自身「安い物を買いに行く」事に1度は戸惑ったっけ。戸惑った上で来た私と、やめてしまった人の差は何なのだろう?
「戸口から戸口までのイデオロギー」という言葉もあった。中核派は変わってしまったのだろうか?いや違う、中核派は結局、変われなかったのだ。実生活での「差別・被差別」の交わりを恐れ、忌避する、萎縮する。現場を見ない。現実を見ない事で、中核派は中核派たり得たのに違いない。
ゴヘーさんの死
ゴヘーさんが泊まりに来た。工場を出て、今、飯場で暮らしているという。梅雨時の事だ、「土方殺すにゃ……」のこの時期、仕事にあぶれて暇を持て余している。金も無い様だし私も1人だから、夕食を作って一緒に食べよう。
親方はピンハネで食っている。雨の日は出面(でづら)を渡して「休業補償」する。親方にたかって泥酔するまで飲み明かす。そんな日常をゴヘーさんは楽しんでいる。やっぱりゴヘーさんの「心の故郷」は、ここにある。
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漁民・農民・そして市職、それぞれの行動原理をよく見る人だった。ゴヘーさんはそのどれでもない、町工場の労働者。差別と偏見の中で闘って来た人だ。彼の友人たちがまた、変わった人ばかりだ。
私の伊方原発のインタビュー記事の、「平家の落人部落伝説」という言葉をゴヘーさんは殊のほか褒めてくれた。「この言葉で…地形が分かる。山間の峡谷、その奥の人も寄れない土地、それが平家の落人部落だ」。うーん、そうか、書いた私が唸る番だ。
日本企業によるマレーシアでの工場廃棄物から出る「死の灰」、2人で集会の取材に行った。ゴヘーさんの記事が『前進』に載る。私は、ゴヘーさんを元気づけただけだ。
2人して流行りの女子プロレスを見に行った。若い女性ファンの中で「やれー、やれー」とオジさん達が一緒に叫んだ。
何週間か私のアパートに居候したある日、旧知の女性と3人でカラオケに行った。初めてのカラオケで、音痴を恥ずかしがりながらゴヘーさんも歌う。沢田研二だったっけ。都内では当たり前の、こじゃれた服装の女性を眩しそうに見るゴヘーさん。その戸惑いの表情が忘れられない。翌日仕事から帰った時、ゴヘーさんが消えていた。刺激が強過ぎたのか、私の「別の世界」に違和感を持ったのか。
新宿大ガードの近く、柏葉公園の脇の路上でゴヘーさんは死んでいた。公園で路上宿泊していた夜、酔っ払って路上に寝ていた所を車に轢き逃げされたらしい。犯人は見つからない。公園の路上宿泊の人に、ゴヘーさんの話を聞いた。柏崎の日々を熱く語っていたという。ゴヘーさんはどこに居ても「中核派」だった。
追悼集会に、ゴヘーさんが残していったジーンズ上下を持って行って飾った。懐かしい工場の人たちの顔があった。順番が来て、私もマイクを握った。
「ゴヘーさんの死は、いかにもゴヘーさんらしい最期だと思う……。今私たちは、労働運動路線の中にいる。けれどマルクスの規定によれば、ゴヘーさんはルンプロだ。労働運動路線も、ゴヘーさんの存在をすくい取る事は出来ない。私たちはこの事をどう捉えたら良いか?」。
「そうだ、その通りだ!」。新潟の席から同感の声が聞こえた。
東京清掃
その頃私は、東京清掃の役員と会っていた。新宿西口の喫茶店に、清掃氏は新築の都庁から歩いて来る。その頃、東京清掃は、都労連集会でも最大動員を誇り、その戦闘性は注目の的だった。
清掃氏は、経済学を学びながら、清掃局の事務員になった。同期の数人、あえて清掃局に入り、労働運動を始めた人の1人だ。旧社会党の社会主義協会派系の、親中核とみておこう。協会派とは理論も言葉も違う、けれどその良さは、三池炭鉱闘争をもリードした現場密着型だ。
「国鉄家族」という言葉があった。親子代々、国鉄職員という人も多く、全体としても家族的な仲間意識が強い。外からは容易に入れない。清掃現場も同様だという。しかしそのちゅう帯は、国鉄どころではない。仕事の差、「社会的地位」……。
清掃現場は、70年代の美濃部都政の同和行政の遺産もある。当然、狭山闘争は組合的課題になるらしい。何度も話すうちに、「人材不足」が課題になる。「中核派には人材はいないかな」。「うーん」。
労対宛てにレポートを書いた。さっそくメンバーがやって来て、喫茶店で話し合った。獄中闘争を闘う星野文昭同志の盟友だ。彼自身、長期の獄中闘争を勝ち抜いて復帰していた。
盟友さんは、「清掃氏は、革マルかそのシンパと認定されている。組合本部方針も、許し難い裏切りだ」と言う。中核派は、東京清掃の本部を敵視するビラも撒いていたらしい。
私は、都労連政治の複雑な枠組みを説明した。「共産党との主導権争いがキーポイントだ。革マルとの、つかず離れずの『共闘』は、その枠内から位置付けられている。当局との合意の内容も、現状では最善だ」。盟友さんとはいろんな話をした。中核派の「自己中」の思い込みこそ、改善されなくてはいけない。
中核派は、「東京清掃の闘いを支援し連帯する」という立場に転換した。とはいえ「使える奴を提供」する事もなく、清掃労働者にとって、外部の「クソの役にも立たない」存在に変わりはない。「社民との統一行動」は、口先だけで終わっていく。